第8話 『君の温度』
酷い。酷すぎるじゃないか。
ようやく思い出せたというのに。
あの温もりを、あの日常を。
なのに、それはあんまりじゃないか。
「私たちは確かに厄災を打ち滅ぼした。でもまだ足りなかったんだよ。あいつの、世界を滅ぼそうっていう執念を見誤っていた」
聞きたくない。そんなこと聞きたくないよ。
「厄災は死の間際、捨て身の切り札を使った……瘴気と願望器の押し付け……私たちには防ぎきれなくて、結果、世界をめちゃくちゃにした張本人になり果てた」
彼女が語るのは、多分悲劇だろう。
耳を覆いたくなるような、残酷で冷徹な、現実の話。
「今世界は大変なことになってる。私たちは厄災を倒すはずが、新たな厄災を産み落としてしまったの」
彼女は悔しそうに表情を歪ませた。
「私以外のみんなの魂は瘴気に囚われたまま各地に厄災をばら蒔いている。こんなことあっていいことじゃないよ……だって……だってこんなのあんまりじゃんっ」
彼女の瞳が揺れる。
「私たちが歩んだ歴史も、成した偉業も、何もかも忘れ去られて……あの人たちは死してなおどこかに囚われている…………私たちはどうすればよかったのかなっ……」
彼女の涙を見た。
あれだけ僕の背を押してくれた少女が泣いている。
(僕が泣いてる場合じゃない)
五十年眠ってた僕よりも、その間ずっと一人でその罪悪感を一身に背負っていた彼女の方がよっぽど苦しいに決まってる。
彼女には返しきれないほど助けてもらった。
「私が無力なばかりにっ……気づいたときには手遅れになってたっ……私はただみんなとの最後の約束を果たすことしかできなくて……ごめん、フィンっ……謝るのは私の方なんだよ」
ただ、その涙を止めたいと思った。
勇者一行として、なにもできなかった僕。
ただ、みんなに助けられていただけだ。
受け継いだ意思も、想いも、記憶も。
ただ一方的にもらうだけだったんだ。
勇者一行の記録係として、今何をするべきなのか。
「――ぼくの番だ」
もう逃げない。
僕が貰った数々の想いを、次は僕が返す番だ。
「僕が、みんなの魂を解放する」
「……ぇ」
声が揺るがないようにと、力強く言った。
「僕には彼らを救う力なんてないかもしれない」
僕は拳を力強く握る。
「――でも、僕はこの目で見てきたはずなんだ。まだすべてを思い出せてはないけど……彼らが生きた証のすべてを、僕は見てきたはずなんだ。強さも、弱さも、そのすべてを」
彼らを忘れた世界で、唯一僕だけが彼らを覚えている。
無謀かもしれない。不釣り合いかもしれない。
記憶の断片で彼に託された言葉が蘇る。
――キミは勇者一行の記録係なんだから。
「みんなにもらった分、次は僕が返す番だ。だから、泣かないで、マルティネ」
マルティネはパッと顔を上げた。
涙まみれの顔だ。
「ごめんねっ、こんな酷いもの押し付けてっ……ようやく剣の柵から解放されたのに、もう一度君を苦しめちゃうっ……私って卑怯だよね……キミがすべてを知ったら、きっと彼らを助けるために突っ走るってわかってたのっ……」
「そんなことないよ。これは僕の責務なんだ。僕が返したいんだよ。少しでも、みんなから貰ったものを、君から貰ったものを。だから、君が背負ってきたものを、僕に預けてくれないかな」
「っ、ごめんっ…………ごめんねっ、フィンっ……ぅああ――」
彼女の嗚咽が悲痛に響く。
なんとかしてあげたくて、少しだけ彼女に近づくと、彼女はそのまま両手を開いて僕に飛びついてきた。
「――ぁ」
だが――彼女と僕が触れ合うことはなかった。
彼女の腕は僕の身体をすり抜けてしまう。
すぐそこにいるのに触れられない。
だって、マルティネはもう――死んでしまっているのだから。
「……もう一度、顔を見るだけでいいって思ってた……それで満足だって」
空虚な喪失感が僕と彼女からあふれ出す。
「でも、ダメだなぁ……キミに触れたいって……もっと一緒にいたいって思っちゃう」
彼女はすぐに顔を背けて、涙をぬぐう。
そして、次に顔を上げた時には泣き止んでいた。
「あはは、だめだね、泣いてばかりで。送り出す側がこれじゃあ、フィンも行きづらいよね」
彼女は目を真っ赤にはらして、なおも懸命に笑う。
何を言うべきだろうか。
どうしたら彼女を安心させられるだろうか。
「あぁ、もう夜が終わっちゃう……聖剣が無くなった今、私をここに縛り付けるものはなくなった」
迫りくる朝日に照らされた彼女の身体は、淡く透けていた。
「そうだ、最後にやっておかないと」
すると彼女は崩れた聖剣に手をかざした。
彼女の掌からあふれた光がやがて聖剣の破片を包み込み、ゆっくりと彼女の屍のもとへと移っていく。
それは屍の首元に集約し、簡素な首飾りのルビーの宝石に吸い込まれていく。
「それ、あげるよ」
彼女に促され、屍から首飾りを頂く。
「それをつけていれば瘴気に対抗できるはずだよ」
「ありがとう……大事にする」
「そこの魔法陣が避難ポータルだよ。さあ、乗って」
別れが近づいている。
もう彼女と会うことは今後一切ない。
僕は魔法陣の上に立つ。
彼女の身体が青い粒子となって崩れ始める。
「体には気を付けるんだよ? 無理はし過ぎないこと。いっぱい食べていっぱい寝て、辛いときは誰かに頼るんだよ、一人で何とかしようとしちゃだめ。あと大きくなったからって女の子にだらしなくなったらダメだぞ~。あとは――」
彼女は指折り僕に言葉を投げかける。
最後だから、名残惜しそうに、言いそびれることがないように。
たくさん、たくさん。
では、果たして僕は彼女に何を伝えるべきだろうか。
言葉で表現するのは苦手だ。だけど、伝えることに意味がある。
きっと、何を言ってもあとから「あれ言えば」「こう言えば」と後悔するだろう。言い尽くすことなんてできない。
だったら、今一番伝えたいことを伝えよう。
「一夫多妻は認められてるけど一途が一番だからね? 女の子は特別扱いが嬉しいの。ずっと見てるからね? 悪いことしちゃだめだよ? それに――――ひゃっ」
朝日の茜に照らされて、淡く消えゆく彼女の小さな体を抱きしめる。
触れることはできない。感触も温度もここにはない。
だけど、一番近くにいられる。
それが何よりも僕は嬉しかった。
「ふぃ、フィンっ?」
「――安心して、マルティネ。僕はなにがあっても、キミを忘れないよ」
「っ」
彼女の顔は見えない。だから、なるべく優しい声で話す。
「キミに助けられた。これまでも、ここで目覚めてからも。きっと君がいなかったら、僕は孤独で死んでた。キミが目標を定めてくれたから何とか生きていけた。キミが背中を押してくれたから、父上と向き合うことができた。全部君のおかげだよ。こんなの忘れるなんて無理な話だよ。今まで、ありがとう」
彼女の肩がまた震えだす。
こんなに小さかったのか。
にもかかわらず、彼女は命さえも捧げてやり遂げたんだ。
「僕、頑張るから。キミみたいに、何があってもやり遂げて見せるから。だから、見ててね」
「ぅっ…………うんっ」
ゆっくり手を放して、離れる。
頬を伝う涙が朝日を反射して、きらきらと煌めく。
「ずっと見てるからっ、応援することしかできないけど、ずっと見てるからっ……だから私を忘れないでねっ……何があってもっ、好きな子ができてもっ、心の片隅でずっと私を覚えていてっ」
「うん、何があっても忘れないよ」
「えへへっ」
涙を流しながら、彼女は満面の笑みを浮かべた。
この笑顔だけで、僕はどこまでも頑張ることができる。
「頑張ってね……――私はフィンをどこまでも信じてるから」
崩れゆく身体。
朝日に染められた彼女は、まるで蛍のように淡く光って消えていく。
その笑顔を見て、僕は人差し指で頬を吊り上げて笑みを作った。
すると彼女も嬉しそうに人差し指で笑顔を作った。
「気を付けてね」
「うん、ありがとう」
「ばいばい」
「じゃあね」
「さいごに…………一つ、いい?」
「うん」
「私はキミのこと――」
最後の言葉は声にはならなかった。だが、口の動きで理解した。
「――」
青い粒子が天に上っていく。
途端に広がる静けさが、まるで先ほどまで見ていたものが夢だったのかと思えてくる。
でも、確かに僕は彼女に救われた。
この目が、耳が、声が、記憶が、すべてを物語る。
「ありがとう、行ってきます」
足元の魔法陣が眩い光を放ち、僕の身体をふわりと宙へ浮き上がらせた。
視界が白く染まり、五十年間僕を閉じ込めていた空の王都が、遠く上空へと遠ざかっていく。
吹き抜ける風が冷たい。
誰も知らない。誰も、世界を救った彼らのことを知らない、残酷な新しい世界。
脳裏には、誰よりも温かかった仲間たちの記憶。
これは、希望に満ちた勇者の英雄譚ではない。
囚われてしまった大好きな人たちの魂を、ただ一人彼らを知る僕が『終わらせる』ための旅だ。
――勇者一行、専属記録係フィン・サルハダット。
彼らの生きた証を遺すため、僕は、新しい世界へと足を踏み入れた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
本作はプロローグ的な短編ですが、雰囲気や方向性は伝わったかと思います。
もし本作を面白いと感じていただけたら、ぜひ評価をお願いします。励みになりますし、反響があれば『地上に降りた後の物語』も連載しようと思っています。一応、設定は作り込んでいるので。
それでは最後に、本作唯一のヒロインであるマルティネの『儚い恋の外伝』も投稿しましたのでお楽しみください。




