010 【光竜と雷鎌】
「……俺の弟を、こんな目に合わせたのは――お前か?」
静かな声だった。
怒鳴っているわけではない。
むしろ穏やかだった。
だからこそ――
黒幕の男は、背筋に冷たいものを感じた。
目の前に立つ青年。
天城家長男、天城恒一。
その表情には、先ほどまで弟を心配していた兄の優しさが残っている。
しかし、その瞳だけは違った。
静かな怒り。
それが、底知れない魔力となって周囲に滲み出している。
「……そうだと言ったら?」
男は問い返した。
恒一は一瞬、啓太を見る。
傷だらけの弟。
その身体を守るように立っていた少女。
そして、地面に倒れている五人の男たち。
状況は明白だった。
「そうか」
恒一は短く答えた。
「なら――」
一歩、前へ出る。
「俺も遠慮する必要はないな」
その瞬間。
夜の森を、一陣の風が駆け抜けた。
男の周囲に風の精霊が集まっていく。
目には見えない。
だが、木々が激しく揺れ、大地に落ちた葉が渦を巻き始める。
「……!」
恒一が目を細める。
男は風の精霊使い。
しかも――
ただの風使いではない。
召喚速度。
召喚数。
どちらも一流。
大量の風の精霊が男の周囲に集まり、空気そのものが鋭い刃へと変わっていく。
「俺の名は知らなくてもいい」
男が右手を上げる。
「だが――」
風が唸る。
「この夜、お前は俺に勝てない」
――ヒュンッ!
無数の風刃が放たれた。
「……!」
恒一が手を掲げる。
光が集まる。
一本。
二本。
三本。
瞬時に生み出された光刃が、飛来する風刃を次々と撃ち落としていく。
――キンッ!
――キィンッ!
風と光がぶつかり合い、夜の森に甲高い音が響く。
「ほう……」
男が笑う。
「やはり一流か」
恒一は答えない。
ただ、冷静に相手を観察していた。
風。
圧力。
速度。
そして――
夜。
光の精霊にとって、決して有利な環境ではない。
光の精霊は、その性質上、強い光が存在する場所ほど力を発揮しやすい。
反対に、今は闇に包まれた夜。
恒一ほどの精霊使いであっても、その環境そのものを完全に無視することはできない。
「……なるほど」
恒一は小さく呟いた。
「夜を選んだ理由は、これか」
男が口元を歪める。
「理解が早いな」
風刃が再び飛ぶ。
恒一は避ける。
しかし――
一本。
二本。
頬を掠める。
服の一部が切り裂かれた。
「兄さま……」
地面に横たわる啓太を見ながら、恵那が呟く。
恒一は振り返らない。
「恵那」
「はい」
「啓太から離れないで」
「……分かりました」
「何があっても、俺が守る」
その言葉に、恵那は強く頷いた。
◇ ◇ ◇
「どうした?」
男が笑う。
「攻撃してこないのか?」
「……」
「お前も分かっているんだろう」
男の周囲に、さらに風の精霊が集まる。
「この場所では俺の方が有利だ」
風が渦巻く。
「大気がある限り、俺は戦える」
そして――
「お前の光は、夜には弱い」
恒一は静かに男を見る。
「確かに」
あっさり認めた。
「……何?」
「君の言う通りだ」
男の眉が動く。
「光の精霊は夜では不利になる」
恒一は手元に光刃を生み出す。
「だから?」
光刃が消える。
「不利だからといって――」
恒一の背後。
巨大な光の気配が膨れ上がった。
「勝てないわけじゃない」
男の顔から笑みが消えた。
――ゴォォォォ……。
夜空が震える。
恒一の背後に、一頭の巨大な竜が現れた。
全身を光に包まれた竜。
その姿は、夜の森そのものを照らし出している。
光竜。
天城家に伝わる、恒一の守護精霊。
竜が翼を広げる。
光が森を照らす。
「……守護精霊」
男が呟く。
だが、次の瞬間。
男の表情に余裕が戻った。
「ならば――」
懐から、ひとつの黒い影が現れる。
「俺も出そう」
影が地面へ落ちた。
――ザッ。
風が渦巻く。
影が獣の形へ変わっていく。
細長い身体。
鋭い眼。
そして――
両前脚に備わった巨大な鎌。
「我が守護精霊――」
男が笑う。
「雷鎌」
現れた妖怪は、まるで巨大な鎌鼬そのものだった。
その身体の周囲を、絶え間なく風が渦巻いている。
そして。
鎌の先端に――
青白い光が走った。
「……雷?」
恵那が息を呑む。
男が答える。
「雷鎌は雷を操るわけじゃない」
雷鎌が鎌を振る。
周囲の風が一点に集中する。
「風を――」
空気が圧縮される。
「極限まで圧縮する」
――バチッ。
空気が弾ける。
「そして――」
空に雷光が走った。
「雷を生む」
轟音。
雷鎌の特殊能力――轟雷。
それは術者が編み出した精霊術ではない。
雷鎌という守護精霊が、生まれながらに持つ力だった。
男が笑う。
「これで終わりだ」
◇ ◇ ◇
風が爆発した。
「――行け!」
男の命令と同時に、大量の風の精霊が一斉に集まる。
巨大な風刃が形成される。
同時に雷鎌が跳躍した。
鎌へ風が集中する。
空が震える。
雷光が走る。
「――轟雷!」
巨大な雷撃。
特大の風刃。
そして轟雷。
二つの攻撃が、同時に恒一へ襲いかかった。
「兄さま!」
恵那が叫ぶ。
恒一は動かない。
逃げない。
ただ、目を閉じる。
「……そうか」
静かに呟く。
「ここまで追い込めば――」
恒一が目を開く。
「勝てると思ったんだな」
その瞬間。
世界が――
白く染まった。
◇ ◇ ◇
「な――」
男が目を見開く。
夜の森が消えた。
木々も。
月も。
闇も。
すべてが光に包まれている。
恒一の手には――
一振りの大剣。
光で形作られた巨大な剣。
まるで。
神話に登場する聖剣が、現世に顕現したかのようだった。
「これが……」
恒一は剣を握る。
「俺の光竜だ」
光竜が咆哮する。
そして――
その力が、空間そのものを書き換えた。
光竜の特殊能力。
光の領域。
光に満たされた世界。
夜という環境そのものを――
覆す。
「な……!」
男が後退する。
「夜を……!」
「そう」
恒一が一歩踏み出す。
「俺の光竜は、ただ光を生み出すだけじゃない」
剣を構える。
「――世界を光で満たす」
風刃が迫る。
轟雷が迫る。
恒一は――
一閃した。
――ズァンッ!
光の大剣が、巨大な風刃を真っ二つに切り裂いた。
「なっ――!」
続けて。
轟雷が恒一を飲み込もうとする。
「――遅い」
大剣が振り抜かれる。
雷光すら――
斬った。
――ドォォォン!!
雷撃が二つに裂け、左右へ逸れていく。
「馬鹿な……!」
男の顔が歪む。
「雷を……斬っただと……?」
恒一は答えない。
そのまま踏み込む。
光竜の領域の中。
恒一の速度は、先ほどまでとはまるで違っていた。
「――終わりだ」
光の大剣が振り下ろされる。
「ぐああああっ!」
光が男を飲み込んだ。
そして――
静寂。
風が止まる。
雷光が消える。
雷鎌の姿も、薄れていく。
黒幕の男は地面に倒れた。
◇ ◇ ◇
「……終わった」
恒一は剣を消した。
光竜も、ゆっくりと姿を消していく。
恒一は振り返った。
そこには――
啓太。
そして恵那。
「啓太……」
恒一は弟のもとへ駆け寄る。
そっと身体を抱き上げる。
「……よく頑張ったな」
返事はない。
恒一は弟を背負った。
「帰ろう」
恵那の手を取る。
「神殿へ戻ろう」
「……はい」
二人は歩き出した。
その後ろには――
地面に倒れた五人の襲撃者と、黒幕の男。
ほどなくして精霊庁の職員が到着し、全員を拘束した。
◇ ◇ ◇
精霊殿。
静かな部屋。
啓太はベッドに横たわっていた。
全身に傷を負っている。
深い眠り。
その傍らには、恵那が座っていた。
「……啓太くん」
恵那の目から涙がこぼれる。
「ごめんね……」
啓太は眠ったまま。
「私のせいで……」
そのとき。
啓太の身体を――
温かな光が包んだ。
「……え?」
赤い光。
優しい炎。
しかし、熱くはない。
恵那は、その正体に気付いた。
「鳳凰……?」
神代家に代々受け継がれてきた守護精霊。
その力の一端が――
啓太の傷を癒している。
だが。
恵那は鳳凰と契約しているわけではない。
それでも。
鳳凰は、静かに啓太へ力を与えていた。
「……どうして」
恵那の頬を涙が伝う。
「ありがとう……」
眠っている啓太の手を握る。
「啓太くん……本当にありがとう」
啓太の瞼が、ほんの少し動いた。
「……恵那?」
「!」
啓太が目を開ける。
「……大丈夫?」
恵那は泣きながら笑った。
「うん……」
「よかった……」
啓太も笑う。
小さな笑顔だった。
◇ ◇ ◇
そして――
精霊殿の最奥。
誰も立ち入ることのできない場所。
一人の幼い巫女が、静かに座っていた。
その前には――
姿の見えない存在。
精霊王。
「……このようなことは、二度とごめんです」
巫女は小さな声で言った。
「本当に……これでよかったのですか?」
問いかける。
しかし。
精霊王は――
何も答えなかった。
ただ。
遥か遠く。
闇竜と光竜。
そして鳳凰。
三つの強大な眷属が同じ夜に力を行使したことを――
静かに感じ取っていた。
幼い巫女は、しばらく黙っていた。
「……そうですか」
それ以上は、何も言わなかった。
静寂が戻る。
だが――
この夜を境に。
啓太の中で目覚めた闇竜。
恒一の光竜。
そして――
神代家に受け継がれる鳳凰。
それぞれの運命が、少しずつ交わり始めていた。




