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山姥:依頼


   山姥:依頼


 

 今は夜。山頂近くにある仏閣もただ闇の中。

 建物は山の暗さに紛れ、麓からその姿を仰ぎ見る事は出来ない。山を縫うように石段を登れば、一寸先は闇、振り返れどそこもまた闇、果てなく続く闇の苦行を強いられる。

 先の見えぬ長く急で足元しか見えぬ石段も、不意に平らになり境内に出る。そこでは細い三日月の明かりが僅かに辺りを照らす。しかし人の姿は無く、動く気配も無い。


 奥に構える本堂への道は、橋を落としたかの様に漆黒の闇が奈落の底まで落ちているようである。それは渡る事を許さぬ三途の川にも見える。


 その先にある本堂は、まるでこの世とあの世を断然するかの如くに固く戸が閉めら、来る者を拒んでいるかのようであった。



 その本堂の中では、そびえる様にご本尊が鎮座している。何者をも寄せ付けぬ迫力でもって圧倒的にそこにある。静にして動、有にして無、地にあって天であるか如くに存在し、見る者の前に壮観にして荘厳に、壮大にして壮絶に、壮麗に壮烈に其処に鎮座する。ただそこに鎮座し続ける。


 五百を越える蝋燭の灯りがご本尊を揺らめかしていた。灯りの陰と陽がご本尊の顔を怒りの表情に変えている。

 メラメラと揺れる炎の後ろで、ご本尊もまた赤く怒りに震えている。



 そのご本尊を前に和尚が経を唱え続けていた。蝋燭の灯りだけによる薄闇が和尚の姿を歪め揺らす。怒りに燃えるご本尊の前で、和尚は消え入りそうな存在で経を唱え続けている。


 数珠を手に一定の強弱でもって経が発せられている。それは淀む事無く、いつ終わるとも知れず、薄闇に蝋燭の灯りが揺れる本堂の中を這うように響いている。

 経の一言一句が胸に響き、背筋を伸ばさずにはおられない。優しく包む経では無かった。それは厳しく攻撃的に聴こえた。


 経を読み続ける和尚が顔を上げご本尊を見上げる。それまでとは違う言葉で、幾分声を張り上げ経を唱え始めた。何度かリンを鳴らす。しばらくして最後の言葉が永く伸ばされた。

 言葉の紐で経典をくぐり仕舞うようにぐるりと共鳴する。その余韻が本堂に響き、そして消えた。

 続いてリンを一つ強く叩く。その音の余韻は冷えた本堂の空間をいつまでも振動し続けた。



 仰々しく和尚が袈裟をまくり、後ろを振り返る。そこに二つの顔が並ぶ。一つは端正な顔立ちに青い瞳を蝋燭の灯りで揺らしている。もう一つは暗闇にでもゴワゴワした髪が見てとれた。




「すまぬが……生二狼よ……行ってくれるか」


「はい、和尚様」


「今度ばかりは、身が引き裂かれる思いじゃが……行って貰わねばならぬ」


「畏まりました」


「佛の世が……荒れておる……わしではどうにもできぬ……生二狼よ、頼んだぞ」


「はい。では行って参ります」


 生二狼が立ち上がり、隣にいた助手の宇梶も立ち上がる。


「オイラが付いてれば安心っす」


 本堂の中において唯一の灯りである蝋燭を背にしている為、和尚の表情は伺えない。


「ああ……今度ばかりはお前の助けも必要じゃ……宇梶よ、これを持て」


 和尚は台座に置かれた箱から更に小さな箱を取りだし宇梶に渡す。


「何すか、これ?」


「二千年もの間、密かに受け継がれてきた物……代々守り継いできたのは即身仏……尊きお方達じゃ……」


 宇梶は手に持つ箱の位置を変え眺めている。


「中を見るでないぞ。絶対に中を見るでない」


「見るなと言われちゃ……」


「その箱の中を見れるのは即身仏と成られる時のみ。即ち、その箱の中を見た時が即身仏としてこの世を去る時じゃ……それと、生二狼はこの箱に触れるでないぞ。必ず、宇梶が持っておるのじゃ」


「オイラまだこの世を去りたくないっす」


 宇梶は小さな箱をポケットにしまった。

 生二狼は一度も箱には目を向けなかった。


「では、行って来ます。また後日に」


「ああ……」


 生二狼と宇梶は本堂から出ていく。その姿を和尚はずっと見送り続けた。


 そして呟いた。何度も胸の内で呟いた。




 生二狼よ……宇梶よ……帰ってくるんじゃぞ……必ずや、生きて帰ってくるんじゃぞ……




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