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003 【魂の選択】

 夢宮家。


 昨夜、行き倒れていた一人の青年を家へ連れ帰ったことで、夢宮家はちょっとした騒動になっていた。


 もっとも――。


「聞かなかったことにしよう!」


 アリカの父、夢宮トオルは、両手で頭を抱えながらそう叫んでいた。


 昨夜の出来事を思い返す。


 行き倒れていた青年。


 外国人らしい風貌。


 そして――。


 空を飛ぶ。


 普通なら警察に通報するべきだろう。


 いや、そもそも自分たちで保護すること自体が正しかったのか。


 しかも本人は、どうやら日本語が話せない。


 ――しかし。


 青年を気にかける雷鎌の姿。


 そして、青年から感じられた人の良さ。


 妻の、


『きっと悪い人じゃないわ』


 という一言。


 それらを前にして、トオルは決断した。


 ――見なかったことにしよう。


 もちろん、正しい判断ではない。


 それは本人も重々承知している。


 しかし。


 彼が必死になって探しているという「ナイズ」。


 その言葉を口にしたときの、青年の表情。


 どうしても放っておけなかった。


「……ああ……まさか……」


 トオルは天井を見上げる。


「行き倒れていたホームレスの青年が、このような秘密を抱えていたとは……」


 思えば、色々とおかしかった。


 日本に来て一週間。


 言葉も通じない。


 金もない。


 それなのに、空を飛んで海を渡ってきた。


「しかし……この青年が悪人ではないのも確かだ」


 トオルは拳を握る。


「仲間を探す彼のため……俺はあえて……あえて社会道徳をかなぐり捨てて、見て見ぬふりをしなければ!」


 拳を天井へ突き上げる。


「そうなのだ! これは『超法規的措置』!」


 誰も聞いていない。


「俺は彼のため、あえて! あえて見て見ぬふりをするのだ!」


 そこまで言って、トオルは頭を抱えた。


「あーっ! 最低だ最低だ! 俺はなんと最低な父親だ!」


 しばらく悩み。


「故郷の両親よ……美味しいご飯を作ってくれる女房よ……可愛い娘と息子よ……」


 そして――。


「この夢宮トオルの魂の選択を、笑わば笑え!」


 拳を握り締める。


「……聞かなかったことにしよう!」


 結局、アガはしばらく夢宮家で面倒を見ることになった。


 ――そして翌日。


「根性――っ!」


 庭先で、アリカが両腕を広げていた。


 その周囲を風が渦巻いている。


 足元の砂が舞い上がり、木の葉が空へ吸い込まれていく。


 しかし――。


「うー……」


 アリカの身体は、微動だにしない。


「全然うまくいかないよー!」


 その様子を見ていたアガが首を傾げる。


『飛ぶの、難しい。アガもたくさん練習したヨ』


 翻訳機から流れる声。


「でもコツとかないんですか?」


 アリカが尋ねる。


 アガは少し考えた。


「……風が……教えて……くれる」


 今度は自分の口から、たどたどしい日本語が出た。


「え?」


 恵が目を丸くする。


「アガさん、本当に言葉覚えるの早いね」


『音で覚えるのがコツだヨ。それも風の精霊が教えてくれる』


 翻訳機から流れる言葉に、恵がアリカを見る。


「だってさ。アリカも風に教われば?」


「無茶言わないの!」


 アリカが頬を膨らませる。


「私は最近精霊使いになったばかりなんだからね!」


 するとアガはアリカの足元にいる守護精霊――雷鎌を見る。


 雷鎌はアガの周囲をくるくると飛び回った。


『アリカ、才能ある』


「え?」


『風の精霊に愛されてるヨ』


 アリカの表情が明るくなる。


「本当!?」


 しかし、アガは続けた。


『その守護精霊も、アリカが好きって言ってる』


「えっ!?」


 雷鎌が、


「キュイッ!」


 と鳴く。


 アリカが驚いて雷鎌を見る。


「アガさん、雷鎌の言葉がわかるの?」


『わかる』


「じゃあ、この子なんて言ってるの?」


 アガは雷鎌を見つめた。


 そして――。


「……違うヨ」


「?」


 アガは少しだけ眉を下げた。


「名前……らいれん、違う」


「え?」


「前の……契約者……」


 アガの声が止まる。


 代わりに翻訳機が言葉を続けた。


『前の契約者、悪いやつ。雷鎌って呼ばれると、思い出しちゃう』


「……」


 アリカは黙って雷鎌を見る。


 雷鎌も、どこか寂しそうにアリカを見つめていた。


「……そっか」


 アリカはしゃがみ込む。


 そして、雷鎌の頭をそっと撫でた。


「じゃあ……私が名前をつけてあげる」


 雷鎌が顔を上げる。


 アリカは少し考えた。


「……ハヤテ」


「キュイ?」


「あなたの名前は、ハヤテ」


 雷鎌は一瞬、動きを止めた。


 次の瞬間。


「キュイィィッ!」


 嬉しそうに鳴きながら、アリカの周囲を高速で飛び回る。


「わっ! ちょ、ちょっとハヤテ!」


 アリカが笑う。


 その光景を見ていた恵が、ぽつり。


「アリカにしては良い名前つけたじゃん」


「一言余計だよ!」


 アガが二人を見る。


「ハヤテ……意味、何?」


「強い風って意味だよ」


「……」


 アガは無表情のまま、微笑んだ。


「良い名だ」


 その言葉に、アリカも笑った。


 ――風が、三人の間を静かに吹き抜けた。


⸻


石川県・港町


 一方。


 精霊庁の捜査車両が、港湾地区を走っていた。


「防犯カメラの映像で、対象はここから日本へ入ったことが判明しているわ」


 冴子がタブレットを操作する。


 映像には、夜の海。


 そして――。


 港の埠頭へ降り立つ、一つの人影。


 人間とは思えないほど軽やかに。


 まるで風そのものが地面へ降りたかのように。


「暗くて顔がよくわかんねえな」


 湊が画面を覗き込む。


「そうね」


 冴子は啓太を見る。


「……啓太。これから何をするべきかわかる?」


「聞き込みをして対象の情報を集める。それと、他の防犯カメラに対象の顔がはっきり映っているものがないか探します」


「いいわ」


 冴子が頷く。


「啓太は湊と行動。私は地元警察へ行って協力要請をしてくるわ」


「了解」


「了解っと」


 三人はそれぞれの方向へ散った。


⸻


 それから数時間。


 港。


 駅。


 商店街。


 コンビニ。


 ホテル。


 ありとあらゆる場所で聞き込みを行った。


 しかし――。


「何も出ねえな」


 湊が頭を掻く。


「手当たり次第に聞き込みしても埒があかねえ」


 啓太も頷いた。


「確かに」


「こういう時はな」


 湊がニヤリと笑う。


「情報が集まる場所に行くのが鉄則ってな」


「?」


 啓太が首を傾げた。


⸻


「かんぱーい!」


「……」


 店内。


 湊がビールを一気に飲み干す。


「いやぁー! 仕事終わりの一杯は最高だねぇ!」


「まだ仕事中ですよ」


 啓太は烏龍茶を一口飲んだ。


 そこへホステスが近づいてくる。


「きゃー、湊ちゃん、良い飲みっぷりー」


「だろ? 俺、酒には強いんだぜ」


 啓太は小さくため息をつく。


「……本当に情報収集なんですよね?」


「もちろん」


 湊は親指を立てる。


「こういう店には、表には出ない情報が集まるんだよ」


「なるほど……」


 少し納得してしまう啓太。


 そんな二人のところへ、別のホステスがやって来た。


「そういえば……外国の人?」


「そうそう」


 湊は端末に映った写真を見せた。


 夜間の映像。


 顔は不鮮明。


「この男なんだけど」


「ん~……見たことないわね」


 女性は画面を覗き込む。


 そして。


「あっ」


「ん?」


「そういえば……」


 女性が別の席にいた同僚へ声をかける。


「ねぇねぇ。前に外国の人に助けてもらったって言ってなかった?」


「え?」


「それって、この人?」


 写真を見せる。


 女性は目を見開いた。


「そうそう! この人よ!」


 湊の目が光る。


「その話、詳しく!」


 女性によると、数日前。


 街で外国人観光客に因縁をつけられ、連れて行かれそうになったところを、その青年に助けられたらしい。


「お礼にご飯をご馳走したんだけど――」


「それ、どこの店?」


「駅前のレストランよ。結構有名なチェーン店」


「他には?」


「言葉が通じなかったから、あまり話はできなかったけど……」


 女性は少し考える。


「あ」


「何?」


「『ナイズ』って言葉を何度も言ってたわ」


「ナイズ?」


 湊がスマートフォンを操作する。


 検索結果。


 モンゴル語――。


 найз。


 意味は、友人、仲間。


「……なるほど」


 湊の表情から、いつもの軽薄さが消えた。


「なあ、その男。悪い奴じゃなかったんだな?」


「ええ。むしろ、すごく優しかったわよ」


「そうか」


 湊は写真を見つめる。


「じゃあ、何で日本に来たんだ?」


 その疑問は、まだ誰にも答えられなかった。


「ところでお兄さんたち、この後――」


 ホステスが意味ありげに微笑む。


 湊もニヤリ。


「いやぁ、俺たちも仕事があるんだけど――」


「あら~?」


「その前に、ちょっと夜の街で――」


「あ゛?」


 低い声が背後から響いた。


 湊の顔が固まる。


 ゆっくり振り返る。


「……おやおや、姐さん」


 そこには腕を組んだ冴子。


「俺と遊びたいのかい?」


「……」


「いけねえぜ? 上司と部下のイケナイ関係なんて――」


 次の瞬間。


「何バカなこと言ってんのよ!」


「ぐえっ!」


 冴子に胸倉を掴まれた。


「アンタ、啓太をこんな店に連れてきて、いったい何考えてるの!」


「ね、姐さん! 誤解だ!」


「何が誤解よ!」


「本当に情報収集なんだって!」


「だったら最初からそう言いなさい!」


「だから今言ってるじゃん!」


 しばしの攻防。


 ようやく冴子が手を離す。


「……で?」


 湊は咳き込みながら、先ほどの情報を説明した。


「そのレストランに行けば、防犯カメラに奴さんの姿が映ってる可能性が高い」


「なるほどね」


 冴子は頷く。


「アンタがちゃんと仕事をしていたことは認めるわ」


 湊がホッとする。


「この際、啓太をこういう店に連れてきたことも水に流してあげる」


「ありがとうございます姐さん!」


「けど」


 冴子が笑顔になる。


「ホステスをお持ち帰りしようとしてたのは、別の話よね?」


「……」


 湊は遠い目をした。


「……はい」


 この後。


 湊はたっぷりと叱られた


――その夜


夜の街を、一陣の風が駆け抜けていく。


その風に乗って、アガは夜空を飛んでいた。


目を閉じ、風に意識を集中する。


街の喧騒。

車の音。

人々の声。


その全てを風から感じ取る。


そして――。


「……」


アガが目を開いた。


何かを感じた。


微かな気配。


懐かしい。


忘れるはずのない、仲間の気配。


「……ナイズ」


アガは進路を変えた。


風を操り、気配のする場所へ向かっていく。


やがて眼下に大きな建物が見えてきた。


――病院。


アガは屋上へ静かに降り立つ。


周囲を見渡す。


「……ここか」


風を通して、建物の内部を探る。


人の気配が無数にある。


だが、その中に確かに感じる。


仲間の気配が二つ。


「……いる」


アガは建物の中へ入った。


⸻


しばらくして。


廊下を歩くアガの前に、一つの表示が目に入る。


『ICU』


その先にある病室。


アガは足を止めた。


そして、ゆっくりと中を覗く。


「……!」


そこにいたのは――二人の男だった。


ベッドに横たわり、全身を包帯で覆われている。


人工呼吸器。

点滴。

心電図。


意識はない。


それでも――。


「……ナイズ」


間違いない。


仲間だった。


アガは病室へ入る。


ベッドの脇まで歩み寄り、二人の顔を見る。


「どうして……」


声が震える。


「何があった……」


返事はない。


アガは目を閉じる。


そして、周囲を流れる風に意識を集中させた。


風が教えてくれる。


この場所に残された気配。


複数の人間。


戦いの痕跡。


そして――。


もう一つ。


二人にはない、仲間二人の気配。


アガの表情が曇る。


「……」


しばらく黙り込んだ。


やがて、静かに呟く。


「……そうか」


仲間は四人。


ここにいるのは二人。


残る二人は――もういない。


アガは拳を握り締めた。


「……お前たちに、何があった」


怒りが込み上げる。


しかし、叫びはしない。


ただ静かに、二人を見つめる。


「待っていろ、ナイズ」


その声には、強い決意が込められていた。


「お前たちを傷つけた奴を……俺が探す」


その瞬間。


――カチッ。


病室の隅にある防犯カメラの赤いランプが点滅する。


アガは気づかない。


病院の防犯カメラは、ただいつも通り病室周辺を記録しているだけだった。


アガは窓へ向かう。


風が身体を包む。


「……必ず見つける」


そして、その身体は夜空へと舞い上がった。


⸻


翌朝。


病院の防犯担当者が、夜間の録画映像を確認していた。


「……ん?」


画面に、一瞬だけ妙な人影が映っている。


「なんだ、これ?」


拡大する。


そこには、病室へ入っていく一人の男。


顔も映っている。


しかし――。


「……外国人?」


担当者は首を傾げた。


そして、その映像は何気なく保存された。


この時点では、誰も知らない。


この男が、前日に精霊庁が追っていた「日本海を飛行して入国した謎の精霊使い」と同一人物であることを。


ましてや――。


彼が、この病室で眠っている二人の男の仲間であることなど。


もちろん、精霊庁もまだ知らない。


ただ一つ。


この夜、アガと精霊庁の捜査線が、ほんの僅かに交差した。


それだけだった

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