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山姥:後編(前)

 

 

   山姥:後編



 ぬがぁぁぁぁ――


 老婆から姿を戻した鬼子母神が激昂し、荒れ狂う。

 本来、鬼子母神は美しい女性である。しかし、それが今は醜い姿となっている。


 かつて鬼子母神は五百も千も居たという我が子を育てる為に、人間の子供を捕って子供達に喰い与えていたという。その姿を見た者達は鬼が出たと怖れ、我が子を食われた親達は嘆き悲しんだ。

 そんな鬼子母神も後に人間の子供を喰う事を悔い改め、以後は逆に子供を守る仏となった。


 しかし、今、目の前にいるのは人間の子供を捕って喰っていた頃の姿。

 邪念に憑かれ、かつての鬼に戻った鬼子母神であった。


 ぬがぁぁぁぁ――!


 鬼の鬼子母神が狂い暴れる。髪は逆立ち、口は割れ、肉が盛り上がり、頭長部が突き出してきて、それはやがて一本の角となった。


 鬼子母神は正に鬼となり、顔を振って舌を振り回し、締め付けている生二狼を壁に床に天井にと打ち付けた。その度に壁がひび割れ、床がへこみ、天井が揺れる。舌により動きを封じられている生二狼の痛みを堪える呻き声がやがて叫びとなりそして絶叫へと変わる。


 力が入らず起き上がれぬ宇梶は、仰向けのままそれでも生二狼を助けんと必死にもがいていた。しかし、己に振り掛かった粉を振り払うほどの力も入らずに、ただもそもそと体を揺らすのみである。


「兄貴ィィ――!」


 その声だけが空しく響く。


 生二狼を床に壁に天井に打ち付ける音、宇梶の叫び、鬼となった鬼子母神の唸り、それらの音に混じりもう一つの音があった。その音は誰にも気づかれることなく部屋の隅で小さく鳴り続けている。

 ガリガリガリ、ガリガリガリ、と。

 その音は、白く濁った目で小筒をかじり続けている音であった。



 仰向けのまま、もがく宇梶の上を生二狼が掠めていく。すぐに壁に打ち付けられる音がして、またすぐに舌に巻かれた体が反対側に飛んでいく。

 壁の軋む音と呻き声が宇梶の上を交差し、その度に生二狼の体から生気が消えていくのが見てとれるが、それを目の当たりにしても今の宇梶には何も出来ない。


「兄貴ィィ――! アニキィィ―! くそっ……くそっ……くそっすぅぅぅ! オイラの体なんで動かないっす! 起きろ! 起きろ! 起きやがれっすぅぅぅ――!!」


 宇梶に振り掛かった粉は薄くなり効力を失いつつはあった。あったが、起き上がれる程に回復するにはまだもう少し時間が必要のようである。それでも死力を尽くし起き上がろうと懸命にもがく。しかしあともう少しの力が入らずに、無情にもまた仰向けに倒れてしまう。


「くそ……くそ……くそ……アニキィィィィィィ!!」


 宇梶の目から涙が溢れる。



 鬼子母神が大きく体を仰け反らせた。続いて舌も波打ち上へとあがる。それにつられ生二狼の体が天井へ叩きつけられ、更に突き破り屋根裏の梁に強打される。板や柱の一部が崩れ落ち、それらに混じり天井から血も滴り落ちてくる。

 間をあけず鬼子母神は腰を折り曲げ、自らの舌を床へと叩きつけた。巻きつけられている生二狼の体が畳を割り、床を破り、血濡れのまま床下へと消える。

 生二狼から、抗う気力が見てとれない。心臓の音も途切れがちに弱く小さく消えうせようとしている。



 生二狼は動かない。宇梶は動けない。鼠はただ小筒をかじり続けている。

 鬼子母神にだけ動がある。淀み歪む気を発し、おぞましい唸りを発す。

 床下へ伸ばした舌で絡めている生二狼の様子を伺い、何の動きも感じ取れないのを確認した鬼子母神が、床に開いた穴に刃を向け大きく跳ねた。

 この世のものとは思えぬ恐ろしい形相で穴へと飛ぶ。その様はまるで包丁を突き刺し、そのまま奈落の底まで堕としてやらんとする狂気に満ちた様であった。


「アニキィィィィィィィィィ―――――」

 

 宇梶が絶叫する。しかし、その声に生二狼からの反応は無い。




 包丁を突きだし、鬼子母神が穴へと飛び込む。

「消滅せい!」と叫び、穴へと入り消えるその直前だった。


 鬼子母神の頬が強張った。

 どしん、と鬼子母神の足が床にめり込む。

 高く跳ねたまま穴へと飛び込んで行こうとしていた鬼子母神が、寸前のとこで目を見開き驚きの表情で足を広げ踏ん張り、それを止めた。


「ぬががが……」


 鬼子母神は瞬時に後ろへ飛び退いた。電光石火であった。同時に攻撃の姿勢にも入っている。

 しかし攻撃に出れない。出れないどころか苦悶に顔を歪め、腰を落とし後ろへ下がろうとしている。目は真っ直ぐ穴の先を睨み付けている。


 後ろへ下がろうとする鬼子母神を許さぬものがあった。床下へ伸びた舌が千切れそうなほどぴんと伸びきっている。

 まるで杭に打ち付けられたかのように、岩と岩との間に挟まれたかのように、鬼子母神の長い舌が穴の中で繋ぎ止められていた。

 それだけでは無く、鬼子母神の体がズズズズズと引っ張られていた。穴の中へと引き摺り込まれている。


「ぬぐぐぐ……何奴?」


 ズズズズズと鬼子母神が穴へと引き込まれていく。ズイッ、ズイッ、と引っ張られ、舌が穴へと飲み込まれていく。



 鬼子母神は踏ん張り、引き込まれていくのを阻止せんと力を入れる。


「がぁぁっっ!」


 渾身の力で顔を反らすと僅かに舌が穴から出た。

 床下に開いた穴に引き込まれていた舌が床の上に顔を出すと、その舌は何かに掴まれていた。ゴムの膜を薄く張った向こう側から何かが伸びてきたように、それは膜を伸ばし、がっしりと鬼子母神の舌を掴み離さなかった。

 引き出されたその何かが、またズイと舌を穴へと引き戻す。鬼となった鬼子母神をまるで己の領域に誘い込むかのように、ズイ、ズイと舌を引き寄せていく。


「ぐ、が、が、が、ぐ、ぅ」


 尻をつき、手をつき、足を踏ん張り鬼子母神が耐える。が、しかし鬼子母神は引き摺り込まれていく。舌を掴んだ何かが引き摺り込んでいく。圧倒的な力でもって。


「こしゃくなっ!」


 鬼子母神が吼えた。

 みるみる手足の筋肉が膨張し、足が太くなり腕が太くなる。全身に力を入れるとそれらは更に太くなり、一気に己の舌を手繰り寄せた。


 舌が穴から引き戻される。同時に掴んでいた何かも引っ張り出される。

 ニ本の長いものが舌を掴んでいる。それは腕であった。その腕の先がしっかりと舌を掴んで離さない。それは手であった。

 その手が鬼子母神を穴へ引き摺り込もうと強く舌を握り締めていた。


 その手は生二狼の腹から伸びていた。蠢き暴れようとしていた痣が、その動きを封じていた生二狼の気絶により腹から飛び出してきたのであった。


「ぐががががぁぁぁ」


 鬼子母神が更に舌を手繰り寄せる。

 舌を掴む腕が引っ張られ穴から出る、それに続いて見るもおぞましいものが現れた。顔であった。

 生二狼の腹で蠢き止まっていたものが、鬼子母神に手繰り寄せられる事によって、痣から引っ張り出されたのであった


 鬼子母神が怒りの眼をその顔に向ける。見るもの全てを恐怖に陥れ凍りつかせるその眼を、痣から突き出た顔に向ける。


 その眼を受け、床の穴から覗くその顔がニヤリと笑う。


 お前が子を喰う鬼か。ならば私がお前を喰ってやろう。と言わんばかりに、その顔がニヤリと笑う。


 刹那、顔が穴へ引き込み、腕も瞬時に床下へ消えた。同時に鬼子母神の体が激しく引かれ、穴の中へと引き摺り込まれていく。それまでよりも遥かに強い力で鬼子母神は引き摺り込まれていった。

 子を喰う鬼を喰ってやろうと痣の顔が口を開け引き摺り込んでいく。



 仰向けのままの宇梶が横目で見やり唸る。


「くそっす! 鬼子母神を喰うんじゃないっす! そいつを喰うと生二狼のアニキが壊れてしまうっす! くそっ! くそっ! オイラが……オイラが……」



 引き込まれる力に、もはや鬼子母神は抗う事が出来なかった。どんなに踏ん張ろうと、舌を引き込む腕の力に逆らえずに穴へと向かっていく。己の体を止める事が出来ない。


 ならば。


 虎穴に入らずんば。


 ならば喰われてやろう。しかし、ただでは喰われぬ。お主を道連れにしてやる。お主と共にこの世から消え去ってやろう。と鬼子母神は覚悟を決める。

 手に持つ包丁を口にくわえ、刃を穴に向けた。


 鬼子母神は抗うのをやめ、自らが穴へと向かう。その穴の中で待つ、生二狼の腹から突き出た腕と顔を、生二狼そのものを道連れにせんと勢いを増しながら穴へと向かう。最後にその顔をしかと見届けてやろうとばかりに眼を一点に集中して。


 鬼子母神が穴に向かう。歯に力を入れ包丁をガシリと噛む音がする。眼は穴の奥を見据えている。髪を振り乱し、この世の顔とは思えぬ形相で穴へと突き進む。必ずやこの世から消し去ってやる、我が身と一緒に道連れにしてやる、と鬼子母神は穴まで来て奥を睨み付けた。


 その時、鬼子母神は見た。穴の中いっぱいに広がる、我を喰わんとする大きく開いた口を。






 緑の液体が滴り落ちた。それは床に開いた穴の中へと、気を失っている生二狼の体へと降り注ぐ。



 床に開いた穴の中で我を喰わんといっぱいに開けられた口に、鬼子母神の邪念がたじろいだ。その隙をつき、僅かに残る鬼子母神の仏の心が両手を広げさせ床を掴んだ。

 自らも穴へと進んだ事により、引っ張られていた舌が少し弛み、それにより床を掴み踏ん張った鬼子母神の体が穴の前で止まる。しかしそれも一瞬、すぐに穴へと引き込まれだした。


 その時だった。

 鬼子母神の目の前を閃光が走った。圧倒的な力によって引き込まれていた体が軽くなり、その力から開放された鬼子母神の体が宙に浮く。浮きながら、緑の血が滴り落ち、生二狼の体に降り注いでいるのが見えた。


 状況を把握出来ぬまま鬼子母神は宙に浮いた姿勢から後ろへ飛び退いた。そこで状況を把握する。

 自分の口から長く伸びているはずの舌が、根元で切れていた。そこから緑の血が噴き出し、足元へ落ちている。包丁は噛みしめられたまま、何も切った形跡がない。我が身を喰わんとしていた、穴の中の口はまだ閉じられてはいなかった。なのに自分の舌が鋭利なもので斬られたようにスッパリと斬られている。

 閃光が走り、目の前を何かが横切った……あれが斬ったのか、あれは何じゃったんだ、と鬼子母神は穴へと目を向けた。




 そこにヒグマが立っていた。歌舞伎役者よろしくポーズを決めて立っていた。


「オイラが斬ったっす」


 太く鋭利な爪の先から緑の血が垂れている。それは紛れもなく鬼子母神の舌を切り裂いた証。粉の効力に打ち勝った宇梶が、再び守り熊となり寸前のところで切り裂いたのであった。


「おのれゴワゴワ……」


 鬼子母神の食わえていた包丁がバキバキと折れ、足元に落ちた。その足は怒りに震えている。


「おのれぇぇ、ゴワゴワ! またしても邪魔をしやがって!」


 ポーズを決めたままヒグマが返す。


「ゴワゴワじゃないっす。助手の宇梶っす」



 鬼子母神の目が怒りに燃える。しかし、それは片目だけであった。別の目は穏やかにヒグマの宇梶を見詰めている。友を助けんとするその姿に。


 怒りに震えていた鬼子母神の体から動きが消え、目だけがグルグルと回りだす。黒目と白目が交互に、肉眼と心眼がもつれながら、無我と修羅が、目の中で回る。


 その目が宇梶を捉え、生二狼を捉え、天井を床を壁を見、我が子を女の子を子供達を、人々を信者を羅漢を、現世を来世を、菩薩を如来を仏陀を見、全てを見定めんとグルグルと回る。


 鬼子母神の中で、邪念と仏心が交錯していた。

 友を助けんとする宇梶の心に触発され、眠っている仏の心が起きようとしていた。鬼子母神の中で邪と佛が相まみえる。グルグルと目を動かし、全てを見定めんとする。生二狼を、宇梶を、壁を、床を、部屋を、闇を、血を、包丁を、舌を、爪を、痣を、眼を、小筒を、鼠を…………。


 白く濁った目を開けた鼠が、その視線に気付き小筒をかじるのを止める。

 ヒグマの宇梶が身構える。

 生二狼が意識を取り戻す。


 鬼子母神の眼が止まった。その眼は邪の色。

 鬼子母神を惑わす邪悪なる念が、取り戻そうとする佛の心を抑え込み、再び体から邪気を発し出した。

 邪悪なる眼がヒグマの宇梶を射る。射たまま鬼子母神の口が閉じられる。宇梶が身を低くして構えた。鼠はかじるのを止めたまま動かない。

 一瞬の静寂が辺りを包み、鬼子母神が眼を閉じた。




 がぁぁぁぁぁぁぁ――


 鬼子母神が再び眼を開け息を吐き出す。

 口から、目から、体から、紫の風が吹き出しそれは床へ天井へと広がり、渦を巻き竜巻となってヒグマの宇梶へ向かって行った。

 宇梶は鬼子母神を睨んだまま、顔の前で腕を交差し竜巻の攻撃に備える。


「ここを動くと生二狼の兄貴が殺られるっす。ここから動くわけにはいかないっす! オイラは兄貴を守る! 守るって約束したっす! だからここは絶対に動かないっす!!」


 竜巻に驚き、鼠が跳び跳ねた。そのまま部屋の角に開いた穴へ逃げ込む。その際、小筒を蹴飛ばしていた。白く濁った目だけを開けていた鼠がかじり続けていた小筒が転がる。宇梶の足元へと転がっていく。




「うぐぐぐぐぐ……」


 轟音をとどろかせ、稲妻を走らせながら、鬼子母神から発せられた紫の竜巻が宇梶を襲う。毛を抜き肌を千切り、肉を削ぎ、稲妻が宇梶の体を突き抜ける。


 風に巻き上げられそうになるのを、ぐっと耐えていた。体に突き刺さる痛みに耐え、落ちそうになる膝を堪え、切れそうになる糸を繋ぎ止め続けた。生二狼の兄貴を守る為。約束を守る為。と宇梶は穴の前で立ち続けた。


「おおおぉぉぉぉ――」


 飛ばされそうな体を堪え続け、最後の力を振り絞り吠えた。吠えなければ巻き上げられる。巻き上げられないよう、足の先の爪で床を掴んでいた。その爪が剥がれそうになった。頭を下げ、交差してる腕を体に引き寄せ、身を落とし耐えた。それでも、一枚二枚と爪が剥がれ踵が上がっていく。


「おわわ。爪が剥がれるっす! おっ! あれはっ!」


 ヒグマの宇梶は自分の足元を見た。するとそこに生二狼が持っていた小筒が転がっているのが見えた。急いで小筒を拾おうとしたが竜巻の風がそれを許さない。吹き飛ばされないよう耐えるので精一杯で小筒を拾う事が出来なかった。


「くそっす……これぐらい……くそ……っす――――――!!!」


 もう一度、吠える。それでも小筒を拾う事が出来ぬまま、爪が剥がれ体が浮いていってしまった。





 鬼子母神が吐き続けていた息を止めた。

 竜巻は小さな渦となって勢いを無くし、紫のもやを弱く回すのみとなった。うっすらと辺りが見えてくる。部屋は荒れ、天井が吹き飛んでいた。


 傾いていた壁が崩れ、支えを無くした柱の一本が音を立てて倒れた。

 弱く風が舞い、竜巻が残した紫のもやを追いやる。

 薄紫のもやが晴れていく。

 鬼子母神の目が一点に集中する。

 そこにヒグマの宇梶が立っていた。体を血で赤く染め、弱々しいながらもそこに立ち続けていた。


「……これっぽっち……屁でも……ないっす……」


 しかしその言葉は途切れ途切れで痛々しい。


 鬼子母神が再び目を閉じ息を吸い込む。全身から紫の気が滲み出す。


「おわわ……また吐くっすか……オイラ、限界っす」


 鬼子母神が目を開け、息を吐き出した。

 先ほどより更に巨大な竜巻がヒグマの宇梶に襲いかかる。


「あわわわ……こりゃダメっす。吹き飛ばされるっす……あっ、小筒……小筒を拾って粉を捲くっす」


 ヒグマの宇梶が足元を探す。けれどそこに小筒が見当たらない。風に飛ばされたのか小筒を見つける事が出来なかった。


「あちゃちゃちゃ……万事休すっす。オイラ最大のピンチっすぅ~」


 竜巻が目の前に迫って来る。腕を交差し、渦巻く紫の襲来に備えるが、既にヒグマの宇梶の足は床から浮き上がりつつあった。


 凄まじい風が宇梶を襲う。「生二狼の兄貴だけは……助ける」そう思うも足は床を離れて、風に体が巻き上げられていく。目も開けていられない。その閉じた目にも稲妻の光が差してくる。顔や腕や足が切れていく。

 

 


 竜巻がヒグマの宇梶を、床に開いた穴を、飲み込もうとしたその時、猛烈な勢いで回っていた風が突然に弱まりだした。

 宇梶が薄目を開けて様子を伺うと、竜巻を打ち消すようにキラキラと輝く粉がオーロラのカーテンのようにゆらゆらと揺らめき、静かにゆっくりと舞い落ちていた。


 ヒグマの宇梶の足がトンと床に着く。辺りを見回すと、床に開いた穴から生二狼の腕が何かを掲げるように延びていた。その手には小筒が握られている。


「兄貴ぃ! 大丈夫っすかっ!」


 宇梶は駆け寄り生二狼を助け出す。その間も生二狼の手にはしっかりと小筒が握られていた。

 その小筒には一部がかじりとられ、ひびが入っている。ひびのまわりにキラキラと輝く幾粒かの粉もついていた。

 白く濁った目をした鼠がかじり続けていた箇所に穴が開き、そこから粉が噴き出したようであった。


「兄貴、いま薬を塗ってあげるっす。おっと、その前にあの化け物……」


 粉はすでに全て舞い落ちていて、床をキラキラと輝かせていた。しかし鬼子母神の姿は見えない。この場から姿を消したようである。


「ちきしょう、オイラがやっつけてやろうと思ってたのに逃げやがったっす!」



 宇梶の塗る薬は生二狼の傷をみるみる治していった。体に生気が戻っていく。


「宇梶くん、ありがとうございます。だいぶ良くなりました。宇梶くんも塗って下さい」


「オイラは平気っす! でもちょっとだけ塗るっす……少しだけやられたっす……ウ――、ヒリヒリするっす」


「よく効く薬ですね」


「そうっす。これはオイラの仲間の民が作ったやつっす」


 宇梶の体がヒグマから人の姿へと戻っていく。薬によって傷も治っていき生気が戻る。しかし、宇梶の顔が少し寂しい。


「オイラ、もう仲間の民と会えないっす……決まり事を破って追い出されたっす……」


 生二狼が宇梶の肩に手をかける。


「宇梶くん、大丈夫ですよ。民を思う気持ちがあればまた会えます。皆が待っていると思いますよ」


「だと、いいっすけど……おっ! それよりあの化け物! 早く追うっす!」


「もう少し傷が癒えるのを待ちましょう。居場所は判っています。……宇梶くん、次も頼みますよ」


 宇梶が胸を叩き言う。


「うっす、オイラに任すっす!」





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