↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
65/66

005 【触れてはならない過去】

精霊庁。


 組織改革室。


 その日、啓太は一通の出頭命令を受け、この部屋を訪れていた。


 扉の前で一度だけ姿勢を正す。


 そして――


「失礼いたします。天城啓太、出頭いたしました」


 扉を開け、室内へ入る。


 そこにいたのは三人。


 組織改革室室長――天城玲司。


 その傍らに立つ、女性秘書――榊原麗香。


 そしてもう一人。


 警備部所属の天城恒一。


「来たか、啓太」


 玲司が手を上げる。


「……そんなに畏まらなくていい。普段どおりに話せ」


「はい」


 啓太は小さく息を吐いた。


「それでは、玲司兄さま。何のご用でしょうか?」


「その前に座れ」


「はい」


 啓太が椅子に腰を下ろす。


 恒一もその向かいに座った。


 麗香は二人から少し離れた場所に立ち、静かに様子を見ている。


「さて」


 玲司が机の上で指を組む。


「今日、恵那くんが精霊庁の臨時職員として初出勤したことは知っているな?」


「もちろん存じています」


「そして、仕事用の情報端末――ノートパソコンも支給された」


「……はい」


 啓太の表情が僅かに曇る。


 玲司はその変化を見逃さなかった。


「精霊庁の職員として必要な業務情報にはアクセスできるようになっている。ただし、すべての情報を自由に閲覧できるわけではない。特に秘匿性の高い情報には、当然ながら別途アクセス権が必要だ」


「承知しています」


「だがな」


 玲司の表情が少しだけ真剣になる。


「神代家惨殺事件については事情が違う」


 啓太は黙って玲司を見る。


「現在も精霊庁が最優先で捜査している重大事件だ。捜査によって関与が明らかになっている人類の聖域――アルカニス。そして、その首領であるアベル・ヴァレンティアについても、基本的な情報は職員であれば確認できるようになっている」


「恵那も……見られるのですね」


「ああ」


 玲司は頷いた。


「もちろん、秘匿性の高い情報についてはアクセス権が必要だ。だが、事件の概要や現在までに判明している情報まで完全に遮断することは難しい」


「……そうですか」


 啓太は視線を落とした。


 その横で、恒一が口を開く。


「俺が心配しているのは、そこなんだ」


「恒一兄さま……」


「啓太」


 恒一は穏やかな声で続けた。


「国家魔術師三種試験の帰り、豪華ちゃんから聞いた話を覚えているか?」


「はい」


 啓太は頷いた。


 あの時。


 豪華が啓太に伝えた言葉。


 恵那が事件の真相に近づけば近づくほど、その心が再び傷つく可能性がある。


 その話を、啓太は帰宅してから家族にも相談していた。


 だからこそ――


 恒一も。


 玲司も。


 ずっと恵那のことを気にかけていた。


「俺は、恵那くんが事件の情報を知ることそのものが悪いとは思っていない」


 恒一は静かに言った。


「ただ……知れば知るほど、自分の家族が殺された事件だと実感してしまう。それが心配なんだ」


「俺も同じです」


 啓太が答えた。


「ですから、今のところはできるだけ恵那の様子を見ています」


「どうだ?」


「表面上は問題ないと思います」


 啓太は少し考えてから続けた。


「学校でも普通に笑っていますし、アリカたちとも楽しそうにしています。今日だって、臨時職員の仕事を楽しみにしていました」


「なら問題ない……とはいかないか」


 恒一が言う。


「……はい」


 啓太はそこで言葉を止めた。


「一人になると、そわそわするのです」


 二人が黙って啓太を見る。


「何かをしていないと落ち着かないというか……。昔からの親友であるアリカや、高校は別になりましたが一般人のアズサやトモエ。それに風太」


 啓太は指を折るように数えた。


「恵那が今、近くで付き合っている友達は、それくらいなのです」


「十分じゃないのか?」


 恒一が尋ねる。


「はい。人数の問題ではないと思います」


 啓太は首を横に振った。


「恵那は、自分から積極的に友達を増やそうとはしません」


「……」


「たぶん」


 啓太は少しだけ目を伏せた。


「無意識に、また失うのではないかと怖がっているのだと思います」


 部屋が静かになった。


「だから、一人になると落ち着かなくなる。誰かがそばにいると安心する。でも、その誰かを増やそうとはしない」


「なるほどな……」


 玲司が椅子の背もたれに身体を預ける。


「では、どうすれば恵那くんが安心できる?」


「それが分からないから困っているんです」


 恒一が苦笑する。


「玲司兄さま、何か思いつきませんか?」


「私は人の心の機微には疎いからな」


 玲司も困ったように笑う。


「恵那くんが心から安心できるもの……か」


 三人とも考え込む。


 しばらく沈黙が続いた。


 やがて――


「発言の許可をいただいても?」


 麗香が静かに手を上げた。


 玲司が顔を向ける。


「許可する」


「ありがとうございます」


 麗香は一歩前に出た。


「僭越ながら、私から一つ提案がございます」


「言ってみろ」


「恵那さんが絶対的に信頼できる相手と、人生を共にするというのはいかがでしょう?」


「人生を……?」


 恒一が眉をひそめる。


「はい」


 麗香は涼しい顔で答える。


「この人なら自分を裏切らない。この人なら、自分の前からいなくなったりしない。そう心から思える相手と結婚するのです」


「……」


 啓太の顔が固まった。


 麗香は、そのまま啓太を見る。


「例えば――啓太くん」


「えっ!?」


 啓太が勢いよく顔を上げた。


「お、俺ですか!?」


「はい」


「いやいやいや!」


 珍しく啓太が狼狽する。


「いきなり何のお話ですか!?」


 恒一も困惑した表情を浮かべる。


「麗香さん、いくらなんでも……」


「もちろん、今すぐ結婚しろという意味ではございません」


 麗香は落ち着いたままだ。


「ただ、人が失った悲しみや傷ついた心を癒やすものは、時間だけとは限りません」


 麗香の表情が少しだけ柔らかくなる。


「愛です」


「……愛」


「その男性と積み重ねた時間。互いを想い、支え合い、愛し合った時間。それこそが、心の傷に対する特効薬になり得るのではないでしょうか」


 啓太は何も言えない。


 麗香の言葉を聞いた玲司は、しばらく考えた。


 そして――


 真剣な表情で啓太を見る。


「啓太」


「……何でしょうか、玲司兄さま」


「お前は、恵那くんを恋愛対象として見ているのか?」


「……!」


 啓太は固まった。


「玲司、いくらなんでも結婚というのは……」


 恒一が口を挟む。


「分かっています、兄上」


 玲司は頷いた。


「私も、いきなり結婚しろと言っているわけではありません。恋人になる。あるいは将来的な婚約を考えるというのも、一つの手ではある」


「……」


「ただ、それにはどうしても本人たちの気持ちが重要になる」


 玲司は啓太から視線を逸らさない。


「それで、どうなんだ?」


「……」


「啓太の気持ちは」


 啓太は俯いた。


 冗談で答えるような話ではない。


 だからこそ、真剣に考えた。


 恵那。


 幼い頃からずっと一緒だった。


 泣いている姿も。


 笑っている姿も。


 怒っている姿も。


 何度も見てきた。


「恵那は……」


 ゆっくりと口を開く。


「確かに、小さい頃からずっと一緒に過ごしてきました」


「うん」


「可愛いと思います」


 啓太は少し照れくさそうにする。


「それに……時々、ドキッとさせられることもあります」


「ほう」


 玲司の眉が僅かに動く。


 だが、啓太は続けた。


「でも……」


 啓太は真っ直ぐに顔を上げた。


「恵那は、家族なんです」


「……」


「恋愛感情を抱いたことはありません」


 沈黙。


 玲司は啓太を見つめていた。


 やがて――


「そうか」


 短く頷いた。


「分かった」


 恒一は何か言いたげな表情を浮かべていた。


 しかし――


 結局、何も言わずに口を閉じた。


 玲司は二人を見た。


「しばらくは、恵那くんの様子を見ることにしよう」


「はい」


「何かあれば、すぐに対処できるよう心がけておいてくれ」


「わかった」


 恒一も頷く。


「了解しました」


 啓太も答えた。


「それでは――」


 玲司が立ち上がる。


「兄上。お忙しい中、ご足労いただきありがとうございました」


「いや、構わないよ」


 恒一が立ち上がる。


 啓太も続いて立ち上がった。


「啓太も悪かったな」


「いえ」


 啓太は玲司を見る。


「心配してくださっているのは分かっていますから」


「……そうか」


 二人が部屋を出ていく。


 扉が閉まる。


 静かになった組織改革室。


 玲司はしばらく、その扉を見つめていた。


「……恵那くんと啓太か」


 そして、再び椅子に腰を下ろす。


 その表情には、まだ考え込むような色が残っていた。


「……あれは」


 麗香が口を開く。


「自分の気持ちが分かっていないようにも感じますわ」


「そうか?」


 玲司が振り返る。


「だが、分からないぞ」


「何がでしょう?」


「啓太の周りには、白石アリーチェもいる」


 玲司は指を一本立てる。


「それに、性格は……まあ、アレだが」


「ふふっ」


「鷲宮豪華という美女2人が近くにいる」


「確かに」


「これから先、どうなるかなんて本人たちにも分からん」


 玲司は腕を組む。


「それに、外野があれこれ手を出すのも考えものだ」


「外野……ですか?」


「俺たちが恵那くんのためだと思って何かを決めたところで、結局、それが本人のためになるとは限らない」


 玲司は真面目な顔で言った。


「ましてや、恵那くんが誰かに依存するような形になってしまえば、それは別の問題を生む可能性もある」


 すると麗香は、くすりと笑った。


「あら」


「なんだ?」


「依存する関係でも、良いではありませんか」


「……」


「それも、一つの愛の形ですわ」


 玲司はしばらく麗香を見つめた。


「……俺には、よく分からんな」


「まあ」


 麗香は楽しそうに微笑んだ。


 組織改革室には、そんな二人の会話だけが静かに響いていた。



◇ ◇ ◇



その日の夜。


 精霊殿、恵那の部屋。


 机の上には、一台のノートパソコンが置かれていた。


 今日、精霊庁から支給された仕事用の端末。


 恵那は椅子に座り、その画面をじっと見つめていた。


 電源は、すでに入っている。


 精霊庁の業務システムに接続するための認証画面。


 必要な情報を検索することもできる。


 そして――


 神代家惨殺事件。


 自分の家族が殺された事件についても。


「…………」


 恵那はゆっくりとキーボードへ手を伸ばした。


 指先が震えている。


「……調べよう」


 小さく呟く。


 今まで避けてきた。


 事件について詳しく知ることを。


 あの日、何が起きたのか。


 どうして家族は殺されたのか。


 どうして自分だけが生き残ったのか。


 そして――


 犯人は誰なのか。


 恵那は検索欄に文字を入力しようとした。


 しかし。


「…………」


 指が止まる。


 胸の奥が締めつけられる。


 呼吸が浅くなる。


 怖い。


 調べてしまったら、もう知らなかった頃には戻れない気がする。


 それでも知りたい。


 知りたいのに――


「……できない」


 恵那は手を引いた。


 震える両手を膝の上で握りしめる。


 そして、しばらく画面を見つめた後。


 静かにパソコンを閉じた。


「……今日は、やめよう」


 恵那はそう呟いた。


 逃げたわけではない。


 ただ、今はまだ――勇気が足りなかった。


     ◇


 翌朝。


 精霊塾、一年一組。


 入学式を終えて、今日から本格的な学校生活が始まる。


 教室には、昨日顔を合わせたばかりの五十人の生徒たちが集まっていた。


 やがて。


 教室の前方に、一人の女性が入ってくる。


 高齢の女性教師だった。


 背筋は伸びている。


 白髪の混じった髪。


 眼鏡の奥から向けられる視線は鋭い。


 教壇に立つと、彼女は黒板に自分の名前を書いた。


 ――高槻静江。


「改めまして、ご挨拶いたしましょう」


 静かな声だった。


 だが、不思議と教室全体に響く。


「本年度、一年一組の担任を務めます。高槻静江です」


 静江は教室を見渡した。


「皆さんは精霊塾の高等部一年生となりました。しかし、ここは普通の学校ではありません」


 生徒たちの表情が引き締まる。


「皆さんはこれから、精霊術、魔術、そしてそれらを扱う者としての責任を学ぶことになります」


 一拍。


「力を持つ者には、それ相応の責任が伴います。くれぐれも、そのことを忘れないように」


 そして、ほんの僅かに口元を緩めた。


「とはいえ、最初から難しい話ばかりするつもりはありません。楽しい三年間になることを、私も願っています」


「よろしくお願いします!」


 生徒たちが一斉に頭を下げる。


「では、出席を取ります」


 静江が名簿を開いた。


「神狩京華さん」


「はい!」


 京華が元気よく返事をする。


「神狩恭華さん」


「はい!」


 恭華も続く。


「神代恵那さん」


「はい」


 恵那は普段どおりに返事をした。


 その瞬間。


 教室の後方から、小さな声が聞こえた。


「……神代って、あの?」


「神代家の……?」


「神代家惨殺事件の……」


「……」


 恵那の表情が僅かに硬くなる。


 だが――


 静江が何も言わずにそちらを見た。


 ただ、眼鏡の奥から鋭い視線を向けただけだった。


「…………」


「…………」


 生徒たちは一瞬で黙った。


 静江は何事もなかったかのように名簿へ視線を戻す。


「長谷川順子さん」


「はい!」


 少女が元気よく返事をする。


「長谷川平蔵の子孫、長谷川順子です!」


 教室が少しざわつく。


 静江は眉を僅かに上げた。


「……自己紹介まで兼ねる必要はありません」


「す、すみません!」


 順子が恥ずかしそうに頭を下げる。


「夢宮アリカさん」


「はい!」


「鷲宮風太さん」


「……はい」


 風太は小さな声で返事をした。


 その後も、一人ずつ名前が呼ばれていく。


 五十人。


 全員の確認が終わる頃には、朝の時間も終わりに近づいていた。


 そして――


 休み時間。


「恵那ちゃん、行こう!」


「うん」


 アリカが恵那の手を引く。


 二人が向かったのは、長谷川順子の席だった。


「こんにちは」


「こんにちは!」


「えっと……神代さんと夢宮さんだよね?」


「そうだよ」


 アリカが笑う。


「昨日、パパと一緒にいた人だよね?」


「パパ……?」


 恵那が首を傾げる。


「長谷川さんのお父さんのことですか?」


「うん。長谷川健」


 順子が尋ねる。


「二人って、どうしてパパと知り合いなの?」


「ああ、それはね。私たち精霊庁の臨時職員になったの」


 アリカが少し考える。


「三年前に、私が事件に巻き込まれたことがあってね」


「事件?」


「うん。私、やってもいないことを疑われちゃって」


 順子の表情が変わる。


「えっ……」


「その時、ケンさんだけは私を信じてくれたんだ」


 アリカは笑った。


「すごく親身になってくれてね」


「そうなんだ……」


「最初は顔も怖いし、言葉遣いも怖いし、ちょっと苦手だったんだけど」


「おい!」


 少し離れた場所から長谷川の声が聞こえた気がした。


「でも、すっごく良い人なんだよ」


「……流石、パパね」


 順子が照れながら胸を張る。


「やっぱりパパは凄いんだから」


「うん!」


 アリカが笑う。


 そこへ――


「失礼します」


 京華と恭華がやって来た。


「神代さん、夢宮さん」


 京華が礼儀正しく頭を下げる。


「改めまして、よろしくお願いします」


「よろしくお願いします」


 恭華も続いて頭を下げた。


「私たちは神狩京華」


「神狩恭華です」


「みんなには神狩姉と呼ばれています」


「私は神狩妹と呼ばれています」


「よろしくお願いします」


 恵那も微笑む。


「こちらこそ」


「仲良くしましょう!」


 アリカも笑顔で応える。


 その少し離れた教室の隅。


「…………」


 風太は一人で立っていた。


 正確には――


 存在感を消していた。


「……行こうかな」


 女子五人。


 恵那、アリカ、京華、恭華、そして順子。


 そこへ男子一人で入っていくのは、なんとなく勇気がいる。


 話しかけたい。


 仲良くなりたい。


 けれど――


「……僕が入っていったら、変かな」


 風太は結局、動けなかった。


 その時だった。


「なぁ、神代って――」


 一人の男子生徒の声が教室に響いた。


「神代家惨殺事件の神代だろ?」


 空気が変わった。


「…………」


 恵那は答えない。


 男子生徒は構わず続ける。


「あの事件ってさ、一族が皆殺しにあったってニュースでやってたけど」


 ざわざわと教室が騒がしくなる。


「何で自分だけ助かったの?」


「…………」


 恵那の胸が大きく締めつけられた。


 ――何で?


 それは。


 恵那自身にも分からない。


 どうして自分だけが助かったのか。


 どうして、大好きだった家族が殺されたのか。


 あの日、何が起きたのか。


 思い出そうとしても――


 記憶は、深い霧の中に沈んでいる。


「…………っ」


 恵那は自分の身体を抱きしめるように、両腕を回した。


 小さく震える。


 その様子を見て、アリカの表情が変わった。


「……やめてよ」


 低く。


 深く静かな声だった。


「そんなこと聞くの」


「な、何だよ」


 男子生徒が振り返る。


「俺はみんなが知りたがってると思って聞いてるだけだぞ」


「……」


「だいたい、一族が皆殺しに遭うほどの事件なんだから――」


 男子生徒の声が大きくなる。


「神代家が何か悪いことでもしてたんじゃないかって――」


「ンガッ――!」


 その瞬間。


 男子生徒の言葉が途切れた。


 風を纏った、鎌鼬のような姿。


 目は赤く血走り、牙を剥き出しにしている。


 両手の鎌が、男子生徒の口元に突きつけられていた。


「……ハヤテ」


 アリカが静かに呼ぶ。


 ハヤテは唸り声を上げている。


「ダメだよ、ハヤテ」


 それでも唸り声は止まらない。


「ありがとう」


 アリカは優しく言った。


「怒ってくれたんだね」


 ハヤテの耳が僅かに動く。


「でも、人を傷つけちゃダメ」


 しばらくすると。


 ハヤテはようやく鎌を引いた。


 そして、アリカと恵那のもとへ駆け寄る。


「……お前!」


 男子生徒が顔を真っ赤にする。


「女だからって許してもらえると思うなよ!」


 次の瞬間。


 男子生徒の周囲から魔力が噴き上がった。


 床が震える。


 コンクリートの床面が盛り上がり、土の精霊が集まっていく。


 やがて土塊が一つの形を作った。


 ――棍棒。


「許してもらおうなんて思ってない!」


 アリカの周囲にも風が集まり始める。


「私は――」


 その目に怒りを宿す。


「人の心に土足で踏み入る人が、大っ嫌いだ!」


「おやめなさい!」


 鋭い声が響いた。


 教室全体が凍りつく。


 高槻静江が教室へ入ってきたのだ。


「…………」


 静江は何も言わず、教室内を見渡した。


 男子生徒が握っている土の棍棒。


 抉れた床。


 アリカの隣にいるハヤテ。


 そして――


 震えている恵那。


 一瞬で状況を察する。


「長谷川さん」


「はい」


「説明なさい」


 指名された順子は、慌てながらも姿勢を正した。


「はい」


 そして、落ち着いて説明する。


「男子生徒……えっと」


「鏑木清一さんですね」


 静江が補足する。


「はい。鏑木くんが神代さんの過去のプライベートについて、教室中に聞こえる声で問いただしていました」


「…………」


「それを夢宮さんが制止したのですが、鏑木くんがそれを無視してさらに追及したため、夢宮さんの守護精霊が勝手に鏑木くんを威嚇しました」


 順子は淡々と続ける。


「夢宮さんは守護精霊を止めて引き下がらせました。その後、鏑木くんが怒って精霊術を行使し、土の精霊で棍棒を作ったところで、高槻先生が来られました」


「……」


 静江は頷いた。


「簡潔で大変分かりやすい説明でした」


 一拍。


「第三者として、中立的に事実を述べている点も大変よろしい」


「ありがとうございます」


 順子が頭を下げる。


 静江はクラス全員を見渡した。


「では、皆さん。他に補足することはありますか?」


「…………」


 誰も答えない。


「分かりました」


 静江は名簿を閉じた。


「鏑木清一さん」


「はい……」


「夢宮アリカさん」


「はい」


「二人には、一週間の停学を言い渡します」


「えっ!?」


 恵那が顔を上げる。


「そんな、待って――」


「待ってください、先生」


 別の声が重なった。


 風太だった。


「何ですか、鷲宮風太さん」


 風太は緊張しながらも、静江を真っ直ぐに見た。


「確かに、鏑木くんが神代さんのプライベートを問いただしたのは良くないと思います」


「…………」


「でも、それは彼だけじゃない」


 風太は教室を見渡した。


「クラスの全員が、知りたがっていることなんです」


「風太くん!」


 アリカが驚いた声を上げる。


「ごめんね、夢宮さん」


 風太は申し訳なさそうに頭を下げる。


「でも、これから一年間、一緒にやっていくのに……みんなが夢宮さんみたいに神代さんと接することはできないと思う」


「でも、だからって……」


「腫れ物に触るような扱いを受けるより」


 風太は一度言葉を切った。


「今ここで、はっきりさせたほうがいいと思う」


「…………」


「そうしないと、また同じことが起きる」


 静江は風太をじっと見つめた。


「それで?」


 静江が問う。


「鷲宮風太さん。あなたは、どうするべきだと考えているのですか?」


「……」


 風太は一度だけ息を吸った。


「このまま二人を停学にして、形だけ反省させるのは簡単だと思います」


 アリカが目を見開く。


「でも、それだとわだかまりは消えないと思います」


 風太は続ける。


「それに……神代さんは、自分のせいで二人が停学になったと思ってしまうんじゃないでしょうか」


「アリカ……」


 恵那が小さく呟く。


「恵那ちゃんは何も悪くないよ!」


 アリカが強く言う。


「分かってる」


 風太も頷く。


「でも、神代さんは優しいから」


「…………」


「きっと、自分を責めると思う」


 風太はアリカを見る。


「夢宮さんも、分かるでしょ?」


「それは……」


 アリカは言葉を詰まらせた。


 確かに。


 恵那なら、そうする。


 自分が悪くなくても。


 誰かが傷つけば、自分を責めてしまう。


 風太は静江に向き直った。


「だから先生」


「はい」


「鏑木くんと夢宮さんに――」


 風太は拳を握った。


「思う存分、模擬戦をさせてあげてください」


「……模擬戦?」


 静江の眉が僅かに動く。


「それに何の意味があるのですか?」


「少なくとも」


 風太は鏑木とアリカを見る。


「二人の間にある怒りのガス抜きくらいにはなると思います」


「…………」


「それでもダメだったら……その時に考えます」


 静江は黙った。


 しばらく考える。


 やがて――


「いいでしょう」


「えっ?」


 アリカが顔を上げる。


「鏑木清一さん。夢宮アリカさん」


 二人を見る。


「異存はありませんね?」


「ありません!」


 鏑木が即答する。


 アリカも一歩前へ出た。


「やります!」


 その目には、先ほどまでの怒りとは違う強い意志が宿っていた。


「やらせてください!」


「よろしい」


 静江は頷いた。


「それでは、これから全員、修練場へ移動しなさい」


「はい!」


 こうして。


 精霊塾高等部一年一組。


 入学して最初の授業日にして――


 鏑木清一と夢宮アリカによる、模擬戦という名の決闘が執り行われることになった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。