007 【降霊術】
夢宮家。
玄関のインターホンが鳴った。
「はーい!」
アリカが玄関へ向かい、扉を開ける。
そこに立っていたのは、見覚えのある二人だった。
「あっ!」
アリカの顔が明るくなる。
「長谷川さん! 佐島さん!」
「おう、久しぶりだな」
長谷川が軽く手を上げる。
「こんにちは、アリカさん」
佐島も笑顔で挨拶する。
だが、その後ろには見知らぬ男女が二人。
アリカは首を傾げた。
「……えっと?」
「ああ、紹介するわ」
長谷川が振り返る。
「こちらは精霊庁のファントム部隊所属、冴子さんと――」
「湊だ。よろしく、お嬢ちゃん」
湊が爽やかな笑顔を浮かべる。
「どうも……」
アリカは戸惑いながら頭を下げた。
「それで……今日はどうしたんですか?」
「ちょっと聞きたいことがあってな」
長谷川が答える。
「ここで話してもいいんだが……」
冴子が一歩前へ出る。
「突然押しかけて申し訳ありません。少し、お時間をいただけますか?」
「あ、はい……」
アリカは四人を家の中へ案内した。
リビングには、アリカの両親と弟も集まってくる。
「一体、何の話なんでしょう?」
アリカの父、トオルが尋ねた。
冴子は一枚の写真を取り出した。
「この人物について、お聞きしたいことがあります」
写真をテーブルの上に置く。
そこに映っていたのは――。
「……え?」
アリカの表情が固まった。
「アガさん?」
思わず写真を手に取る。
「アガさんに……何かあったんですか?」
その声には明らかな心配が滲んでいた。
冴子はその反応を見逃さなかった。
「やはり、ご存じなんですね」
「あ……」
アリカが口を閉ざす。
しまった。
そんな顔をしていた。
冴子は責めるような口調ではなく、静かに尋ねる。
「まず確認させてください。この男性の名前は?」
「……アガさんです」
アリカが答えた。
その瞬間、冴子の表情が変わった。
これまで「対象」としか呼んでいなかった人物。
初めて、その名前が判明した。
「アガ……さん」
冴子が確認するように呟く。
「この方とは、どういう経緯で知り合ったんですか?」
アリカの母が答える。
「私と子供たちが道端で倒れているところを見つけたんです」
「行き倒れていたので、我が家で保護しました」
父のトオルが続けた。
「しばらく行く当てもないということでしたので、家で面倒を見ることにしたんです」
「なるほど」
冴子は頷く。
「では、アガさんが日本へ来た目的について、何か聞いていますか?」
アリカが顔を上げる。
「……仲間を探していたんです」
「仲間?」
「はい」
アリカは少し考えてから続ける。
「アガさん、ずっと『ナイズ』って言ってました」
湊が反応する。
「ナイズ……?」
「アガさんの言葉で、『仲間』って意味らしいです」
「なるほど」
冴子がメモを取る。
「四人の仲間を探していた……そういうことね」
「はい。でも……」
アリカの表情が曇った。
「見つかったんです」
「見つかった?」
「はい……」
アリカは俯く。
「でも……二人は大怪我をしていて、病院にいるって」
「……」
「それで……残りの二人は……」
言葉が詰まる。
アリカの母が静かに続きを引き取った。
「亡くなっていたと聞いています」
部屋の空気が重くなった。
冴子たちも黙っていた。
それは、彼らが追っている事件と一致している。
「……そうですか」
冴子は小さく息を吐いた。
「では、仲間が見つかったことで、アガさんは今朝、こちらを出て行った?」
「はい」
アリカが頷く。
「『探していた仲間が見つかったから』って」
「行き先については?」
「何も……」
アリカは首を横に振った。
「ただ……」
「ただ?」
「アガさん、少し寂しそうでした」
その言葉に、冴子は黙ってアリカを見る。
「仲間が見つかったのに……嬉しそうじゃなかったんです」
アリカの声が小さくなる。
「たぶん……あんな形で見つかるとは思ってなかったんだと思います」
冴子は何も言わなかった。
そして、最後の質問へ移る。
「では、もう一つだけ」
声の調子が変わった。
「アガさんが、日本へ不法に入国した可能性については、ご存じでしたか?」
「おいっ!」
長谷川がすぐに止めようとする。
「アンタ――」
しかし、トオルは手を上げて長谷川を制した。
「……」
夢宮家の全員が黙る。
少しの沈黙。
やがてトオルが口を開いた。
「彼が自分で空を飛んできたと伺いました」
冴子が目を細める。
「……空を?」
「ええ」
トオルは苦笑する。
「ああ、もしかしたら、この人は不法入国者なのかもしれない――とは思いましたね」
「では、なぜ通報をしなかったのですか?」
「……」
トオルは一度、妻と子供たちを見る。
そして、静かに答えた。
「私と妻は、普段から子供たちにこう言ってきました」
「困っている人がいたら、手を差し伸べることのできる人間になりなさい、と」
冴子は黙って聞いている。
「行き倒れていたアガさんを我が家に招き入れ、しばらく面倒を見ました」
「彼から、飛んで日本に来たとも聞きました」
そこで一拍。
「……それが間違っているとは思わなかったのですか?」
冴子の問いに、長谷川が再び口を挟もうとする。
「おいっ! いい加減に――」
「もちろん、思いました」
トオルはあっさり認めた。
長谷川が固まる。
「……え?」
「ですので、決めたんですよ」
「何をです?」
冴子が尋ねる。
トオルは真顔で答えた。
「聞かなかったことにしようと」
「…………」
長谷川の肩が落ちる。
佐島も思わず俯く。
湊は口元を押さえている。
笑いを堪えているらしい。
冴子だけが、なんとか平静を保っていた。
「我々は、それ以上、彼から何も聞かなかったんです」
トオルは至って真面目だった。
「そもそも一般人である私たちには、彼の言っていることの真偽を確かめる術がありません」
「日本語も十分に話せませんでしたしね」
「もしかしたら、彼が上手く説明できなかっただけかもしれない」
「もしかしたら……冗談だったのかもしれない」
「冗談を真に受けて、わざわざ警察へ通報したりはしないでしょう?」
「ア、アンタねぇ……」
長谷川が頭を抱える。
その横で、佐島と湊は必死に笑いを堪えていた。
トオルはそんな三人を気にする様子もなく、冴子を真っ直ぐ見た。
「私たちは、何か悪いことをしていましたか?」
冴子はしばらくトオルを見つめていた。
そして――。
「いいえ」
はっきりと答えた。
「行き倒れていた男性を保護した善意の第三者です」
「そして、彼が不法入国者だと明確に認識していたわけではないのであれば、現時点で夢宮さんご一家を問題視する理由はありません」
「……そうですか」
アリカがホッと胸を撫で下ろす。
その様子を見て、冴子は穏やかに微笑んだ。
「ご協力、ありがとうございました」
冴子たちは立ち上がった。
「何か分かったら、また連絡させていただくかもしれません」
「分かりました」
トオルも立ち上がる。
「こちらも、何か思い出したことがあればご連絡します」
「ありがとうございます」
四人は夢宮家を後にした。
玄関の扉が閉まる。
そして――。
「……」
「……」
「……」
「……」
四人はしばらく無言で歩いた。
最初に口を開いたのは湊だった。
「いやぁ……」
ニヤリと笑う。
「中々面白いオヤジさんだったな」
「そうね」
冴子も苦笑する。
「あの人……弁護士か何かなの?」
「いえ」
佐島が答える。
「普通の会社の管理職だったはずです」
「普通の会社員ねぇ……」
長谷川が振り返って夢宮家を見る。
「その割には肝が据わってるし、法律も妙に熟知してる感じだったな」
「『聞かなかったことにしよう』って……」
湊が肩を震わせる。
「なかなかの名言だったぜ」
「笑うなよ」
長谷川が呆れる。
「だが――」
長谷川の顔が真剣になる。
「家族を守るためなら、あれくらい腹を括れるってことだろ」
「……そうね」
冴子も頷く。
「侮れないわ」
「ええ」
佐島も頷いた。
「侮れませんね」
「――少なくとも、俺はあのオヤジさんを敵に回したくないね」
湊が笑う。
その時だった。
冴子の通信機が鳴った。
『――こちら本部。緊急連絡です』
四人の表情が一変する。
『ファントム6、対象を発見。現在、対象と交戦中とのことです』
「……!」
冴子が目を見開く。
「場所は?」
『工場跡地です。詳細を送ります』
「了解」
通信を切る。
「急ぐわよ!」
冴子たちは一斉に走り出した。
その直後。
夢宮家の玄関。
「……?」
アリカは、スマートフォンの画面を見ていた。
「啓太さん……?」
そこには、啓太からの不在着信。
先ほど鳴っていたものだ。
アリカは首を傾げた。
「もしかして……今回のことかな?」
玄関を開ける。
その時だった。
外から、冴子たちの声が聞こえた。
「対象と交戦中です!」
「啓太さんが?」
アリカの顔から血の気が引いた。
「……啓太さんと、アガさんが戦ってる!?」
その声に――。
「アリカ?」
背後から声がした。
「……恵那?」
振り返る。
そこには、部活動を終えて帰宅途中だった恵那が立っていた。
「どうしたの?」
恵那はアリカの表情を見る。
いつもの明るさがない。
顔が青ざめている。
「……」
アリカは迷った。
夢宮家の秘密。
アガのこと。
家族で誰にも話さないと決めた。
だから、恵那にも言わなかった。
だが――。
「啓太さんが……」
アリカの声が震える。
「啓太さんが、アガさんと戦ってる……」
「……え?」
恵那の表情が変わった。
「アガさんって……」
「うん」
アリカは頷く。
「私たちが家で面倒を見ていた人」
「……」
恵那はしばらく黙っていた。
そして、静かにアリカを見る。
「何があったの?」
優しい声だった。
責める気配はない。
だからこそ――。
アリカは、すべてを話した。
アガが仲間を探して日本へ来たこと。
仲間を見つけたこと。
二人が重傷で、二人が亡くなっていたこと。
そして今朝、アガが夢宮家を出て行ったこと。
恵那は最後まで黙って聞いていた。
「……そうだったんだ」
「ごめん、恵那」
「どうして謝るの?」
「だって……隠してたから」
恵那は首を横に振った。
「アリカが言えなかった理由は、分かるよ」
そして、遠くを見る。
「でも……」
その声が少しだけ震えた。
「啓太くんが戦ってるなら……」
恵那はアリカを見る。
「行こう」
「……うん!」
二人は駆け出した。
向かう先は――。
啓太とアガが激突している、工場跡地。
そこでは今まさに――。
二人の運命を大きく変える戦いが、始まっていた。
――ゴォォォォォッ!!
倉庫内を、凄まじい風が吹き荒れた。
床に散らばっていた瓦礫が一斉に跳ね上がり、錆びついた鉄骨が悲鳴のような音を立てて軋む。
啓太は腕で顔を庇いながら、風の向こうに立つアガを睨みつけた。
「……何だ、この魔力は」
先ほどまでとは、明らかに違う。
空気そのものが重い。
呼吸をするだけで肺が押し潰されるようだった。
アガの周囲では、無数の風の精霊が渦を巻いている。精霊たちはただ舞っているのではない。互いに絡み合い、巨大な力の奔流となってアガの身体へ流れ込んでいた。
そして――。
アガの顔が、ゆっくりと変化していく。
人間の肌が黒く染まり、輪郭が歪む。鼻先が伸び、口元から鋭い牙が覗いた。
黒い狼。
獣の顔。
だが、その瞳には明確な知性が宿っていた。
理性を失ったのではない。
人間の意識を保ったまま、獣の力をその身に重ねている。
「……降霊術」
啓太が低く呟いた。
「知っているのか」
「アナタの仲間が使っていた」
啓太は拳を握り直す。
「自分の身体に霊的存在の力を宿す術……だったか」
「俺の降霊術は少し違う」
アガの声は変わらない。
しかし、その姿はすでに人間のものではなかった。
「我々の一族に伝わる降霊術は、守護精霊の力を宿す。そして、ただ力を借りるだけではない」
アガが一歩踏み出す。
――ズンッ!!
足元のコンクリートが陥没した。
たった一歩。
それだけで、床に蜘蛛の巣状の亀裂が走る。
「獣の力も、感覚も、身体能力も――すべて我が身に重ねる」
「……なるほど」
啓太は目を細めた。
「つまり、さっきよりさらに強くなるってわけか」
「そうだ」
アガが右手を開く。
瞬間、周囲の空気が爆発的に渦を巻いた。
風の精霊たちが一箇所へ集まり、圧縮されていく。空気が軋み、耳をつんざくような高音が倉庫内に響いた。
やがて、何もなかったアガの手の中に――。
一振りの巨大な曲刀が現れた。
「――!」
啓太の目が見開かれる。
刀身は通常の剣よりも遥かに大きい。
反りのある黒い刃。
その周囲を、無数の風が螺旋状に取り巻いている。
風の精霊たちは刀身へ吸い込まれているわけではない。
神器を中心に渦を巻き、その力を刃へと流し込んでいるのだ。
まるで、刀そのものが巨大な風の渦と化していた。
――ゴォォォォォッ!!
「神器……」
啓太が呟く。
肌が粟立つ。
これまで感じていたアガの力とは、明らかに次元が違う。
あの刃に触れれば、ただ斬られるだけでは済まない。
風圧だけで肉を裂かれる。
「我が一族に伝わる神器だ」
アガが曲刀を構える。
刃先が僅かに動いただけで、周囲の空気が鋭く震えた。
「この刃は、風の力を増幅する」
風圧に押され、床の瓦礫が一斉に後方へ吹き飛ぶ。
啓太は反射的に足を踏ん張った。
それでも身体が数センチ、後ろへ滑る。
「一度振るえば――」
アガが曲刀を、ほんの僅かに横へ動かした。
振ったようには見えなかった。
だが――。
――ズバァァァッ!!
次の瞬間、数十メートル先にあった鉄柱が真っ二つになった。
切断面から火花が散り、上半分が轟音を立てて崩れ落ちる。
「……!」
啓太の表情が変わった。
刀身は届いていない。
それでも斬った。
飛んできた風の刃が、鉄柱を一瞬で切断したのだ。
もし、今の一撃が自分へ向けられていたら。
避ける暇などなかった。
「これが……神器の力」
啓太は自分の拳を見る。
黒い魔力が、指の隙間から噴き出していた。
背後では、闇竜が翼を広げる。
巨大な翼が風を押し返し、倉庫内に黒い影を落とした。
「面白いな」
啓太の口元に、僅かな笑みが浮かぶ。
「それだけの力を持ってるなら、もっと早く使えばよかったんじゃないか?」
「……」
アガは答えない。
ただ、曲刀を握り直した。
柄を握る音が、風の轟音の中でもはっきりと響く。
「必要がなかった」
「必要がなかった?」
「お前を殺すだけなら、これほどの力は必要ないと思っていた」
啓太の眉が動く。
「……そうかよ」
啓太も姿勢を低くする。
黒い魔力が全身を覆い、筋肉の奥で力が膨れ上がっていく。
闇竜が巨大な翼を広げ、爪を床へ食い込ませた。
「なら――」
啓太が拳を握る。
拳の周囲で黒い魔力が渦を巻き、圧縮されていく。
「こっちも、出し惜しみはなしだ」
闇竜が低く唸る。
「グルルルル……!」
対する巨大狼も牙を剥いた。
その巨体から放たれる殺気だけで、周囲の瓦礫が震える。
両者の間で、凄まじい圧力がぶつかり合った。
だが――。
アガの瞳が、僅かに揺れた。
ほんの一瞬。
啓太が叫んだ言葉が脳裏をよぎる。
――俺は、あの人たちを殺していない。
――俺がもっと強ければ、救えたかもしれない。
あの言葉。
あの目。
少なくとも、嘘をついている人間の目には見えなかった。
「……」
アガは僅かに目を伏せる。
だが、すぐに顔を上げた。
「関係ない」
自分に言い聞かせるように呟く。
「こいつが何を言おうと――」
曲刀を構える。
刃の周囲で風が唸り、床の粉塵が渦を巻く。
「ナイズたちが戻るわけではない」
風が爆発した。
「ならば、俺は俺のやるべきことをする!」
「来い!」
啓太も踏み込む。
その瞬間――。
アガの姿が消えた。
「――!」
速い。
目で追えない。
風を纏った身体が、視界から一瞬で消失した。
啓太は反射的に身を沈める。
直後、頭上を巨大な曲刀が通過した。
――ズバァァァッ!!
刃が触れていないにもかかわらず、啓太の髪が数本、根元から切れた。
背後の壁が斜めに裂け、分厚いコンクリートが轟音とともに崩れ落ちる。
「右!」
啓太は叫びながら身体を捻った。
だが、遅い。
アガの姿が、すでに右側へ回り込んでいた。
曲刀が横薙ぎに迫る。
啓太は咄嗟に左腕を突き出し、黒い魔力を集中させた。
――ガギィィィン!!
刃と魔力が衝突する。
衝撃で啓太の身体が横へ吹き飛び、床を何度も跳ねた。
「ぐっ……!」
左腕が痺れる。
防いだはずなのに、骨の奥まで衝撃が響いていた。
啓太は転がりながら、無理やり身体を起こす。
その直後、目の前を風の刃が通過した。
――ズバッ!!
頬に浅い傷が走る。
血が一筋、床へ落ちた。
「……!」
啓太は息を呑む。
あと数センチ、反応が遅れていたら、首を斬られていた。
アガは止まらない。
曲刀を返し、今度は斜め下から斬り上げる。
啓太は後方へ跳んだ。
刃先が胸元を掠め、服と皮膚を同時に裂く。
熱い痛みが走った。
着地した瞬間、足元へ風の刃が突き刺さる。
――ドゴォン!!
床が爆ぜ、啓太の身体が宙へ跳ね上げられた。
「しまっ――!」
空中では避けられない。
アガが視界の端へ現れた。
曲刀が振り下ろされる。
啓太は咄嗟に両腕を交差させ、全身の魔力を一点へ集中した。
――ズガァァァン!!
衝撃が倉庫全体を揺らした。
啓太の身体が床へ叩きつけられ、コンクリートが大きく陥没する。
「グオオオオオ!」
闇竜が咆哮し、巨大な爪を振り下ろした。
巨大狼が正面から受け止める。
――ドゴォン!!
爪と牙が激突し、衝撃波が周囲へ広がった。
闇竜が狼の首へ噛みつこうとする。
だが、巨大狼は首を捻り、前脚の爪を闇竜の顔へ叩き込んだ。
――ザシュッ!!
黒い鱗が裂け、闇竜の頬から黒い魔力が飛び散る。
それでも闇竜は退かなかった。
翼を叩きつけ、巨大狼の巨体を横から吹き飛ばす。
狼は瓦礫の山へ突っ込み、鉄骨を何本もへし折りながら停止した。
だが、すぐに立ち上がる。
闇竜もまた、傷を負いながら翼を広げた。
「グルルルル……!」
「グオオオオオオッ!!」
二体は互いを睨み、再び地面を蹴った。
一方、啓太は陥没した床から這い上がった。
両腕が痺れている。
胸元から血が流れている。
呼吸も乱れていた。
だが、アガは無傷だった。
「……これが神器を使った降霊術……!」
啓太は荒い息を吐きながら、アガを見据える。
アガは静かに振り返った。
その顔は黒い狼。
だが、その瞳には人間の意思が宿っている。
「ここからが本番だ」
アガが曲刀を構える。
刃の周囲で風が渦巻き、空気が鋭く鳴った。
啓太も拳を構える。
傷ついた身体を、黒い魔力が再び覆っていく。
「……望むところだ」
闇竜が咆哮する。
「グオオオオオオオオッ!!」
巨大狼も応えるように吠えた。
「グルァァァァァァッ!!」
轟音。
風圧。
黒い魔力。
二体の巨大な守護精霊が、再び互いへ向かって駆け出す。
その足元で、瓦礫が砕け散った。
そして――。
啓太とアガも同時に地面を蹴った。
アガの姿が風に溶ける。
啓太の拳が黒い閃光を放つ。
次の瞬間。
倉庫内に、巨大な衝撃音が響き渡った。
ヴァンレイスファミリー本部。
薄暗い室内に、複数のモニターが並んでいた。
中央の画面に映し出されているのは、瓦礫の散乱する工場跡地。
その中で激突する二人の男と、二体の巨大な守護精霊だった。
「――ははっ!」
クレアが、子供のように無邪気な笑い声を上げた。
「あはは! すごいじゃないか! 何だよ、あれ!」
モニターの中では、啓太とアガが凄まじい速度でぶつかり合っていた。
拳と拳が衝突するたび、衝撃波が周囲の瓦礫を吹き飛ばす。
アガが風を纏って跳躍すれば、啓太はそれを追って地面を蹴る。
一瞬で数メートル。
次の瞬間には、十メートル以上。
常人の目では、二人の姿を追うことすら難しい。
そして、その背後では二体の巨大な守護精霊が激突していた。
漆黒の竜と巨大な狼。
牙と爪がぶつかる。
巨体が地面を踏み砕く。
咆哮が工場跡地全体を震わせる。
まるで巨大怪獣同士が殺し合っているかのような光景だった。
「グオオオオオオッ!!」
「ガァァァァァッ!!」
画面越しでさえ、その迫力は十分に伝わってくる。
クレアは身を乗り出し、両手を胸の前で組んだ。
「いやぁ、こいつは凄いねぇ」
声だけを聞けば、遊園地の見世物を楽しむ子供と変わらない。
だが、彼の視線は二人の動きではなく、画面の隅に表示された数値へ向けられていた。
魔力反応。
負傷状況。
攻撃の速度。
守護精霊の損耗率。
クレアはそれらを一つずつ確認しながら、楽しそうに笑っている。
画面の中で、啓太の頬が裂けた。
赤い血が飛び散る。
クレアの瞳が、嬉しそうに細められた。
「あっ、今の見た?」
誰に言うでもなく、彼は画面を指差す。
「あと少し深かったら、首まで届いてたよ。惜しいなぁ」
その言葉に、マウロが眼鏡の位置を直した。
「……よもや、あの異邦人があれ程の使い手とは」
これまでの情報から、アガが只者ではないことは分かっていた。
しかし、ここまでとは思っていなかった。
「実力者であるとは考えておりましたが……」
マウロはモニターを見つめる。
「私の予想を、大きく上回っております」
「だろ?」
クレアは笑った。
その笑顔は明るく、無邪気だった。
だからこそ、マウロは一瞬だけ視線を逸らした。
クレアは、画面の中で人間が血を流していることを気にしていない。
むしろ、その血が戦いを面白くする演出であるかのように眺めている。
「もっとやれ」
クレアが小さく呟いた。
「もっと見せてよ。どこまで壊せるのか、知りたいんだから」
その時だった。
モニターに映ったアガの姿を見て、イワンが首を傾げた。
「しかし……」
画面の中。
アガの手には、巨大な曲刀が握られている。
刀身には凄まじい風が渦巻き、周囲の風の精霊たちが吸い寄せられるように集まっていた。
「……あの曲刀は何ですか?」
イワンが指を差す。
「風の精霊が、あの刀に群がっていますよ」
「ああ?」
レオナルドもモニターへ顔を近づける。
「確かに妙だな」
その横から、ジョバンニが軽い口調で答えた。
「ありゃ神器の類いだな」
「神器?」
イワンが振り返る。
「何ですか、それ?」
「知らないのか?」
「知りませんよ」
「まあ、簡単に言えば――」
ジョバンニは肩をすくめた。
「精霊王が気まぐれに人間へ与える、とんでもなく凄いアイテムのことさ」
「気まぐれ……?」
「そういう伝承があるって話だ」
ジョバンニはモニターへ視線を戻す。
「噂じゃ、各国がこぞって神器の研究をしてるらしいぜ。どういう原理で生まれるのか、どういう条件で与えられるのか――いまだに分かってないことも多いらしい」
「へぇ……」
イワンが興味深そうに画面を見る。
「じゃあ、あれも?」
「おそらくな」
ジョバンニが答える。
「少なくとも、普通の武器じゃない」
アガが曲刀を振るった。
風の刃が工場の壁を斜めに切り裂く。
分厚いコンクリートが崩れ、画面が一瞬、土煙に覆われた。
「わぁ……」
クレアが嬉しそうに声を漏らした。
「綺麗だね」
レオナルドが振り返る。
「綺麗って……あれ、人間が巻き込まれたら死ぬぞ」
「だから綺麗なんじゃないか」
クレアは不思議そうに首を傾げた。
まるで、なぜ誰も同じ感想を抱かないのか理解できないという顔だった。
「力が大きいほど、壊れるものも大きい。見ていて飽きないよ」
レオナルドは黙り込んだ。
クレアは再び画面へ向き直る。
「だが、あんな神器は聞いたことがないぜ」
レオナルドが腕を組んだ。
「もし国に存在が知られれば、何としてでも手に入れたがるはずだ」
「だろうな」
ジョバンニは笑う。
「そんな代物を、あの兄ちゃんが持ってるってわけだ」
男たちの間に、しばし神器についての話が飛び交う。
その間も、クレアは画面から目を離さなかった。
彼が見ているのは、神器の価値ではない。
アガがその力を使いこなせるのか。
啓太はどの程度まで耐えられるのか。
どちらが、どの瞬間に限界を迎えるのか。
クレアは、二人の命を賭けた戦いを、実験結果を待つ研究者のように観察していた。
やがて、啓太が膝をつく。
クレアの口元が、ゆっくりと吊り上がった。
「……あ」
声が弾む。
「今、折れたかな?」
マウロが画面を確認する。
「左腕に損傷が見られます。骨に異常がある可能性も――」
「本当?」
クレアが振り返る。
その顔には、心配する様子など微塵もなかった。
「じゃあ、次は右腕を狙ってくれないかな。両方使えなくなったら、どんな顔をするんだろう」
「坊っちゃま」
マウロが低い声で制した。
「何だい?」
「……あまり、楽しみすぎるのも」
「どうして?」
クレアは本気で分からないというように瞬きをした。
「戦ってるんだよ? 殺すつもりで。だったら、殺されるところまで見届けるのが礼儀じゃないか」
無邪気な笑顔。
明るい声。
それなのに、言葉だけが異様に冷たかった。
クレアは、ふっと笑う。
「まあ、何にせよ」
全員の視線がクレアへ集まる。
「これで首領さまの要望はクリアできる」
「首領さまの要望……」
マウロが呟く。
今回、クレアたちに与えられた命令は単純だった。
――確かな実力を持つ人間を探し、天城啓太に当てがえ
それだけ。
その条件に、アガは十分すぎるほど当てはまっていた。
「アガが天城啓太に勝てれば、それで良し」
クレアはモニターを見る。
啓太とアガ。
二人は一歩も譲らず、激しい攻防を繰り広げている。
「でも――」
クレアの口元が愉快そうに歪む。
「もし負けたとしても、それはそれで構わない」
レオナルドが眉を上げる。
「どういうことだ?」
「簡単だよ」
クレアは指を一本立てた。
「アガみたいな確かな実力者が負けるほどの相手だってことだ」
そして、もう一本指を立てる。
「つまり――」
「天城啓太が、それだけ厄介な相手だという情報が手に入る」
マウロが静かに頷いた。
「一石二鳥、でございますな」
「一石二鳥?」
レオナルドが首を傾げる。
「何だそれ?」
するとイワンが苦笑した。
「日本のことわざですよ」
「へぇ?」
「一つの行動で、二つの利益を得る……という意味です」
「なるほど」
レオナルドが頷く。
「イタリアだと――」
イワンが少し考える。
「『一粒のソラ豆で二羽のハトを捕まえる』、という表現が近いでしょうか」
「へぇ……」
ジョバンニが感心したように呟く。
「国が違っても、考えることは似てるもんだな」
「ことわざって面白いですよね」
イワンが笑う。
クレアは二人の会話を聞きながら、画面の中で再び立ち上がる啓太を見つめていた。
そして、楽しそうに笑った。
「ふふっ……」
啓太の身体は傷だらけだった。
それでも、拳を握り直している。
アガもまた、曲刀を構えていた。
その姿を見たクレアは、まるでお気に入りの玩具が壊れずに動き続けていることを喜ぶ子供のように、目を輝かせた。
「まだ立つんだ」
嬉しそうな声だった。
「偉いねぇ。もっと頑張ってよ」
クレアはモニターへ顔を近づける。
「だって、どっちかが死ぬまで、終わらないんだろ?」
画面の中では――。
啓太とアガ。
闇竜と巨大狼。
二つの戦いが、さらに激しさを増していた。
「さあ……」
クレアの瞳が細くなる。
「どっちが勝つのかな?」
その声には、恐怖も緊張もない。
ただ、これから誰かが壊れる瞬間を待ち望む、純粋な好奇心だけがあった。
ヴァンレイスファミリーの誰一人として、この戦いを止めようとはしない。
彼らにとって、この戦いそのものが――。
新たな情報を手に入れるための、最高の観察対象だった。
そしてクレアにとっては――。
人間が限界まで追い詰められ、最後にどんな顔をするのかを確かめるための、最高の遊びだった。




