005 【人類の聖域】
電話の向こうから、啓太の声が聞こえていた。
『ごめん、恵那。それ、俺のせいだ』
恵那には、電話越しでも啓太が頭を下げている姿が想像できた。
「……どういうこと?」
『それは……』
啓太が言葉を濁す。
守秘義務。
任務の詳細を話せないことくらい、恵那にも分かっている。
それでも。
「私に関係することなんでしょう?」
『……』
沈黙が答えだった。
恵那は小さく息を吐く。
「分かった。聞かない」
『助かる』
「でも……アリカちゃんのことは?」
電話の向こうで啓太が黙る。
「アリカちゃんには、見鬼の才があるみたい」
『ああ』
「でも、精霊や守護精霊についての知識はほとんどない」
『そうなんだ』
「どうしたらいいのかな」
『俺たちだけじゃ判断しかねる。隊長にも報告して、必要なら回収――』
「なりません」
突然、横から声がした。
「え?」
恵那が振り返る。
そこには、精霊殿の巫女がいた。
少女のような姿をした彼女は、何事もなかったかのように湯呑みを口へ運んでいる。
「回収する必要はありません」
『巫女様……?』
電話越しの啓太にも聞こえたらしい。
巫女は静かに言った。
「知識が有るか無いかの問題ではありません」
「じゃあ……何が重要なの?」
「その少女が、精霊に選ばれるかどうかです」
「……選ばれる?」
「ええ」
巫女は恵那を見る。
「精霊も守護精霊も、人間の都合で従わせるものではありません」
その言葉に、恵那は黙った。
「精霊がその少女を認めるなら、それは精霊の意思です」
電話の向こうで啓太が何かを考えている気配がした。
彼にとって、その言葉は決して他人事ではない。
かつて啓太自身が――
精霊に選ばれないことに苦しんでいた。
「……分かった」
啓太の声がした。
『しばらく様子を見る』
恵那も頷く。
「うん」
巫女は静かに目を閉じた。
「すべては――精霊の導きのままに」
⸻
数日後
学校では、何も変わらなかった。
アリカはいつも通りだった。
「ねえ、恵那ちゃん」
「なに?」
「恵那ちゃんって可愛いよね」
「……ありがとう」
「彼氏とかいるの?」
「いないけど」
「へえー」
アリカは楽しそうに笑う。
「部活決めた?」
「剣道部にしようと思ってる」
「わー、似合う!」
アリカは嬉しそうに笑った。
「私は空手部にするつもり」
「そうなんだ」
「うん!」
それだけ。
他愛のない会話。
何もおかしくない。
なのに――
恵那は感じていた。
時々、アリカから視線を感じる。
じっと観察されているような視線。
だが、アリカは何も聞いてこない。
恵那は次第に、
――気にしすぎなのかもしれない。
そう思い始めていた。
⸻
夢宮家
「何か聞けたの?」
「それが上手く聞けなくて……」
アリカは雷鎌に餌を与えながら、困った顔をする。
弟の恵が呆れたように言った。
「何してるの? いつも考え無しなんだから、いつもの調子で聞けばいいじゃん」
「それができたら苦労しないよー!」
「なんで?」
「なんだか恵那ちゃんって隙がないんだよー」
「話をするのに隙が必要なの?」
「お、女の子には色々あるんだよ!」
「何それ」
「話のタイミングとか、駆け引きとか!」
恵はため息をつく。
「まあ、アリカは野生の勘だけで行動してるから」
「失礼!」
「話をしないのも、勘が働いてるのかもね」
「……」
アリカは雷鎌を見る。
「この子も、何か知ってそうなんだけどなぁ」
雷鎌は知らん顔をして餌を食べていた。
⸻
恵那の距離
恵那は、アリカと少し距離を置いていた。
露骨に避けることはしない。
普通に話す。
笑う。
一緒に帰ることもある。
けれど――
決して、踏み込みすぎない。
それは6年前の事件が原因だった。
神代家を滅ぼした犯人は、未だ捕まっていない。
自分は一度、すべてを失った。
だから。
大切な人を増やすことが、怖かった。
また誰かを失うくらいなら。
最初から、深く関わらなければいい。
恵那自身も、それを明確に意識しているわけではなかった。
ただ――
心のどこかに、そういう恐怖が残っていた。
⸻
天城綾香
一方。
精霊庁の外では、別の調査が始まっていた。
「アキラお兄ちゃん、久しぶり」
「……」
「さっきサツキおばちゃんにも挨拶してきたよ」
「……姉さん、何か言ってた?」
「働け、結婚しろ、それから――」
「もういいです」
アキラは深いため息を吐いた。
「……で? 今日は何の用なの?」
綾香は笑顔になる。
「実は先日、とある収監施設で脱獄があって――」
「やっぱりいい! 聞きたくない!」
「まあまあ、そう言わずに」
綾香はにっこり笑った。
「報酬は弾むから♪」
「言っておくけど、僕はお金では動かないぞ」
「分かっていますよ」
綾香が取り出したのは――
一枚のカードだった。
「こ、これは……!」
アキラの目が変わる。
「カードシリーズで初めてイラストレーターが手掛けた幻の一枚!」
「……」
「メーカー側が何を考えたのか、発売から一か月で生産中止!」
「……」
「製造数も少なく、現在の末端価格は――」
「引き受けましょう」
「ふふ」
綾香は満足そうに笑った。
⸻
やがて。
アキラの部屋に複数の画面が立ち上がった。
「六年前の神代家惨殺事件」
綾香が話す。
「神代恵那誘拐事件」
画面が切り替わる。
「そして今回の脱獄事件」
さらに画面が増える。
「全部、繋がっている可能性があります」
「……なるほど」
アキラはキーボードを叩く。
「この事件って玲司くんが担当してるの?」
「そうなの。今は犯人たちを取調べているわ」
「怖いなぁ」
「お兄ちゃん、昔から玲司が苦手だったわよね」
「彼、怖いんだよ。圧がすごくて」
その言葉とは裏腹に、指は止まらない。
海域図。
監視映像。
船舶情報。
通信履歴。
資金の流れ。
次々と情報が画面に現れる。
「……ここだ」
「何か分かった?」
「逃走に使われた船の発進地点」
アキラはさらに追う。
「乗組員」
「資金提供者」
「通話履歴」
「犯罪歴」
「家族構成」
「交友関係」
一つ一つの情報が線になっていく。
やがて――
「……出た」
画面に複数の人物が表示された。
「組織の構成員らしき人物です」
「こんなに……」
「ひとまずは、こんなものかな」
プリントアウトされた名簿を綾香へ渡す。
「……これって」
綾香の顔から笑みが消えた。
「知り合いの名前でもあった?」
「それどころか……」
名簿を握る手が止まる。
「精霊庁職員の名前まであるわ」
「……」
アキラは画面を見る。
「なるほど」
「何?」
「だから脱獄できたわけか」
内部情報。
警備体制。
逃走計画。
外部との連絡。
それらを誰かが流していた。
「この事を急いで知らせなきゃ」
綾香が携帯を取り出す。
だが――
その瞬間、着信が入った。
「もしもし、玲司?」
綾香の声が緊張する。
「大変なことが分かったわよ――」
しかし。
電話の向こうから聞こえた玲司の声に、綾香は言葉を失った。
『姉上』
「……え?」
『こちらもです』
玲司の声は冷静だった。
だが、その奥には明らかな怒気があった。
『奴らの背後にいたのは――』
綾香は息を呑む。
そして。
玲司が告げた。
『人類の聖域――アルカニス』
その名を聞いた瞬間。
部屋の空気が変わった。
綾香は、名簿を見下ろす。
そこには精霊庁職員の名前。
そして――
過去の神代家惨殺事件に関係した人物の名前まであった。
「……アルカニス」
綾香は小さく呟いた。
それは、人間を至上とし――
精霊を、人ならざる異物として排斥する思想を掲げる結社。
六年前。
神代家を襲った事件。
恵那の誘拐。
今回の脱獄。
全てが一本の線で繋がろうとしていた。
そしてその線の先には――
まだ誰も知らない、巨大な闇が潜んでいた。




