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006 【決定的な違和感】



「どういうことですか、課長!」


 精霊庁刑事部。


 室内に、長谷川の怒声が響いた。


「夢宮アリカを逮捕する方針を固めたって……」


 その目が鋭くなる。


「確たる証拠もないのに、彼女を犯人と決めつけるんですか!」


 課長は、長谷川を冷静な目で見返した。


「状況証拠は揃っている」


「状況証拠だけでしょう!」


「それに」


 課長は資料を机に置いた。


「彼女が精霊庁にマークされた直後から、事件が止んだ」


「だから何だ!」


 長谷川が机を叩く。


「警察や精霊庁がパトロールを強化したからだろうが!」


「可能性の話だ」


「可能性だけで中学生を逮捕するのかよ!」


 長谷川の言葉に。


 一瞬だけ。


 室内が静まった。


 だが。


 課長の決定は覆らなかった。


「夢宮アリカに対する逮捕状請求の準備に入る」


「……」


 長谷川は、拳を握り締めた。


「俺は」


 低い声。


「こんなの認めませんからね」


「何処へ行く、長谷川!」


 背を向けた長谷川に、課長の声が飛ぶ。


「逮捕状請求の準備をせんか!」


「知るか、そんなもん!」


 長谷川は振り返る。


「行くぞ、佐島!」


「えっ!?」


 突然、呼ばれた佐島が自分を指差す。


「ぼ、僕もですか!?」


「お前もだ!」


「いや、でも……」


 佐島は課長を見る。


 そして。


 長谷川を見る。


「……行きます」


「よし」


 二人は部屋を飛び出した。


「長谷川ァ!」


 背後から。


 課長の怒号が飛ぶ。


⸻



 車内。


 長谷川は。


 ずっと機嫌が悪かった。


「……」


「……」


 隣に座る佐島も。


 何となく。


 話しかけづらい。


 しかし。


 いつまでも黙っているわけにもいかない。


「先輩」


「あ?」


「まずくありませんか?」


「何がだ」


「上に楯突いたことです」


「うるせえ」


 即答だった。


「じゃあ、お前はあの子に言えるのか?」


「……」


「証拠はありません」


 長谷川は吐き捨てる。


「でも逮捕しますって」


「それは……」


 言えない。


 佐島は。


 あの少女の顔を思い出した。


 夢宮アリカ。


 自分が何を疑われているのかも分からず。


 それでも。


 必死に。


 自分は何もしていないと訴えていた。


「でも」


 佐島が言う。


「このままじゃ、本当に彼女が犯人にされちゃいますよ」


「……ああ」


 長谷川は時計を見た。


 逮捕状の請求。


 審査。


 発付。


 これまでの時間を。


 自分の経験から逆算する。


「早くて、日が沈むまでか」


「どうするんですか?」


 長谷川が言った。


「行き先変更だ」


「どこへ?」


「魔捜研だよ」


「魔術捜査研究所?」


「ああ」


 佐島がハンドルを切った。


 夢宮アリカを救う。


 そのために。


 まだ。


 確かめなければならないことがある。


⸻



 魔術捜査研究所。


 通称。


 魔捜研。


 魔術的な証拠の鑑定。


 精霊術の痕跡。


 呪術や妖気などの分析。


 精霊庁の捜査を科学と魔術の両面から支える研究機関だった。


 その受付で。


「だから、こっちは急いでいるんだよ!」


「ですから、順番を守ってください!」


 長谷川と受付職員が。


 盛大に揉めていた。


「この事件の鑑識結果は、あと一週間待っていただかないと!」


「そんなに待てないんだよ!」


 長谷川が怒鳴る。


「今日中に調べないと、中学生の女の子が無実の罪で逮捕されるかもしれないんだ!」


「だからって、何で警察のいざこざにこっちを巻き込むんですか!」


「お前じゃ話にならねえ! 上の者を呼んでこい!」


「そんなことできる訳ないでしょう!」


 佐島が。


 そっと目を逸らす。


「アンタ、いい加減にしないと通報しますよ!」


「やってみろ!」


「ケンちゃん?」


「…………」


 突然。


 長谷川の動きが止まった。


 振り返る。


「どうしたの?」


 そこには。


 白衣を着た女性が立っていた。


「大きな声を出して」


「……」


 長谷川の表情が変わる。


「ご無沙汰しています、美和さん」


「所長!」


 受付職員が、女性を見た。


「聞いてくださいよ! この人ったら――」


 事情が説明される。


 話を聞き終えた美和は。


「あらあら」


 困ったように笑った。


「まぁまぁ」


 そして。


「……ケンちゃん?」


「は、はいっ!」


 長谷川の背筋が伸びた。


「事情は分かったけど」


 美和は微笑む。


「受付の子を脅かすのは良くないわ」


「いや、別に脅かしてた訳じゃ――」


「言い訳より先に」


 美和が笑う。


「言うことがあるんじゃない?」


 おっとりとした声。


 優しそうな表情。


 なのに。


 何故か。


 怖い。


「……」


 長谷川が受付を見る。


「…………」


「…………」


「大変申し訳ありませんでしたぁぁぁぁっ!」


 ものすごい勢いで頭を下げた。


「!?」


 佐島と受付職員が。


 同時に驚いた。


⸻




 応接室。


「まったく」


 美和が頬を膨らませた。


「急ぎの時は、来る前に連絡をくれれば頑張って対応するって、前にも言ったじゃない」


「切羽詰まっていたもので……つい」


「まったく」


 美和はため息を吐く。


「啓太くんといい、アナタといい。本当に急なんだから」


「え?」


 長谷川が顔を上げた。


「啓太ですか?」


「……」


 美和が。


 何かを言いかけて。


 ため息を吐いた。


「まぁ、いいわ」


 少しだけ表情を改める。


「人手不足で大変なのは、綾香ちゃんから聞いていたし」


 そして。


「今回の件は、玲司くんの責任でもあるのだから」


「……」


「ここは」


 美和が笑った。


「母親である私が人肌脱ぎましょう」


「本当ですか!?」


「ええ」


「恩に着ます!」


「ただし」


 美和は立ち上がった。


「今回は特別よ」


 白衣を整える。


「ケンちゃんが、あの子は犯人じゃないって信じてるなら」


 その目が。


 少しだけ真剣になる。


「私も、できる限りのことをするわ」


「……美和さん」


「さあ」


 美和は歩き出した。


「行きましょうか」


 夢宮アリカの運命を左右する。


 再鑑定が。


 始まろうとしていた。


⸻



 その少し前。


 精霊庁捜査本部。


「冴子さん」


 啓太が、資料を見ながら言った。


「何?」


「資金が潤沢なヴァンレイスファミリーが、わざわざ債務譲渡を行うのって、変じゃないですか?」


「そうね」


 冴子も資料を見る。


「しかも、どれもこれも返済できる可能性が低いものばかり」


「はい」


 啓太が頷く。


「これじゃ、儲けはほとんどない」


「むしろマイナスね」


 冴子は考える。


「金が目的じゃないのかも」


「……」


 啓太が。


 資料を見つめる。


 不動産。


 薬品。


 火薬。


 債権。


 そして。


 債務者の一覧。


「……人」


「どういう意味?」


「この債務者たち」


 啓太が資料を指した。


「全員、何かしらの職人です」


 冴子の目が変わる。


「……なるほど」


「借金を回収するために買ったんじゃない」


「奴らが必要なのは」


 冴子が言った。


「金じゃなくて、その人間の持つ技能」


「はい」


「借金を帳消しにする代わりに、言うことを聞かせる」


 冴子が頷く。


「追い詰められた人間を縛るには、十分な条件ね」


「つまり」


 啓太は言った。


「この職人たちの技能を使って、何かを作らせようとしている」


「でかしたわよ、啓太」


「ありがとうございます」


「問題は」


 冴子が続ける。


「何を作ろうとしているのか、ね」


「……はい」


 啓太は。


 資料の中から。


 購入された薬品の一覧を取り出した。


 そして。


 スマートフォンを操作する。


「誰に電話するの?」


「母さまです」


「……」


 冴子が少し驚いた。


 直後。


『もしもし、啓太くん!』


 電話の向こうから。


 異様に元気な声が響いた。


『どうしたの、急に! 最近、家族団らんができなくてママ寂しかったのよ!』


「か、母さま!」


 啓太が慌てる。


「ごめんだけど、今は仕事中ですから!」


『何よもう』


「それで」


 啓太は気を取り直す。


「一つお願いが――」


⸻



 啓太が事情を説明する。


『ふーん』


 美和が考える。


『なるほどね』


「分かりますか?」


『いいわよ。材料の一覧を送ってくれれば、ある程度の見当はつけられると思うわ』


 啓太が冴子を見る。


 冴子は頷いた。


「お願いします」


 資料を転送する。


 しばらくして。


『どれどれ』


 美和の声。


『……うーん』


 そして。


『候補は二つね』


 啓太と冴子が顔を見合わせる。


『一つは、爆発物』


 冴子の表情が険しくなる。


『もう一つは、強い燃焼性を持つ兵器用の可燃物』


「……」


 啓太の手が止まる。


「兵器」


『ええ』


 美和の声が少し真面目になる。


『ただ』


「?」


『肝心の燃料が、購入履歴にないのよ』


「……」


 啓太が。


 もう一度。


 資料を確認する。


「本当だ」


 ない。


 必要な燃料の購入記録が。


 どこにもない。


『これから購入するなら話は別だけど』


 美和が続ける。


『今ある材料だけでも、相当な量の危険物を作れる』


「……」


 啓太は。


 手元の資料をめくった。


 そして。


 一枚の報告書で。


 指が止まった。


「冴子さん」


「何?」


 啓太が資料を差し出す。


 冴子も。


 そこに書かれた文字を見る。


 不動産購入履歴。


 そして。


 その取得物件。


 ガソリンスタンド。


「……」


 冴子の目が鋭くなる。


「それか」


「はい」


 資金調達。


 そう思われていた。


 しかし。


 違った。


 ヴァンレイスファミリーは。


 燃料を買う必要がなかった。


 燃料そのものを。


 手に入れていたのだ。


「母さま」


 啓太が低い声で言う。


「もし、それを大量に使えば」


 美和は答える。


『市街地で使われれば、甚大な被害が出るわ』


「……ありがとうございます」


 啓太は。


 ゆっくりと電話を切った。


『あっ、ちょっと啓太くん――』


 通話終了。


「冴子さん」


「ええ」


 冴子は即座に立ち上がる。


「直ぐ上に報告」


「はい」


「そのあと」


 冴子が言う。


「出動準備よ」


「ファントム6」


 啓太が応える。


「了解」


 ヴァンレイスファミリーの狙い。


 その輪郭が。


 ついに見え始めた。



⸻


 その日、


 恵那たちは。


 再び通魔事件の活動範囲を歩いていた。


「……」


「……」


「……」


 今日も。


 何も起こらない。


 その時だった。


「恵那ちゃん」


「……アリカ?」


 アリカが。


 突然立ち止まった。


「何か感じない?」


「え?」


 恵那は周囲を見回す。


 だが。


 何も感じない。


「私には」


 恵那が首を振る。


「何も感じない」


「……そっか」


 アリカは。


 少し考える。


「じゃあ、私の勘違いかな」


 再び歩き出そうとする。


「待って」


 恵那が止めた。


「どんな感じがしたの?」


「え?」


「アリカ」


 恵那は真剣な目を向ける。


「私は火の精霊使い」


「うん」


「でも、アリカは風の精霊使い」


 風の精霊使いには。


 風を通じて。


 広い範囲の変化を感じ取るという強みがある。


 アリカのように。


 まだ未熟な精霊使いでも。


 自分では気付かない情報を。


 風の精霊から受け取ることがある。


「だから」


 恵那は言った。


「私には分からなくても、アリカなら分かることがある」


「……」


「どんな感じ?」


 アリカは。


 目を閉じた。


 そして。


「……空気が」


 言葉を探す。


「気持ち悪い」


「気持ち悪い?」


「うん」


 上手く説明できない。


「えっと……」


 アリカが前方を指す。


「あっちの方に近づこうとすると」


 自分の腕を撫でる。


「肌が、ピリピリするの」


 アズサとトモエが顔を見合わせた。


「それって」


「通魔?」


「分からない」


 恵那は言った。


 しかし。


 アリカが感じているものを。


 無視するべきではない。


 精霊使いは。


 契約精霊から。


 気配。


 魔力。


 妖気。


 そうした知覚情報を受け取ることがある。


 なら。


 アリカの感じている違和感は。


 精霊からの。


 何らかのメッセージかもしれない。


「行ってみよう」


「えっ」


「アリカの感じた方向へ」


「……うん」


 四人は。


 アリカの後を追った。


 そして。


 辿り着いたのは。


 大通り。


 人々が行き交う商店街。


 通魔が潜むような。


 暗い裏路地ではない。


 明るい。


 人の気配がある。


 ごく普通の場所だった。


「ここ?」


「うん」


 アリカが周囲を見渡す。


「ここに近づくと、もっと嫌な感じがする」


「……」


 恵那が。


 何かを探す。


 しかし。


 見えない。


 魔力の気配も。


 精霊の気配も。


 妖気も。


 感じない。


 何も。


 ない。


 はずだった。


 けれど。


 アリカは。


 確かに感じていた。


 それは。


 誰にも見られることなく。


 人々の足元を。


 すり抜けていく。


 まるで。


 地面に張り付くように。


 それは。


 這いずるように蠢いていた。


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