第7話 『バッドエンドの続きから』
目が覚めた。
「お疲れ様」
身体を起こそうとすると酷い激痛に襲われた。
「あはは、ごめんね、全然治せなかったや」
少しばかり彼女が回復の祈りをしてくれたようだが、言葉通りあまり変化はないように思える。
身体を起こして、あたりを眺める。
ここは謁見の間。父上たちの亡骸は完全に灰となって消えていた。
先ほどとは打って変わって静けさがこの空間を支配している。
「いや、それよりも」
明かりのないこの場所から、彼女は膝を抱えて外を眺めていた。
窓の外には薄い月が浮かんでいる。
「僕はどうなった?」
「勝ったよ。ほんとにすごいや。おめでと」
彼女はやや眉を下げて笑いかけた。
でも、その表情はどうにも悲しげなのだ。
「どうして泣きそうなの?」
「えっ? やだな……私は泣いたりなんかしないよ。子供じゃあるまいし」
見た目は僕と同じ子供だろう。
でも、僕は彼女が子供っぽいとは思えなかった。
彼女から漂う、どこか達観した考え方。含蓄のある笑み。
僕よりも随分大人だ。
「ただね……もう私にできることはなくなっちゃったな~、って」
きゅっと胸が締め付けられた。理由は分からない。
何も言えないでいると、彼女は立ち上がって踵を返した。
「さ、行こうか。最奥の部屋へ」
彼女は階段を上り始める。慌てて僕もそれを追った。
最奥の部屋。
そこは礼拝堂のような部屋だ。
王城と同様に酷い荒れ様だ。
壁や屋根が大きく崩れ、そこから吹き抜けの夜空が見えている。
無数の星々がまばゆく光っている。
視線を落とすと、ぎょっとして思わず声を上げてしまう。
「うわっ……」
傍らに座り込んでいた『あるもの』に驚いて後ずさった。
それは――白骨化した死体だった。
女性だろうか。逃げ遅れた人間がここで息を引き取ったのかもしれない。
力なく壁に背を預けて座り込んでいる。
だが、その白骨が身に纏っているボロボロの修道服には見覚えがあった。先ほどから僕の隣で笑っている少女が着ているものと、全く同じ意匠だったのだ。
「あはは、ちょっとしたホラーだよね。気にしないで、骸骨兵みたいに動いたりしないから」
彼女に促されるまま、僕は部屋の中心へ目を向ける。
「ぁ」
石畳に突き刺さる一本の剣。
月光が照らすそれは、神秘的だった。
「聖剣……でも、これは」
「うん、力を失いかけてるって言ったでしょ。もう大半が厄災との戦いで朽ちちゃったの」
聖剣は刃が半分ほどしか存在していない。
夜の青と同じ、深い色をした剣にもはやかつての輝きはない。
「さあ、触れてみて」
ゆっくり、聖剣に手を伸ばす。
指先が、冷たい剣の柄に触れた。
――キィン。
鋼を打つ甲高い音が聞こえてきた。
柄から伝わってきたのは、金属の冷たさではない
日向の毛布のような、泣きたくなるほどの『温もり』だった。
◆
『お前を、勇者一行の記録係に任命する』
剣の才能を持たない十三歳の僕を、父上は体のいい厄介払いとして、死と隣り合わせの過酷な旅へと放り出した。
一族の恥さらしである僕に与えられた、それは事実上の追放宣告だった。
そこからすべてが始まった。
壮絶で、愉快な。
過酷で、暖かな。
まるで、夢を見ているような、そんな旅をした。
『おい、記録係! 今の俺様の超かっこいい魔法捌き、ちゃんと見といたかァ!?』
『ちょっと、無茶ばっかりしてフィンを困らせないでよね!』
唐突に、真っ白だった僕の脳裏に、鮮やかなインクが滲むように記憶があふれ出した。
『ほら、フィン。肉のお替りだよ。いっぱい食べて大きくなりなさい』
『なあアキウミ。一つお願いなんだが、オレもフィンみたいに子ども扱いしてくれないか? 試しになでなでしてくれ――ぶへっ!』
『ぎゃははは、馬鹿だ! アキウミの一発をくらってらあ! ありゃ当分目ェ覚まさねえぜ』
バチバチと薪がはぜる音。
どこかの街の喧騒。誰かの弾く弦楽器の音色。
夜空の下、焚き火を囲んで笑い合う大人たちの姿。
彼らの顔にはなぜかモヤがかかっていて、うまく見えない。名前も、まだ思い出せない。
『あははっ、フィンったら目輝かせちゃってさ~。ラルートリアル山脈がこんなにきれいだなんて、また来ようね……次は、ふ、二人で、とか』
『おーい、ガビ! こっちでちびっこたちがなんかいい感じになってんだけどー!』
『にゃっ! レオっ! 馬鹿言ってると古エルフ式激痛の捌きをお見舞いしてやる!』
『ひぃっ! なにそれ怖い!』
ただ、わかるのだ。
才能がなく、誰からも期待されなかった僕を。
彼らは決して「役立たず」とは呼ばなかった。
『なあ、フィン。オレが、本当は世界なんてどうでもいい、なんて思ってるとしたら、怒るか?』
夕日に目を細める、赤髪の男。
『え? かははっ、お前からそんな言葉が聞けるなんて思ってなかったな』
その面持ちに憧れた。
『あぁ、成し遂げるさ。だから、もしもの時が来たら頼む……語り継がなくていい。伝説にならなくてもいい。称えられなくても、たとえみんなから忘れられても。ただ――君にオレたちのすべてを覚えておいてほしい』
ポン、と。
『――キミは勇者一行の記録係なんだから』
大きくて分厚い掌が、僕の頭を乱暴に、けれど酷く優しく撫で回す感触。
――あぁ、なんて温かいんだろう。
胸の奥で凍りついていた何かが、音を立てて溶けていく。
誰かに必要とされることが。誰かの隣で笑えることが。
こんなにも、こんなにも満たされるものだったなんて。
*
聖剣が砂のように崩れ落ちていく。
「……ぁ」
視界が歪んだ。
パラパラと、石畳に水滴が落ちる音がした。
触れてみると、僕の頬はぐしょぐしょに濡れていた。
嗚咽が漏れる。自分でも止められないほど、ボロボロと涙がこぼれ落ちていた。
「思い出した?」
優しく問いかけてくるその少女は、記憶の中にも出てきた。
「マルティネっ……」
「うん、ここにいるよ」
「ご、ごめんっ……僕……キミすらも忘れてっ……!」
マルティネ。彼女は勇者一行の一人。
ゆっくり彼女は僕の前にやってくると、一度両手を広げて、でもすぐに力なくその手は下ろされた。
「僕っ……なんてことをっ……ごめん、ごめん……ほんとに」
「ううん、仕方ないよ。瘴気の呪いによって、私たちは世界から忘れられた。聖剣に守られていたフィンでさえ忘れちゃってるんだ。ほかの人は忘れていることすら認識できない」
涙が止まらない。
「僕は一体っ……まだっ、まだ思い出せないことがたくさんあるんだっ」
彼女は泣きじゃくる僕の視線に合わせるように、そっと屈み込んだ。
「それは時間と共に思い出せるはず。焦らなくていいよ。ゆっくり、思い出してくれれば……私たちはそれだけでいいんだよ」
断片的な記憶の数々。
その点と点が、どうにも残酷な結末に繋がっているように思えてならない。
認めたくない。
理解したくない。
こんな悲しいこと、あっていいはずがない。
だって……。
「キミは……キミたちは――」
入り口に座り込んでいた白骨化した死体。
聖剣がこれほど朽ちているのにもかかわらず、五十年という歳月維持できた理由。
それらはすべて、たった一人の少女が答えをくれた。
「ごめんね――……私たち勇者一行は、キミ以外死んじゃったの」
彼女は酷く申し訳なさそうに笑った。
「だから、一緒に冒険に行くことはできないんだ」
心の中心で、切ない音が鳴った。




