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008 【灼熱の領域】



 ――翌朝。


 まだ太陽が山の向こうから顔を出したばかりの頃。


 人の気配が消えた採石場跡地に、冷たい朝霧が漂っていた。


 切り立った岩壁。


 削り取られた大地。


 無数の岩石が転がる、荒涼とした場所。


 その一角に、一人の少女がいた。


「……」


 夢宮アリカ。


 手足を拘束され、岩壁を背に座らされている。


 昨夜、何者かに襲われた。


 そして、そのままここへ連れてこられた。


「……ここ、どこなの……」


 答える者はいない。


 ただ、少し離れた場所に男が一人立っていた。


 サングラス。


 派手な服装。


 昨日、アリカと恵を襲った男だった。


「起きたか」


「……あなたは……」


「俺か?」


 男は笑った。


「今は名前なんてどうでもいいだろ」


 そして、アリカを見下ろす。


「お前はただの餌だ」


「……餌?」


「そうだ」


 男はしゃがみ込む。


「神代恵那をここへ呼び出すためのな」


「恵那ちゃんを……?」


 アリカの胸がざわつく。


「どうして恵那ちゃんを?」


「お前には関係ない」


 男は立ち上がった。


「ただ、あの女には利用価値がある」


「利用価値……?」


「強い精霊使いの血を残す」


 男は淡々と言った。


「優れた血統を掛け合わせれば、より強い精霊使いを生み出せる可能性がある」


「……」


 アリカには、その言葉の意味がすぐには理解できなかった。


 最近まで、ただの普通の少女だった。


 精霊や魔術の世界を知ったのも、つい最近。


 そんな自分にとって――


 人間を血統や能力だけで扱うその考え方は、あまりにも異常だった。


「……そんなの」


 アリカの手が震える。


「そんなの、人を人として見てないじゃん」


 男は笑った。


「そういう世界なんだよ」


「……嫌」


 アリカは男を睨みつける。


「恵那ちゃんを……そんなことに利用するなんて……」


 恐怖より先に、怒りが込み上げてきた。


「絶対に許さない」


「ほう」


 男が面白そうに笑った。


「少しは骨があるじゃないか」


 その瞬間だった。


 ――ザッ!


 岩陰から雷光が走った。


「!」


 男が振り向く。


 雷鎌が飛び出した。


 アリカを攫った男へ一直線に突っ込む。


「雷鎌!」


 アリカが叫ぶ。


 しかし――


「遅い」


 男が腕を振る。


 土の精霊術。


 地面が隆起し、巨大な岩塊となって雷鎌を弾き飛ばした。


「――っ!」


 雷鎌が地面を転がる。


「雷鎌!」


 アリカが身を乗り出す。


「やめて!」


 男が手を向けた。


 地面から巨大な土塊がせり上がる。


「死ね」


 土塊がアリカへ向かって飛ぶ。


「――!」


 その瞬間。


 空を裂くように炎弾が飛来した。


 轟音。


 土塊が空中で砕け散る。


 燃え上がった岩片が、アリカの周囲へ降り注ぐ。


「……え?」


 そして――


 一人の少女が、採石場の入口に立っていた。


「アリカ!」


「恵那ちゃん……!」


 神代恵那。


 炎を纏った彼女は、真っ直ぐにアリカを見つめていた。


「絶対助けるから」


 恵那は静かに言った。


「待ってて」


⸻


神狩


 男は恵那を見ると、嬉しそうに笑った。


「来たか」


「……アリカを返して」


「そう焦るなよ」


 男は肩をすくめる。


「せっかくだ。神代の力を直接見せてもらいたい」


 恵那の目が細くなる。


「どういう意味?」


「一対一でやろう」


 男はアリカを一瞥する。


「俺が勝てば、お前の力を見せてもらえる」


「……」


 恵那は周囲を見る。


 アリカは拘束されている。


 ここで無理に戦えば、人質に危険が及ぶ。


 それなら――


「分かった」


 恵那は一歩前へ出た。


 右手に炎が集まる。


 炎が刀身を形成していく。


 真紅の炎を纏った刀。


 恵那はその切先を男へ向けた。


「その前に」


 静かに言う。


「名乗りなさい」


 男は一瞬黙り――


 笑った。


「名前は偽名しか持ち合わせていなくてね」


 土の粒子が男の周囲に集まり始める。


「神狩シリーズ」


 巨大な戦斧が形成された。


「そう覚えておけ」


 神狩はそれを軽々と肩に担ぐ。


 巨大な斧。


 人間なら持ち上げるだけでも困難な重量だ。


 しかし――


 神狩は何の苦もなく構えた。


 土の精霊使い。


 土の精霊の加護によって、土や岩石の重量をほとんど苦にしない。


 一方、恵那も炎の加護を受けている。


 炎は彼女を傷つけない。


 両者が構える。


「行くぞ!」


 神狩が踏み込んだ。


 ――ドンッ!


 大地が揺れる。


 巨大な戦斧が横薙ぎに振り抜かれる。


 恵那は紙一重で躱した。


 炎の刀で受け流す。


 ――ガァン!


 凄まじい衝撃。


「くっ……!」


 恵那の身体が後ろへ流される。


 神狩が笑った。


「逃げてばかりか!」


「……!」


 再び斧。


 恵那は身を翻す。


 炎を撒き散らしながら斧を躱し、懐へ潜り込む。


「そこ!」


 炎の刃が神狩を狙う。


 しかし神狩は斧の柄で受け止めた。


「武術はそれなりか!」


 互いの刃が激突する。


「じゃあ――」


 神狩の口元が吊り上がる。


「精霊術の方はどうだ!」


 ドンッ!


 恵那の足元から土の槍が突き出した。


「!」


 恵那が跳ぶ。


 その瞬間――


 頭上から無数の土塊。


 横から岩槍。


 背後から地面の隆起。


「……!」


 恵那は炎を撒き散らしながら、それらを次々と切り払う。


 同時に頭上へ炎弾を生成。


 ――ドドドドッ!


 無数の炎弾が神狩へ降り注ぐ。


「おおおおっ!」


 神狩が土壁を作る。


 炎弾が次々と炸裂する。


 その光景を、拘束されたアリカは呆然と見つめていた。


「すごい……」


 恵那が炎を纏って舞っている。


 剣を振るうたび、炎が軌跡を描く。


 避ける。


 受け流す。


 切り払う。


 そして炎弾を撃ち込む。


 まるで――


「……舞ってるみたい」


 美しかった。


 だが。


 戦況は少しずつ変化していた。


「どうした!」


 神狩が叫ぶ。


「手数が間に合っていないんじゃねえか!」


 土の精霊が次々と集まる。


 地面という、土の精霊使いにとって圧倒的に有利な場所。


 神狩の召喚速度は速かった。


 恵那が一つの攻撃を防いでいる間に、次の攻撃が生まれる。


 その次の攻撃を避ければ、さらに次。


 恵那は魔力を失っているわけではない。


 だが――


 精霊の召喚速度に差がありすぎる。


「……っ!」


 岩槍が肩を掠めた。


 制服が裂ける。


 さらに別の攻撃が腕を掠める。


 布が切れる。


「恵那ちゃん!」


 アリカが叫ぶ。


「大丈夫!」


 恵那は答える。


 しかし、その呼吸は少しずつ荒くなっていた。


 神狩は止まらない。


「どうした!」


 斧。


 岩槍。


 土塊。


 無数の攻撃。


 恵那は炎を撒き散らしながら必死に対応する。


 そして――


 ついに。


 恵那の動きが止まった。


「……はぁ……はぁ……」


 肩で息をする。


 俯いたまま、動かない。


「恵那ちゃん!」


 アリカが叫ぶ。


 神狩が戦斧を担ぐ。


「ようやくギブアップか!」


 勝ち誇ったように笑う。


「土の精霊使い相手に、テメエがどこに立っているかも分かっていない間抜けが!」


「……」


 恵那は顔を上げた。


「間抜けは――」


 静かな声。


「アナタの方」


「あ゛?」


「自分が何処に立っているのか――」


 恵那は周囲を見回した。


「よく見てみなさい」


 神狩が眉をひそめる。


「何を――」


 そこで初めて気づいた。


 足元。


 採石場の地面。


 岩。


 砂。


 土。


 そのすべてが――


 赤く染まっている。


「……なんだ、これ」


 地面から熱気が立ち上っている。


 岩石が赤熱している。


 大地そのものが、焼けている。


「まさか……」


 神狩の顔から笑みが消えた。


 恵那は戦いながら、少しずつ炎を地面へ流し込んでいた。


 炎弾を撃ち続けたのも。


 炎を撒き散らし続けたのも。


 すべて――


 このためだった。


「アナタはずっと、空から降ってくる炎弾ばかり見ていた」


 恵那が言う。


「だから気づかなかったのよ」


「馬鹿な!」


 神狩が叫ぶ。


「これだけ熱していて、気づかないわけがない!」


「火の精霊使いは――」


 恵那の周囲に炎の粒子が集まり始める。


「燃やしたいものだけを燃やせる」


 炎が足元を走る。


「熱を感じさせないこともできる」


 恵那の瞳に炎が映る。


「火傷をさせないことだってできる」


「……!」


 神狩が後退する。


 恵那は右手を頭上へ掲げた。


「どうする?」


 炎が集まる。


「まだやる?」


 さらに炎が集まる。


 一つ。


 二つ。


 三つ。


 十。


 二十。


 数え切れないほどの火の精霊が集まってくる。


 炎弾が巨大化していく。


「な、なんだ……」


 神狩の顔が引きつった。


「なんだその精霊の数は!」


 それでも増える。


 まだ増える。


 さらに増える。


 恵那の頭上に浮かぶ炎が、巨大な球体へと変わっていく。


 まるで――


 太陽。


 アリカは息を呑んだ。


「……すごい」


 恵那が呟く。


「アナタの敗因は――」


 掲げていた手が、ゆっくりと神狩へ向けられる。


「ただ一つ」


「クソがあぁぁぁ!」


 神狩が戦斧を地面へ叩きつけた。


 大地が脈打つ。


 巨大な土石流が発生する。


「これで終わりだ!」


 土石流が恵那へ殺到する。


 しかし――


 届かない。


 恵那の頭上に浮かぶ太陽が、そのすべてを焼いた。


 土。


 岩。


 砂。


 すべてが熱によって崩れ、赤く溶けていく。


 土石流は、恵那へ届く前に――


 溶岩へと変わった。


「馬鹿な……」


 神狩が呆然とする。


 採石場はもはや、土の精霊使いの戦場ではなかった。


 大地そのものが熱せられ――


 火の精霊使い、神代恵那の領域と化していた。


 恵那の目が大きく見開かれる。


 その視線の先。


 溶岩の海が割れる。


 道ができる。


 そして――


 その先には巨大な炎の太陽。


「私の友達を傷つけたこと」


「う、うおおおおおおっ!」


 神狩が戦斧を振り上げる。


 しかし――


 もう遅い。


 恵那の手が振り下ろされた。


「――終わりよ」


 太陽が落ちる。


「うわああああああああっ!」


 神狩の姿が、炎の奔流に飲み込まれた。


 轟音。


 爆炎。


 そして――


 静寂。


 採石場跡地を覆っていた炎が、ゆっくりと消えていく。


 恵那は炎の刀を消した。


「……」


 しばらく立っていたが――


 ふらりと身体が揺れる。


「恵那ちゃん!」


 アリカが叫ぶ。


「大丈夫」


 恵那は息を整えながら答えた。


「……大丈夫だから」


 そして、アリカの拘束を解くために歩き出した。


 傷ついた雷鎌も、ゆっくりと二人のもとへ戻ってくる。


 アリカは恵那を見つめた。


 さっきまで恐怖で震えていた身体が、今は別の理由で震えている。


 ――強い。


 そして。


 ――優しい。


 自分を助けるために、こんな場所まで来てくれた。


「恵那ちゃん……」


「何?」


「……ありがとう」


 恵那は少しだけ笑った。


「友達でしょ?」


 その言葉に、アリカの目から涙が零れた。


「……うん!」



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