表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/34

山姥:後編(中)

 

 生二狼と宇梶は現実ともまやかしとも取れる薄いもやの中を歩き続けていた。

 砂利道のわだちはぬかるみ、所々にある水溜まりは泥となして濁り、幾粒かの砂利が歩く度に足裏を刺してきた。歩く道は細く長く暗く、途中途中に幾度も地蔵が現れた。それらはみな汚れ欠け朽ちていて、寂しく目を閉じ何かを訴えてきた。生二狼と宇梶は地蔵が現れる度に手を合わせ泥を払い、まだ見えぬ目指す先へと進んだ。

 進むにつれ行く手を阻むかのように、名も無き草が道へはみ出し、枯れ枝が突きだし、足元には動物の死骸が転がってくる。道の先は薄紫に霞みまだ見えない。

 二人の後を痩せたカラスが追っている。のたれ死ぬのを待っているかのように、葉もつけぬ枯れた枝に止まり止まり鳴き続けている。


 そんな中を、生二狼と宇梶は歩き続けた。

 目指す場所はまだ遥か先かと思われた。しかしそれは突如として姿を現す。


「兄貴、なんかあるっす」


「ええ、あそこがそのようですね」


「あそこにいるっすか? 今度こそオイラがやっつけてやるっす!」


「宇梶くん、鬼子母神様は子供を護る仏様です。やっつけてはいけませんよ」


「子供を喰う山姥っす! オイラまで喰おうとしたっす!」


「邪気です。邪にとり憑かれておられるんです。祓ってさしあげましょう」


 小さな山門とお堂があった。

 潜る山門は傾げ傷んでいた。根元が削れ、草が伸びている。

 目の前に建っているお堂もまた傾げ荒れていた。ずり落ちた瓦が、荒れた地面に割れ散らばっている。屋根には苔や草が生え、壁はくすんで削れ、戸は色が剥げ落ち、あらゆるものが閉ざされていた。

 風が吹けばギシギシと音をたて、今にも倒れてしまいそうにそれは建っている。全体が儚い。周りの荒涼とした景色に溶け込み消えてしまいそうなほどに、存在が薄い。

 入り口の扉は立て掛けられただけのように見え、風や獣が簡単に倒してしまいそうである。なのに、その扉が重い。


「兄貴、この扉動かないっす」

 軽く触れるだけでも倒れてしまいそうなほどに朽ちて古びているというのに、宇梶が力を込めて動かそうとしてもびくともしない。

 生二狼も手をあて四隅を見、調べてみたが開きそうにはなかった。手から伝わる扉の感触は脆く薄く今にもポロポロと崩れそうなのに、いざ手に力を込めるとそれはズシリと重く、高くそびえる大木に手をあて押し動かそうとした時のように、逆に跳ね返されてしまう。


「オイラがぶち当たって壊してやるっす」

 宇梶が勢いをつけようと袖を捲り、二歩、三歩、と後退りした。

 すると突然、後ろから怒鳴り声がする。


「お前たち誰だ! 何しに来た!」


 振り返ると、いつの間に居たのか沢山の子供達が二人を睨んでいる。


「帰れっ!」

 一人が叫ぶと、雨後の筍のように次々と小さな子供達までもが帰れ帰れと二人ににじり寄って来る。


「うわっ! なんだお前達、どこに居たっすか!」


「帰れ! 帰れ! 帰れ!」


 子供達が次々と現れる。少し大きな子から産まれたばかりの赤子まで、まるで土の中から湧いて来るかのように数を増やしていく。その子供達の全ての顔と姿が見えていた。その顔はみんな怒っている。前から後ろの方にいる子まで全ての子供達の顔と姿が怒っている。

 全ての顔が見えていた。

 前の子に隠れて見えないはずの後ろの子、そのまた後ろ、更に後ろとずっと奥の方の子までもが、はっきりと怒った顔で睨んでいるのが見えた。


「ア、兄貴……こいつら透けてるっす」

「ええ、この世のものでは無いようです」


 ある子供は棒切れを握り、またある子供はゲンコツを握り、這っている赤子は恐ろしい顔をして二人に迫る。

「お前達、山姥の手下だろ! 帰れ!」

「帰れ! 帰れ!」

「帰れ! 帰れ! 帰れ!」


 生二狼と宇梶はお堂を背に、ジリジリと詰め寄る子供達に囲まれた。逃げ場が無い。いくつもの眼が二人を睨む。


「宇梶くん、手出しはダメですよ。この子達からは邪気が感じられません。怒っていますが、悲しんでもいます」


 子供達の多くが質素で薄く布切れのような着物を着ている。その着物も、顔も体も汚れて匂い、手はあかぎれて土まみれ、裾が破れ、のぞく足は傷だらけで裸足の子もいれば藁草履の子もいる。

 その中の先頭にいる子が一歩前に出て、生二狼を睨み、言う。

「お前達の来る所ではない。今すぐ帰れ!」


 生二狼も一歩前に出た。

「僕は、外崎生二狼といいます。隣の人は宇梶くん、僕の友人です。僕達はあなた方を傷つけるつもりはありません」


「騙されないぞ! 帰れ!」

「帰れ! 帰れ! 帰れ!」

「山姥は帰れ!」

 帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!


 生二狼は子供達の顔を見渡す。その顔はどれも怒っている。憎いものを追い返す恐ろしい顔である。しかしそれは悲しんでもいる。護るべきものが壊れ消えようとしているのを悲しんでいるみたいに。何かを護ろうと必死に闘い怒り悲しんでいるみたいに。


「僕達は、山姥でも山姥の手下でもありません。僕達は山姥を退治しに来ました。そして、鬼子母神様を護りに来たのです」


「鬼子母神様を……?」

 子供達がザワザワと騒いだ。鬼子母神様、鬼子母神様、と呟きあっている。顔つきも変わった。鬼子母神様を護ってくれる? この人達が? 鬼子母神様を護ってくれる? 鬼子母神様を?

 先頭の子も一瞬表情を変えたが、それでも生二狼を睨んだままである。

「鬼子母神様はここには居ない。お前達に会う気もない。だから今すぐ帰れ!」

 他の子供達はまだざわついている。鬼子母神様、鬼子母神様、鬼子母神様と。


「お堂の中に居る鬼子母神様にお会いしなければなりません」

「鬼子母神様はここには居ない!」

「では山姥がいるのでしょうか?」

「山姥も居ない!」

「お堂の中に気配があります。いったい誰が居るのでしょうか?」

「鬼子母神様も山姥も居ない! ここには誰も居ないっ!」


 先頭の子は、哀しみと怒りで生二狼を睨み続けている。しばらく対峙していたが、生二狼が振り向きお堂を見る。微かにカタカタと揺れている。お堂もまた哀しみと怒りに揺れ出していた。


 ジットリとした空気が辺りを包みだす。

 子供達が顔を振り、辺りを警戒しだす。

 僅かに大地が揺れた。紫の靄が濃くなっていく。お堂がゴトゴトと音を出し、枯れ木が震え、空が黒く重くなる。

 子供達の顔が脅えの顔になった。

 山姥だ、山姥だ、山姥が来る……


「鬼子母神様は、このお堂の中におられるはずです。この中で苦しんでおられます。邪気にとらわれ鬼と化そうとしています。僕はそれを止めに来ました」

 生二狼は先頭の子に言い、そして他の子供達に声を掛ける。

「みなさん、心配はいりません。脅える事はありません。鬼子母神様にまとわりつく邪気を取り払ってさしあげれば、山姥は消えます。二度と現れる事もありません。鬼子母神様も再びみなさんにお顔を見せて下さいますでしょう」


 子供達が更にざわめく。喜びと怖れと戸惑いの顔。

 鬼子母神様が? 鬼子母神様が? 山姥だ! 山姥だ!


 先頭の子は拳を握りしめている。

「鬼子母神様は………鬼子母神様は………鬼子母神様はお前達のせいで山姥になったんだ!」

 その言葉に宇梶が不思議がる。

「なんでオイラ達のせいっすか? 山姥は昔からいたっす」

「違う! お前達が邪気を放ち鬼子母神様を山姥に変えたんだ!」

 先頭の子は怒り哀しみ、目に涙を溜めている。「鬼子母神様を返せ! 鬼子母神様を返せ! 鬼子母神様を返せ!」

 他の子供達までも一斉に叫び出す。

 鬼子母神様を返せ! 鬼子母神様を返せ! 鬼子母神様を返せ!


「うわわっ! なんすかコイツら、オイラ達に何の恨みがあるっすか?」

「宇梶くん……この子達はでたらめを言ってる訳ではないのでしょう。僕達が……今の現世の人々の邪な行いが、鬼子母神様を狂わせているのでしょう……」 

「なんすか、邪な行いって?」


 この時、お堂の一部が大きな音をたてて崩れた。大きく埃が舞う。まだ崩れていない場所もガタガタと震え、今にも崩れそうである。

 子供達の脅えが大きくなる。

 山姥だ! 山姥だ! 山姥が現れる! 山姥が現れる!


 生二狼の顔にも焦りの色が出る。早くしなければ、お堂が崩れる前に邪気を振り払わなければ、鬼子母神様が完全に鬼と化してしまう。しかし、この扉が開かぬ限りはどうしようも出来ない。どうにかお堂の中に……鬼子母神様の心の中に入らねば……。

 お堂の扉を開けようとするが、やはりズシリと重く開きそうにない。宇梶も力任せに開けようとしているが、扉は微塵も動いてはくれない。その間にもお堂の一部が崩れていく。早くしなければと生二狼は焦っていた。



   

 鬼子母神様の心が開かぬ限り

 お堂の扉もまた 開きませぬ


 すぐ後ろで声がする。生二狼と宇梶は驚き振り返る。今度は子供達では無く、そこには白装束の老人が立っていた。


「おわわ! な、なんすか、じいさん。急に出てきたらびっくりするっす」


 老人は白衣はくえを着、首から輪袈裟を下げていた。手甲を付けた手に、片手には金剛杖を、別の手には念珠を持っている。その念珠の下でチリンと持鈴じれいが鳴る。頭には笠を被っており、その笠を深く被り俯いているので顔が見えない。わずかに口元だけがのぞく。その口が動き言葉を発す。


「鬼子母神様は心を閉ざしておられる。自ら内にこもり、己の邪心を振り払おうとされておられる。そしてまた己自身を諭そうともされておられる。しかし、迷いは深い。惑いが強い。仏の心が見えなくなっておられる」


 生二狼は小さく頷いた。宇梶は訝しげに老人を見ている。

「じいさん誰っすか?」

 じっとお堂に顔を向けている白衣の老人の表情は笠に隠れて窺えない。しかし老人は、深く被ったその笠の下にある眼で、閉ざされているお堂の内側を見渡しているかのように僅かばかりに顔を動かしていた。

 宇梶は怪しむ顔で老人を上から下へと見やっていた。老人もまた子供達と同様に向こうの景色が透けて見えている。


「じいさん成仏出来てないんすか? 早く成仏した方がいいっすよ」

 宇梶が言い終わらないうちにまたお堂の一部が音をたて崩れた。更に崩れていく気配がある。柱にヒビが入り、壁が壊れていく。子供達はその場にしゃがみこみ頭を抱え震えている。山姥だ! 山姥だ! 鬼子母神様が完全に山姥になってしまう!


「うむむ……現世で小さき無垢な命が消され続けておる……」そう呟くと、老人は宇梶の方に顔を向けた。


「私は名も無き修行者。この地で巡礼をし生前の罪を償っておるただの爺さんじゃ。私は成仏は出来ぬ。この地で永劫の時を償い続けていかねばならんのじゃ」


「じいさん、そんなに悪い事をしたっすか?」


 老人が顔を上げ、お堂を見た。

「ああ……私は昔、畏れ多くもある人を傷付けてしまった。その償いをする為に、この地である人を見守り続けておるのじゃ」

 老人の眼がお堂を見ている。その片目には崩れていくお堂が映っている。もう片方の眼には何も映っていない。その眼は痛々しく白く濁っていた。


「さあ、みんなで鬼子母神様を想い祈るのじゃ」

 老人は振り向き、子供達を促す。子供達は跪き手を合わせ祈り始める。大きな子から赤子まで、皆が手を合わせ鬼子母神様を想う。鬼子母神様、鬼子母神様、鬼子母神様……


「鬼子母神様に慈悲の心を取り戻して戴くのじゃ。さすれば扉も開かれよう。開かねば心の邪気も取り払われぬ。さあ、御二人も祈りましょう」

 生二狼と宇梶も手を合わせ目を閉じた。

 皆がお堂に向かい手を合わせ祈り続ける。静かに、けれども強く、鬼子母神様を想う言葉が荒れた地に流れる。

 お堂は、慕い想う子供達の声を聞き入れるかのように、色を成し形を戻し本来有るべき姿に立ち戻ろうとする。柱が起き、壁が積み上がり、瓦が屋根へと跳んでいく。しかし、苦悶のような地響きと共にまたすぐに崩れ出す。

「深き迷いを振り払いなされよ! 強き惑いを振り払いなされよ!」

 持鈴を鳴らし老人が叫ぶ。

 子供達が一心に言霊を紡ぐ。

 鬼子母神様 鬼子母神様 鬼子母神様


 お堂は崩れ戻しを繰り返した。邪の深さがお堂を壊し、慈悲の心が持ち堪える。鬼子母神の苦悶を思わせるかのように、空も荒れ風が巻き暴れた。地は揺れ、木は裂かれ、地蔵が転び、山門が沈みいく。それを子供達の清き言霊が直しに駆け回る。宇梶の言霊も追い掛け手伝う。波打つ地面を持鈴の音が鎮め、生二狼の祈りが扉に染み込んでいく。


 永い時がもつれ流れた。

 空が沈み闇となり、お堂が瞬き光と成し、地が割れ地獄となり、言霊が環となり天と成った。無空のはざまを、無時のはざまを、無心に祈り続けていた。子供達が、白衣の老人が、生二狼が、宇梶が。

 それに応えるように、扉がギシギシと音をたて、内から開き始める。それを阻む邪が押し返し、バキバキと激しい音をたて仏と邪が攻めぎ合った。


 鬼子母神の、仏の心が戻りつつあった。子供達の言霊が、鬼子母神の固く閉ざされた扉を開けつつあった。お堂に光りが灯りはじめた。

 しかし、迷いが深い、惑いが強い。

 現世では、今も多くの罪無き幼い命が殺め続けられている。その声無き声が鬼子母神の心に突き刺さり、扉を重くさせる。


 皆に苦悶の色が出始めた。子供達が耐えられずに、ばたりばたりと倒れ始める。生二狼と宇梶が苦しそうに肩で息をする。老人の白く濁った目が紅く充血しだす。それでもなお皆は祈り続けた。鬼子母神の心を開かんと。


 現世では、怯えた子供の首を今も多くの親が締め付けている。声を出せぬ子供が心の中で叫んでいる。『助けて』と。その声が鬼子母神の心に届く。しかし助けてあげれぬ無念が邪となり、鬼子母神を狂わせていく。


 今また、悲痛な叫びも届かずに幼き灯火が一つ消えた。祈り続ける子供達が、ばたばたと倒れていく。お堂が激しく揺れ、雷雲を呼び寄せる。

 動かなくなった我が子を見て母親が笑った。父親が空腹に泣く我が子を床へ叩きつけた。お堂が崩れていく。粉々に潰れていく。鬼子母神の怒りが聴こえる。鬼子母神の悲しみが聴こえる。

「どうか、お鎮めを!」老人が呻く。「鎮めよ、鎮めよ!」生二狼が声を絞り出す。子供達が悲鳴をあげる。お堂が崩れていく。糸が切れていく。哀しみに壊れていく。

 届かぬか!

 邪に負けてはいけません!

 慈悲の心をっ! 仏の心をっ!



 


 叫びのような音を立てて、お堂全体が一気に崩れた。漏れだしていた隙間から濁流が突き破って来たかのように、全てが瞬時に崩れた。黒い埃が嵐のよう舞い上がり、粉々になった破片が噴火の如く飛び散った。山門が地蔵が枯れ木が荒れた景色が皆の想いが、一瞬にして吹き飛ばされた。





 静寂だけがあった。濃い紫の靄が渦巻いていた。





 そこに遠くから声が聞こえる。



  鬼子母神さま~!

      鬼子母神さま~!



 「鬼子母神さま~」と声をあげて走って来る小さな姿があった。草をかき分け、枯れ枝をくぐり、無心に走っている。動物の死骸に足をとられバタリと転んでもすぐに起き上がり走り出す。一生懸命に声を出し、お堂に向かい走り続けている。


   鬼子母神さま~!


 それは、ほんに可愛い女の子だった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ