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006 【守るための決闘】

精霊塾。


 修練場。


 広大な屋内修練場の観客席には、一年一組の生徒だけではなく、二組の生徒たちまで集められていた。


「なんで二組まで……?」


「高槻先生が一年生全員を集めたらしいよ」


「模擬戦をやるんだって」


 観客席は、普段の授業とは違う雰囲気に包まれている。


 そして、その中央。


 武舞台。


 そこに二人の生徒が立っていた。


 鏑木清一。


 そして――


 夢宮アリカ。


 二人は数十メートルの距離を取って向かい合っている。


 武舞台の外周には、結界が展開されていた。


 観客席の最前列には恵那、京華、恭華、順子、風太たちの姿もある。


「アリカ……」


 恵那は不安そうにアリカを見つめていた。


 隣では風太も武舞台を見ている。


 そして、武舞台の中央。


 高槻静江が二人の間に立った。


「これより、鏑木清一さんと夢宮アリカさんによる模擬戦を行います」


 ざわめきが止まる。


「これはあくまで修練の一環です」


 静江は二人を見据える。


「相手を殺傷することを目的とした攻撃は禁止。故意による過剰攻撃も認めません」


 一拍。


「また、夢宮さん」


「はい」


「守護精霊の使用は禁止します」


「……分かりました」


 アリカの横にいたハヤテが不満そうに唸る。


「ハヤテ」


 アリカが振り向く。


「今日は見ててね」


「…………」


 ハヤテはしぶしぶ頷いた。


「両者、戦闘不能、降参、あるいは場外に出た場合は終了とします」


 静江は二人を見る。


「では――」


 右手を上げる。


「始め!」


 手が振り下ろされた。


 瞬間。


「お前は――」


 鏑木が低い声で言った。


「どこに立っているかわかっているのか?」


 その言葉と同時に。


 武舞台の床が大きく隆起した。


 ドォン!


 地面から土の槍が突き出す。


 一本。


 二本。


 三本。


 次々と槍がアリカへ襲いかかった。


「っ!」


 アリカは後方へ跳ぶ。


 一本目をかわす。


 二本目。


 三本目。


 そして四本目。


「まだ!」


 着地と同時に身体を後ろへ倒し――


 バク転。


 さらにバク転。


 土槍が目の前を通過していく。


「速い……!」


 観客席から声が上がる。


 アリカは攻撃をかわしながら、少しずつ鏑木から距離を取っていく。


 すると――


「……?」


 土槍の速度が落ちた。


 さらに距離を取る。


 また落ちる。


「なるほど……」


 アリカの目が鋭くなる。


 鏑木の精霊術には射程がある。


 一定距離を越えるほど、術の精度と速度が落ちる。


 そして――


 武舞台の端。


 場外ぎりぎり。


 アリカがそこまで下がった瞬間。


 土槍が出なくなった。


「……ここまで」


 アリカは鏑木を見る。


 射程距離。


 それを確認した。


 だが。


「舐めるな!」


 鏑木が叫んだ。


 両手を地面へ向ける。


 土が集まり始める。


 巨大な棍棒が二本。


 両手に一本ずつ握りしめる。


「これでどうだ!」


 鏑木の周囲に、大量の土の精霊が集まった。


 地面が震える。


「な……」


 アリカの表情が変わる。


 次の瞬間。


 巨大な土石流が発生した。


 ゴォォォォォッ!!


 武舞台全体を飲み込むような土砂の奔流。


「嘘……!」


 観客席から悲鳴が上がる。


 これでは先ほどのように、横へ回避することができない。


 アリカは後ろを見た。


 場外。


 逃げ場がない。


「くっ……!」


 土石流が迫る。


 アリカは迷わず、足元へ風を集めた。


 風が身体を包み込む。


 足元から巻き上がった風が、彼女の身体をふわりと持ち上げた。


 アリカはそのまま、さらに風を強める。


 身体が高く浮かび上がった。


「飛行……!?」


「飛んだぞ!」


 観客席が騒然となる。


 風の精霊使い。


 その中でも、自力で空中を自在に飛行できる者は極めて少ない。


 精霊と契約して、まだ三年。


 それでもアリカは、日々の練習によって飛行を身につけていた。


 だから、自分が飛べることに驚きはない。


 ただ、土石流をかわすために、これほど高く飛び上がる必要があるとは思っていなかった。


「すごい……」


 恵那も思わず呟く。


 アリカは空中から武舞台を見下ろした。


 そして鏑木を見る。


「鏑木くん」


「……!」


「何で?」


 アリカの声は静かだった。


「何で、それだけの力があるのに……人を傷つけるの?」


 アリカの身体が宙を滑る。


 右へ。


 左へ。


 まるでフィギュアスケーターが氷上を滑るように。


 風が空間そのものを滑走路へ変えていく。


「俺は……」


「そんなつもりじゃ――」


「それでも!」


 アリカが叫んだ。


「傷つくんだよ!」


 鏑木が地面へ手を伸ばす。


 土の精霊を集める。


 だが。


「させない!」


 アリカが風の精霊を同じ場所へ送り込んだ。


 土の精霊と風の精霊がぶつかる。


 術式が乱れる。


「なっ……!」


 鏑木の土が形を作る前に崩れた。


「ちょっとした一言でも!」


 アリカが空中を滑る。


「傷つくんだよ!」


 風の刃が放たれる。


「すごく痛いの!」


 さらに一枚。


「鏑木くんは、ちゃんと考えて恵那ちゃんに質問したの!?」


「それは……」


 風の刃が鏑木へ迫る。


 鏑木は両手の棍棒を振り回した。


 ガンッ!


 一枚。


 ガンッ!


 二枚。


 風の刃が次々と弾かれる。


 しかし――


 威力が弱い。


 鏑木は気づいていた。


 アリカは今。


 飛行。


 精霊術の阻害。


 そして風の刃。


 三つの精霊操作を同時に行っている。


 まだ精霊と契約して三年。


 その処理能力は限界に近づいている。


「俺だって!」


 鏑木が叫ぶ。


「まさか、あんなことになるとは思ってなかったんだ!」


 棍棒で風刃を叩き落とす。


「ただ、知りたくて……!」


「なら――」


 アリカが叫ぶ。


「ちゃんと見て!」


 鏑木の動きが止まる。


「ちゃんと考えて!」


 アリカの声が響く。


「あの時、恵那ちゃんがどんな顔をしてた!?」


「…………」


「どんなふうに怯えてた!?」


 その瞬間。


 鏑木の脳裏に、あの時の光景が蘇った。


 震えていた。


 今にも泣き出しそうだった。


 顔から血の気が引いていた。


 なのに。


 自分は止まらなかった。


 気がつけば、後には引けなくなっていた。


「鏑木くんは!」


 アリカが叫ぶ。


「恵那ちゃんをあそこまで追い込んで――」


 風が渦巻く。


「何がしたかったの!?」


「俺は……」


 鏑木の声が震えた。


「俺は、ただ……」


 アリカは風刃を放ちながら、自分自身の限界を感じていた。


 ――軽い。


 風刃に十分な威力が乗っていない。


 このままでは鏑木を止められない。


「だったら……!」


 アリカはさらに高度を上げる。


 飛行の感覚は、すでに身体に染みついている。


 風の流れを読み、足場のない空中で姿勢を整える。


 そして。


 一気に降下した。


 風を纏い、鏑木へ向かって一直線に迫る。


「うおおおおっ!」


 鏑木も叫ぶ。


 両手の棍棒を捨てた。


 そして武舞台へ直接手を触れる。


「こうすれば……!」


 アリカの風による阻害を受けにくい。


 土の精霊が一気に集まる。


 地面から巨大な土の支柱が突き上がった。


「ちくしょおおおおおッ!」


 アリカの目が鋭くなる。


 ――推進力。


 十分。


 身体を捻る。


 足先へ魔力を集中する。


 そして。


 風を一点へ圧縮。


「…………」


 アリカは、以前見た光景を思い出した。


 啓太が使った技。


 魔力と精霊術を拳へ集中そして圧縮させ、一点に叩き込む技。


 自分には、まだ同じことはできない。


 でも――


 真似ならできる。


「啓太さんのエレメンタルフィスト……」


 アリカは呟く。


「見様見真似だけど……」


 足先に、圧縮された風が集まっていく。


「これが、私の――」


 土の支柱が目の前まで迫る。


「大気拳――!」


 アリカの足が、土の支柱へ叩き込まれた。


「エレメンタルシュートォォォッ!!」


 ドォォォォン!!


 インパクトの瞬間。


 圧縮された空気が爆発する。


 土の支柱が砕け散った。


 さらに一点へ集中された風圧が、鏑木の身体を真正面から捉える。


「うわあああああっ!」


 鏑木の身体が吹き飛んだ。


 武舞台の上を何度も転がり――


 その身体が場外へ出る。


 静寂。


 誰も声を発しなかった。


 やがて。


 静江が右手を上げた。


「そこまで」


 凛とした声が修練場に響く。


「勝者――」


 一拍。


「夢宮アリカ!」


 その瞬間。


 観客席から大きなどよめきが起こった。


「すげぇ……」


「飛んだぞ……」


「三年しか経ってないんだろ?」


「風の精霊使いって、あんなことできるのかよ……」


 アリカは荒い息を吐きながら、武舞台に着地した。


「はぁ……はぁ……」


 そして、すぐに恵那を見る。


「恵那ちゃん……」


 恵那は静かに立ち上がった。


「アリカ……」


 その顔には、安堵と嬉しさが浮かんでいた。


 しかし。


 この模擬戦によって、一年一組の生徒たちは知ることになる。


 夢宮アリカという少女が――


 ただ明るく元気な少女ではないことを。


 そして。


 神代恵那が背負っているものが、決して「昔の事件」の一言で片づけられるものではないことを。



◇ ◇ ◇



鏑木の身体が場外へ転がり出た。


 静寂。


 誰も、すぐには声を出せなかった。


「そこまで」


 高槻静江の声が響く。


「勝者――夢宮アリカ!」


 その言葉を聞いた瞬間だった。


「アリカ!」


 恵那が観客席から駆け出した。


 結界を越え、武舞台へ駆け上がる。


「恵那ちゃん!」


 アリカが振り返る。


 次の瞬間。


 ぎゅっ。


 恵那がアリカに抱きついた。


「恵那ちゃん……?」


「無茶しないで」


 恵那はアリカの身体を強く抱きしめた。


「……でも」


 少しだけ顔を上げる。


「ありがとう」


「……うん」


 アリカも微笑んだ。


「どういたしまして」


 その足元には、守護精霊の使用を禁じられているため、姿を現せないハヤテの気配だけが静かに漂っていた。


 一方。


「…………」


 場外へ吹き飛ばされた鏑木は、起き上がろうとしていた。


「くっ……」


 腕に力を込める。


 身体を起こす。


 しかし――


「……っ」


 足に、うまく力が入らない。


 何度か立とうとするものの、膝が崩れる。


「くそ……」


 悔しかった。


 負けた。


 自分が。


 鏑木清一が。


 名家の生まれで、幼い頃から精霊使いとして鍛えられてきた自分が。


 精霊と契約して、まだ三年しか経っていない女子に負けた。


「……悔しい」


 拳を握る。


 本当に悔しい。


 だが――


 今は、それよりも優先しなければならないことがあった。


「神代……!」


 鏑木は這うようにして武舞台へ近づいていく。


「夢宮……!」


「……!」


 アリカが恵那の前へ出た。


 警戒する。


「まだ何かするつもり?」


「違う!」


 鏑木は首を横に振る。


 そして。


「神代、夢宮!」


 二人を見上げる。


「ごめん!」


「……!」


「俺、バカだった!」


 鏑木の声は震えていた。


「神代が傷ついてるって……途中から分かってたのに……」


 拳を握りしめる。


「止まれなかった……!」


 恵那とアリカが顔を見合わせる。


「本当に……すまなかった!」


 鏑木は深々と頭を下げた。


「許してくれ!」


 武舞台に、鏑木の声だけが響く。


 恵那はしばらく黙っていた。


 そして。


「うん」


 静かに答えた。


「許すよ」


「神代……」


「私も……やめてって、ちゃんと言えばよかったよね」


「違うよ!」


 アリカがすぐに言った。


「恵那ちゃんが悪いわけじゃない!」


「うん。分かってる」


 恵那はアリカに微笑む。


 そして鏑木を見る。


「でも、鏑木くんも分かってくれたんだよね?」


「……ああ」


「だったら、それでいいよ」


 アリカは少しだけ考えた。


 そして鏑木を見る。


「……恵那ちゃんが許すなら、私も許す」


「夢宮……」


「あと……」


 アリカは頭を下げる。


「私もごめんなさい!」


「え?」


「ハヤテが勝手に出てきちゃったとはいえ、私ももっと早く止めるべきだった」


 その瞬間。


「きゅう……」


 小さな鳴き声がした。


「……ハヤテ?」


 アリカが足元を見る。


 そこにハヤテが姿を現していた。


 申し訳なさそうに頭を下げている。


「もう……」


 アリカは苦笑する。


「ハヤテも謝ってるみたい」


「……」


 鏑木はハヤテを見る。


 そして、小さく笑った。


「……分かったよ」


 その後。


 恵那とアリカは、鏑木へ手を差し出した。


「立てる?」


「……ああ」


 鏑木は二人の手を取った。


 そして――


 ぐっと身体を起こす。


「……ありがとう」


 鏑木が立ち上がった。


 その瞬間。


 パチ。


 一人の生徒が拍手をした。


 続いて。


 パチ、パチ、パチ。


 拍手が広がっていく。


 やがて修練場全体が、大きな拍手に包まれた。


「…………」


 恵那は驚いたように客席を見る。


 アリカも目を丸くしている。


 鏑木も、呆然と周囲を見回していた。


 その光景を静江は静かに見つめていた。


「二人とも」


 拍手が少しずつ静まっていく。


「どうやら反省は十分できたようですね?」


「はい!」


 アリカと鏑木が同時に答えた。


「しかし」


 静江の声が鋭くなる。


「いかなる理由があろうとも、神聖な学舎を破損させることは許されません」


「……はい」


 鏑木が小さくなる。


「それは分かりますね?」


「はい」


「そして、夢宮アリカ」


「はい!」


「あなたも、守護精霊の監督不行届であることは理解していますね?」


「……はい」


 アリカは素直に頭を下げる。


「よろしい」


 静江は二人を見た。


「では二人には停学処分――」


 二人の顔が強張る。


 しかし。


「……は、もう反省しているので意味はありませんね」


「え?」


 アリカが顔を上げる。


 静江は淡々と続ける。


「破損させた教室の床を、二人で共に直しなさい。それを今回の処分とします」


「……!」


「しっかりとおやりなさい」


「はい!」


 鏑木とアリカが声を揃えた。


「では――」


 静江が踵を返す。


「これで解散とします」


「先生!」


 その時。


 恵那の声が響いた。


 静江が振り返る。


「何ですか、神代さん?」


 恵那は武舞台の中央に立ったまま、観客席を見渡した。


 一組。


 二組。


 一年生全員。


 その視線が、自分へ集まっている。


 胸が苦しくなる。


 手が震えそうになる。


 怖い。


 それでも。


「……私」


 恵那は息を吸った。


「ここにいるみんなに、私のことを話したいです」


 静江の目が僅かに細くなる。


「本当に……よいのですか?」


「……はい」


 恵那は頷いた。


「自分の意思で話します」


「分かりました」


 静江は一歩下がった。


「皆さん。静かに聞きなさい」


 修練場から、ざわめきが消えた。


 恵那はゆっくりと息を吸う。


「まず……」


 客席を見渡す。


「私のことで、みんなを騒がせてしまって……ごめんなさい」


 頭を下げる。


「そして……」


 顔を上げる。


「みんなが噂していたことについて、ちゃんと話します」


 誰も口を挟まない。


「私が……神代家惨殺事件の生き残りです」


 静寂。


 誰かが息を呑む音が聞こえた。


 恵那は続ける。


「でも……当時のことを、私はよく覚えていません」


 視線が少し下がる。


「私は、まだ小さかったから……」


 断片的な記憶。


 炎。


 煙。


 崩れていく屋敷。


「覚えているのは……燃えていた屋敷」


 恵那の声が震える。


「そこら中に……血が飛び散っていて……」


 自分の鼻を押さえるように、恵那は顔をしかめた。


「鼻を突くような……嫌な匂いがして……」


 それ以上は、言葉にするのが難しかった。


「私は……泣いていた」


 小さな声。


「ただ……泣いていたんです」


 誰も動かない。


「そして……気がついたら」


 恵那は胸元を握る。


「ひとりぼっちになっていました」


 その言葉が、修練場に落ちる。


「その後、私は天城家の人たちに助けてもらいました」


 啓太。


 和臣。


 美和。


 恒一。


 綾香。


 玲司。


 剛志。


 千代。


 恵那の脳裏に、家族の顔が浮かぶ。


「そして、精霊殿で暮らすようになりました」


 恵那は続ける。


「でも……それで終わりじゃありませんでした」


 声が少し震える。


「私は一度、誘拐されかけました」


 客席がざわつく。


「その時も、天城家の人たちが助けてくれました」


 そして。


「中学生になってからも……また命を狙われました」


 恵那は唇を噛む。


「私は……今でも分かりません」


「…………」


「どうして自分が命を狙われるのか」


 拳を握る。


「誰が、何の目的で私を狙っているのか」


 分からない。


 何も分からない。


「私の人生は……」


 恵那は言葉を探した。


「怯えて……逃げて……」


 一度、目を閉じる。


「そして……守られてきた人生でした」


 修練場は静まり返っていた。


 誰も、恵那の言葉を遮らない。


「でも……」


 恵那は目を開いた。


 そこには、先ほどまでの怯えとは違う光が宿っていた。


「私は、もう怯えたくありません」


 声が少しずつ強くなる。


「逃げたくありません」


 そして。


「守られるだけの人にもなりたくありません」


 恵那は自分の胸に手を当てた。


「だから、精霊庁の臨時職員にもなりました」


 客席の生徒たちが静かに聞いている。


「自分で事件に関わって、自分のことを知りたい」


「…………」


「自分を守れる力をつけたい」


 恵那は武舞台の上から、一年生全員を見る。


「でも……それだけじゃ駄目なんです」


 静かだが、はっきりとした声。


「私は、ここで学びたい」


 精霊塾。


 この場所で。


「ここで、もっと力をつけたい」


 そして。


「だから……」


 恵那は深々と頭を下げた。


「どうか……」


 声が震える。


 それでも、最後まで言葉を止めなかった。


「私も、みんなと一緒にここで学ばせてください」


 顔を上げる。


「この精霊塾で!」


 しばしの沈黙。


 恵那は目を閉じた。


 怖い。


 何を言われるか分からない。


 拒絶されるかもしれない。


 けれど――


「……神代!」


 突然。


 客席から声が飛んだ。


 恵那が顔を上げる。


「一緒に頑張ろうぜ!」


 鏑木だった。


「え……?」


「俺も……もっとちゃんと考えるようにする!」


 鏑木は少し照れくさそうに頭を掻いた。


「だから……その……よろしくな!」


 その隣から。


「神代さん!」


「一緒に頑張ろう!」


「同じ一年生なんだから!」


「これから三年間、一緒に勉強するんだろ?」


「よろしく!」


 一人。


 また一人。


 次々と声が上がる。


「夢宮も頑張れよ!」


「鏑木もな!」


「お前ら、ちゃんと床直せよー!」


「分かってる!」


 笑い声が混じる。


 そして。


 大きな拍手が起こった。


 恵那は、ただ呆然とその光景を見つめていた。


「…………」


 胸の奥が熱くなる。


 泣きそうになる。


 でも。


 今度は怖くなかった。


「恵那ちゃん」


 アリカが隣に立つ。


「……うん」


「良かったね」


「……うん」


 恵那は小さく笑った。


 客席では風太も胸を撫で下ろしていた。


「……よかった」


 京華と恭華も顔を見合わせ、微笑む。


 順子は誇らしげに胸を張る。


 そして、武舞台の少し離れた場所では、鏑木が恵那を見ていた。


 さっきまでの悔しさは、まだ消えていない。


 負けたことは悔しい。


 それは変わらない。


 だが。


 鏑木は思った。


 ――もう、あんな顔はさせない。


 静江はそんな一年生たちを静かに見つめていた。


 そして、ごく僅かに口元を緩める。


「……よく言えましたね、神代さん」


 その言葉は、誰にも聞こえないほど小さかった。


 こうして。


 神代恵那の過去を巡る最初のわだかまりは、一つの形で決着した。


 事件の真相は、まだ何も分からない。


 自分を狙う者が誰なのかも。


 なぜ自分だけが生き残ったのかも。


 それでも――


 恵那は初めて、自分の過去から逃げずに、自分の言葉で向き合った。


 そしてこの日。


 精霊塾一年生全員の前で。


 神代恵那は、ようやく――


 自分自身の未来へ向かって、一歩を踏み出した。

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