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001 【プロローグ】

 ――夜の港。


 海から吹き抜ける風が、人気のない埠頭を冷たく撫でていた。


 遠くに見える街の灯りとは対照的に、港の一角だけは闇に包まれている。


 その中に、一棟の古びた廃倉庫があった。


 長年使われていないその倉庫を、数台の車両と十数人の隊員が取り囲んでいる。


 隊員たちは闇に紛れながら、それぞれの配置についていた。


 耳元の無線機から、女性の声が響く。


「ファントム2から各員へ。ターゲットは港の廃倉に潜んでいる。包囲が完了次第、突入するわよ」


「姉御、奴さん等は新人に任せて、俺たちは浜辺でディナーと洒落込むのはどうだい?」


「バカ言ってんじゃないわよ」


 即座に返ってくる。


「脱走犯はそれなりの実力者よ。しかも、その内の一人は守護精霊持ちなの。油断してると返り討ちにあうわよ」


「けどよぉ……」


 隊員の一人が海へ目を向けた。


「海の向こうから団体さんが観光に来なすったぜ」


「……船?」


「海上の包囲網を抜けてきたの?…予定外だ」


 別の隊員が答える。


「ターゲットを迎えに来たみたいだな」


 ファントム2は一瞬だけ考えた。


「……予定変更」


 声が鋭くなる。


「船が来たなら好都合よ。ファントム6は予定通り、倉庫内のターゲットを確保」


「了解」


 短い返事。


「残りは私と一緒に船を制圧する」


「了解!」


 隊員たちが動き始める。


 その中で、一人の隊員が無線に向かって笑った。


「しかし、本当に新人一人で大丈夫なのか?」


「相手は六人だぞ」


「しかも数年前から因縁のある連中だろ?」


「おいおい、初陣でいきなり六人抜きか?」


「大型新人とは聞いてるが……」


 次第に声が弾んでいく。


「さて、何分持つか賭けようぜ」


「俺は五分」


「俺は十分だな」


「じゃあ俺は――」


「いい加減にしな、野郎ども!」


 ファントム2の怒声が飛ぶ。


 一瞬で静まり返った。


「ファントム6」


「はい」


「聞いての通りよ」


 啓太は静かに倉庫を見つめる。


「任務を成功させなさい」


「了解しました」


「もし成功したら、私を含めて隊の奴らから栄一を一枚ずつプレゼントしてあげるわ」


「けど、失敗したら隊員に一杯ずつ奢りなさい。」


 ファントム2は、わずかに笑った。


「どれだけ高価なボトルを開けさせるかは、アンタの活躍次第よ」


「おいおい姉御、新人を破産させるつもりかよ」


「そういうこと」


「ひでぇ……」


 隊員たちの間から笑い声が漏れる。


 その一方。


 啓太は淡々と答えた。


「任務を成功させればいいんですね」


「……そうよ」


「なら問題ありません」


 無線の向こうが、一瞬静かになる。


「言うじゃねぇか、大型新人」


「ますます楽しみになってきたぜ」


 ファントム2が声を張る。


「全員、配置につけ!」


 空気が変わった。


「作戦開始!」


 隊員たちが一斉に動き出す。


 船へ向かう部隊。


 そして――


 廃倉庫へ向かう啓太。


 ◇ ◇ ◇


 廃倉庫の中。


 六人の男たちが、船の接近を待っていた。


「来たぞ」


 窓から海を見ていた男が呟く。


「予定より少し早いが……問題ない」


「これで国外へ逃げられる」


 男たちが荷物をまとめ始める。


 その中に――


 一人だけ、落ち着かない男がいた。


「……本当に大丈夫なんだろうな」


「何がだ?」


「追手だ」


「ここまで逃げて来られたんだ。問題ない」


「それに、迎えも来た」


 男はそう言って笑う。


 だが。


 次の瞬間――


 倉庫の照明が消えた。


 ――パチン。


「……?」


 全員の動きが止まる。


「停電か?」


「違う」


 暗闇の奥。


 何かが動いた。


 そして――


 コツ。


 コツ。


 コツ。


 静かな足音。


「誰だ!」


 男が叫ぶ。


 返事はない。


 ただ。


 闇の奥から、一人の人影が歩いてくる。


 月明かりが割れた窓から差し込む。


 その顔が浮かび上がった。


「……お前は」


 男の顔が強張った。


「まさか……」


 啓太だった。


「久しぶりだな」


 静かな声。


 男たちは、目の前の青年を見つめる。


 数年前。


 自分たちが少女を誘拐しようとしたとき、立ちはだかった少年。


 あの頃とは違う。


 身体も。


 雰囲気も。


 何より――


 目が違う。


「天城……啓太」


「そうだ」


 啓太は一歩進む。


「反省がないのか?」


「……」


「いい加減、まっとうな道を歩けよ」


「ふざけるな!」


 一人の男が叫ぶ。


「たった一人で何ができる!」


 五人の男が一斉に精霊術を発動した。


 空気中に精霊の粒子が集まる。


 炎。


 風。


 水。


 土。


 様々な属性の粒子が、それぞれの術者へ集まっていく。


「殺せ!」


 炎が飛ぶ。


 ――ゴォッ!


 啓太は身体を僅かに傾けた。


 炎は頬を掠め、そのまま背後の壁を焼く。


 続いて風刃。


 ――ヒュンッ!


 啓太は一歩だけ後ろへ下がる。


 風の刃が目の前を通り過ぎた。


 水流。


 土塊。


 次々と攻撃が飛んでくる。


 しかし――


 当たらない。


 啓太は精霊術を一切使わず、身体だけで攻撃をかわしていく。


 一歩。


 二歩。


 三歩。


 敵の懐へ。


「な――」


 拳。


 ――ドンッ!


 一人目が吹き飛ぶ。


 啓太は止まらない。


 二人目の攻撃を受け流す。


 肘。


 ――ドゴッ!


 倒れる。


 三人目。


 拳。


 四人目。


 足払い。


 五人目。


 腕を取って床へ叩きつける。


 わずか数十秒。


 五人全員が床に倒れていた。


「……嘘だろ」


 男が呟く。


 啓太は息一つ乱していない。


「精霊術を使うまでもない」


 その言葉に、男の顔が歪んだ。


「……舐めるな!」


 男の背後。


 大量の粒子が集まり始める。


 風。


 その中に、雷の光が走る。


 空気が震えた。


「来い!」


 風の粒子が渦を巻く。


 その中心から――


 雷鎌が現れた。


 鎌鼬を思わせる妖怪型の守護精霊。


 巨大な鎌状の形をした風の流れを纏い、その周囲には青白い雷光が走っている。


 啓太の目が細くなる。


「……雷鎌」


 かつて自分を苦しめた存在。


 だが――


 啓太は雷鎌を睨みつけることはしなかった。


 その姿を静かに見つめる。


「こいつだけは別格だ」


 男が笑う。


「そうだ! 俺には雷鎌がいる!」


 雷鎌の周囲に風の粒子が集まる。


 さらに――


 雷。


 青白い光が走る。


「轟雷!」


 ――ズドォォォォン!!


 雷撃が倉庫を貫いた。


 床が砕ける。


 壁が揺れる。


 大量の埃が舞い上がる。


「どうだ!」


 男が叫ぶ。


 しかし。


 煙の中から――


 啓太が歩いてくる。


 その身体には、ほとんど傷がない。


「……やはり強いな」


 啓太は雷鎌を見る。


 そして――


 静かに右手を上げた。


「でも」


 黒い粒子が、啓太の周囲に集まり始める。


 光を吸い込むような、深い闇。


 その粒子が一点へ集束していく。


「俺も強くなったんだ」


 雷鎌が突進する。


 風を纏った巨体が、一瞬で間合いを詰める。


 ――ヒュンッ!


 巨大な風の刃。


 啓太は身体を捻る。


 紙一重。


 その攻撃をかわす。


 そして――


「……そこだ」


 啓太が指を軽く動かした。


 ――ズン。


 空気が沈んだ。


「……な?」


 雷鎌の動きが、僅かに鈍る。


 男は気づかない。


「いけ! 雷鎌!」


 雷鎌は再び踏み込もうとする。


 だが――


 ――ズンッ!!


 今度は明確に、その動きが止まった。


「な、何だ……?」


 雷鎌の周囲。


 床に亀裂が走る。


 しかし、それは雷鎌が傷ついたためではない。


 その巨体へ、異常なほどの重力が掛かっている。


「動けない……?」


 男が目を見開く。


 啓太は淡々と言った。


「俺の力は、闇を操るだけじゃない」


 黒い粒子が雷鎌の周囲を漂う。


「重さを操る」


「……!」


「正確には――」


 啓太が手を握る。


「重力だ」


 ――ズンッ!!


 雷鎌の周囲だけ、重力が一気に増幅する。


 雷鎌の身体が床へ沈む。


 しかし――


 傷はない。


 ただ、動けない。


「雷鎌!」


 男が叫ぶ。


 雷鎌は必死に身体を起こそうとする。


 風を巻き起こす。


 雷を纏う。


 だが――


 重力がそれを押さえ込む。


「無駄だ」


 啓太は歩み寄る。


「お前を傷つけるつもりはない」


 雷鎌が啓太を見る。


 その瞳に敵意はある。


 だが、啓太は構えない。


「昔は、お前を倒すことしか考えていなかった」


 啓太の声が静かになる。


「でも、今は違う」


 雷鎌の周囲に黒い粒子が広がる。


 重力場が、さらに細かく調整されていく。


 雷鎌の身体を押さえつけながらも、決して傷つけない。


「お前は悪くない」


 男が叫ぶ。


「何をしている! 雷鎌、立て!」


 雷鎌は動こうとする。


 しかし――


 動けない。


「まだ終わってない!」


 男が風の刃を放つ。


 術が啓太へ殺到する。


 だが。


 啓太の周囲で重力が歪み、風刃が散らされる。


「な……」


 男の顔が恐怖に染まる。


「何なんだ……お前は……!」


「俺は――」


 啓太が踏み込む。


「ただの精霊使いだ」


 拳が腹部へ入る。


 ――ドゴッ!


「ぐっ!」


 男が折れる。


 腕を掴む。


 ――ギリッ!


「がああっ!」


 そのまま床へ叩きつける。


 ――ドォン!!


 男が起き上がろうとする。


 しかし啓太は逃がさない。


 襟首を掴み、持ち上げる。


「数年前から何も変わっていないな」


「……!」


「まったく反省していない」


 床へ放り投げる。


「そして最後は――」


 啓太の視線が雷鎌へ向く。


「守護精霊を盾にして逃げる」


 男が雷鎌を見る。


 そして――


「雷鎌!」


 叫ぶ。


「時間を稼げ!」


 男は出口へ走り出した。


 啓太の表情が変わる。


「……」


 静かな怒り。


「自分だけ逃げるのか」


 男は振り返らない。


「お前の守護精霊を置いて」


 啓太の周囲に闇の粒子が集まる。


「逃げるのか!」


 男が出口へ辿り着く。


 しかし――


 その足が止まった。


「……え?」


 男の身体が僅かに沈む。


 床に手をつく。


「な……何だ、これ……」


「逃がさない」


 啓太が指先を向けている。


 男の周囲だけ、重力が増幅されていた。


「お前もそこで――」


 啓太がゆっくり歩く。


「頭を冷やせ」


「くっ……!」


 男は必死に立ち上がろうとする。


 だが、身体が重い。


 まるで見えない何かに押さえつけられているようだった。


 啓太は男の前まで歩く。


「終わりだ」


 拳が腹部へ入る。


 ――ドゴォッ!!


 男の身体が床へ崩れ落ちる。


 完全に戦意を失っていた。


 啓太は男を見下ろす。


「もう誰も傷つけるな」


 そして――


 背後から風が吹いた。


 啓太が振り返る。


 雷鎌が、まだ床に伏せている。


 傷はない。


 ただ、重力によって動きを封じられているだけだった。


 啓太はゆっくりと手を下ろす。


「……もういい」


 重力が解除される。


 ――ふっ。


 雷鎌の身体が軽くなる。


 雷鎌はゆっくりと立ち上がった。


 風の粒子が、その身体の周囲を舞う。


 啓太は一歩下がる。


「お前を傷つけるつもりはなかった」


 雷鎌は主人を見る。


 主人は自分を見ようともせず、ただ啓太を恐れている。


 雷鎌の周囲を、風の粒子が静かに舞う。


 そして――


 主人との繋がりが消えた。


 契約破棄。


 雷鎌は一度だけ啓太を見る。


 啓太もまた、静かにその姿を見つめる。


「……もう、お前は自由だ」


 雷鎌は何も答えない。


 ただ、一陣の風を残して――


 夜の闇へと消えていった。


「……無事なら、それでいい」


 啓太は小さく呟いた。


 そのとき。


『ファントム6、こちらファントム2』


 無線が入る。


『船の制圧完了。こちらのターゲットも全員確保したわ』


「了解」


『そっちは?』


「こちらも終わりました」


『そう。初陣成功ね』


 啓太は倒れた男を見る。


「はい」


 こうして――


 長い夜が終わった。


 ⸻


夜明け


 事件の後処理。


 拘束された脱走犯の確認。


 破壊された倉庫の調査。


 事情確認。


 そして、報告書の作成。


 すべてが終わった頃には――


 東の空が白み始めていた。


「……終わった」


 啓太はペンを置いた。


 時計を見る。


「……まずい」


 急いで荷物をまとめる。


「おい、どこへ行くんだ?」


「帰ります」


「こんな時間から?」


「今日は――」


 啓太は少しだけ笑った。


「恵那の中学校の入学式なんです」


「ああ、そうだったな」


 隊員が笑う。


「お姫様の門出か」


「はい」


 啓太は立ち上がった。


 先日。


 啓太自身もまた、新しい学校生活を始めたばかりだった。


 国立――精霊塾。


 精霊使いや魔術師を育成する学校。


 そこで学びながら、啓太は一線での活動も許されている。


 学生と実戦。


 二つの世界を行き来する生活。


 しかし――


 今日だけは。


 戦うためではない。


 恵那の新しい人生の始まりを見届けるために帰る。


「それじゃあ」


 啓太は急いで港を後にする。


 朝日が昇る。


 桜の季節。


 新しい制服。


 新しい学校。


 新しい生活。


 啓太はまだ知らない。


 この日。


 恵那の前にもまた――


 新しい出会いが待っていることを。


 そして、その出会いが――


 やがて二人の運命を大きく変えていくことを。


 春の朝。


 啓太は走る。


 恵那の入学式へ向かって。

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