表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
LIBERAL ONLINE  作者: Guri
6/64

雪の日の来訪者

 

 家の中へ運び込んだ青年の身体は、驚くほど重かった。


 もちろんミナトもゲーム内では現実より遥かに力がある。


 それでも、意識を失った成人男性を支えながら、

 吹きつける雪の中を歩くのは簡単なことではなかった。


 頬を刺す冷気と、靴底にまとわりつく湿った雪。


 何度も体勢を崩しそうになりながら、それでも必死に肩を貸し

 ようやく暖炉の前まで連れて行く。


 青年はぐったりとしたまま動かない。


 呼吸はある。


 だが弱い。


 顔色も悪い。


 額へ触れたミナトは思わず息を呑んだ。


「熱い……」


 酷い熱だった。


 しかも熱だけではない。


 腕には深い切り傷。


 脇腹には爪で裂かれたような傷跡。


 肩にも足にも無数の傷がある。


 血で汚れた装備の下には、さらに見えない傷もあるだろう。


 一体どれほどの戦いをしてきたのか想像もつかなかった。


「待っててね」


 返事はない。


 それでもミナトは優しく声を掛ける。


 そうしなければいけない気がした。


 急いで工房へ向かう。


 戸を開けると、乾いた木の匂いに混じって、

 棚に並べた薬草の青く苦い香りがふわりと鼻先をくすぐった。


 雪で冷えた指先をこすりながら、棚から薬草を取り出す。


 刻む。


 混ぜる。


 煮込む。


 慣れた作業だった。


 だが手は自然と急いでいた。


 鍋の中で薬草が煮えるたび、ほのかな湯気が立ちのぼる。

 鼻をくすぐるのは、土と葉を思わせるやわらかな匂い。


 助けたい。


 ただその気持ちだけが胸にある。


 知らない人だった。


 名前も知らない、どこから来たのかも知らない。


 それでも。


 目の前で苦しんでいる人を放っておくことなど、ミナトにはできなかった。


 完成したポーションを持って戻る。


 身体を起こし、少しずつ飲ませる。


 傷にも薬を塗る。


 包帯を巻く。


 暖炉へ薪を足す。


 毛布を掛ける。


 薪がくべられるたび、乾いた木が小さく鳴って、炎がぱちりと跳ねた。


 赤い光が揺れ、部屋の隅にまでやわらかく広がっていく。


 そして全て終わった頃には外は真っ暗になっていた。


 吹雪はまだ続いている。


 窓の外は白く煙り、世界そのものが雪に閉ざされているようだった。


 ガラス越しに見える景色は、ただひたすら白く、静かで、冷たかった。


 ミナトは暖炉の前へ腰を下ろした。


 ぱちり、と薪が爆ぜる。


 炎の明かりが部屋を照らす。


 その向こうで青年は静かに眠っていた。


 長い睫毛。


 整った顔立ち。


 額の横から伸びる黒い角。


 人族ではないらしい。


 図鑑で見たことがある。


 竜人族だろうか。


 けれど完全な竜人族とも少し違う気がした。


 角の形も。


 耳の形も。


 どこか違う。


「どんな人なんだろう」


 ぽつりと呟く。


 もちろん答えは返ってこない。


 ミナトは小さく笑った。


 暖炉の火は絶えず揺れ、部屋には薬草のほろ苦い香りと、

 煎じた薬の温かな匂いが静かに満ちていた。


 外の雪の気配は遠く、ここだけが別の時間を流しているようだった。


 そしてその夜は暖炉の前で本を読みながら過ごした。


 時折熱を確認し。


 薬を飲ませ。


 毛布を掛け直しながら。


 まるで家族を看病するみたいに。


 翌朝。


 青年はまだ目を覚まさなかった。


 熱も残っている。


 傷も深い。


 だからミナトは今日も看病を続けた。


 薬草を煎じる。


 スープを作る。


 身体を拭く。


 暖炉の火を絶やさない。


 そうして二日。


 三日。


 四日。


 時間はゆっくり流れていった。


 不思議と苦ではなかった。


 むしろ少し心配だった。


 いつ目を覚ますのだろう。


 ちゃんと回復しているだろうか。


 そんなことばかり考えていた。


 窓の外では相変わらず雪が降り続き、白い光が薄く差し込むたび、

 部屋の中の暖かさがいっそう際立った。


 薬草を煮る鍋からは、青く澄んだ香りが立ちのぼり、

 火のそばにいると指先までじんわりと温まっていく。


 そして五日目の朝だった。


 いつものように薬を作っていたミナトは、背後から微かな物音を聞いた。


 振り返る。


 すると。


 ベッドの上で青年が身を起こしていた。


 赤金色の瞳。


 鋭い眼差し。


 獣のような警戒心。


 その視線が真っ直ぐこちらを見ている。


 ミナトは目を丸くした。


「あ」


 青年も固まる。


 数秒。


 沈黙。


 先に動いたのはミナトだった。


 ぱっと表情を明るくする。


「起きた!」


 本当に嬉しそうな声だった。


「よかったぁ」


 胸を撫で下ろす。


 その姿を見て、青年の方が逆に戸惑ったようだった。


 警戒していた目が僅かに揺れる。


「……ここは」


 掠れた声。


 長い間眠っていたせいだろう。


 喉も傷んでいるらしい。


 ミナトは慌てて水を差し出した。


「飲む?」


 青年はすぐには受け取らない。


 差し出された手と、ミナトの顔を交互に見ている。


 警戒を解いていないのが、はっきりと分かった。


 それでもミナトは手を引っ込めず、ただ静かに待った。


 やがて青年は短く息を吐き、水を受け取る。


 一口飲む。


 そして眉を寄せた。


「……なぜ」


「?」


「なぜ助けた」


 ミナトはきょとんとした。


 あまりにも当然のように聞かれたからだ。


「倒れてたから」


 それが答えだった。


 青年は黙る。


 ミナトも首を傾げる。


「放っておけなかったし」


「……」


「すごいケガだったんだよ」


「……」


「死んじゃうかと思った」


 本当に心配していたのだろう。


 その声音には偽りがなかった。


 青年は黙ったままミナトを見る。


 じっと、探るように。疑うように。


 けれど。


 ミナトの表情は変わらない。


 柔らかくて。穏やかで。どこまでも優しい。


 青年は視線を逸らした。


 それが初めてだった。


 まるで眩しいものを見たように。


「名前は?」


 ミナトが尋ねる。


 少し間が空いた。


 警戒を残したまま、それでも答えないわけにはいかないと判断したのだろう。


 そして。


「フィリックス」


 低い声が返ってきた。


「フィリックス?」


「ああ」


「そっか」


 ミナトは嬉しそうに笑った。


「僕はミナト」


 その笑顔は暖炉の火よりも温かかった。


 だからだろう。


 フィリックスは何も言えなくなった。


 本来ならもっと警戒していたはずだった。


 知らない場所。


 知らない相手。


 見知らぬ家。


 だが、暖炉の火が温かい。


 部屋には薬草の香りが漂っている。


 窓の外では雪が降っている。


 そして目の前には、まるで春の日だまりみたいな青年がいた。


 その時のフィリックスはまだ知らない。


 この穏やかな家が、自分にとって帰りたい場所になることを。


 この青年が、自分の人生そのものになっていくことを。


 まだ何も知らなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ