少しずつ近付く距離
フィリックスが目を覚ましてから、さらに二週間ほどが過ぎた。
辺境の冬は相変わらず厳しかったが、吹雪の日は少しずつ減り、
窓の外に広がる雪景色にもどこか穏やかな空気が混じり始めていた。
朝になると、森の木々に積もった雪が陽光を受けてきらきらと輝く。
風が吹けば枝から雪がさらさらと落ち、小さな白い粒が空中を舞う。
ミナトはその景色が好きだった。
だから毎朝、暖炉へ薪をくべたあと、
窓辺へ立って外を眺めるのが習慣になっていた。
「今日は晴れそうだなぁ」
そう呟きながら微笑む。
その横顔を、フィリックスは暖炉の前から眺めていることが増えていた。
本人に自覚はない。
ただ気付けば視線が向いている。
それだけだった。
窓から差し込む朝の光がミナトの柔らかな茶髪を照らし、
長い睫毛の影を頬へ落としている。
優しい顔だった。
警戒心というものがほとんど見当たらない。
だから見ていると妙に落ち着かない。
そして同時に。
目を離し難かった。
「フィリ」
名前を呼ばれる。
フィリックスは我に返った。
「なんだ」
「朝ごはんできたよ」
食卓には湯気の立つスープと焼き立てのパンが並んでいる。
豪華ではない。
けれど温かい。
この家の食事はいつもそうだった。
身体を気遣う味がする。
食べる人のことを考えて作られていると分かる。
それが不思議だった。
冒険者として旅を続けてきたフィリックスは
宿屋の料理にも、高級店の料理にも慣れている。
だが。
どれほど豪華な料理よりも、この家の食事の方が心に残った。
「どう?」
ミナトが尋ねる。
「うまい」
短く答える。
するとミナトは嬉しそうに笑う。
それだけで満足そうだった。
褒められたいわけでもない。
感謝されたいわけでもない。
ただ喜んでもらえたことが嬉しい。
そんな笑顔だった。
だからフィリックスは時々分からなくなる。
どうしてそんな顔ができるのか。
どうしてそんなに優しくいられるのか。
理解できなかった。
理解できないのに。
もっと知りたいと思ってしまう。
食事を終えたあと。
ミナトは薬草畑の様子を見に行くと言い出した。
「雪の下でも育つ種類があるんだよ」
楽しそうな声だった。
「見てくるね」
そう言ってコートを羽織ろうとする。
すると。
「待て」
フィリックスが立ち上がった。
ミナトが振り返る。
「ん?」
「俺も行く」
「え?」
「一人で行くな」
あまりにも自然に出た言葉だった。
言ってから自分でも少し驚く。
だが訂正する気にはなれなかった。
ミナトはきょとんとしたあと、ふわりと笑った。
「心配してくれてるの?」
「……別に」
「優しいなぁ」
「違う」
即答だった。
だがミナトは全く信じていない顔をしている。
むしろ少し楽しそうだった。
結局二人で外へ出ることになった。
雪を踏む。
きゅっ。
きゅっ。
静かな音が響く。
空気は冷たい。
けれど晴れた空は美しく、雪原はどこまでも白かった。
ミナトは子どものように嬉しそうだった。
薬草畑へ着くと、しゃがみ込んで雪を払う。
「ほら」
小さな芽が顔を出していた。
「冬草っていうんだ」
「草だな」
「草だよ?」
ミナトは笑う。
「でもね、これが結構すごいんだよ」
そこから説明が始まった。
薬効。
栽培方法。
希少性。
使い道。
楽しそうに話し続ける。
フィリックスは黙って聞いていた。
正直半分も分からない。
だが話しているミナトを見るのは嫌ではなかった。
むしろ好きだった。
本当に好きなものを語る人間の顔を
フィリックスは久しく見ていなかったから。
その時だった。
不意にミナトの足元が滑る。
「あっ」
雪に隠れた氷だった。
身体が傾く。
フィリックスは反射的に腕を伸ばしていた。
ぐい、と引き寄せた次の瞬間。
ミナトの身体が胸へぶつかった。
「っ」
距離が近い。
驚くほど近い。
柔らかな髪が頬をかすめる。
冬の空気の中に、薬草のような優しい香りが混じっていた。
ミナトも固まる。
フィリックスも固まる。
数秒。
時間が止まったようだった。
やがて。
「ご、ごめんね」
先に慌てたのはミナトだった。
頬を少し赤くしながら離れる。
「ありがとう」
照れたように笑う。
その笑顔を見た瞬間、フィリックスは妙な沈黙に襲われた。
胸の奥が少し騒がしい。
理由は分からない。
ただ、先ほど腕の中にいた温もりが妙に意識に残っていた。
「気を付けろ」
低く言う。
それしか言えなかった。
ミナトは素直に頷く。
「うん」
その返事に、なぜか少し安心する。
そしてフィリックスはまだ気付いていない。
自分がミナトを目で追う回数が増えていることも。
その笑顔を見ると胸の奥が温かくなることも。
彼が傷付く想像をするだけで嫌な気持ちになることも。
まだ。
気付いていなかった。
けれど確実に。
雪の日に始まった二人の距離は、少しずつ近付き始めていた。




