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008 【昨日の俺を超えて】

荒れ狂う海が、岩壁を容赦なく叩きつけていた。


 轟音。


 白い波頭が岩肌を覆い、砕けた海水が霧のように舞い上がる。


 その荒波の中から、一人の少年が這い上がってきた。


「……っ!」


 天城啓太は濡れた岩肌に片手を突き、必死に身体を引き上げる。


 もう片方の腕には、少女を抱えていた。


「アリカ……!」


 夢宮アリカ。


 全身ずぶ濡れで、ぐったりと力が抜けている。


 啓太は歯を食いしばりながら、彼女を抱えたまま岩場を進んだ。


 だが、周囲を見渡しても砂浜などない。


 そこにあるのは、海面から突き出した険しい岩壁と、無数の亀裂だけだった。


 嵐から身を隠せる場所を探す。


 そして――啓太の目が、一箇所の岩壁に止まった。


「……ここだ」


 啓太はアリカを安全な場所へ横たえ、自分の手を岩壁へ向ける。


「闇の精霊、力を貸してくれ――」


 黒紫色の光が、手のひらから滲み出した。


 次の瞬間。


 岩壁の一部が――消えた。


 削られた、という表現ではない。


 そこにあった空間そのものが、まるで最初から存在しなかったかのように消失していく。


 ゴゴゴゴゴ……。


 周囲の岩肌が崩れ、削り取られ、奥へ奥へと空洞が広がっていく。


 啓太は魔力を調整しながら、最低限の広さだけを確保した。


「……これなら」


 できあがったのは、岩壁の中に穿たれた小さな横穴だった。


 啓太はアリカを抱き上げ、その中へ運び込む。


 外では、依然として嵐が猛威を振るっていた。


     ◆


「アリカ……!」


 横穴の奥。


 啓太はアリカの身体を確認した。


 呼吸が浅い。


 意識がない。


 そして――大量の海水を飲み込んでいる。


「……まずいな」


 啓太はアリカの背中に手を当てた。


 魔力を流す。


 身体への負担を抑えながら、体内に残っている海水を少しずつ押し出していく。


「……っ」


 アリカの身体が小さく震えた。


 次の瞬間。


「……げほっ……!」


 口から海水が吐き出された。


 啓太は呼吸を確認する。


「……よし」


 何度か繰り返し、飲み込んだ海水を可能な限り排出させる。


 それでもアリカは目を覚まさない。


 だが、呼吸は安定している。


「……そのうち目を覚ます」


 そう自分に言い聞かせるように呟いた。


 問題は――寒さだった。


 啓太自身も、身体の芯まで冷え切っている。


 このままでは二人とも体温を失う。


「闇の精霊は、こういう事には向いてないからな」


 啓太は手を掲げた。


 今度は普通の魔術。


 火属性に近い熱操作の魔術によって、横穴の内部の温度をゆっくりと上げていく。


 冷え切った岩肌から、ほんの少しずつ寒さが消えていく。


 しかし、それだけでは足りない。


 啓太は壁に背中を預けるように座った。


 そして――アリカを自分の胸元へ引き寄せる。


 濡れた身体同士。


 互いの体温を逃がさないよう、しっかりと抱える。


「……悪いな」


 眠っているアリカには聞こえない。


「もう少しだけ、このままでいろ」


 外では雷鳴が響いていた。


 ドォンッ――!


 横穴の中まで振動が伝わる。


 啓太は入口の向こうを見つめた。


 この状況で外へ出るのは危険すぎる。


 嵐が過ぎ去るまで、ここにいるしかない。


「……朝になれば、天気も戻るだろ」


 啓太は目を閉じる。


 脳裏に浮かぶのは、先程の光景。


 突然襲ってきた三人の男。


 そして――あの異様な鎖。


 ハヤテが敵の一人から奪い取った、奇妙な鎖。


 海に落ちたとき、鎖はアリカの手を離れ、荒れ狂う海に流されていった。


「……あいつらは、あの鎖を取り戻しに来るかもしれないな」


 啓太は低く呟いた。


 だが、今は考えても仕方がない。


 鎖はすでに海へ落ち、流された。


 敵がどれほど探そうと、簡単に見つかるものではないだろう。


 啓太はアリカを抱えたまま、静かに眠りについた。


     ◆


 どれほど時間が経ったのか。


 アリカは、ゆっくりと目を開けた。


「…………」


 暗い。


 けれど、寒くない。


 身体には温かな感覚があった。


 そして――


「……え?」


 目の前に、少年の顔があった。


 眠っている。


 すぐ近くに。


「……け、い……た……さん……?」


 声にならない。


 アリカの思考が止まる。


 自分が啓太に抱きかかえられている。


 その事実を理解した瞬間。


「…………っ!」


 顔が一気に熱くなった。


 しかし、声を出そうとしても喉がうまく動かない。


「……ん?」


 その小さな気配に、啓太が目を開ける。


「……アリカ?」


「……!」


「起きたのか」


 眠気の残る目が、アリカを見つめる。


 その瞬間。


 啓太の表情が明らかに緩んだ。


「……よかった」


 心から安心したような声だった。


「身体は? どこか痛いところはないか?」


「…………」


 アリカはまだ混乱している。


「頭は? 息苦しくないか?」


 啓太の手がアリカの額に触れる。


「熱は……なさそうだな」


「……だ、大丈夫です……」


 ようやく声が出た。


「本当に?」


「は、はい……」


「ならよかった」


 啓太は小さく息を吐いた。


 アリカはそんな啓太を見つめる。


「……啓太さん」


「ん?」


「……ありがとうございます」


「礼はいい」


 啓太は淡々と答えた。


「仲間を助けるのは当然だろ」


「……はい」


 その言葉が、妙に嬉しかった。


 しばらくして、アリカは昨日の出来事を話し始める。


「恭華ちゃんが……蛇に噛まれたんです」


「恭華?…試験のペアの子か」


「はい。ですから、助けを呼ぶために……私、一人で……」


「……そうだったのか」


 啓太は少し考える。


「安心しろ。恭華っていう女の子なら、無事に保護されている」


「……本当ですか?」


「ああ」


「よかった……」


 アリカの肩から力が抜けた。


「それで?」


「助けを探している途中で……昨日の三人に会ったんです」


 啓太の目が鋭くなる。


「あの三人組か」


「はい。突然襲われて……」


 アリカは悔しそうに拳を握る。


「それで……あの人たち、変な鎖を持っていました」


「……鎖」


 啓太の記憶が繋がった。


「そういえば……」


 啓太は目を細める。


 昨日の戦闘中。


 ハヤテが洞窟から何かを奪っていた。


 あの奇妙な鎖。


「……あれか」


「ご存じなんですか?」


「いや。俺にもよくわからない」


 啓太は首を横に振った。


「ただ、昨日の戦いでハヤテがあいつらから奪っていた」


「では……」


「でも――」


 啓太は少し黙った。


「あの鎖は、海に落ちたときに流された」


「え……?」


 アリカは不安そうな顔をする。


「それじゃあ、あの人たちは……」


「鎖を取り戻そうとしてくるんだろうな」


 啓太は立ち上がる。


「だが、海に流されたものを探すのは簡単じゃない」


「でも……もし見つけられたら……」


「その時は、その時だ」


 啓太は入口の方へ目を向けた。


「今はアリカを連れて本部へ戻ることが先だ」


 そう言いながらも――


 啓太の胸の奥には、説明できない違和感が残っていた。


 あの鎖。


 ただの鎖には見えなかった。


     ◆


 横穴の外へ出る。


「……晴れています」


 アリカが呟いた。


 嵐は去っていた。


 雲の切れ間から朝の光が差し込み、荒れていた海も少しずつ穏やかになっている。


 ただし、目の前に広がるのは美しい砂浜ではない。


 切り立った岩壁。


 濡れた岩場。


 そして、その先に続く険しい島の地形。


「行こう」


「はい」


 二人は本部を目指して歩き始めた。


 しばらくして。


 アリカがぽつりと口を開く。


「……私」


「ん?」


「昨日、負けてしまいました」


 啓太は何も言わない。


「三人もいたからって……言い訳したくありません」


 アリカは俯いた。


「ハヤテもいたのに……何もできませんでした」


「……」


「啓太さんだったら、あんな人たちに負けなかったですよね」


「さあな」


「え?」


「俺だって、絶対に負けないなんてことはない」


 啓太は前を向いたまま答えた。


「強い奴だって負ける。判断を間違えることもある」


「……」


「大事なのは、負けたことじゃない」


 啓太は足を止める。


「何が原因だったのか考えることだ」


「原因……」


「ああ」


 啓太はアリカを見る。


「何が足りなかったのか。何を見落としたのか。次に同じ状況になった時、どうすれば勝てるのか」


 そして、静かに続ける。


「それを考えて、次に活かせればいい」


「……啓太さんは、そうやって強くなったんですか?」


「たぶんな」


 啓太は少しだけ笑う。


「だから、気にするな」


「……でも」


 アリカは顔を上げた。


「私……啓太さんみたいに強くなりたいです」


「……」


「誰かを守れるくらい」


 その言葉に、啓太は一瞬だけ目を細めた。


「なら――」


 その時だった。


「――その必要はないんじゃないか?」


「……え?」


 声がした。


 二人の前方。


 岩陰から、人影が現れる。


 一人。


 二人。


 三人。


 啓太の足が止まった。


 アリカの顔から血の気が引く。


「……嘘」


 昨日、啓太たちが戦った三人。


 間違いない。


 同じ顔。


 同じ気配。


 そして――


 三人のうち一人が、ゆっくりと口元を歪めた。


「よう」


 啓太の目が鋭くなる。


「……お前ら」


 アリカが一歩後ずさる。


 啓太は無意識にアリカを庇うよう、前へ出た。


「昨日は随分と楽しませてもらったな」


 三人の男たちは、逃げ道を塞ぐように広がる。


 啓太は周囲を見る。


 左右は切り立った岩壁。


 背後には海。


 前には――敵。


 逃げ場はない。


「……まさか」


 アリカが震える声で呟く。


「鎖を……探しに来たんですか?」


 一人の男が笑った。


「よく分かってるじゃねえか」


 啓太の表情が変わる。


「やっぱり、あの鎖が目的か」


「当然だろうが」


 別の男が吐き捨てる。


「俺たちの鎖を、返してもらうぜ」


「残念ながら鎖は、もうない」


 啓太は冷たく言い返した。


「海に流された」


「騙そうってのか?」


 三人の男たちは、ゆっくりと構えを取る。


「事実だ。だから俺たちと戦ったて一文の特にはならないぞ」


「はいそうですかって言うわけにいくか!」


「ならどうする?」


「お前らから聞き出すんだよ。どこへ流れたのかをな」


「知るか」


 啓太は拳を握る。


 黒紫色の魔力が、ゆっくりと滲み出した。


「海に落ちて、流された。俺たちにも行き先は分からない」


「なら、分かるまで痛めつけるだけだ」


 男が一歩踏み出す。


「昨日は、あと一歩まで追い込んだんだ。今日は逃がさねえ」


 啓太はアリカを振り返る。


「アリカ」


「は、はい」


「下がってろ」


「……でも、啓太さん」


「昨日、こいつらとは一度戦っている」


 啓太は三人を睨みつけた。


「動きも、戦い方も分かっている」


「だけど……」


「心配するな、反省は十分した。対策も考えた」


 啓太は一歩前へ出た。


「アリカは、ただ見ているだけでいい」


「……分かりました」


 アリカは不安を押し殺しながら頷いた。


 静寂。


 波の音だけが響く。


 三人の男たちが、啓太を取り囲むように散開する。


 啓太はその動きを見逃さない。


 昨日と同じ構え。


 同じ間合い。


 だが、今度は不意打ちではない。


 啓太はすでに、三人の戦い方を知っているし、対策も考えている。


「来い」


 黒紫色の魔力が、拳の周囲で渦を巻く。


「昨日の続きだ」


 次の瞬間。


 三人の男たちが、一斉に地面を蹴った。


◇ ◇ ◇


三人の男たちが、一斉に地面を蹴った。


 だが――


 啓太へ向かってくる者はいなかった。


「……!」


 三人が狙ったのは、啓太の背後。


 アリカだった。


 リーダー格の地術士が地面へ手を叩きつける。


 ズンッ!


 岩場が隆起する。


 逃げ道を塞ぐように、巨大な岩の壁がアリカの左右に突き上がった。


「こっちだ!」


 大柄な男が踏み込む。


 その巨体からは想像もつかない速度だった。


 拳が振り上げられる。


 狙いは――アリカ。


「させるか!」


 啓太が割り込もうとする。


 しかし、その瞬間。


「甘ぇんだよ!」


 水術師の男が腕を振るった。


 バシャァッ!


 海水が一本の鞭となり、啓太の進路を薙ぎ払う。


 啓太は身を捻ってかわした。


 その一瞬。


 大柄な男がアリカへ迫る。


「っ!」


 アリカが身構えた。


 だが――


 ドゴォンッ!


 啓太が大柄な男の前へ滑り込む。


 拳と拳がぶつかる。


 衝撃で、二人の足元の岩が砕けた。


「……やっぱり、そう来るか」


 啓太が呟く。


 リーダー格の男が笑った。


「昨日と同じだ」


「……」


「お前は、そいつを守ろうとする」


 男がアリカを指差す。


「だから、お前は勝てねえんだよ」


 昨日。


 同じ作戦で啓太は追い詰められた。


 アリカを狙われれば、啓太は必ず助けに入る。


 その瞬間、攻撃の選択肢が狭まる。


 守る対象がいる限り、啓太は自由に動けない。


 それを、三人は完全に理解していた。


「昨日、言ったよな」


 リーダー格の男が笑みを浮かべる。


「――守るものがある奴は弱い」


 啓太の目が細くなった。


「……ああ」


 昨日と同じ言葉。


 だが――


 今日は違う。


 啓太は静かに右手を掲げた。


「なら、こっちも教えてやるよ」


 黒紫色の光が掌に集まっていく。


 一つ。


 また一つ。


 やがて左右の手に、それぞれ一つずつ。


 黒い球体が浮かび上がった。


 それは光を吸い込むような漆黒。


 周囲の空間が、僅かに歪んで見える。


「守るものがいる奴は――」


 啓太は三人を見据えた。


「何処までも強くなれるってことを」


「……!」


 リーダー格の男の顔から笑みが消えた。


「また、あれか!」


 大柄な男が拳を構える。


「昨日の黒い球体!」


「同じ手は効かねえぞ!」


 男が吠える。


「その重力場に効果範囲があるのは、わかってるんだ!」


「……そうだな」


 啓太は静かに答えた。


「だから、同じことはしない」


「何?」


 黒い球体が――変化した。


 二つの球体が、それぞれ五つに分裂する。


 合計十個。


 それぞれが、啓太の十本の指先へ吸い付くように留まった。


「な……」


 大柄な男が目を見開く。


「球が……!」


 啓太は右手を前へ突き出す。


「まずは――こっちだ」


 五つの黒い球体が飛んだ。


「させるか!」


 大柄な男が両腕を交差させ、防御態勢に入る。


 五つの球体が、次々と男の身体へ命中した。


 ドッ。


 ドッ。


 ドッ。


 ドッ。


 ドッ。


「……?」


 男は目を瞬かせた。


 痛くない。


 衝撃すらほとんど感じない。


「……なんだ?」


 男が身体を見回す。


「何も起きてねえぞ?」


 ニヤリ。


「こけおどしか!」


 次の瞬間だった。


「……重っ」


「……!」


 男の膝が、ガクンと落ちた。


「な、なんだ……これ……!」


 身体が動かない。


 まるで全身に巨大な岩を載せられているようだった。


 ドォンッ!


 大柄な身体が地面に叩きつけられる。


「ぐ……!」


 男が立ち上がろうとする。


 しかし――動かない。


「バカが!」


 リーダー格の男が叫ぶ。


「見た目に誤魔化されるな!」


「……!」


「形が変わっただけだ!」


 男は地面へ手をつく。


「だったら俺が引きずり出してやる!」


 ゴゴゴゴゴッ!


 地面が大きく盛り上がった。


 大柄な男の周囲の岩が――泥のように液状化していく。


「ははは!昨日となんも変わらねえぞ!」


 液状化した地面が男の巨体を飲み込んだ。


しかしーーー


「おい! 抜けろ!」


 リーダー格が叫ぶ。


 だが、大柄な男は、一向に地面から出てこない。


 静寂。


 土の表面だけが、ゆっくりと揺れている。


 リーダー格の男が愕然とした。


「……なんだ?」


 昨日なら。


 あの男は地面から這い出してきた。


 だが――


 今回は出てこない。


 数秒。


 十秒。


 それでも何も起こらない。


 啓太は淡々と男を見下ろしていた。


「早く引き上げてやれ」


「……!」


「いくら精霊の加護があるとはいえ、このままじゃ窒息して死ぬぞ?」


「テメエ……!」


 リーダー格の男が啓太を睨みつける。


「何をした!」


「デバフってやつさ」


「デバフ……?」


 啓太は右手を見た。


 すでに五つの球体は消えている。


「俺は普段、黒い球体で重力場を発生させる」


 啓太は淡々と説明する。


「ただし、普通なら球体を中心とした数メートルの範囲内でしか効果を発揮できない」


「だったら……!」


「なら、重力場の発生源そのものを対象に付与したらどうなる?」


「……!」


 リーダー格の男の顔が引きつる。


「対象の重さだけが……増えるって寸法かよ……!」


「御名答」


 啓太が頷く。


「しかも、昨日までより魔力消費量も格段に少ない」


「ふざけやがって……!」


 その瞬間。


 ズドォンッ!


 地面から巨大な土柱が突き上がった。


「……!」


 啓太が振り向く。


 土柱の先端。


 そこに――大柄な男がへばりついていた。


「ハァ……ハァ……!」


 リーダー格の男が土術で引き上げたのだ。


「余所見してんじゃねえ!」


 その声と同時。


 水術師が腕を振り抜いた。


 バシャァァッ!


 水の鞭が、啓太の横をすり抜ける。


 その先にいるのは――アリカ。


 しかし――


 啓太は動かなかった。


 左手を、ゆっくりと掲げる。


「そして、こっちが――」


 五つの黒い球体が、啓太の左手の指先から飛んだ。


「え?」


 アリカの身体に――


 ポン。


 ポン。


 ポン。


 ポン。


 ポン。


 五つすべてが当たった。


「……え?」


 アリカ自身も驚いている。


 痛みはない。


 ただ、身体の周囲に黒紫色の光が浮かんでいる。


「バカめ!」


 水術師が叫んだ。


「誤射りやがった!」


 男が笑う。


「そいつに当てたってことは、それは引き寄せる方の球体だろ!」


 啓太は静かに男を見る。


「……そんな単純じゃないぞ」


「何?」


 その瞬間。


 水の鞭が――


 アリカの目前で弾かれた。


 バァンッ!


「な――!?」


 水術師が目を見開く。


 鞭がアリカへ届かない。


 何度伸ばしても、見えない壁にぶつかったように弾き返される。


「なんだ!?」


 啓太は答えた。


「斥力だ」


「せき……りょく?」


 アリカが呟く。


「反発する力を付与したってのか……!」


 リーダー格の男が震える。


「そう」


 啓太はアリカを見た。


「この子を中心に、半径一メートル」


 黒紫色の光がアリカの周囲を薄く包む。


「その範囲には、斥力が発生している」


 水の鞭が再び伸びる。


 しかし――


 バチィッ!


 アリカに触れることすらできない。


「もう、お前たちの攻撃は届かない」


 沈黙。


 三人の男たちは動かなかった。


 いや。


 動けなかった。


 昨日まで彼らが利用していた戦術。


 アリカを狙い、啓太の動きを制限する。


 それによって啓太を追い詰める。


 それが――


 完全に崩された。


 大柄の男は重力によって動きを封じられている。


 水術師はアリカへ攻撃できない。


 そしてリーダー格の男は――


 二人を同時に活かすための戦術を失った。


「……」


 リーダー格の男が、信じられないものを見るように啓太を睨む。


「テメエ……」


 声が震えていた。


「昨日は……わざと手を抜いていたのか?」


「そんな訳がない」


 啓太は即答した。


「昨日の俺には、昨日の俺なりの戦い方しかできなかった」


「じゃあ、何で……!」


「言っただろ」


 啓太の拳に、再び黒紫色の魔力が集まる。


「守るものがいる奴は――」


 啓太は一歩踏み出した。


「何処までも強くなれるって」


「ざけんな!」


 リーダー格の男が怒鳴った。


「昨日今日で、そんなに強さが変わるなんて――」


 拳を握り締める。


「一億パーセントありえねえんだよ!」


 啓太は――笑った。


「昨日今日で強くなれる」


 静かな声だった。


「それが、守るものがいる奴の強みだ」


 アリカが啓太を見る。


「……啓太さん」


 その背中は、昨日より大きく見えた。


「覚悟するといい」


 啓太の瞳に、青色の光が宿る。


「今日の俺は――」


 拳を握る。


「昨日の俺の百倍強いぞ」


 ゴゴゴゴゴ……。


 空気が震える。


 三人の男たちは、初めて悟った。


 自分たちが昨日戦った相手と――


 今、目の前にいる男は。


 同じ人間ではある。


 だが。


 同じ強さではない。


 そして啓太は、まだ――


 本気の一端しか見せていなかった。

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