鬼:後編②
「待ちなさいっ!」
お巡りさんまでもが叫びながら追いかけてきて、ルミはパニックになりそうだった。
何で? 何で? 何でオジサンとお巡りさんが一緒にいるの? お巡りさんも犯人? お巡りさんが犯人だから、いっぱい人を殺しても捕まらないの? 何で? 何で?
痛みも忘れ、走り続けた。追い付かれないようにいくつも角を曲がった。もう倒れそうでフラフラだった。それでも頑張って、また角を曲がる。
次の角も曲がり、またその次の角も曲がった。いくつもいくつも角を曲がり走り続けた。真っ直ぐ走りまた角が見えた。その角を曲がった瞬間だった。ルミは何かにぶつかり跳ね返された。後ろに飛ばされ踏ん張る力もなく、よろめいて尻餅をつく。すぐさま起き上がろうと手をついた。しかし、足にも腕にも力が入らない。走り付かれて力が入らず、起き上がる事が出来ない。
ダメ! 起き上がって走らないと殺されちゃう! 起きて! 起きて! 起き上がってぇ――!
ルミは懸命に起き上がろうとした。足に力を入れ踏ん張る。けれど膝からドクリと血が出て踏ん張れない。もうダメだ。ルミの心が挫けそうになった。
その時、目の前の何かが動き近づいてきた。ルミの全ての動きが止まり、一点に集中する。近づいて来る何かに意識がいく。
暗闇から足が現れ、更に近づいて来て、人の形となった。
何?
ルミの喉がゴクリと鳴り、静かに視線だけを上に向けていく。
目に映るそれは人の形となり、すぐに女の人の姿となった。
「ルミちゃん? ルミちゃんじゃない? あらあら、こんな遅くにどうしちゃったの?」
「た、た……田中のおばちゃん!」
その人影は横断歩道で旗を振り、いつも声を掛けてきてくれる、頼りがいのある田中のおばちゃんだった。
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生二狼は二つの念を追って、踏み切りに来ていた。そこで立ち止まり電車が通過する踏み切りを見つめる。ここで強く念を感じる。幼い少女の哀しい念がうずくまっている。
生二狼の腹の痣が暴れた。
生二狼は宇梶に電話をする為、首に下げてある古い型のスマートフォンを操作し電源を入れた。電源が入り画面が明るくなると同時にタイミングよく宇梶から着信が入る。
「はい、外崎です」
「兄貴、いろいろ調べたっす。えっとですね……」
「七人目の犠牲者ですね」
「うぉっと……そう、そうっす! 犠牲者は七人だとも言われてるっす。事件的には六人を殺害した事になってるんすけどね、えっと、安藤ナミエちゃん、小田クミちゃん…………中村朋子ちゃんの六人っす。それとは別に同じ時期に岩崎ルミちゃんって子が亡くなってるんすけど、警察発表では事故死になってるっす」
「事故死……ですか」
「そうっす。最初は自殺とも言われてたっす。親友の中村朋子ちゃんって子が殺害された事にショックを受けて、て事が理由とされたっす」
「でも、自殺や事故では無かったんですね」
宇梶の話を聞いている生二狼の目には、踏み切り内でうずくまる一人の少女が映っていた。可哀想にかなり怯えている。足に怪我もしている。何度も後ろを振り返り立ち上がろうとしているけれど、足が痛いからなのか、線路に足がはまってしまい抜く事が出来ないのか、そこから動けずにいる。既に遮断機が降り、警報が鳴っていた。
「犯人に追いかけられてる岩崎ルミちゃんを見たって目撃情報があったっす。でもその情報はオジサン一人だけで他になかったす。それとは別に、踏み切り近くに住む住人から、自分で遮断機をくぐり線路内にうずくまる女の子を見たって情報が二件あったっす。だから自殺を疑われたけど、動機がないので事故扱いになったっす」
「そうですか……」
生二狼の目に映っている少女が線路内にうずくまったまま、列車が通過していった。
悲鳴をあげて少女が肉片となり、血しぶきが生二狼の頬にかかった。
頬にかかった血をハンカチで丁寧に拭き取り、生二狼は悔やみの言葉を呟く。
その横を、少女を追いかけてきた邪悪な念が通り過ぎ行き、踏み切り内で回りを見渡し、悔しそうに言葉を吐いた。
「おのれぇ! 逃がさんぞぉ! 泣く子は許さん! 悪い子は許さん! 私が成敗してやるのだぁぁぁぁ――」
邪悪な念は突然気配を感じたように後ろを振り向き、生二狼を視た。生二狼も真っ直ぐその顔を見据える。邪悪な念と生二狼が睨み合う。
「犯人は――」
「犯人は、っすね。追いかけてるのを見たって目撃情報のオジサンが見つけたっす。オジサンはいつも児童が登下校で通る横断歩道で旗振りをしているオジサンなんすけど、そこは岩崎ルミちゃんがいつも利用してたっす。だから旗振りのオジサンはルミちゃんの顔は知ってて、追いかけられてるのがルミちゃんてすぐに分かったっす。同時に犯人の顔もよく知ってたっす。同じ横断歩道で旗振りをしているオバチャンだったらしいすから」
生二狼を睨む邪悪な念は、髪が乱れ、涎を垂らし、目が完全にイッている女の姿だった。その女は薄笑いを浮かべると、嫌な臭いを残して消えていった。
「そうですか。分かりました。宇梶君ありがとうございました。全てが視えましたよ」
生二狼は電話を切り再び電源まで切ると、踏み切り内に入り線路内の反対側の端まで歩き、そこで雑草が繁る土を手で掘り返し始めた。雑草を抜き固くなった土に指を突き入れ随分と深く掘り返した。その間も後ろでは、何度も列車が通り、何度もうずくまる少女を轢き跳ね、少女が肉片と化していた。その度に生二狼の背に血しぶきが飛ぶ。
掘り続ける手にようやく一つの物が触れた。細い棒状の物。それは土まみれになった朋ちゃんのリコーダーだった。
生二狼はリコーダーを握り、今はマンションとなった、動画に映っていた駐車場があるべき場所へと戻って行った。
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「た、た……田中のおばちゃん!」
「ルミちゃんどうしたの?」
「は、犯人に!」
「……犯人?」
「犯人に追いかけられてるの―」
「…………」
「おばちゃん助けて! 助けて!」
「…………」
「殺人事件の犯人が追いかけて来るの――」
「…………」
「犯人はあのオジサンとお巡りさんだった―!」
「……お巡りだって?……」
田中のおばちゃんに助けを乞いながら少しルミは思った。
夜のせいかな? おばちゃんの顔が恐い。髪も乱れているし。いつもの明るいおばちゃんじゃ無いみたい。なんだか恐い……鬼みたい……
「お巡りですって?」
そう呟くと、おばちゃんは曲がり角から頭を出し、辺りを入念に見回してからルミに向かい薄ら笑いを浮かべて言った。
「怪我してるわね」
「はい、痛くてもう……」
ルミは改めて自分の膝の怪我を見て顔をしかめる。
「来なさい。手当てしてあげましょう」
田中のおばちゃんはルミの手を取り歩き始めた。ルミは足が痛み歩くのも辛かったが、そんな事はお構い無しに田中のおばちゃんはルミを引き摺る様にして歩いていった。
「ここよ、入りなさい」
田中のおばちゃんが玄関のドアを開け、入るように促す。
ルミは、もう走って逃げなくてもいいと安心したせいか足がジンジンと今までよりも痛み出し、なるべく怪我した方の足を着かないようにして、ゆっくりと入って行った。
田中のおばちゃんは周りを見渡し、人の気配が無いのを確認すると「早くしなっ!」とルミの背中を押し飛ばし、素早く鍵を閉めた。
「あっ!」
ルミは押されて体を靴箱にぶつける。
「奥まで来なさい」
おばちゃんはさっさとあがって奥に消えて行った。
ルミは靴紐をほどこうと思ったが、一度立ち上がってしまうと今度は膝が痛くて屈めない。腰を曲げ手を伸ばし靴紐に指をかける。しかし、指も体も震えてて上手くいかなかった。
「あれ? あれ?」
どうしてこんなに震えてるのかな? それに左手は掴めたのに、右手で上手く掴めない……
あっ、そうか!
今更になってルミは気がついた。右手に朋ちゃんのリコーダーを握っているから、靴紐を掴めないでいたんだと。
曲げていた腰を伸ばし、リコーダーを靴箱の上に置いた。
靴箱の扉は閉まっていたが中段の一部だけ扉が無く、靴がそのまま置かれてあった。その中に見覚えのある靴がある。
あれ? 朋ちゃんの靴と一緒……
朋ちゃんは運動が苦手で走るのも遅い。それは機能性を無視した可愛さ重視のこの靴のせいじゃないかとルミは密かに思っていた。今日、学校からの帰りが遅くなって二人で走っていた時も、確かにルミちゃんは履いていた。
「何してるの! 全くトロいわね!」
気がつくと田中のおばちゃんが仁王立ちで立って睨んでいた。
ルミは慌てて腰を曲げ、腕を伸ばす。
「これ消毒液よ、塗っときなさい」
腰を曲げたルミの前にドンッとそれは置かれた。
「えっ?」
ルミは眉をしかめる。
「分かった? それ塗ったら奥に来なさい」
田中のおばちゃんはわざわざ膝をついてルミの顔を覗き込んできて言った。
「早くするのよ。それと他の部屋に入っちゃ駄目だからね! 分かった?」
「は、はい……」
小さく返事すると、田中のおばちゃんはまた奥へと消えていった。
ルミはまた頭がパニックになりそうだった。何がなんだか訳が分からない。何から考えればいいのか検討もつかない。
それでも、一つ一つゆっくり考えてみた。田中のおばちゃんがいつもと違って恐いのもそうだけど、他にもよく考えなければいけない事ばかりだ。
まず消毒液だ。
あれは消毒液なんかじゃ無い! ゴキブリの絵が書いてある殺虫剤だ! あんなの塗ったら大変な事になっちゃう!
次にそれを置いたおばちゃんの手だ。
おばちゃんはそれを右手で置いた。その腕の内側に大きな傷の痕があった。右手に傷……右手に傷……犯人の特徴にあった。
そう言えばおばちゃんはいつも長袖を着ていた。帽子もいつも被っていて、帽子を脱いだとこを初めて見たけど、髪がボサボサだった。あんなに顔を近づけられて話された事が無いから知らなかったけど、歯が汚れていた。それに凄く臭かった。
おばちゃん……おばちゃんが……田中のおばちゃんが犯人?
ルミは靴箱に置かれてある可愛らしい靴を取って内側を見てみた。
そこにはハッキリと朋ちゃんの名前が書かれてあった。
「朋ちゃん……」
その時、廊下の方からギギギィィと音がなった。ハッとして廊下の奥を見る。おばちゃんの姿は無い。奥へ続く廊下の途中にある部屋の扉が少しだけ開いていた。
僅かに開いた隙間から緑色の物が見える。ルミは目を凝らしてよく見てみた。
朋ちゃんは緑色のランドセルをしている。靴は可愛いのにランドセルは可愛くないなぁ、とルミは思っていた。
間違いない! あれは朋ちゃんのランドセルだ!
「朋ちゃんっ!!」
靴を脱ぐのも煩わしく思い、そのまま脱がずに上がり込み、足を引き摺り扉の所まで走った。
「朋ちゃ――ん!」
扉を開けてルミは驚愕した。胃の中のものが急激に込み上げてきて吐きそうだった。一旦、目を反らし再び目を向ける。まともに目に入ったそれが何かを理解して、今度はその場で我慢出来ずに吐いてしまう。
扉を開けた部屋の中に朋ちゃんがいた。確かに朋ちゃんはいた。返事をしないけど、それは朋ちゃんに違いなかった。しかし、その姿は無残だった。朋ちゃんであって朋ちゃんじゃ無かった。薄く開いた目が付いてる顔は朋ちゃんの顔だったが、それ以外は人間のものとは思えなかった。ぐちゃぐちゃ過ぎてよく分からない。
朋…ちゃん…………
「何してるのぉぉっっ!」
鋭い声が飛んできた。
奥を見ると田中のおばちゃんが包丁を持って立っている。ルミは急いで扉から離れ、玄関へ向かう。
「あんたもお友達と一緒にしてあげるよぉっ!」
ドタドタと廊下を踏みしめ田中のおばちゃんが向かって来る。手には包丁を握り締めている。
ルミは足を引き摺り、玄関にようやく着いた。靴を履いたまま上がったからそのまま降りる。しかし、下に着いた足に力が入らずに体勢を崩して倒れしまい、靴箱に頭をぶつける。
田中のおばちゃんが玄関に着き、包丁を振り上げた。
倒れたルミの目の前におばちゃんが置いていった殺虫剤があった。それを掴みおばちゃんに吹き掛ける。
「ぎゃあああああ――!」
見開かれた目にまともに殺虫剤を吹き掛けられ、田中のおばちゃんが雄叫びをあげもんどりうつ。
その隙を見逃さず、立ち上がりドアへ行き鍵に手をかける。鍵は簡単に回り、ドアは開いた。ドアから足を一歩出す。
そこでルミは止まった。
振り向き目を動かし靴箱を見る。
「あった!」
ルミはもう一度、田中のおばちゃんへ近づき、殺虫剤を噴射した。
よくも朋ちゃんを!
よくも朋ちゃんを!
よくも朋ちゃんを!
目を押さえ、もがいている田中のおばちゃんは噴射から逃れようと手をバタバタと振っていたが、やがてルミの方に向き叫び出した。
「このガキがぁぁぁ! 殺してやるっ!」
涎を垂らした口を大きく開け威嚇してくる。
ルミはその口に目掛けて噴射する。田中のおばちゃんは咳き込み、更にダラダラと涎を垂らす。
こんな事をしても朋ちゃんは生き返らないし、敵討ちにもならないけど、それでもルミは田中のおばちゃんを許せず噴射し続けた。
やがて噴射の勢いが無くなってきた。ルミはスプレー缶を思い切り田中のおばちゃんに投げつけてから、忘れてしまうとこだったリコーダーを靴箱の上から取り、外へ逃げて行った。
閉まったドアの内から田中のおばちゃんの叫び声が聞こえてくる。
「許さんぞぉぉ! 追いかけて殺してやる! どこまでも追いかけてやるぞぉぉぉぉぉ!!!」
ルミは必死で逃げた。途中まで田中のおばちゃんは追いかけてきたが、今はもう追って来てない。
ちゃんと走れないルミは何度もおばちゃんに捕まりそうになった。けれどおばちゃんも目が開けられないのか、振り回す包丁は空を切りルミを捕らえられないでいた。
必死で逃げていた何処かで、誰かの声を聞いた気がする。
「何してる! やめないか!」
その声に聞き覚えがあるような気もした。大人の声だ。大人の男の人の声だ。学校の行き帰りに毎日聞いていたような気がする。横断歩道かな? でも思い出せない。確認する間もない。とにかく必死で逃げ続けた。
そのうち田中のおばちゃんは追って来なくなり、声もしなくなった。
気がつけば知らない町だった。おばちゃんが追って来る気配は無い。それでも逃げるために歩き続けた。痛む足を引き摺り歩き続けた。
歩く先に踏み切りが見えた。警報が鳴り、遮断機が降り始めている。後ろを振り返ってもおばちゃんの姿は無い。けれど立ち止まるのが恐かった。立ち止まっちゃいけないと思った。
ルミは遮断機をくぐり線路内に入る。この踏み切りを越えて行けば助かる気がする。ママとパパが迎えに来てくれる気がする。早く越えよう、そう思った。
けれど上手く歩けない。こんなんじゃ、走るのが苦手な朋ちゃんの事を笑えないな、とルミは思う。
「あっ」
踏み切り内の線路の窪みに足がはまり倒れてしまう。弾みでリコーダーを手から離してしまった。
「リコーダーが……」
窪みにはまった足を引き抜こうと両手で引っ張るが全く抜けそうにない。足にも腕にも力が入らない。もうクタクタだった。意識も朦朧としていた。逃げるのにも疲れはてていた。
線路の向こうから近づいて来る灯りが見える。何だろう? とルミは思う。ママとパパかな?
灯りは勢いを殺さずにゴゴゴゴォォと音を立て近づいた。遮断機は降り、警報は鳴り続けている。途中で灯りからパパァァ―――ンとカン高い音が鳴り、ギィィ―――と線路が軋むのも聞こえた。灯りはもの凄い速度でルミに突っ込んできた。
それが何か考える気力がルミにはもう無かった。ただ最後に「朋ちゃんのリコーダーを拾わないと」と考えていた。




