003 【鷲宮家の特訓開始】
「――というわけで、今日から私がアナタたちの面倒を見てあげるわ!」
鷲宮家の道場に、豪華の張り切った声が響き渡った。
彼女は腰に手を当て、誰よりも堂々と胸を張っている。
「私がいれば、まさに――」
一拍置いて、豪華は得意げに言った。
「鬼にカナヅチよ!」
「姉さん」
隣にいた少年が、控えめに口を挟む。
「……金棒だよ」
「何か言った?」
「……何でもない」
風太は、訂正したこと自体を後悔したように目を逸らした。
豪華はそんな弟の小さな抵抗など気にも留めず、恵那とアリカへ向き直る。
「アナタたち、元気そうで何よりだわ!」
「はい! お久しぶりです、豪華さん!」
アリカは勢いよく頭を下げた。声も表情も明るく、初めての場所でも物怖じする様子がない。
「今日からお世話になります」
恵那も丁寧に頭を下げる。アリカより落ち着いているが、その目には新しい訓練への期待がはっきり浮かんでいた。
「まっかせなさい!」
豪華は自分の胸を拳で叩いた。
「この私が、立派な精霊使いに鍛え上げてあげる!」
「よろしくお願いします!」
恵那とアリカが声を揃える。
その息の合った返事に、豪華は満足そうに頷いた。
「よしよし。やる気があって結構!」
一方、風太は少し離れた場所で、二人の様子を窺っていた。
アリカがその視線に気付き、首を傾げる。
「……あの~」
「ん?」
「ところで、そっちの人は?」
風太の肩がびくりと跳ねた。
見られていたことに気付いた彼は、反射的に恵那たちから目を逸らす。
「この子?」
豪華が風太の肩に手を置いた。
風太は逃げるように一歩下がろうとしたが、豪華の手にしっかり捕まっていた。
「この子は私の弟で――」
「鷲宮風太」
豪華が紹介するより先に、風太が小さく名乗った。
「風太、挨拶なさい!」
「今、したよ……」
「聞こえなかったわ!」
「……鷲宮風太です」
風太は仕方なく顔を上げた。
声は小さい。それでも、今度は二人に届いた。
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします!」
アリカはすぐに笑顔で頭を下げた。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
恵那も続く。
風太は二人の反応を確かめるように一瞬だけ顔を上げ、それから小さく頭を下げた。
「……うん」
豪華はそんな弟の様子を見て、嬉しそうに笑った。
「風太はシャイで気弱な性格だけど、友達思いのいい子だから!」
「……姉さん」
風太が抗議するように呟く。
「何よ。事実でしょう?」
「そういうこと、本人の前で言わなくていいよ……」
「仲良くしてあげてね!」
「……うん」
風太は恥ずかしそうに頷いた。
その返事を聞くと、豪華は満足そうに腕を組む。
「さて!」
豪華は改めて三人を見渡した。
「これからアナタたち三人には、訓練の他に、鷲宮家が請け負った依頼も一緒にこなしてもらうから!」
「三人?」
風太が聞き返した。
その声には、嫌な予感が滲んでいる。
「……あれ?」
風太は豪華を見る。
「姉さん、三人って?」
「もちろんアナタもよ!」
「え?」
風太の顔から、すっと血の気が引いた。
「アナタも訓練に参加するの!」
「聞いてないよ!」
普段は声を荒らげない風太が、珍しく大きな声を出した。
恵那とアリカが驚いて彼を見る。
「推薦を貰いたい人たちが来るから、挨拶しろって言うから顔を見せただけなのに!」
「そうよ。だから、顔を見せてもらったわ」
豪華は悪びれもせず頷いた。
「そのまま訓練にも参加してもらうけど」
「ああ、内緒にしてたからね!」
「内緒!?」
風太の声が裏返る。
「だってパパが鍛えようとしても、すぐ逃げるじゃない!」
「うっ……」
風太は言い返せず、視線を泳がせた。
「アナタ、訓練が始まると急に用事を思い出すものね」
「それは……」
「庭の掃除とか、犬の散歩とか、昨日なんて郵便を出しに行くって言って三時間帰ってこなかったじゃない」
「……郵便局が混んでたんだよ」
「嘘おっしゃい」
豪華は弟の言い訳を一蹴し、ニヤリと笑った。
「同い年の女の子の前なら、流石のアナタでも逃げないでしょ?」
「だって――」
風太は恵那とアリカをちらりと見た。
二人とも自分を見ている。
その事実だけで、風太の耳まで赤くなった。
「……格好悪いもの」
「うぐっ!」
風太は両手で顔を覆った。
恵那とアリカの視線が重なる。
アリカは笑いそうになるのを堪え、恵那は困ったように微笑んだ。
風太はその気配を察して、さらに俯く。
「……分かったよ」
「潔くてよろしい!」
豪華は弟の頭に手を伸ばし、髪をわしゃわしゃと撫でた。
「アナタのそういうところ、お姉ちゃん好きよ!」
「やめてよ!」
風太は真っ赤になって豪華の手を払いのける。
「子供じゃないんだから!」
「私から見れば、まだまだ子供よ」
「僕はもう――」
「はいはい。立派な男の子ね」
「そういう言い方が嫌なんだよ!」
風太はむきになって言い返した。
けれど、豪華は怒るどころか楽しそうに笑っている。
その様子を見ていたアリカが、とうとう吹き出した。
「ふふっ」
「……笑わないでよ」
風太が恨めしそうに見る。
「ご、ごめん! でも、仲がいいんだなって思って」
「仲がいい?」
風太が豪華を見る。
「姉さんが一方的に構ってくるだけだよ」
「何ですって?」
豪華が眉を吊り上げる。
「私がいなかったら、アナタなんてすぐ部屋の隅で小さくなってるでしょう!」
「……それは否定できないけど」
「ほら!」
豪華は勝ち誇った。
風太は言い返せず、また目を逸らす。
恵那はそんな二人を見ながら、静かに笑った。
「風太くん」
「……何?」
「私たちも、無理に引っ張ったりしないから」
恵那の声は穏やかだった。
「一緒に頑張ろうね」
風太は少し驚いたように恵那を見る。
それから、ほんのわずかに表情を緩めた。
「……うん」
アリカも大きく頷く。
「分からないことがあったら、私にも聞いてね!」
「アリカに聞くのは、少し不安かもしれないけどね」
恵那が冗談めかして言う。
「えっ、どうして!?」
「アリカ、勢いで全部解決しようとしそうだから」
「そんなこと…ないよ!」
「本当に?」
「……たぶん!」
「ほら」
「恵那ちゃん!?」
アリカが頬を膨らませる。
風太は思わず小さく笑った。
豪華はその笑顔を見逃さなかった。
「よし!」
豪華が手を叩く。
「パパも後から来て、指導してくれるから!」
「えっ……」
風太の顔から、再び笑みが消えた。
「まずは、アナタたちがどれくらい動けるのか知りたい!」
豪華は三人の反応を楽しむように、拳を突き上げる。
「体力測定よ!」
「おー!」
恵那とアリカが声を合わせる。
「お、おー……」
風太も小さく拳を上げた。
ただし、その拳には明らかに覚悟が足りなかった。
◇ ◇ ◇
体力測定。
握力。
上体起こし。
長座体前屈。
反復横跳び。
立ち幅跳び。
そして、全身持久力を測るシャトルラン。
内容そのものは、学校で行う体力測定と大きく変わらない。
「……凄いわね」
測定結果を見た豪華が、感心したように呟いた。
「二人とも、思っていたよりやるじゃない!」
「本当ですか!?」
アリカが嬉しそうに身を乗り出す。
「ええ。二人とも、平均を大きく上回っているわ」
豪華は結果を見比べながら、指で項目を追っていく。
「神代さんは俊敏性と柔軟性が特にいい!」
「ありがとうございます」
恵那は嬉しそうに微笑んだ。
褒められることに慣れているわけではない。
だからこそ、素直に喜びながらも、どこか控えめだった。
「そして夢宮さんは――」
豪華がアリカを見る。
「瞬発力と持久力!」
「はい!」
アリカは背筋を伸ばした。
「まさに体力お化けって感じね!」
「体力お化け!?」
アリカが目を丸くする。
「それ、褒めてます?」
「もちろん!」
豪華は即答した。
「私が言う体力お化けは、最高の褒め言葉よ!」
「なら、よかったです!」
アリカは疑うことなく満面の笑みを浮かべた。
恵那が小さく笑う。
「アリカらしい」
「え、どういう意味?」
「褒め言葉を、そのまま受け取るところ」
「だって豪華さん、褒めてるって言ってたよ?」
「そうだね」
恵那は否定しなかった。
豪華の視線が風太へ移る。
「風太は――」
「……」
風太が身構えた。
豪華に呼ばれる時は、たいてい何か余計なことを言われる。
「すごく平均的!」
「……」
風太の表情が固まった。
「この中で一番バランスがいいわ!」
「それ……褒めてる?」
「褒めてるわよ!」
豪華は即座に答えた。
「どの種目でも大きな弱点がない。安定してるってこと!」
「でも、平均的って……」
「派手じゃないだけで、現場では一番頼りになるタイプよ」
豪華は結果表を風太に差し出した。
「アナタは、無理をしない代わりに失敗もしにくい。そこは長所ね」
風太は意外そうに結果表を見た。
豪華が自分をからかっているのではなく、本当に評価していることが分かったからだ。
「……そっか」
「そうよ」
「じゃあ、悪くないんだ」
「最初からそう言ってるでしょう!」
豪華は呆れたように言った。
風太は少しだけ胸を張った。
その変化を見て、アリカが嬉しそうに笑う。
「風太くん、よかったね!」
「うん……まあ」
「照れてる」
「照れてないよ!」
「顔、赤いよ?」
恵那が静かに指摘する。
「シャトルラン、最後まで走ってなかったのに」
「神代さんまで……」
風太は三人から顔を背けた。
豪華はそんな弟を見て、口元を緩める。
「よし!」
豪華は三人の結果をもう一度確認した。
「三人の身体能力の特徴は把握したわ」
そして、今度は指導者らしい真剣な表情になる。
「次は魔力の扱い方と、実際の精霊術を見せてもらうからね!」
三人の表情が引き締まった。
「はい!」
恵那とアリカが答える。
「……分かった」
風太も頷いた。
声は小さい。
けれど、先ほどよりも迷いはなかった。
こうして。
鷲宮家での最初の一日は、三人の能力測定を中心に過ぎていった。
◇ ◇ ◇
その日の夜。
「――歓迎会よ!」
豪華がグラスを掲げる。
「カンパーイ!」
大悟の声に合わせ、グラスが一斉に掲げられた。
テーブルの上には、豪華な料理が所狭しと並んでいる。
料理の大半は大悟が作ったものらしいが、盛り付けだけは豪華が担当したらしく、妙に大きな皿ばかりだった。
「いやー!」
豪華の隣に座る大柄な男性が、嬉しそうに笑う。
「娘が二人も増えた気分だー!」
「父さん、はしゃぎすぎ」
風太が呆れたように言う。
「いいじゃん、いいじゃん!」
風太の父――鷲宮大悟は豪快に笑った。
「お前だって、こんなに可愛い同い年の女の子たちと一緒にご飯が食べられて、本当は嬉しいくせに!」
「やめてよ、父さん!」
風太の顔が一気に赤くなる。
「それに二人にも失礼だよ!」
「え?」
恵那とアリカが顔を見合わせる。
アリカはどう反応すればいいのか分からず、持っていた箸を止めた。
恵那は困ったように微笑みながら、大悟と風太を交互に見る。
「いやいや、照れなくていいって!」
大悟は悪気なく笑っている。
「父さん!」
風太は本気で困っていた。
「ほらほら、風太」
豪華が料理を取り分けながら口を挟む。
「パパの言うことにいちいち狼狽えてちゃダメよ」
「姉さんまで……」
「アナタ、普段から人の顔色を気にしすぎなのよ」
豪華は風太の皿に料理を置いた。
「もっと堂々としなさい」
「姉さんは堂々としすぎなんだよ」
「それくらいでちょうどいいの!」
豪華は胸を張った。
「これから先、精霊庁で働けば、嫌というほど色々な人間と関わることになるわ」
豪華の声が、少しだけ真剣になる。
「現場では、相手が失礼な人間だろうと、話の通じない人間だろうと、助けを求めている人間だろうと、向き合わなきゃいけない」
恵那とアリカの表情が変わった。
風太も、箸を止めて豪華を見る。
「そんな時に、いちいち心を乱していたら現場じゃやっていけない」
豪華は風太を見た。
「でも、風太。気にすること自体が悪いわけじゃないわ」
「……え?」
「人の気持ちを考えられるのは、アナタの長所よ」
風太は目を瞬かせた。
「ただ、気にしたまま動けなくなるのは駄目。考えた上で、自分が何をするか決めなさい」
豪華は今度は三人全員を見る。
「力だけじゃない」
「人と接することも、現場では重要な能力なの」
「……はい」
恵那が頷いた。
彼女は豪華の言葉を、ただの精神論としてではなく、これから自分が身に付けるべき課題として受け止めていた。
「そして――」
豪華が箸を置く。
「ウチでの訓練がひと段落したら、軽めの依頼をいくつかこなしてもらう」
アリカが、ごくりと唾を飲み込んだ。
「依頼……実際の現場ですか?」
「そうよ」
「楽しみです!」
アリカの目が輝く。
恵那が隣から小声で言った。
「アリカ、危険があるかもしれないんだよ」
「分かってる。でも、実際に誰かを助けられるなら、頑張りたいの」
アリカは迷いなく答えた。
その真っ直ぐさに、恵那は少しだけ目を細める。
「ワタシがアナタたちに求めるものは、一つよ」
三人が豪華を見る。
「適応力を身に付けること」
「適応力……」
恵那が、その言葉を噛み締める。
「そう」
豪華は頷いた。
「どんな場所でも」
「どんな人間とでも」
「どんな状況でも」
豪華は一人ずつの顔を見た。
「自分に何ができるのかを考えて、動けるようになること」
「それができる精霊使いは強いわ」
豪華は、ニッと笑った。
「アリカは勢いがある。恵那は周りをよく見ている。風太は人の変化に気付ける」
三人が、それぞれ少し驚いた顔をする。
「でも、それだけじゃ足りない」
豪華は続けた。
「勢いだけでは空回りする。慎重すぎれば機会を逃す。気付きすぎれば、自分が動けなくなる」
風太が、わずかに目を伏せた。
豪華はそれを見逃さなかった。
「だから、三人で補い合いなさい」
「はい!」
アリカが力強く返事をする。
「頑張ります!」
恵那も頷いた。
「私も、もっと周りを見て動けるようになります」
「……僕も」
風太は少し遅れて答えた。
「僕も、逃げないようにする」
豪華は満足そうに笑った。
「よし!」
こうして。
鷲宮家での訓練が、本格的に始まった。
――この時の三人はまだ知らない。
豪華が言った「適応力」という言葉が。
やがて、彼らが本当の現場に立った時。
どれほど重要な意味を持つことになるのかを。
◇ ◇ ◇
翌朝。
精霊塾へ向かう通学路。
啓太はスマートフォンを操作しながら歩いていた。
芸能情報。
政治。
地方ニュース。
事件。
様々なニュースが画面を流れていく。
『巷で美少女カードが流行ーーー』
啓太は興味のない記事を淡々と指で流していたが、ある見出しの前で指を止めた。
『連続する爆発事故――原因はいまだ不明』
「……」
最近、この手の事件が妙に多い。
啓太は記事を開き、発生場所と時刻を確認する。
偶然にしては、妙に偏っている。
「最近、多いですよね。爆発事故」
すぐ隣から声がした。
啓太は画面を閉じずに、横目だけを向ける。
「……他人のスマホを覗き込むのは感心しないぞ、アリーチェ」
「覗き込んだのではありません。見えてしまっただけです」
アリーチェは涼しい顔で答えた。
「天城くんが、あまりにも難しい顔をしていたので」
「顔は関係ないだろ」
「関係ありますよ。天城くんは、考え事をしている時だけ眉間に皺が寄りますから」
「観察しすぎだ」
「部下の監督は、上司の役目ですから」
アリーチェは微笑んだ。
白石アリーチェ。
啓太の同級生。
そして――。
精霊庁に所属する、啓太の上司でもある。
学校では同級生。
仕事では上司と部下。
その奇妙な関係を、アリーチェは面白がっている節があった。
「学校では、ただの同級生だ」
啓太が釘を刺す。
「まあ」
アリーチェが楽しそうに笑う。
「天城くんは、プライベートに仕事を持ち込みたくないタイプなんですね」
「その方がいいだろ」
「私は、もう少し持ち込んでもいいと思いますけど」
「何んで?」
「例えば、学校で上司に優しくしてもらうとか」
「それは上司と部下の関係ではないだろ」
「では、同級生として優しくしてもらうとか」
アリーチェは啓太の顔を覗き込む。
啓太は歩調を変えず、視線だけを前に戻した。
「必要ならな」
「必要でなくても、優しくしてくださって構いませんよ」
「……」
「私も――」
アリーチェの頬が、ほんのり赤くなる。
普段は余裕のある彼女が、ほんの一瞬だけ言葉を選んだ。
「家庭に仕事を持ち込まない旦那さまって、素敵だと思います」
「…………」
啓太が固まった。
アリーチェは、そんな啓太の反応を横目で確認し、満足そうに微笑む。
「……何の話だよ?」
「何でもありません♪」
「何でもない人間は、そんな顔をしない」
「どんな顔ですか?」
「楽しそうな顔だ」
「それは、天城くんの反応が面白いからです」
「……」
啓太は深く考えるのをやめた。
アリーチェは、こういう時だけ妙に意地が悪い。
「学生の本分は学業だからな」
啓太は話題を戻した。
「もうすぐ期末テストもある」
「仕事と学校は、ちゃんと分けないと」
「そうですね」
アリーチェは素直に頷いた。
「特に――」
啓太は遠い目をする。
「豪華の二の舞にならないように」
「天城くん!」
突然。
背後から大声が飛んできた。
啓太は、来ると思っていたように目を閉じた。
「勉強教えて!」
「…………」
ゆっくり振り返る。
そこには、息を切らした鷲宮豪華が立っていた。
髪は少し乱れ、鞄は肩からずり落ちている。
それでも、本人はまったく気にしていない。
「赤点を取るようなことがあれば、先生が精霊庁本採用への推薦を取り消すって言い出したの!」
「……」
啓太は無言で額を押さえた。
「だから、普段から勉強しておけと言っただろ」
「だって訓練が忙しかったんだもの!」
「訓練がない日も寝ていただろ」
「体力回復よ!」
「昨日は漫画を読んでいた」
「心の回復!」
啓太は反論を諦めた。
アリーチェがため息をつく。
「鷲宮さん」
「何よ!」
「勉強くらい、自分で頑張りなさい!」
「天城さんが困ってるじゃない!」
「だったら――」
豪華は一瞬考えた。
そして、当然のようにアリーチェを指差す。
「アリーチェ、アナタが教えなさい!」
「はぁ!?」
アリーチェの声が裏返った。
「なんで私が!?」
「だって天城くんはアナタの部下でしょ?」
「それは仕事の話でしょう!」
「部下が困っている時は上司が助ける!」
「困っている部下というのは、天城さんではなくあなたです!」
アリーチェは珍しく声を荒らげた。
「部下は上司に感謝する!」
啓太はその横で、豪華がアリーチェを相手にすると、普段は余裕のある彼女でも調子を崩すことに気付いていた。
豪華は相手の立場や知性に関係なく、思ったことをそのままぶつける。
アリーチェにとって、それは計算の通じない相手なのだろう。
「……うっ」
アリーチェが言葉に詰まる。
豪華はそこを見逃さなかった。
「そ、それは……そうかも?」
「でしょう?」
豪華は満足そうに頷いた。
「そしたら私も助かる!」
そして。
これ以上ないほど自信満々な顔で――。
「これぞ、情けは上司のためならず!」
「…………」
アリーチェが固まった。
啓太も固まった。
豪華だけが、完全に正しいことを言ったつもりでいる。
数秒の沈黙。
アリーチェの頭の中で、猛烈な思考が始まる。
《え?》
《どういうこと?》
《何かの謎かけ?》
《『情けは人の為ならず』が正しいはずよね?》
《でも今の言葉をそのまま解釈すると――》
《上司に親切にすることは、自分のためになる……?》
《え?》
《え?》
《分からない……!》
史上最年少で国家魔術師一種を取得した天才魔術師。
白石アリーチェ。
その知性を総動員して――。
目の前のことわざを解析する。
《こんなゴリラみたいな女が考えた謎かけを……》
《この私が解けないですって!?》
《屈辱……!》
アリーチェの肩が震える。
啓太は、その様子を横目で見ていた。
豪華は豪華で、アリーチェが本気で悩んでいることに気付いていない。
「豪華」
「何?」
「それは――」
啓太は淡々と言った。
「『人の為ならず』だ」
「……」
「『情けは人の為ならず』」
「……」
「それだと、上司に親切にすることが、自分のためになるって意味になる」
豪華が、真剣な顔で考える。
彼女は冗談ではなく、本当に意味を検討していた。
「…………」
「…………」
「…………真理ね!」
「そうだね!」
「そうですね!」
啓太とアリーチェの声が綺麗に重なった。
――少しだけ、キレ気味だった。
「?」
豪華だけが、何が問題なのか分かっていなかった。




