005 【適応力】
休日。
昼下がり。
精霊塾の校門前にあるカフェテラスで、一人の少女がぼんやりと通りを眺めていた。
鷲宮豪華。
普段なら元気に動き回っている彼女にしては珍しく、今日は妙に大人しい。
制服ではなく私服姿。
そして――。
「……」
いつもより少しだけ整えられた髪。
薄く施された化粧。
本人なりに身だしなみに気を使っているらしい。
そんな豪華のもとへ、三人の人影が近づいてきた。
「お待たせ、姉さん」
弟の風太だった。
その後ろには、神代恵那と夢宮アリカがいる。
「大丈夫よ。まだ時間前だし」
豪華は立ち上がる。
「じゃあ、行くわよ」
「あれ?」
風太が姉の顔を見つめる。
「姉さん、お化粧してる? 珍しいね」
「……」
豪華の眉がぴくりと動いた。
「これから依頼人に会いに行くのよ」
少しだけ恥ずかしそうに顔を逸らしながら答える。
「私だって身だしなみには気を使うわ」
「そう、だよね」
風太は頷いた。
しかし――。
姉の様子に違和感を覚えたのは、どうやら風太だけだった。
「豪華さん」
アリカが興味津々に尋ねる。
「今回、鷲宮家に来た依頼って何ですか?」
「ああ」
豪華が歩きながら答える。
「とある資産家の家に幽霊が出るから、何とかしてほしいっていう依頼よ」
「へぇ~」
アリカが目を輝かせる。
「……ん?」
しかし、すぐに首を傾げた。
「でも、それって精霊庁が対処するんじゃないですか?」
「……そうね」
豪華は少し考えるように黙った。
「その辺は、移動しながら説明するわ」
三人は豪華の後を歩き始めた。
⸻
「まず、精霊庁の仕事について」
豪華が歩きながら話す。
「精霊使い、魔術師、妖怪――そういった超常的存在によって引き起こされる事件や災害に対処するのが、精霊庁の主な仕事よ」
「はい」
恵那が頷く。
「でも、精霊使いや魔術師って、そもそもの人数が圧倒的に少ないの」
豪華は続ける。
「しかも、力を持っている人間が全員精霊庁に所属しているわけじゃない」
「なるほど……」
「だから、民間で除霊や修祓を行うこと自体を禁止するような制度にはなっていないのよ」
アリカが驚く。
「じゃあ、誰でも除霊していいんですか?」
「誰でも、ではないわ」
豪華は即座に訂正した。
「力のない人間が適当なことをするのは当然問題になる。でも、一定の実力を持つ者が適切に対処する場合まで、精霊庁が全部取り締まっていたら手が回らないの」
そこで豪華は、少し苦笑した。
「そもそも超常現象に関する通報の九割以上は、勘違いや自然現象、あるいは普通の事件だったりするしね」
「九割以上……」
アリカが目を丸くする。
「そんなにですか?」
「そんなに」
豪華は頷いた。
「だから、精霊庁は大規模な事件や危険性の高い案件を優先する」
「じゃあ――」
恵那が口を挟む。
「鷲宮家のような家が、そういう小さな案件を担当するんですね」
「その通り」
豪華が笑った。
「私の家みたいに、代々除霊や妖魔退治を生業としてきた家が、依頼を受けて現場へ行く」
鷲宮家。
風の精霊使いを中心とする、古くから続く精霊使いの家系。
ただし、家族全員が同じ精霊と契約するわけではない。
豪華自身は、鷲宮家の中では珍しく、火の精霊と契約している。
「じゃあ、今回も勘違いの可能性があるんですか?」
アリカが尋ねる。
「可能性の話ならね」
豪華は肩をすくめた。
「ただ――今回の話を聞いた限り、私の勘では『当たり』だと思うわ」
「当たり?」
「本当に何かいるってこと」
豪華はそう言って、前方を見る。
そこには、広い敷地を持つ巨大な邸宅が建っていた。
⸻
資産家の邸宅
三人を連れた豪華が屋敷の中へ案内される。
豪華たちが客間へ入った、その時だった。
「おんや~?」
軽薄そうな男の声が響く。
「これはこれは――鷲宮家の紛い物の豪華じゃねぇか!」
豪華の足が止まった。
「……何よ」
男はニヤニヤしながら近づいてくる。
「日野和家の分家が、何でここにいるの?」
豪華の声は冷たい。
「俺もここの主人から依頼を受けたんだよ」
男は鼻で笑う。
「お前は……」
男の視線が、恵那、アリカ、そして風太へ向いた。
「ガキのお守りか?」
その瞬間。
恵那の眉がわずかに動いた。
アリカの表情も曇る。
風太は――。
何も言わなかった。
ただ、姉の横顔を見ていた。
「……ダブルブッキングか」
豪華がため息をつく。
そして、依頼主である屋敷の主人へ向き直った。
「説明していただけますか?」
「俺が主人に提案したんだよ」
男が横から口を挟む。
「鷲宮なんて、風の精霊使いの家系は信用ならない。だったらウチに依頼した方がいいってな」
男は豪華を見て、嫌味な笑みを浮かべる。
「ついでに、選ばれた者の力を見せてやるいい機会だから、そっちにも依頼してみろってな」
「…………」
豪華はしばらく男を見つめた。
そして、ため息をついた。
「……事前に説明しておきます」
豪華は依頼主へ向き直る。
「この業界では、同業者同士の揉め事は御法度です」
「え?」
「ですから、今この場で決めてください」
豪華は鞄から書類を取り出した。
「どちらに依頼するのか」
そして、淡々と続ける。
「決定した側と正式に契約を結んでいただきます」
男が鼻で笑った。
「そんな堅苦しいことを――」
「必要なことです」
豪華は一歩も引かなかった。
その姿に、先ほどまでの少女らしさはない。
依頼を受ける者としての顔だった。
依頼主は豪華と男を見比べる。
片方はまだ若い少女たち。
もう片方は成人した男。
その差は明らかだった。
「……では」
依頼主が口を開く。
「こちらにお願いします」
男が勝ち誇ったように笑った。
豪華は何も言わない。
ただ、依頼主が差し出した書類を受け取ると、内容を確認した。
そして――。
「承知しました」
淡々と頭を下げた。
「なお、不測の事態が発生した場合の再依頼は受け付けられない決まりとなっています」
豪華は念を押す。
「その点だけは、ご了承ください」
依頼主は頷き、契約書へ署名した。
男はそれを見て、大笑いする。
「ギャハハハ!」
そして豪華たちへ向き直った。
「依頼人の意向なんでな。悪く思うなよ!」
男は顎をしゃくる。
「まあ、見学くらいなら許してやるよ!」
言い残し、依頼主とともに客間を出ていった。
扉が閉まる。
静寂。
数秒後。
「……何なんですか、あれ!」
アリカが怒りを露わにした。
「あり得ない……」
恵那も珍しく声を荒らげる。
「あんな言い方、許していいんですか?」
豪華は二人を見て、ため息をついた。
「言ったでしょ」
その声は穏やかだった。
「これから、いろんな連中を目にすることになるって」
「……」
「正直、あんな連中の言葉でアナタたちの耳を汚したくはなかったけど」
豪華は苦笑する。
「これも社会勉強だと思いなさい」
それでも、恵那とアリカの怒りは収まらない。
「でも……」
アリカが拳を握る。
「やっぱり嫌です」
「アリカ……」
「豪華さんを悪く言われるのは……嫌です」
そして、隣にいた風太を見る。
「風太くんだって嫌だったよね?」
「…………」
風太は俯いていた。
その肩が、わずかに震えている。
「……アイツ」
低い声だった。
「絶対に許さない……」
「風太?」
「姉さんを……コケにしやがって……」
風太の顔が上がる。
そこには、普段の気弱な少年の面影がなかった。
「……死ねばいいのに」
「え?」
アリカと恵那が同時に固まる。
「…………」
風太は我に返った。
「……あ」
恵那も引きつった笑みを浮かべる。
「風太くん……」
「ご、ごめん」
風太は再び俯いた。
豪華はそんな弟を見て、頭を抱える。
「はいはい」
そして、風太の頭を軽く叩いた。
「恨み言はそこまで!」
「でも姉さん……」
「前にも言ったでしょ」
豪華は三人を見る。
「アナタたちには、適応力を身につけてほしいの」
「……」
「世の中には、アナタたちが理解できないような人間もいる」
豪華は淡々と続けた。
「そんな相手と出会った時、いちいち感情を爆発させていたら仕事にならないわ」
三人は納得しきれない表情で、それでも頷いた。
「とりあえず」
豪華が客間の扉を見る。
「あの男が今回の事案を解決する顛末だけは見届けましょう」
「え?」
「そして、私たちは引き上げる」
「……分かりました」
恵那たちは豪華に続いて客間を出た。
⸻
屋敷の別室。
壁には、一枚の古びた絵画が飾られていた。
描かれているのは、薄暗い森。
しかし、どこか不自然だった。
森の奥に立つ一本の木。
その根元に描かれた黒い影。
見ているだけで、妙な不快感を覚える。
「私は様々な骨董品を集めるのが趣味でして」
依頼主が説明する。
「これは去年、とある不動産業者が売りに出した絵画なんです」
男が絵画を眺める。
「購入してからというもの、夜な夜な悲鳴が聞こえるようになった」
依頼主は青ざめた顔で続けた。
「妻や娘まで、次第に心を病むようになってしまって……」
男は絵をじっと見る。
そして――。
「……なるほどな」
男が口元を歪める。
「確かに呪われているぜ」
「本当ですか!?」
依頼主が身を乗り出す。
「ああ」
男は自信満々に頷いた。
そこへ、豪華たちが戻ってくる。
男はそれを見つけると、ニヤリと笑った。
「おいおい!」
「良い機会だから勉強していけばいいぜ!」
男は豪華たちを見下ろす。
「俺様が悪霊を退治する瞬間をな!」
そう言うと――。
男の手のひらから炎が噴き出した。
「覚悟しやがれ、悪霊――――ッ!!」
炎が大きくなる。
男はさらに魔力を注ぎ込む。
「喰らいやが――」
次の瞬間。
炎が不自然に揺らいだ。
「……ん?」
火が暴れ始める。
「お、おい……!」
炎が男の手元から大きく膨れ上がった。
「待て!」
制御不能。
そして――。
ドォォォンッ!!
「ぎゃああああああ!!」
「うわあああああ!!」
爆発。
炎は一瞬で周囲へ広がった。
カーテンへ。
家具へ。
壁へ。
そして、屋敷そのものへ。
「火事だ!!」
アリカが叫ぶ。
「燃え広がってる!」
豪華は炎を見ながら、呆れた声を漏らした。
「……あれは悪霊じゃないわ」
「え?」
「妖魔の類いよ」
豪華の目が鋭くなる。
「悪霊っていうのは、人間の死者の霊などが変質して、人に災いや不幸、病を引き起こす霊的存在」
そして、燃え上がる絵画を見る。
「でも、あれは違う」
「妖怪と魔の性質を持った存在――妖魔」
豪華はさらに周囲へ意識を集中させる。
「……風の精霊の気配がする」
「風?」
アリカが驚く。
「きっと、あの男が集めた火に風を送り込んだのよ」
豪華は炎の流れを見る。
「だから火勢が一気に強くなって、制御不能になった」
「冷静に分析している場合ですか!?」
アリカが叫ぶ。
「屋敷が燃えてますよ!」
「分かってるわよ!」
豪華が振り返る。
その時だった。
「た、頼む!」
依頼主が豪華たちへ駆け寄ってくる。
「助けてくれ!」
「……」
「金なら幾らでも出す!」
豪華が深いため息をつく。
「まったく、しょうがない――」
「待って」
その前に、一人の少年が立った。
風太だった。
「風太?」
アリカが目を丸くする。
風太は依頼主を睨みつけている。
「ふざけたこと抜かすなよ」
「え?」
「こっちは手を出したくても、契約で出せなくなってんだ」
風太の声は低かった。
先ほどの気弱さはない。
「契約したのはアンタだろ」
「そ、それは……!」
「なら、お前が責任取れよ」
「風太くん……?」
「でなきゃ――」
風太は鋭い目を向けた。
「死ね」
「ひっ!」
アリカと恵那が再び固まる。
「ふ、風太くん……」
「えっと、えっと……」
恵那も困惑している。
依頼主は慌てて両手を振った。
「待ってくれ!」
「妻と娘がいるんだ!」
「なら、なおさら自分で責任取れよ!」
風太は一歩も引かない。
「金なら出す!」
「……」
「いくらでも出します!」
「……」
風太は少し考える。
そして――。
「俺たちは、あのクソ男の家と話をつけなきゃいけないんだ」
依頼主を見る。
「せめて、アイツに払うはずだった依頼料の五倍は出してもらわなきゃ割に合わねえぞ?」
「五倍!?」
依頼主の顔が引きつる。
「そんな金は――」
「なら」
風太は淡々と言った。
「アイツの一族にどうにかしてもらえ」
そして、燃え盛る屋敷を見る。
「丸焦げになった後で、それができればいいけどな」
「ひぃっ!」
「俺たちは契約書にサインされた後だから、手出しできねえぞ」
依頼主の額から汗が流れる。
「……分かった!」
そして、とうとう叫んだ。
「出します!」
「……」
「五倍の額を出させてください!」
「…………」
「それに、あの男のこともこちらで引き受けます!」
風太はしばらく依頼主を睨んでいた。
やがて――。
「……最初からそう言えばいいんだよ」
小さく吐き捨てる。
「クソが」
そして、くるりと振り返った。
その顔には――。
満面の笑み。
「――姉さん、お待たせ」
「……え?」
豪華が呆然とする。
「話は全部ついたから」
風太は笑顔のまま言った。
「派手にやっちゃって」
「…………」
豪華の口が半開きになる。
「う、うん」
そして、なぜか少しだけ引きつった笑顔を浮かべた。
「任せて」
豪華は一歩前へ出る。
「アリカ、恵那」
「はい!」
「下がってなさい」
「分かりました!」
二人が距離を取る。
豪華は燃え盛る屋敷を見つめた。
そして――。
右手を握り締める。
炎が集まっていく。
轟々と燃えていた炎が、まるで巨大な渦に吸い込まれるように豪華の拳へ集約されていく。
炎が小さくなる。
しかし――。
その熱量は、むしろ増していた。
「……すごい」
恵那が息を呑む。
「火を……集めてる?」
「消火と攻撃を同時にやってる!」
アリカが叫ぶ。
豪華は拳を引いた。
「――そこにいるんでしょう?」
絵画の中から、黒い影が蠢いた。
妖魔が姿を現す。
巨大な口を開き、奇怪な咆哮を上げる。
「残念だったわね」
豪華が笑う。
「私、こういうのを退治するのが仕事なのよ!」
一歩。
踏み込む。
そして――。
「――吹き飛べッ!!」
拳が振り抜かれた。
ドォォォォン!!
巨大な炎の塊が一直線に走る。
だが、それは周囲の炎をさらに燃え広がらせることはなかった。
豪華が集めた炎は、すべて拳へと収束している。
一撃。
たった一撃だった。
妖魔の身体が炎に包まれ――。
次の瞬間。
黒い影は跡形もなく消滅した。
同時に。
屋敷を包んでいた炎も、まるで力を失ったように消えていく。
「…………」
静寂。
アリカは呆然とした。
恵那も言葉を失っている。
そして――。
「……終わった」
豪華が拳を開く。
「妖魔、討伐完了」
その横で、風太が満足そうに頷いた。
「さすが姉さん」
「……」
豪華は弟を見る。
「風太」
「何?」
「アナタ――」
豪華は少しだけ間を置いた。
「私より怖くない?」
「……そんなことないよ」
風太は笑顔で答えた。
「姉さんの方が怖い」
「なら、よし!」
「よくないよ!」
アリカが慌てて突っ込む。
その様子に、恵那とアリカが同時に吹き出した。
「ふふっ」
「ははっ!」
豪華も笑う。
今日の依頼は、決して気持ちのいいものではなかった。
自分たちを侮辱する者。
自分勝手な依頼人。
そして、想定外の妖魔。
しかし――。
三人にとっては、これもまた一つの経験だった。
どんな人間と出会っても。
どんな状況に巻き込まれても。
その場で自分に何ができるのかを考える。
それこそが――。
豪華が三人に身につけさせようとしている「適応力」だった。




