004 【初出勤】
四月八日――初出勤
精霊塾の入学式から、一夜。
昨日、恵那とアリカにとって大きな節目となる一日が終わった。
真新しい制服。
新しい教室。
懐かしい仲間との再会。
そして、これから始まる高校生活への期待。
本来ならば、今日はゆっくりと休日を過ごすところだろう。
入学式の翌日は日曜日。
さらに月曜日は振替休日。
授業が始まるのは、その翌日からだった。
――しかし。
「……なんだか、学校より緊張するかも」
日曜日の朝。
精霊庁の建物を見上げながら、アリカが呟いた。
「そうだね」
隣に立つ恵那も、少しだけ緊張した面持ちで答える。
二人が身につけているのは、昨日の制服ではない。
動きやすい服装に、必要最低限の荷物。
今日は高校生としてではなく――。
精霊庁臨時職員としての初出勤の日だった。
「……行きましょう」
「うん!」
二人は並んで、精霊庁の入口へ向かった。
⸻
受付を済ませる。
職員から簡単な案内を受け、二人は指定された待機室へ向かった。
「失礼します」
扉を開ける。
「……あ」
中には、すでに何人かの人間が集まっていた。
人数はそれほど多くない。
十数人ほどだろうか。
年齢は様々だった。
二十代と思われる者もいれば、三十代、四十代ほどに見える者もいる。
中には明らかに若い者もいた。
その中でも――。
「……私たちが一番若い?」
アリカが小声で尋ねる。
恵那も周囲を見渡す。
「たぶん」
精霊庁の臨時職員。
それは、誰でもなれる仕事ではない。
今回集められた者たちは全員、国家魔術師三種の資格を取得している。
つまり、少なくとも一定以上の魔術能力を持つ者たちだった。
それでも。
高校へ入学したばかりの二人が、この場にいるのは異例と言っていい。
恵那とアリカは空いている席へ座った。
「……本当に始まるんだね」
「うん」
アリカが小さく笑う。
「学校生活も始まるけど、こっちも始まるんだ」
「そうだね」
恵那も頷いた。
やがて。
時計の針が定刻を指した。
ガチャッ。
待機室の扉が開く。
「お待たせしました」
一人の精霊庁職員が入ってきた。
全員が姿勢を正す。
「本日から臨時職員として勤務される皆さんに、基本的な業務内容と勤務上の注意事項を説明します」
職員は前に立ち、資料を開いた。
「まず、勤務日についてです」
全員が資料へ目を落とす。
「臨時職員の皆さんには、あらかじめ出勤可能な日時を申告していただきます」
「その申告をもとに、精霊庁側で勤務予定を組みます」
「したがって、毎週決まった曜日に必ず出勤するというものではありません」
アリカが小さく頷く。
「学校がある日は学校を優先していいってことだね」
恵那が小声で答える。
「そのための臨時職員制度だからね」
説明は続く。
「また、緊急案件が発生した場合、臨時職員の皆さんに招集をお願いする場合があります」
空気が少しだけ変わった。
「ただし――」
職員は続ける。
「臨時職員への緊急招集は、原則として頻繁に行われるものではありません」
「また、学業や本業などの事情がある場合は、招集を断っていただいて構いません」
アリカが少し安心したような顔をする。
「基本的な業務は、正規の精霊庁職員の補助」
「各種事務処理」
「資料整理」
「現場活動における補助業務」
「その他、所属部署から指示された業務となります」
恵那は真剣に資料へ目を通していた。
「そして――」
職員の声が少し低くなる。
「皆さんは全員、国家魔術師三種を取得しています」
部屋の全員が顔を上げる。
「国家魔術師三種の資格を有する者に認められている職務権限は、一般的な精霊庁職員と大きく変わりません」
資料には、いくつかの項目が記載されている。
捜査。
逮捕。
戦闘行為。
修祓行為。
「ただし」
職員が言葉を切る。
「皆さんに理解しておいていただきたいのは――」
「資格によって、想定される危険度が大きく異なるということです」
⸻
国家魔術師の役割
職員がホワイトボードへ書き込んでいく。
三種――低危険度
二種――中危険度
一種――高危険度
「国家魔術師三種の場合、主として担当するのは軽犯罪に関係する案件の捜査・逮捕。そして低級修祓案件です」
「二種になると、強盗などの凶悪犯罪、より危険度の高い犯人への対応、中級修祓案件などが増えていきます」
「そして一種」
一瞬、職員の表情が変わった。
「テロ、霊災など、極めて危険な案件への対応」
「そして上級以上の修祓案件」
「これらが主な担当となります」
アリカはごくりと唾を飲み込んだ。
自分たち三種が、直接担当することになるのは――。
基本的には低危険度の案件。
それは理解できる。
しかし。
「……でも」
アリカが手を挙げた。
「軽犯罪だからって、相手が弱いとは限らないですよね?」
「その通りです」
職員は頷いた。
「だからこそ、現場へ出る前の捜査が重要になります」
「犯罪の種類だけを見て、担当者を決めるわけではありません」
「事前捜査によって、犯人の能力、武装、魔術適性、精霊との契約状況などを確認する」
「その情報をもとに、適切な資格・能力を持つ捜査官を派遣し、逮捕にあたります」
恵那は真剣に聞いている。
「つまり……」
「軽犯罪だから三種」
「凶悪犯罪だから二種――と、単純に決めるわけではないんですね」
「その通りです」
職員は頷いた。
「ただし、どれだけ事前捜査を行っても、現場で予想外の事態が発生することはあります」
部屋が静かになる。
「例えば――」
「窃盗事件の犯人を逮捕しようとしたところ、犯人が想定を遥かに上回る実力者だった」
「あるいは、捜査対象とは別の危険人物と偶然遭遇してしまった」
「そういうことも、絶対にないとは言えません」
⸻
職員はホワイトボードに大きく書いた。
退避
「万が一、現場で想定以上の戦闘能力を持つ相手と遭遇した場合」
「基本は――退避です」
アリカが頷く。
「戦う必要はない、と」
「はい」
職員は即答した。
「皆さんは英雄になるために採用されたわけではありません」
「任務を遂行し、生きて帰ることも重要な職務です」
その言葉には、冗談の気配が一切なかった。
「しかし――」
職員が続ける。
「どうしても逃げられない状況に陥る可能性もあります」
「退路が塞がれている」
「民間人が取り残されている」
「上職者から戦闘を命じられる」
「あるいは、自分や仲間の命が脅かされ、戦闘を避けられない」
職員は一人ひとりの顔を見る。
「その場合は、戦闘を行うことになります」
静寂。
そして。
「その覚悟だけは、持っておいてください。万が一殉職するような事があれば…」
職員は淡々と言った。
「――来世でお会いしましょう」
「…………」
部屋が凍りついた。
冗談ではない。
脅しでもない。
それほど、戦闘というものは危険だという意味だった。
アリカの表情が少し強張る。
恵那も黙って資料を見つめていた。
国家魔術師三種。
昨日までなら、資格を取得したことそのものが嬉しかった。
精霊塾に入学し。
仲間と新しい生活を始め。
これから楽しい高校生活が始まる。
そう思っていた。
しかし――。
今日から自分たちは、正式な職員ではないとはいえ、精霊庁の一員として現場に立つ可能性がある。
それは、資格を持つということの意味だった。
職員が資料を閉じる。
「もっとも」
少しだけ表情を和らげる。
「皆さんがいきなり危険な現場へ放り込まれることはありません」
「まずは補助業務や事務処理を通して、精霊庁の仕事に慣れていただきます」
「現場に出る場合も、皆さんの能力や経験を考慮した上で判断します」
アリカがほっと息を吐く。
「よかった……」
恵那も小さく笑った。
「まずは、できることからね」
「うん!」
職員が資料を手に取る。
「では、これから部署ごとの案内を行います」
「皆さんは指示された場所へ移動してください」
椅子が一斉に動く。
臨時職員たちが立ち上がる。
恵那とアリカも立ち上がった。
「行こう、恵那ちゃん」
「うん」
二人は並んで歩き出す。
昨日までは――精霊塾の新入生。
そして今日からは――。
精霊庁臨時職員。
学校と仕事。
二つの新しい生活が、同時に始まった。
そして二人はまだ知らない。
この初出勤の日が――。
これから始まる高校生活と、精霊庁での数々の事件を繋ぐ、最初の一歩になることを。
◇ ◇ ◇
説明会が終わると、恵那たちはそのまま精霊庁の庁舎内を案内されることになった。
「それでは、これから各部署をご案内します」
担当職員の後ろを、臨時職員たちがぞろぞろとついていく。
精霊庁は巨大な組織だ。
しかし、その内部組織を大きく分けると、主に五つの部署に分類されている。
――刑事部。
魔術師犯罪や精霊関連犯罪の捜査、容疑者の確保などを担当する。
――総務部。
庁内の人事、予算、物品管理など、組織全体を支える部署だ。
――情報部。
犯罪情報や精霊・魔術に関する情報を収集、分析し、各部署へ提供する。
――祓魔部。
妖異や霊的災害などに対する修祓を専門とする部署。
そして――
――警備部。
精霊庁の施設や重要人物の警護、事件現場の封鎖などを担当する。
「以上が、精霊庁の大まかな五部署です」
ひと通り案内を終えると、担当職員は手元の資料を確認した。
「では、ここから皆さんには、それぞれ配属先へ移動していただきます」
「もう配属なんだ……」
アリカが小さく呟く。
「昨日入学したばかりなのに、今日はもう仕事かぁ」
「臨時職員だからね」
恵那が苦笑する。
「でも、本格的な仕事は明日からって言ってたよ」
「そうだったね」
そして、二人の名前が呼ばれた。
「神代恵那さん、夢宮アリカさん」
「はい!」
「はい!」
「お二人は刑事部です」
「刑事部……」
恵那が目を向ける。
そこは、これまで何度も事件で訪れた場所だった。
そして――
「指導官はこちらの方です」
案内された先にいた人物を見て、二人は同時に目を見開いた。
「……あ」
「やっぱり……」
そこに立っていたのは、見慣れた男だった。
「よう」
軽く手を上げる。
長谷川健。
精霊庁刑事部所属。
数々の事件を経験してきたベテラン捜査官である。
「ケンさん!」
アリカが嬉しそうに声を上げる。
「長谷川さん……」
恵那も頭を下げた。
「今日からよろしくお願いします」
「おう。こちらこそな」
長谷川は二人を見比べる。
「まさか、お前ら二人をまとめて俺が見ることになるとはな」
すると、その隣から声がした。
「僕も担当になります」
「あっ!」
恵那とアリカが振り向く。
そこには佐島が立っていた。
「佐島さん!」
「お久しぶりです」
「久しぶりだな」
佐島は穏やかに笑った。
百鬼夜行事件。
あの事件で、長谷川と佐島、そして恵那とアリカはともに事件の渦中にいた。
互いの性格も、能力も、ある程度は知っている。
だからこそ――
「まあ、上がそう考えたんだろうな」
長谷川が肩をすくめる。
「百鬼夜行事件で一緒に動いたことがある連中なら、指導する側もされる側もやりやすいってことだ」
「なるほど……」
恵那が頷く。
アリカも納得したように、
「確かに、知らない人より安心するかも」
「それに、俺もお前らの実力は知ってるからな」
長谷川は二人を見た。
「だからといって、甘やかすつもりはないぞ」
「はい!」
恵那とアリカが揃って返事をする。
「よし」
長谷川は満足そうに頷いた。
「とはいえ、今日はいきなり仕事をさせるわけじゃねえ」
「そうなんですか?」
「今日は顔合わせだ」
長谷川は腕を組む。
「明日から実務に入ってもらう。今日は部署のこと、仕事の流れ、注意事項なんかを説明するだけだ」
「よかったぁ……」
アリカが胸を撫で下ろす。
「昨日は入学式で、今日は初出勤。いきなり事件とかだったら大変だよ」
「お前の場合、いきなり事件に巻き込まれそうだけどな」
「えっ」
「冗談だ」
「もう!」
アリカが頬を膨らませる。
そんな二人のやり取りを見ながら、恵那は小さく笑った。
すると佐島が二人の前に箱を置いた。
「それから、こちらを」
「これは?」
「仕事用のノートパソコンです」
「パソコン……」
恵那が箱を見る。
「臨時職員にも支給されるんですか?」
「業務上必要になりますからね」
佐島が説明する。
「事件記録や捜査資料、各種データベースなど、担当業務に必要な情報へアクセスできます。ただし、当然ですが職員ごとにアクセス権限が設定されています」
「なるほど……」
「一般の端末とは違って、精霊庁と警察の業務システムに接続できる専用端末です。使用履歴もすべて記録されますので、取り扱いには十分注意してください」
「はい」
恵那は真剣な顔で頷いた。
そして――
支給されたノートパソコンを、じっと見つめる。
「…………」
「どうした?」
長谷川が尋ねる。
「いえ……」
恵那はパソコンを見つめたまま答えた。
「これで、本当に事件の記録が見られるんですね」
「ああ」
「警察や精霊庁が管理している情報を……」
「必要な範囲でな」
長谷川は念を押す。
「好き勝手に検索していいわけじゃない。あくまで仕事で必要な情報だけだ」
「分かっています」
それでも恵那の視線は、ノートパソコンから離れなかった。
これまで事件について知るためには、誰かから話を聞くか、自分の目で現場を見るしかなかった。
しかし、これからは違う。
精霊庁の職員として。
自分自身の手で、事件の記録を調べることができる。
それは、恵那にとって大きな意味を持っていた。
「……すごい」
思わず、そんな言葉が漏れる。
アリカも自分のパソコンを眺めながら、
「なんだか本当に職員になったって感じがするね」
「だな」
長谷川が笑う。
「まあ、使い方は明日からみっちり教えてやる」
「お願いします」
恵那が頭を下げる。
そして、その日の説明も終わりに近づいた。
「最後に、一つだけ」
長谷川が二人を呼び止める。
「何でしょう?」
「お前ら、昨日から精霊塾の一年生だろ?」
「はい」
「俺の娘も同じ学校だ」
「そうなんですか?」
アリカが目を丸くする。
「ああ。一組だ」
「えっ」
恵那とアリカが顔を見合わせる。
長谷川は少しだけ照れくさそうに頭を掻いた。
「……まあ、その……」
普段、事件の話をするときとは少し違う顔だった。
「仲良くしてやってくれ」
「もちろんです!」
アリカが即答する。
「きっとすぐ仲良くなれますよ!」
「そうだね」
恵那も微笑む。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「おう」
長谷川は満足そうに頷いた。
「じゃあ、今日はここまでだ」
こうして――
恵那とアリカの精霊庁臨時職員としての初日は終わった。
まだ、仕事らしい仕事は何もしていない。
けれど二人の手元には、新しいノートパソコンがある。
そして明日からは――
精霊塾の生徒としての生活と。
精霊庁の職員としての仕事。
二つの新しい日常が、同時に始まることになる。




