山姥:中編(中)
歪んだ月明かりを受けて、キラリ、キラリ、と部屋の中に粉が舞い落ちた。
座禅を組んだまま真っ直ぐに先を見ている生二狼の傍らで、助手の宇梶が歌舞伎役者よろしく粉を撒いた姿勢で決めている。
「オイラが粉を撒いたっす」
「ヌガァァァァ」
生二狼の脳天めがけ包丁を振り落とした老婆は、それが突き刺さるより先に宇梶に依って撒かれた粉を避け素早く障子の向こうまで飛び退いていた。
「ゴワゴワ余計な事をっ!」
「助手の宇梶っす!」
「奇っ怪なものを撒き散らしやがって」
老婆は粉を吹き飛ばそうと血濡れの浴衣を振り回す。その度に長い舌がベタン、ベタン、と廊下や天井を打ち付ける。
「それは貴女の邪念を成仏させ、本来の姿を取り戻してくれます」
生二狼は立ち上がり、懐から小筒を取り出す。それにも先ほど撒かれたのと同じ粉が入っていた。しかしそれは宇梶の持つ粉より眩しく輝く。
生二狼がその小筒の蓋に手をかける。
老婆は浴衣を振り振り粉を追いやっている。それに合わせ長い舌は暴れ回り、乱れていた髪もより一層乱れ暴れる。ゴロゴロと動いていた目は先ほどまでよりも早く動き、空中を舞う粉の一粒一粒を逃す事なく忙しなく追う。
その目が生二狼の手にある小筒をも捉えた。老婆の頬が二度三度と強張りに震える。
バサァァァァ、と今までよりも大きく強く老婆は浴衣を振った。風が舞い、つむじ風となって、生二狼と宇梶に向かい走り出す。
「おわぁっっ!」
宇梶がのけ反り、生二狼も身を翻し辛うじて其れを避ける。しかし老婆は、バサァァァァ、バサァァァァと浴衣を振り次々とつむじ風を走らせ、第二波、第三波と、二人に向かわせる。
「おわわ、おわわ」
つむじ風を避けながらも影響を受け宇梶がくるくると回りだし、生二狼の肌を避けきれぬ風が斬り、赤い鮮血となって舞い飛び散らせる。
「鎮めよ、古に封じた邪気を鎮め納めよ!」
それでも粉を撒こうと生二狼は小筒の蓋にかけた手を回す。
そこへ今度は老婆の浴衣から竹串が飛んで来た。何本も音をたて、二人を目掛け尖った竹串が矢のように飛ぶ。
竹串は老婆の浴衣から真っ直ぐ、またはつむじ風の力を借りて向きを変え、高さ、角度、方角を変え、いたる所四方八方から飛んでくる。
「おわわ、おわわ、痛いっす、痛いっす」
「宇梶くん! 大丈夫ですか! 毒が塗られてます! 気をつけて下さい!」
「痛いっす! 痛いっす!」
宇梶は避けるがそこへ別の竹串が飛んで来て、次々と宇梶の体に刺さる。それらは服を破り、肌を露とす。
「チクチクするっす!」
肌をも破らんと飛んで来た竹串は、その勢いに反し宇梶の体からぽとり、ぽとりと力なく落ちていた。突き刺さる程に勢いのある竹串が何故か宇梶にはわずかに肌をつつく程度のようであった。
「肌がチクチクして痒いっす!」
裂けた服からは肌ではなく、黒くゴワゴワしたものが顔を出している。毛であった。黒くゴワゴワと硬い毛であった。
髪だけでなく、宇梶は全身にゴワゴワした毛を生やしていた。それは見るからに硬そうであるが、実際はその想像をはるかに越えて硬いようであった。服を破り更に勢いを増そうとする竹串が、急激に勢いをなくしてそれ以上進めずに力なく落ちるほどに。
また、先に塗られた毒も宇梶には効かないのか一向に苦しむ様子は無い。
「おのれゴワゴワっ! 毒が効かんのかぁ! それに、その毛…………お主、もしや……??」
老婆は宇梶に気がいき、一瞬浴衣を振るのを止めた。その隙をつき生二狼が再び小筒の蓋に手をかける。
しかしゴロゴロと動く目がそれを見逃さない。
ベタン、バタンと脈打ちながら老婆の舌が伸び、生二狼の体に巻きつく。
「うぅぅぅ」
舌は、胸に両腕ごと巻きつき、ぐいぐいと締め付ける。生二狼の顔が苦しげに歪んだ。舌は肉を握り潰し、骨を軋ませ、血の循環を滞らせる。生二狼の顔に血の気が無くなっていく。
締め付ける舌からわずかに覗き見える指からも生気が消えていき、掴んでいた小筒がぽとりと落ちた。小筒は部屋の隅へと転がっていく。
向かって来るつむじ風と竹串から逃れようと宇梶は跳ね回っていた。だか、つむじ風と竹串が今は止んでいる。老婆は舌を巻きつけた生二狼と対峙している。それにはたと気がつく。
「あれ? 止んでるっす」
難を逃れたかと一安心する間もなく、舌に巻かれ苦しむ生二狼の姿が目に入る。
「生二狼の兄貴っ!」
すかさず、生二狼を助けんと宇梶は駆け寄る。しかしその姿をまたしてもゴロゴロと動く目が捉えた。
「引っ込んでおれ!」
老婆は浴衣をバサァァァァ、バサァァァァと振り、つむじ風を起こす。それは宇梶に向かい飛んでいく。その後もバサァァァァ、バサァァァァと老婆は浴衣を振り、幾つものつむじ風を宇梶に向かわせる。
最初の一つ二つを避けた宇梶も次々と襲い来るつむじ風に逃げ場を失う。それまでは生二狼にも向かっていたものが今は宇梶一人を標的とし襲う。逃げる先につむじ風があり、更に逃げる先にもつむじ風が待ち、背中をつむじ風が襲い、鼻をつむじ風が掠める。
とうとうつむじ風は四方八方を囲み、一斉に宇梶に群がり始めた。
「うぐぅぅ、毛が抜けるっす……うがぁぁ……肌が……ぐはぁぁっっ!」
つむじ風は竹串を跳ね返した宇梶の毛をむしりむしり剥ぎ取り、肌が見えるまでむしり取ると次は肉を削ぎ血を抜き骨を砕き出した。
「ぐわぁぁぁぁぁ!!」
噴き出す血を巻き上げながら、つむじ風は赤い登り竜の如く宇梶を宙に浮かせ、逃げ場を無くして尚も容赦なく襲い続けた。意識が遠退いていく宇梶をつむじ風は捕らえて離さない。
「うぐ、ぐぐぐ……」
老婆は止めとばかりに竹串を飛ばす。それは無防備な宇梶の体に次々と突き刺さっていく。
「がぁぁぁぁっっっ――!」
血を吐き、身体からも血が吹き出る。
「くそ……っす……これくら……い……ぐはぁっ!」
更に竹串が突き刺さり、突き刺ささった箇所をつむじ風がえぐりとっていく。
「ア……アニ……」
全身から血を噴き出し、痛みに剥いていた宇梶のその目が閉じる。
「アニ……キ……」
老婆が笑う。
しかしそれは少し悲しげであった。恐ろしげな面と無情な攻撃には似つかわぬ、どこか儚げで寂しげな笑いであった。
「ゴワゴワよ、還るがよい。お主の本来の場所に」
ゴロゴロと動く右目が宇梶を見詰める。
「還るがよい。北の大地に」
老婆がまた竹串を飛ばした。数十本の竹串が宇梶を貫く。
つむじ風に捕らわれ、宙に巻き上げられたままの宇梶の体がグタリと力なく垂れ下がる。最後の抵抗とばかりに手に瓶を握ったままに。
その間もゴロゴロと動く老婆の左目はしかと生二狼を睨み付けていた。
「宇梶くんっっ!」
叫ぶ生二狼の顔からも生気が失せていってる。
「さあ、次はお前じゃ。何者じゃ? お主は何者じゃ? 解らぬわ。お主は、よぉ解らぬわ。善と悪、生と死が混同しておる」
話しながら舌に力を入れ生二狼を締め付ける。
「ぐぅっっ……宇梶、くんを……放せ……つむじ風を……止めるんだ」
「心配はいらぬ。ゴワゴワは北の大地に還るだけじゃ。本来の場所にな」
「宇梶……くんは僕の、僕の大切な……友達。頼りがいのある……僕の、友達」
老婆の鼻が動く。ひくひくと鼻を膨らまし辺りを探る。それはやがて生二狼へと向いた。
「…………腐臭がしよる。お主からは腐臭がしよる」
老婆の眉間が寄り、警戒の色を出す。長い舌がピィンと張り、更に強く生二狼を締め上げた。
「ぐぅぅぅぅぅ、うっ」
老婆が包丁を握り直す。
「そうか……最近、死神が来たと聞いたわい。
子を――死神が、子を産み落としに来たと……真じゃったか」
老婆は太い足を前へ踏み出す。自らの長い舌を己の口に飲み込んでいくように生二狼との距離を縮めていく。
「お主は、還らせぬ。この地で消滅するがよい」
包丁を振り上げ、ドスンドスンと歩を進める。
ゴロゴロと動く右目は宇梶を悲しげに見詰め、左目は生二狼を睨んでいた。
生二狼は苦しげな両目で老婆を見据え、宇梶は両方の目を閉じている。
更にこの部屋にはもう一つ、目があった。
生二狼と宇梶、それと老婆の目。この六つの目以外にもう一つの目があった。
その目はこの部屋の光景をじっと見ていた。老婆が障子を開けた時から、ただじっとその戦況を見ていた。
悲しみも無く、憎しみも無く、怖れも無く、ただじっと屋根裏からその光景を見ていた。




