003 【新たな門出】
四月七日。
春の柔らかな日差しが、街を包んでいた。
今日は――精霊塾の入学式。
多くの新入生にとって、新しい制服に袖を通し、期待と緊張を胸に校門をくぐる一日。
だが。
「……よし」
夢宮家の庭では、その日の朝早くから一人の少女がスポーツウェア姿で立っていた。
夢宮アリカ。
髪を後ろでまとめ、額にはうっすらと汗が浮かんでいる。
その表情に、入学式を控えた少女らしい浮ついた様子はない。
ただ、目の前の一点を見つめていた。
「もう一回……」
アリカが小さく息を吐く。
庭の片隅には、スマートフォンが置かれていた。
画面には、ビデオ通話で繋がった三人の姿が映っている。
一人は、モンゴルで暮らす男性――アガ。
その隣には、アガの仲間である二人の姿もあった。
アリカは中学に入ってから、時々こうしてスマートフォン越しに修行を見てもらっていた。
直接会えない日でも、動きを見てもらい、風の扱い方や身体の使い方について意見をもらう。
今日も、その延長だった。
入学式を控えた朝であっても、アリカはいつも通り修行に励んでいた。
『準備はいいか、アリカ?』
画面の向こうから、アガの声が届く。
「うん。お願いします!」
『では、始めてみろ』
次の瞬間。
――ふわっ。
風が少女の身体を包み込んだ。
「……っ!」
アリカの身体が、地面からわずかに浮き上がる。
そして――。
シュッ!
一陣の風とともに、アリカの身体が庭を駆け抜けた。
地面を蹴っているわけではない。
風そのものを足場にしているかのように、身体を滑らせていく。
右へ。
左へ。
大きく旋回し、身体を傾ける。
まるでフィギュアスケーターが氷上を舞うように、アリカは庭を縦横無尽に駆け巡った。
「――ここ!」
身体を捻る。
風が渦を巻く。
そのまま一回転。
二回転。
そして――。
「……っ!」
着地。
ほとんど音を立てず、アリカの両足が地面を捉えた。
だが、まだ終わらない。
アリカは身体を沈めると、再び風を纏う。
今度は先ほどよりも速い。
直線的に加速し、一気に庭の端まで移動。
そこで急停止した。
――ピタッ。
「……ふぅ」
アリカは肩で息をしながら、額の汗を手の甲で拭った。
そして、スマートフォンへ目を向ける。
直後。
「――パチパチパチパチ!」
スピーカーから、大きな拍手が聞こえてきた。
「えっ?」
アリカが驚いた顔をする。
『素晴らしいぞ、アリカ!』
アガが満面の笑みを浮かべる。
『三年前とは比べ物にならんな』
「そ、そうかな?」
『ああ。三年間、画面越しに見てきたが、最初の頃とは別人のようだ』
アガの隣にいる仲間も頷いた。
『風の流れが完全に身体と一体になってる』
『速度だけじゃない。止まる瞬間の制御が特に凄いよ』
「……!」
アリカは嬉しそうに目を細めた。
三年前。
自分はまだ、力をどう扱えばいいのかさえ分からなかった。
何度も失敗した。
何度も転んだ。
それでも、諦めなかった。
ハヤテと出会い。
仲間たちに支えられ。
そして、アガたちにスマートフォン越しで修行を見てもらいながら、多くのことを学んだ。
三年間。
積み重ねてきたものが、今ようやく形になっている。
『よく研鑽を積んだな』
アガの声が、少しだけ優しくなる。
『三年でここまで来るとは思わなかったぞ』
「……ありがと」
アリカは照れくさそうに笑った。
『それで?』
アガが尋ねる。
『今日は記念すべき精霊塾の入学式だろう』
「うん!」
アリカの表情が明るくなる。
「今日から、私も精霊塾の生徒!」
胸を張る。
「中学校の三年間で、いっぱい勉強したし、いっぱい鍛えた。まだまだ知らないことも、できないこともたくさんあるけど……」
アリカは一度、空を見上げた。
「高校では、もっといろんなことを知りたい」
そして、笑う。
「強くなりたい」
その言葉には、以前とは違う芯があった。
「誰かを守れるくらい強くなりたいし……自分が困ってる人を見つけたら、ちゃんと助けられる人になりたい」
少しだけ照れながら続ける。
「それに……」
アリカは拳を握った。
「せっかくの高校生活なんだから、思いっきり楽しみたい!」
『それでこそアリカだ』
アガが笑う。
『我々も応援しているぞ』
「うん!」
そのとき。
家の中から声がした。
「アリカ! そろそろ時間じゃないの?」
「えっ!」
アリカが時計を見る。
「やばっ!」
慌ててスマートフォンを手に取った。
「ごめん、そろそろ行かなきゃ!」
『ああ。入学式に遅れるなよ』
「分かってるって!」
アリカは笑った。
「じゃあ、行ってきます!」
『行ってこい、アリカ』
そして、アガが続ける。
『それと――』
「ん?」
『私も近いうちに仕事で日本へ行くことになりそうだ』
「本当!?」
アリカの顔がぱっと明るくなる。
『ああ。ただし――』
アガが少しだけ苦笑した。
『今度は正式な手続きをして、日本へ入る』
「……あはは!」
アリカは声を上げて笑った。
「うん! 待ってる!」
通話を終える。
スマートフォンを鞄にしまい、アリカは玄関へ向かって走り出した。
「いってきます!」
その声は、春の朝の空へと元気よく響いた。
⸻
精霊殿――恵那の部屋
一方。
精霊殿の一室では。
「……どうですか?」
鏡の前に立つ神代恵那が、少し緊張した様子で尋ねていた。
今日は、精霊塾の入学式。
新しい制服に袖を通した恵那は、鏡に映る自分の姿をじっと見つめていた。
「うん。やっぱり似合ってるわ」
後ろから声をかけたのは、美和だった。
「もう中学校の入学式から三年なのね……」
美和は感慨深そうに笑う。
今日も、恵那の髪を整えている。
三年前の中学校入学式の日と同じように。
「少しだけ頭を下げて」
「はい」
美和の手が、恵那の長い髪を丁寧にまとめていく。
恵那はじっとしている。
その姿を見ながら、美和は微笑んだ。
「本当に、大きくなったわね」
「……そうですか?」
「ええ」
そのとき。
「恵那ちゃん」
部屋の扉から、綾香が顔を覗かせた。
「準備はどう?」
「綾香ねえさま……!」
恵那が振り返る。
普段は忙しくしている綾香だが、今日はわざわざ休暇を取って、この日のために駆けつけていた。
「今日は特別な日ですもの」
綾香は微笑むと、小さな化粧道具を取り出した。
「さあ、座って」
「え?」
「お化粧してあげる」
「でも……」
「今日は新入生の主席として答辞を述べるのでしょう?」
「……はい」
「だったら、いつもより少しくらい可愛くしてもいいじゃない」
綾香は楽しそうに笑った。
「それに――」
恵那の顔を覗き込み。
「この子は素材がいいんだから」
「……綾香ねえさま」
「ふふっ。じっとしててね」
綾香の手によって、ほんのりと化粧が施されていく。
派手ではない。
それでも、恵那が持つ凛とした美しさが、より際立っていった。
そして。
「……完成」
綾香が満足そうに頷いた。
鏡の中には、一人の少女がいた。
金色の長い髪。
鮮やかな赤い瞳。
新しい制服。
幼さを残しながらも、中学生だった頃とは明らかに違う。
大人びた雰囲気をまとい始めていた。
「……綺麗」
綾香が小さく呟く。
美和も鏡を見つめる。
「……」
そして。
美和の瞳に、涙が浮かんだ。
「美和さん?」
恵那が心配そうに振り返る。
「ごめんなさい」
美和は笑いながら涙を拭った。
「なんだか……胸がいっぱいになっちゃって」
「……?」
「ここまで立派に成長した恵那ちゃんを……」
美和の声が少し震える。
「怜那にも見せてあげたかったなって」
恵那の表情が、静かになる。
神代怜那。
恵那の母。
美和にとって、かけがえのない親友だった女性。
「恵那ちゃん……」
美和は、恵那の顔を見つめる。
「あなた、どんどん怜那に似てきたわ」
「……ママに?」
「ええ」
美和は優しく微笑んだ。
「顔立ちもそうだけど……ふとした表情まで」
少し寂しそうに。
それでも嬉しそうに。
「きっと怜那が今ここにいたら、泣きながら喜んでるでしょうね」
恵那は鏡に映る自分を見つめた。
「……ママ」
胸の奥が、少しだけ温かくなる。
そのとき。
「そうだ」
美和が何かを思い出したように立ち上がった。
「恵那ちゃん。ちょっと待ってて」
部屋の奥へ行き、バックから小さな箱を持って戻ってくる。
「これは……?」
箱を開く。
中に入っていたのは、一つの髪飾りだった。
美しい、上品な髪飾り。
恵那は目を見開いた。
「綺麗……」
「昔、怜那からもらったものなの」
「ママから……?」
「ええ」
美和は髪飾りを手に取った。
「いつか、恵那ちゃんに渡そうと思ってた」
恵那はしばらく言葉を失っていた。
「……いいんですか?」
「もちろん」
美和は微笑んだ。
「今日が、その日だと思うから」
恵那は小さく頷いた。
「……ありがとうございます」
「じゃあ、つけてあげる」
美和が恵那の髪に髪飾りをつける。
金色の髪の中に、髪飾りが静かに輝いた。
「……うん」
美和は満足そうに頷く。
「よく似合ってる」
綾香も横から覗き込む。
「本当に素敵」
恵那は鏡を見つめる。
母から親友へ。
そして――親友から恵那へ。
受け継がれた髪飾り。
恵那はそっと指先で触れた。
「……大切にします」
⸻
しばらくして。
恵那が部屋の扉を開ける。
「お待たせしました」
そこには、天城家の人々が待っていた。
「おお……!」
剛志が目を細める。
「立派になったな」
「本当に綺麗だわ」
千代も嬉しそうに微笑む。
和臣も静かに頷いた。
「よく似合っているよ」
恒一も柔らかな笑顔を浮かべる。
「今日は特別な日だね」
玲司も恵那の姿を見て、満足そうに笑った。
「これなら代表挨拶も問題ないな」
そして。
一人だけ。
言葉を失っている少年がいた。
「…………」
啓太だった。
「啓太くん?」
恵那が首を傾げる。
「どうしたの?」
「…………」
啓太は、ただ恵那を見つめていた。
いつも見ているはずの少女。
幼い頃から一緒に過ごしてきた、大切な人。
なのに。
今日の恵那は――。
いつもとは違って見えた。
「……啓太くん?」
「……えっ?」
恵那に呼ばれ、啓太が我に返る。
「どうしたの?」
「いや……その……」
啓太の顔が少し赤くなる。
すると。
「啓太」
隣にいた綾香が、肘で弟を軽く小突いた。
「ちゃんと言いなさい」
「……何を?」
「決まってるでしょう?」
綾香が恵那を見る。
そして、啓太を見る。
「今日の恵那ちゃんを見て思ったこと」
「…………」
啓太は困ったように視線を逸らす。
しかし。
恵那がじっと自分を見ている。
啓太は小さく息を吸った。
「……恵那」
「うん」
「……その」
一瞬、言葉に詰まる。
それでも。
「……すごく綺麗だ」
「…………」
恵那の赤い瞳が大きくなる。
頬が、ほんのりと赤く染まった。
「……ありがとう」
小さな声。
その様子を見ていた綾香は、満足そうに微笑む。
「よくできました」
「子供扱いしないで下さい……」
「だって、本当に言わないんだもの」
「……うるさいです」
啓太は照れくさそうに顔を逸らす。
恵那はそんな啓太を見ながら、そっと笑った。
今日から始まる。
新しい学校生活。
新しい出会い。
新しい未来。
そして――。
それぞれが、それぞれの道を歩き始める。
恵那は髪に触れた。
そこには、母から受け継いだ髪飾り。
そして。
「行きましょう」
恵那は皆に向かって微笑んだ。
「私たちの、新しい生活へ」
春の朝。
少女たちは、新たな一歩を踏み出した。
◇ ◇ ◇
四月七日。
春の暖かな風が、精霊塾の校舎を包んでいた。
真新しい制服に身を包んだ新入生たちが、次々と校門をくぐっていく。
今日は――精霊塾高等部の入学式。
新たな三年間の始まりの日だった。
大勢の新入生と保護者が集まる中、式は厳かな雰囲気のまま進んでいった。
新入生の入場。
学校長の式辞。
来賓祝辞。
そして――。
「続いて、新入生代表挨拶」
司会の声がホールに響く。
「新入生代表、神代恵那」
その名が告げられた瞬間。
恵那が静かに立ち上がった。
真新しい制服。
金色の長い髪。
鮮やかな赤い瞳。
そして、髪には今日、美和から渡された髪飾りが輝いている。
恵那はゆっくりと壇上へ向かった。
その姿を、啓太は保護者席から見つめていた。
「……」
いつもの恵那とは違う。
幼い頃から知っている少女。
それでも今、壇上へ向かって歩いている彼女は、とても大人びて見えた。
恵那は壇上に立つと、深く一礼する。
そして、正面を見据えた。
「新入生を代表し、挨拶を申し上げます」
凛とした声が、ホールいっぱいに響く。
「本日、私たちは多くの方々に支えられ、この精霊塾への入学の日を迎えることができました」
恵那は、一度だけ客席へ目を向けた。
「これまで私たちは、精霊や魔術について学び、多くの知識と技術を身につけてきました」
「しかし、今日から始まる三年間は、それまで以上に多くのことを学び、経験する時間になると思います」
静かな声。
けれど、その言葉には確かな意志があった。
「時には、思い通りにならないこともあるでしょう。自分の力不足を感じ、悩むこともあるかもしれません」
「それでも私たちは、恐れることなく前へ進みたいと思います」
恵那は胸を張った。
「仲間と支え合い、時には競い合いながら、一人の精霊使いとして、そして一人の人間として成長していきたいと思います」
会場は静まり返っていた。
「この三年間で出会うすべての人々との縁を大切にし、学ぶことの喜びを忘れず、自分自身の可能性に挑戦し続けることを、ここに誓います」
そして最後に。
「私たち新入生一同が、この精霊塾で学べることへの感謝を胸に、一日一日を大切に過ごしていくことを誓い、新入生代表の挨拶とさせていただきます」
深々と頭を下げる。
一瞬の静寂。
そして――。
大きな拍手がホールを包み込んだ。
恵那は顔を上げ、もう一度一礼すると壇上を降りた。
その表情には、わずかな安堵が浮かんでいた。
席へ戻ってくる恵那を見ながら、啓太は小さく笑った。
「……恵那らしいな」
その声は、誰にも聞こえないほど小さかった。
⸻
その後も式は滞りなく進み。
やがて――。
「以上をもちまして、精霊塾入学式を終了いたします」
入学式は終了した。
新入生たちはそれぞれ指定された教室へ移動していく。
一方、保護者たちはそのままホールに残ることになった。
これから学校生活や授業、施設、校則などについての説明が行われるためだ。
恵那たちは教室へ向かう。
「じゃあ、また後でね」
恵那が啓太たちに声をかける。
「うん。頑張って」
啓太が答える。
恵那は笑って、友人たちと一緒に校舎へ向かっていった。
⸻
一組
教室の前に掲示された名簿。
その前に、新入生たちが集まっていた。
精霊塾の一年生は百名。
そしてクラスは二つ。
一組五十名。
二組五十名。
クラス分けは単純だった。
入学試験の総合成績順。
上位五十名が一組。
下位五十名が二組。
そして――。
「……あ!」
恵那が名簿を見て、声を上げた。
「アリカ!」
「恵那ちゃん!」
少し離れた場所から、アリカが駆け寄ってくる。
「同じクラスだよ!」
「うん!」
二人は嬉しそうに笑い合った。
「よかったぁ。知ってる人がいると安心するよね」
アリカが胸を撫で下ろす。
「そうだね」
そのとき。
「……あの、僕も」
控えめな声が聞こえた。
振り返ると、風太が立っていた。
「風太くん!」
「よ、よかった……僕も一組だった」
風太は少し照れながら笑った。
「これからもよろしくね」
「うん!」
そして。
「……あれ?」
恵那が、名簿の別の名前に気づいた。
「神狩……京華」
「え?」
アリカも名簿を見る。
さらに、その下。
「神狩……恭華」
「二人とも一組だ!」
アリカが声を上げる。
すると、背後から。
「お久しぶりです」
聞き覚えのある声。
恵那たちが振り返る。
そこには、京華と恭華が立っていた。
「京華さん!」
「恭華ちゃん!」
アリカが嬉しそうに駆け寄る。
「また一緒だね!」
「はい」
京華が微笑む。
恭華も小さく笑った。
「まさか高校でも同じクラスになるとは思わなかった」
「これなら高校生活も楽しくなりそう」
恵那も嬉しそうに微笑む。
中学時代から続く仲間たち。
そして国家魔術師試験で出会った仲間。
それぞれ別の経験をしてきた。
それでも、またこうして同じ場所に集まることができた。
「みんなで頑張ろうね」
恵那の言葉に。
「もちろん!」
アリカが元気よく答えた。
そのとき。
「失礼します」
教室の扉が開いた。
一人の講師が入ってくる。
「皆さん、席に着いてください」
新入生たちが次々と席へ着く。
「改めまして、入学おめでとうございます」
講師は教壇に立つ。
「今日から皆さんは精霊塾の生徒です」
こうして。
恵那たちの新しい学校生活が、本格的に始まった。
⸻
ホール――保護者説明会
一方、その頃。
「……では、続いて授業について説明します」
ホールでは、保護者を対象とした学校説明が行われていた。
啓太も天城家の家族たちとともに、その説明を聞いている。
しばらくして。
「以上で、保護者説明会を終了いたします」
説明会が終わる。
啓太たちがホールを出ようとした、そのときだった。
「……あれ?」
啓太が、見覚えのある後ろ姿を見つけた。
「……ケンさん?」
声をかける。
その人物が振り返った。
「あ?」
長谷川だった。
「……ゲッ」
啓太の姿を確認した瞬間、長谷川の顔が露骨に引きつった。
「なんでお前がここにいるんだよ……」
「いや、それはこっちの台詞ですよ」
啓太が苦笑する。
「恵那の入学式ですから」
「……そうだったな」
長谷川はため息をつく。
その隣には――。
啓太の知らない、美しい女性が立っていた。
「……そちらは?」
啓太が尋ねる。
「ああ」
長谷川が少し気まずそうに紹介する。
「元女房」
「……元?」
「別れた女房だよ」
女性は軽く会釈した。
「初めまして」
「どうも」
啓太も頭を下げる。
「今日は娘の入学式だからな。休暇を取って来たんだ」
「娘さん?」
「ああ。今日から精霊塾だ」
長谷川の顔が、急に得意げになる。
「しかもな――」
胸を張る。
「精霊使いとして、かなり優秀なんだぞ」
「……」
女性が無言で長谷川を見る。
「いや、本当に優秀なんだって!」
「はいはい」
「なんだよ、その反応!」
啓太は思わず笑った。
「親バカですね」
「何とでも言え」
長谷川は開き直った。
「何しろ俺の娘だからな」
「流石、長谷川平蔵の子孫ですね」
「そうだろ?」
長谷川が満足そうに頷く。
長谷川平蔵。
かつて火付盗賊改方として名を馳せた、歴史上の人物。
そして長谷川は、その直系の子孫だった。
その事実は精霊庁では有名で、啓太も以前から知っている。
「娘さんも一組なんですか?」
「ああ!」
長谷川の声がさらに大きくなる。
「一組だぞ、一組!」
「はいはい」
元妻が呆れたように言う。
「そんなに大声で言わなくても、みんな聞いてるわよ」
「いや、これは重要なことだろ!」
啓太は苦笑する。
「それは凄いですね」
「だろ?」
長谷川は嬉しそうだった。
「親権は元女房にあるけどな。俺だってちゃんと父親やってるぞ」
「どのくらい会ってるんですか?」
「月に四回くらいだな」
長谷川は少し照れたように笑った。
「それくらいは会うようにしてる」
「へえ」
啓太が感心する。
「ちゃんとしてるじゃないですか」
「当たり前だろ」
長谷川は胸を張った。
「俺の娘だからな」
「またそれ言ってる」
元妻が呆れたように笑う。
その姿を見て、啓太も自然と笑顔になった。
「じゃあ、俺たちはそろそろ」
「ああ」
啓太たちは長谷川元夫婦に別れを告げる。
その頃には、恵那たちの教室での説明も終わっていた。
「お待たせしました」
校舎から戻ってきた恵那が、啓太たちのもとへ駆け寄ってくる。
「恵那、お疲れ」
「ありがとう」
恵那が笑う。
「みんなと同じクラスになれたの」
「それはよかった」
啓太も嬉しそうに笑った。
「じゃあ、帰ろうか」
「うん」
こうして、天城家の一行は精霊塾を後にした。
向かう先は――精霊殿ではない。
今日は特別な日。
恵那と啓太。
二人の入学を祝うため。
今夜は天城家で、入学祝いのパーティーが開かれることになっていた。
「今日は何を食べるのかな?」
アリカがいれば、きっとそんなことを言っていただろう。
恵那はそんなことを考えながら、啓太の隣を歩く。
「……楽しみだね」
「ああ」
啓太が笑う。
春の夕暮れ。
恵那の高校生活は、こうして始まった。




