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008 【闇より現れし者】

挿絵(By みてみん)五人の傭兵を前にして、啓太は一歩も退かなかった。

その視線は、ただ一人に向けられている。

恵那を抱えた男。

「恵那を……返せ」

低く、震えた声だった。

男は鼻で笑う。

「返せ、だと?」

恵那は男の腕の中でもがいていた。

「啓太くん! 逃げて!」

「嫌だ」

即答だった。

「恵那を置いて、逃げられるわけないだろ!」

その瞬間――。

啓太の身体から、膨大な魔力が噴き上がった。

五人の傭兵が、一斉に息を呑む。

「……なんだ、この魔力量は?」

「こいつ、本当に精霊を持ってないのか?」

「ありえねぇ……」

啓太には、契約した精霊はいない。

それは事実だった。

だが――。

精霊を持たないことと、弱いことは同じではない。

天城家で鍛え抜かれた身体能力。

徹底的に磨き上げた魔力操作。

そして、何より――。

守ると決めた相手を前にした、尋常ではない執念。

啓太は地面を蹴った。

「っ!」

一瞬で距離を詰める。

拳が一人の男の頬を捉えた。

「ぐあっ!」

男の身体が吹き飛び、木々をなぎ倒して転がっていく。

「こいつ……!」

残った四人が一斉に動いた。

炎。

水。

風。

土。

四属性の精霊が姿を現し、闇夜の森を埋め尽くす。

啓太は炎を避け、水をかわし、風の刃を腕で受け流した。

土の槍が地面から突き出す。

「くっ!」

跳躍。

そのまま木の幹を蹴り、別の男へ飛び込む。

だが――。

「そこだ!」

背後から炎が迫った。

啓太は振り返る。

「――!」

間に合わない。

爆炎が身体を包み込んだ。

「啓太くん!」

恵那の悲鳴が響く。

炎の中から、啓太が転がり出た。

服は焼け、腕には傷が走っている。

それでも立ち上がる。

「……まだだ」

息を荒くしながら、啓太は恵那を見る。

彼女は敵の腕に抱えられたままだ。

「恵那を……離せ!」

「しつこいガキだ!」

恵那を抱えた男が走り出す。

啓太も追う。

「待て!」

風の刃が飛ぶ。

啓太は身を捻って避けた。

だが、その隙に距離が開く。

「くそっ……!」

男は恵那を抱えたまま森の奥へ逃げる。

啓太は歯を食いしばった。

――まただ。

目の前にいるのに。

守りたいのに。

手が届かない。

神代家の炎景が脳裏に蘇る。

泣いていた恵那。

燃え落ちた家。

何もできなかった自分。

「……もう……あんな思いは……」

拳を強く握る。

「絶対に……嫌だ」

啓太は再び走り出した。

「恵那だけは――絶対に助ける!!」

その瞬間だった。

――世界から、音が消えた。

風が止まった。

木々のざわめきも。

精霊たちの声も。

敵の怒号さえも。

すべてが遠ざかっていく。

啓太の目の前。

空間が――歪んだ。

ぐにゃり、と。

まるで世界そのものが捻じ曲げられたかのように。

紫色の光が走る。

その中心から――。

巨大な影が現れた。

「……な……」

傭兵たちが凍りつく。

それは、竜だった。

だが、これまで彼らが見てきた竜とは明らかに違う。

巨大な身体は、まるで黒鉄の甲冑を幾重にも重ねたような漆黒の鱗に覆われている。

一枚一枚の鱗が鋭く隆起し、全身から凄まじい威圧感を放っていた。

頭部には、何本もの巨大な角。

その中でも特に目を引くのは、血のように赤い角だった。

紫色の魔力が角の周囲を走り、空間そのものを震わせている。

背中には巨大な翼。

翼を広げただけで、森の木々が大きく揺れた。

そして――。

その眼が開く。

赤く、冷たい瞳。

そこには怒りも憎しみもない。

ただ、目の前にいるすべてを見通すような、圧倒的な存在感だけがあった。

「な……なんだ、こいつ……」

傭兵の一人が後退する。

「こんな精霊……聞いたことが……」

竜は答えない。

ただ、啓太を見つめていた。

啓太もまた、その竜を見上げていた。

怖くない。

初めて見るはずなのに――。

なぜか、ずっと昔から知っていたような感覚があった。

胸の奥が熱くなる。

左胸。

天城家に受け継がれる竜痕が、淡い光を放ち始めた。

「……これが……」

啓太は自分の胸を押さえる。

「俺の……精霊……?」

竜は静かに一歩を踏み出した。

その巨体が動いただけで、地面が震える。

そして――。

恵那を抱えている男へ視線を向けた。

男が震える。

「な、なんだよ……!」

竜が翼を広げる。

次の瞬間――。

空間が爆ぜた。

「ぐあっ!」

紫黒色の衝撃波が森を駆け抜ける。

男たちの精霊が吹き飛ばされる。

炎が消え。

水が砕け。

風が散り。

土が崩れる。

「な、なんだこの力は!」

男が体勢を崩した。

その腕から――恵那の身体が離れる。

「恵那!」

啓太が駆けた。

宙へ放り出された恵那を、啓太が両腕で受け止める。

「きゃっ……!」

そのまま地面を転がった。

「啓太くん!」

「恵那!」

啓太はすぐに身体を起こした。

恵那を抱きしめる。

「怪我はないか?」

「う、うん……大丈夫……」

「よかった……」

啓太の身体から力が抜ける。

だが――。

「まだ終わってねぇぞ!」

傭兵の一人が立ち上がった。

残った精霊たちが、再び啓太たちへ向かってくる。

啓太は恵那を背中に庇った。

「……来るなら、俺が相手になる」

その前に――。

巨大な竜が立った。

啓太たちを覆い隠すほどの巨体。

その鋭い爪が地面を掴む。

竜は何も言わない。

ただ、敵を見据える。

次の瞬間。

その身体を中心に、紫黒色の光が渦巻いた。

空間が歪む。

遠くにある木々が、まるで引き伸ばされたように見えた。

「撃てぇ!」

四人の傭兵が一斉に攻撃を放つ。

炎。

水。

風。

土。

四つの力が同時に竜へ迫る。

だが――。

竜は動かなかった。

ただ翼を広げる。

そして――。

空間そのものが、崩れた。

攻撃が竜へ届く直前。

炎が消える。

水が消える。

風が消える。

土が消える。

まるで、その場所だけ世界から切り取られたかのように。

「……嘘だろ……」

男たちの顔が青ざめる。

竜の周囲で、紫黒色の魔力がさらに膨れ上がる。

そして。

一瞬。

その瞳が――啓太を見た。

啓太も、竜を見つめ返す。

言葉はない。

それでも――。

何かが伝わった。

「……俺で、いいのか?」

竜は答えない。

ただ、ゆっくりと頭を下げる。

啓太は拳を握った。

「……俺も、お前と一緒に強くなりたい」

竜の瞳が、わずかに輝いた。

次の瞬間。

啓太の竜痕から、凄まじい魔力が噴き出した。

「うあああああっ!」

紫黒色の光が啓太を包み込む。

竜の魔力と啓太の魔力が重なる。

一つになる。

――契約。

それは、言葉を交わすことなく成立した。

啓太の身体から放たれた魔力が、一気に膨れ上がる。

そして――。

竜の姿が、闇の中へ溶けていった。

消えたのではない。

啓太の内側へ。

その力が宿ったのだ。

啓太はゆっくりと顔を上げる。

「……俺……」

自分の手を見る。

「精霊に……選ばれた……?」

返事はない。

当然だった。

契約した竜は、何も語らない。

ただ――。

啓太の中には、確かに感じる。

巨大な存在。

静かで。

強く。

どこまでも深い――時空間の力。

「……そうか」

啓太は小さく笑った。

「よろしくな」

返事はなかった。

だが――。

啓太の竜痕が、もう一度だけ淡く輝いた。

「啓太くん……」

背後から、恵那の声。

啓太が振り返る。

そこには、涙を浮かべながらこちらを見る恵那がいた。

「恵那」

「……怖かった」

「……ごめん」

啓太は恵那の前まで歩き、手を差し出す。

「もう大丈夫だ」

恵那はその手を握った。

「……うん」

二人は、しっかりと手を繋いだ。

その遥か後方。

森の闇の中。

誰かが二人を見つめていた。

赤い瞳だけが、一瞬だけ浮かび上がる。

そして――消える。

啓太が初めて精霊に選ばれた、その夜。

誰もまだ知らない。

この竜が何者なのか。

なぜ、啓太を選んだのか。

そして――。

その力が、この世界そのものとどんな繋がりを持っているのかを。

ただ一つ確かなのは。

この日から――。

天城啓太の運命が、大きく動き始めたということだった。


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