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010 【首領の命令】



 呼び出されたクレアが部屋へ入ると、すでに一人の男がそこに座っていた。


 阿比留。


 日本最大級の極道組織を束ねる男は、畳の上に正座し、歯をガチガチと鳴らしていた。


 対照的に、クレアは気だるそうに足を伸ばし、退屈そうに天井を見上げている。


 部屋の上座には、大きなディスプレイが設置されていた。


 そこに映し出されているのは、ただ一言。


 《SOUND ONLY》


 姿は見えない。


 だが、その声の主が誰なのかは、この場にいる全員が理解していた。


『組織内で争うのは、感心しないな』


「も、申し訳ありません! 首領様!」


 阿比留が畳に額を擦りつける。


 その声は怯え切っていた。


 クレアは肩をすくめる。


「僕は喧嘩なんてしてないよ。ただ――噛みついたら噛みつき返されるってことを、教えてあげただけさ」


『……これ以上の争いは許さん』


 静かな声。


 だが、阿比留の肩が大きく震えた。


『阿比留。クレアをボスと認めるな?』


「お、おっしゃる通りに!」


『クレアも、それで良いな?』


「わかったよ」


『話は以上だ』


 阿比留は立ち上がろうとして、足をもつれさせた。


 それでも必死に体勢を立て直し、逃げるように部屋を出ていく。


 扉が閉まる。


 部屋にはクレアとマウロだけが残された。


『クレア』


「なに?」


『今回の一件で、天城家の末っ子が絡んできたらしいな』


「天城? 誰さ、それ」


「坊っちゃま!」


 マウロが思わず声を荒げる。


「首領様が以前から気にしている一族です!」


「あぁ……」


 クレアはようやく思い出したように頷いた。


「なんだっけ。神代って家の娘を守ってるヤツだよね?」


『その通りだ』


 ディスプレイの向こうから、低い声が響く。


『クレア。我々には、神代の血がどうしても必要だ』


 クレアの目が細められる。


『だが、天城家をどうにかしない限り、それは叶わないだろう』


「へぇ」


 クレアは少しだけ身を乗り出した。


「その天城っていうのは、そんなに厄介なんだ?」


『……』


 返答はない。


 その沈黙が、何よりも答えだった。


「いいよ」


 クレアは口元を歪めた。


「他でもない首領様の頼みだ。それに――」


 その瞳に、愉悦の光が宿る。


「ソイツには借りもできたことだしね」


「お待ちください!」


 マウロが一歩前に出る。


「天城家は、日本屈指の精霊使いの家系と聞いております! 今の坊っちゃまにそれをどうにかしろというのは――」


「黙れよ、マウロ」


「……」


 空気が凍りついた。


 クレアはゆっくりと振り返る。


「僕はヴァンレイスファミリーのボスだ」


 瞳には笑みがあった。


 だが、その奥にあるものは狂気だった。


「才能はパパ以上。そう言って、他でもない首領様が僕を認めてる」


 一歩。


「それを、たかだか極東の小さな島国の」


 もう一歩。


「いち家族に及ばないとでも言うつもりか?」


「坊っちゃま」


 マウロは怯まなかった。


「才能の優劣だけで物事が決まるなどと思い上がるのは、世の中を知らない証拠でございます」


「何だと!」


『やめよ』


 その一言で、二人の動きが止まった。


 沈黙。


『マウロ』


「はっ」


『ファミリーの相談役であるソナタの意見はもっともだ』


「ありがとうございます――」


『しかしながら』


 声が続く。


『組織の意向も無視してもらっては困る』


「……」


『であるならば、確かな実力者をあてがい、その結果を持って今後の方針を定めるものとする』


 クレアが眉をひそめる。


「そんなヤツ、どこにいるのさ」


『それは、そちらで決めれば良い』


「……はぁ」


 クレアは深々とため息を吐いた。


「わかりましたよ、首領様」


『頼んだぞ』


 通信が切断される。


 ディスプレイから《SOUND ONLY》の文字が消えた。


 マウロは呆れたように息を吐く。


「坊っちゃま。いくら首領様の覚えがめでたいからと、あのような態度はいかがなものかと」


「そんなことより」


 クレアは立ち上がった。


「早く“確かな実力者”ってのを探せよ」


「……はぁ」


 マウロは、もう一度ため息を吐いた。


 クレアは部屋の出口へ向かう。


「極東の島国まで来て、やることが女のガキ一人を攫うことなんて、つまらないと思ってたけど」


 扉を開く。


 その表情には、子供のような笑顔が浮かんでいた。


「案外、楽しめそうじゃんか」


 まるで。


 新しいおもちゃを手に入れた子供のような笑顔だった。


⸻


百鬼夜行終結後


 昨日発生した百鬼夜行。


 その騒動が終結し、精霊庁による事情聴取が終わったのは、すでに明け方だった。


「本当に、ご迷惑をおかけしました」


 アリカの両親が深く頭を下げる。


「いいえ」


 長谷川は柔らかく笑った。


「むしろ、娘さんのおかげで沢山の命が救われました」


 アリカを見る。


「そのことは、ちゃんと褒めてあげてください」


「……はい!」


 アリカの両親が笑った。


 アリカも、少し照れくさそうに笑う。


 その様子を見た長谷川は頷いた。


「それでは、私はまだ仕事がありますので」


 そう言って、庁舎へ戻ろうとする。


 だが途中で、


「そうだ」


 と思い出したように振り返った。


「嬢ちゃんたち四人には、後で感謝状がもらえるように、上に言っておくから!」


「え!?」


 アリカの目が見開かれる。


「感謝状!?」


「すごい!」


「楽しみに待っててくれよな!」


「はい!」


 長谷川は笑いながら手を振った。


 そして庁舎へ戻っていく。


 アズサとトモエは二人より早く事情聴取を終え、すでに家族の元へ帰っていた。


 恵那とアリカだけが最後まで残ったのは、精霊使いとして戦闘に参加していたからだ。


 後々、問題にならないように書類を作成する必要があった。


「それじゃあ、帰りましょうか」


 アリカの母が言う。


「恵那ちゃんも車に乗りなさい。家まで送るから」


「いえ」


 恵那は微笑んだ。


「私は大丈夫です」


「恵那ちゃん?」


「ちょっと歩きたい気分なの」


 アリカの父が少し考える。


「そうなのかい? まあ、恵那ちゃんはアリカよりしっかりしているから大丈夫だとは思うけど」


「何よ、それ!」


 アリカが抗議する。


「ひっどーい!」


「うるさいよ、アリカ」


 恵那が苦笑する。


「早朝なんだから、大声出さないでよ」


「あっ」


 アリカは慌てて自分の口を塞いだ。


 その姿に、恵那は少し笑う。


「それじゃあ、ここで失礼します」


「あ、うん!」


 アリカが手を振る。


「恵那ちゃん、気をつけて帰ってね!」


「うん。また学校で」


 二人は手を振り合った。


 そして。


 それぞれの家へと帰っていった。


⸻


早朝の街


 まだ、人の少ない街。


 朝日が昇り始めている。


 恵那は一人で歩いていた。


「昨日はね」


 誰かに話しかけるように。


「沢山の人を助けたんだよ」


 誰もいない。


 けれど、恵那は話し続けた。


「精霊庁の刑事さんが、私たちに感謝状もくれるって言ってたんだ」


 返事はない。


 当然だ。


「ねぇ……」


 恵那は足を止める。


「褒めてよ」


 静かな声。


 それは。


 全て独り言だった。


「パパ、ママ……」


 唇が震える。


「私、頑張ったんだよ」


 胸の奥が、苦しくなる。


 アリカの両親。


 娘を心配し。


 娘を叱り。


 そして最後には、誇らしそうに笑っていた。


 その光景が、頭から離れなかった。


 声を上げて泣きたかった。


 けれど。


 泣いたら、もう二度と止まれなくなりそうだった。


 だから恵那は。


 必死に泣くのを我慢した。


「よく頑張ったな」


 不意に。


 頭の上へ、温かい手が置かれた。


「……っ」


 恵那が振り返る。


「啓太くん……」


 そこには。


 啓太がいた。


「ケンさんから聞いたよ」


 恵那を見つめる。


「大活躍だったって」


 恵那は首を横に振った。


 けれど次の瞬間。


 我慢していたものが、限界を迎えた。


「……っ」


 恵那は啓太の胸へ顔を押し当てた。


「恵那?」


「……」


「……そっか」


 啓太は何も聞かなかった。


 ただ。


 優しく。


 恵那の頭を撫でた。


「あそこにいた人たちは」


 恵那の背中が震える。


「恵那たちが頑張ってくれたから、家族のところへ帰ることができたんだ」


 何度も。


 何度も。


 頭を撫でる。


「本当によく頑張った」


 啓太は少し笑った。


「偉いぞ。恵那」


「……」


 顔は見えない。


 けれど。


 震える背中が、すべてを物語っていた。


 啓太は何も言わなかった。


 ただ。


 恵那が泣き止むまで。


 ずっと、その場にいた。


⸻



 しばらくして。


 恵那が顔を上げた。


「巫女様、きっとすごく心配してる」


 目元は少し赤い。


 啓太は微苦笑した。


「姉さまが事情を話してるから、大丈夫だって」


「……それなら、いい……のかな?」


「たぶん」


「たぶん?」


「巫女様なら怒ってても笑ってそうだから」


 恵那が小さく笑った。


 二人は並んで歩く。


 やがて。


 近くの駐車場へ辿り着いた。


 啓太はバイクのそばまで歩く。


「はい」


 恵那へヘルメットを差し出した。


「恵那」


「……送ってくれるの?」


 恵那がヘルメットを受け取る。


「いや」


「?」


 恵那が小首を傾げる。


 その仕草に。


 啓太は一瞬だけ、目を逸らした。


「帰るんだよ」


「……?」


「精霊殿のみんなも」


 啓太は恵那を見る。


「恵那の大切な家族だと思う」


「……うん」


「でもさ」


 少し照れくさそうに。


「天城家も、恵那の家族だろ」


 恵那の目が見開かれた。


「……」


「……嫌だった?」


 その言葉に。


 恵那は何度も首を横に振る。


「違う」


 ぎゅっと。


 ヘルメットを抱きしめる。


「嬉しいの」


 少し潤んだ瞳。


「……すごく」


 啓太は一瞬、言葉を失った。


 そして。


「じゃあ」


 バイクに跨る。


 恵那へ手を差し出した。


「帰ろう」


 恵那がその手を取る。


「俺たちの家に」


 その言葉を聞いた瞬間。


 恵那は、少しだけ強く。


 啓太の手を握った。


「……うん」


 そしてバイクの後ろに乗る。


 ヘルメットを被り。


 啓太の背中へ腕を回した。


「啓太くん」


「ん?」


「もう少し、ゆっくり走って」


「どうして?」


「……」


 少し間があった。


「……まだ、帰る時間を楽しんでいたいから」


「……っ」


 啓太が固まる。


 恵那はヘルメットの中で、少しだけ笑った。


「どうしたの?」


「……いや」


 何故か冷や汗をかきながら、啓太がエンジンをかける。


「安全運転、心掛けます」


「ふふっ」


 バイクが走り出す。


 朝日が。


 二人の進む道を照らしていた。


 こうして。


 長い一夜は終わった。


 しかし。


 神代の血を狙う者たちは、すでに。


 天城啓太と、その背後にある天城家へ目を向け始めていた。


⸻


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