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001 【プロローグ】

プロローグ


闇の精霊とは何か


 ――闇の精霊とは、何なのだろうか。


 精霊とは、自然に寄り添う存在である。


 人は己の魔力を媒介とし、精霊の力を借りる。


 火の精霊ならば、火を。


 水の精霊ならば、水を。


 風の精霊ならば、風を。


 土の精霊ならば、土を。


 光の精霊ならば、光を。


 それぞれが、この世界に存在する自然現象と結びついている。


 火には熱がある。


 水には流れがある。


 風には力がある。


 土には大地がある。


 光には光そのものがある。


 では。


 闇には、何がある?


 影のことか。


 夜のことか。


 あるいは――それらとはまったく異なる、何かなのか。


 火、水、風、土、光。


 それらには、明確な力が存在する。


 だが。


 闇は違う。


 光が消えた場所。


 何も存在しない空間。


 そう考えることもできる。


 しかし。


 もし闇の精霊が存在するのなら。


 そこには必ず。


 何らかの力があり。


 存在する意味があるはずだ。


 なぜなら。


 精霊とは、自然に寄り添う存在なのだから――。


     ◇


 男は。


 日本の街並みを見上げていた。


「……」


 高い。


 とにかく、高かった。


 どこまでも続く巨大な建物。


 硬く固められた道路。


 途切れることなく走る鉄の箱。


 男の生まれ育った土地とは、何もかもが違う。


 果てしなく続く草原。


 地平線の向こうまで見渡せる大地。


 家畜の群れ。


 吹き抜ける風。


 それが。


 男にとっての世界だった。


 だが、今いる場所は違う。


 地面は硬く。


 建物は空へ向かって伸び。


 人間はあまりにも多く。


 誰もが理解できない言葉を話している。


「……ナイズ」


 男は小さく呟いた。


 ここへ来てから、一週間。


 ほとんど何も食べていない。


 水はどうにか手に入る。


 しかし。


 金を持たない彼には、食料を買うことができなかった。


 人に尋ねようにも。


 言葉が通じない。


「……」


 それでも。


 探さなければならない。


 風が吹く。


 男は、ゆっくりと顔を上げた。


 建物の隙間を。


 一本の風が吹き抜けていく。


「……こっちか」


 風に答えるように。


 男は歩き出した。


 なぜ、自分が風を頼りにしているのか。


 自分でも分からない。


 だが。


 何かを探すとき。


 迷ったとき。


 いつだって風が道を教えてくれた。


 故郷でも。


 ここ日本でも。


 だから。


 男は歩く。


 ただ。


 ひたすらに。


 ――ナイズを探して。


     ◇


 河川敷の高架下。


 轟音が響いた。


 男は目を覚ます。


 頭上を、巨大な鉄の塊が走り抜けていった。


「……」


 電車。


 この国に来てから覚えた言葉だ。


 あまりにも巨大な乗り物。


 初めて見たときは、巨大な獣か何かだと思った。


 今でも。


 慣れることはない。


 男は、ゆっくりと身体を起こした。


 身体が重い。


 腹が減っている。


 喉も渇いている。


 近くの川へと近づき。


 手で水をすくい上げる。


 冷たい水を飲み込んだ。


「……」


 空腹が消えることはない。


 それでも。


 立ち上がる。


 今日も。


 風が吹いている。


 だから。


 歩かなければならない。


 風に導かれるまま。


 街の中を。


 ふらふらと歩いていく。


 すれ違う人々が、男を見る。


 汚れた服。


 疲れ切った顔。


 どこか異質な雰囲気。


 男のことを。


 警戒する者もいた。


 そのとき。


「グルルルル……!」


 近くから、犬の唸り声が聞こえた。


 散歩中だった大型犬が。


 男に向かって牙を剥いている。


 男は立ち止まった。


 犬を見る。


「……」


 犬と。


 男の視線が重なった。


「グルル――」


 その瞬間。


 犬の唸り声が止まった。


 男の身体から。


 何かを感じ取ったのだろうか。


 犬は。


 ゆっくりと。


 その場に伏せた。


 尻尾を巻き込み。


 男から目を逸らす。


 恐れている。


 明らかに。


「……悪いな」


 男は。


 犬の横を通り過ぎる。


 そして。


 再び歩き出した。


 だが。


 もう。


 限界だった。


「……ナイズ……」


 足が止まる。


 視界が。


 大きく揺れた。


「……俺の……」


 一歩。


 足を前に出す。


 だが。


 次の一歩が。


 出ない。


「……ナイズを……」


 身体から力が抜ける。


 世界が。


 ゆっくりと傾いていく。


 そして。


 ――ドサリ。


 男は地面へ倒れ込んだ。


「……ナイズ……」


 男の視界が。


 ゆっくりと閉じていく。


「……どこだ……」


 そのとき。


 何かが近づいてきた。


 ――ペシッ。


「……」


 頬を叩かれる。


 ――ペシペシッ。


 今度は。


 顔を舐められた。


「……っ」


 男が僅かに目を開ける。


 視界に映ったのは。


 小さな影だった。


 それは。


 犬でも。


 人間でもない。


「……?」


 ――ペシッ。


「雷鎌! 変な物を食べようとしちゃダメ!」


 突然。


 少女の声が響いた。


「……って、きゃああああっ!?」


 大きな悲鳴。


「人が倒れてるーっ!?」


「アリカ、うるさいよ」


 別の声。


「だって恵! 人が! 人が倒れてるの!」


「……」


 少しの沈黙。


「……本当だ」


「ママーっ! 大変! 人が行き倒れてるーっ!」


「だから、うるさいって」


 男の視界に。


 一人の少女が飛び込んできた。


「えっ! 大丈夫ですか!?」


「……」


 男は。


 少女を見た。


 そして。


 最後の力を振り絞る。


「……俺の……」


「え?」


「……ナイズを……」


 少女の顔が。


 心配そうに歪む。


「……知らないか……」


「ナイズ?」


 それだけを言い残して。


 男の意識は。


 完全に。


 闇の中へ沈んでいった。


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