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LIBERAL ONLINE  作者: Guri
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暖炉の前で

 

 フィリックスが目を覚ましてから数日が過ぎても、

 外の雪はやむ気配がなかった。


 朝は窓の向こうが白く塗りつぶされ、夜になれば吹き荒れる風が森を鳴らす。


 世界そのものが、静かに埋もれていくようだった。


 それでも家の中は、別の季節に切り取られたみたいに落ち着いていた。


 暖炉の火が絶えず揺れ、干した薬草の青い香りが棚のあたりに漂う。


 窓辺には、ミナトが育てている小さな鉢植えがいくつも並んでいた。


 静かな場所だった。


 肩の力が抜けるような、やわらかな空気が満ちている。


 フィリックスは、その空気に少しずつ居心地の悪さを覚え始めていた。


「はい、どうぞ」


 昼食の時間になると、ミナトが湯気の立つスープを差し出してくる。


 フィリックスは黙って受け取った。


 目を覚ました当初に比べれば、傷はかなり塞がっている。


 ポーションの効きもあるのだろう。


 だが、それ以上に大きかったのはミナトの看病だった。


 決まった時間に薬を飲ませる。食事を整え、傷の具合を確かめる。熱を測る。


 その一つ一つを、当たり前のように続けていた。


 見返りを求める様子もない。


「今日はきのこを入れてみたんだ」


 向かいに腰を下ろしたミナトが、嬉しそうに言う。


「森で見つけたやつ?」


「うん」


「毒はないんだろうな」


「ないよぉ」


 くすりと笑って、ミナトは胸を張った。


「ちゃんと鑑定したもん」


 その笑顔を見るたび、フィリックスは妙な気分になる。


 信じられなかった。


 自分は、ただ家の前で倒れていた見知らぬ男にすぎない。


 普通なら警戒し追い払う。


 少なくとも、ここまで世話を焼く理由はない。


 なのにミナトは、最初から何も疑わなかった。


 何も求めず、何も試さない。


 だからこそ、理解できなかった。


「……お前は」


 ぽつりと漏らすと、ミナトが首を傾げた。


「ん?」


「誰にでも、こんなふうに世話を焼くのか」


 少し考えるように視線を泳がせ、それからミナトは困ったように笑った。


「どうだろう?」


 けれど答えは、驚くほどまっすぐだった。


「でも、困ってる人がいたら助けたいかなぁ」


 あまりにも自然な言葉だった。


 フィリックスは返す言葉を失う。


 助けたいから助ける。ただそれだけ。


 そこに計算も打算もない。


 だから眩しい。


 フィリックスが知っている人間は、もっとずっと濁っていた。


 利用する者。裏切る者。奪う者。


 嫌になるほど見てきた。冒険者の世界はそういう場所だ。


 強さがすべてで、生き残ることがすべて。


 だから他人を信用するなど、とっくにやめていた。


 なのに目の前の青年は、あまりにも違っていた。


「フィリ?」


 呼ばれて顔を上げる。


 茶色の瞳がこちらを見ていた。


 やわらかく、落ち着いていて、春先の木漏れ日みたいな色をしている。


「大丈夫?」


「……何がだ」


「なんだか難しい顔してる」


 フィリックスは思わず黙った。


 そんなことを言われたのは、いつ以来だろう。


 体調を気遣われることはあっても、

 自分の表情まで気にされた記憶はほとんどない。


「別に何でもない」


 そう答えると、ミナトはほっとしたように笑った。


「そっか。ならよかった」


 それだけだった。


 追及もしない。無理に聞き出そうともしない。


 その距離感が、妙に心地よかった。


 午後になると、ミナトは工房へ向かった。いつもの仕事があるらしい。


 フィリックスは暖炉のそばに座ったまま、その背中を目で追う。


 薬草を選び刻む。混ぜる。煮込む。


 一つ一つの動きが丁寧だった。まるで壊れやすい宝物でも扱うみたいに。


 実際、その腕前は異常だった。


 フィリックスは冒険者として長くやってきた。


 高級ポーションも見てきたし、王都の有名な職人にも会った。


 だが、ミナトの作る品は明らかに別格だった。


 品質も、性能も、仕上がりも。


 それなのに本人は、まるで気づいていない。


 そこがまた不思議だった。


「できたぁ」


 完成したポーションを掲げて、ミナトが笑う。


 本当に嬉しそうだった。


 高額商品を作った満足ではない。ただ、良いものができたことが嬉しい。


 そんな、子どもじみたほど純粋な顔だった。


 フィリックスは思う。


 危うい、と。


 こんな人間は危うい。優しすぎる。無防備すぎる。

 そして、自分の価値を知らなすぎる。


 もし王都にいたままなら、いずれ誰かに利用されていただろう。

 騙されていたかもしれない。


 そう考えると、胸の奥が落ち着かなかった。


 なぜそうなるのか、自分でも分からない。


 ただ一つだけ、はっきりしていた。


 目を離したくない。


 それだけは確かだった。


 夕方、ミナトが薪を抱えて戻ってくる。肩には雪が薄く積もっていた。


「寒かったぁ」


 玄関先で雪を払うその姿を見た瞬間、フィリックスは反射的に立ち上がっていた。


「外へ行ったのか」


「うん?」


「一人で?」


「薪を取りに」


 あっさりした返事だった。


 フィリックスの眉間に皺が寄る。


「こんな雪の中をか」


「近くだよ?」


「近いかどうかの問題じゃない」


 ミナトが目を瞬かせる。フィリックス自身も、少し驚いていた。


 なぜこんなに苛立っているのか分からない。


 だが、雪の中で倒れているミナトの姿を想像した途端、胸の奥がざわついた。


 嫌だった。


 理由は分からない。ただ、ひどく嫌だった。


「次からは俺を呼べ」


「え?」


「薪くらい運ぶ」


「でもまだケガしてるよ?」


「問題ない」


「あるよぉ」


 今度はミナトが眉を下げる。叱るみたいな顔だった。


 その表情に、フィリックスはわずかに目を見開く。


「ちゃんと治るまで無理しちゃだめ」


 声はやわらかい。けれど、意外なほど頑固だった。


「フィリは患者さんなんだから。こういうときは、ちゃんと休んでて」


 その一言に、フィリックスは不意に笑いそうになった。


 何年ぶりだろう。


 こんなふうに誰かから心配されるのは。


 暖炉の火が静かに揺れる。窓の外では、まだ雪が降り続いていた。


 それでも家の中は、ひどく落ち着いていた。


 不思議なくらいに。


 そしてフィリックスは、まだ気づいていない。


 この何気ない時間を失うことが、やがて何より恐ろしいものになるのだと。


 まだ知らなかった。



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