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LIBERAL ONLINE  作者: Guri
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変わらないもの、変わったもの

 

 辺境へ続く山道を、一人の冒険者がゆっくりと歩いていた。


 春の風が木々を揺らし、

 若葉が陽の光を受けて柔らかく輝いている。


 男の名はローディス。


 数年前まで各地を旅していた熟練の冒険者だった。


「あいつ、本当に戻ったらしいな……」


 独り言のように呟き、空を見上げる。


 街で耳にした噂は半信半疑だった。


『辺境に住む薬師が戻ってきた』


黒狼(フィリックス)も、あの家へ帰った』


『今は二人で暮らしているらしい』


 誰もが楽しそうに話していた。


 けれどローディスだけは、すぐには信じられなかった。


 十年前。


 いや、正確には十年近く前。


 彼は何度かフィリックスと旅を共にしたことがある。


 恋人を探して世界中を歩き続ける青年。


 誰よりも強く、誰よりも無茶をする男。


 傷だらけになっても立ち止まらず、眠る時間すら惜しむように歩き続けていた。


「もう諦めたらどうだ」


 一度だけ、そう言ったことがある。


 あれは北の山脈を越えた頃だった。


 吹雪の中を歩き続け、

 ようやく辿り着いた町でも手掛かりは何一つ見つからなかった。


 ぼギルドから出てきたフィリックスへ、

 ローディスは静かに声を掛けた。


『だんだん荒んでいくお前を見ていられない』


 しばらく沈黙が続いたあと、フィリックスは小さく首を振った。


『諦めるわけがない』


 それだけだった。


 あの目は今でも忘れられない。


 光を失いながら、それでも前だけを見続ける瞳。


 生きる理由そのものが、

 恋人を探すことになってしまった男の目だった。


 だからこそ、町で聞いた噂は信じられなかった。


『最近のフィリックスは笑うらしい』


『辺境で穏やかに暮らしてる』


 そんな姿を想像できるはずがない。


「……自分の目で確かめるか」


 ローディスは苦笑しながら歩き出した。



 やがて、見覚えのある森が見えてくる。


 昔、一度だけ訪れた辺境の家。


 木造の小さな家。


 その隣には薬草畑。


 煙突からは細い煙がゆっくりと立ち昇っている。


「誰かいるのか」


 ローディスは思わず足を止めた。


 あの家から煙が上がるのを見たのは、いつ以来だろう。


 フィリックスが一人になってからは、

 暖炉に火を入れることさえ少なくなっていたはずだ。


 胸が少しだけ高鳴る。


 玄関へ近付き、軽く扉を叩いた。


「すみません」


 少しして、家の中から軽い足音が聞こえてくる。


 扉が開いた。


 そこに立っていたのは、柔らかな栗色の髪を揺らした青年だった。


 優しい笑みを浮かべ、不思議そうに首を傾げる。


「こんにちは」


 その笑顔を見た瞬間、ローディスは息を呑んだ。


 間違いない。


 旅の途中、

 フィリックスが何度も何度も名前を呼んでいた人。


 何十枚もの似顔絵を描き、

 行く先々で探し続けていた恋人。


「……ミナト、か?」


 青年は目を丸くしたあと、小さく笑った。


「はい、僕が湊です。どちら様ですか?」


 その穏やかな声を聞いた時だった。


 家の奥から、低く落ち着いた声が聞こえる。


「ミナト」


 その一言だけで、ローディスの身体が強張った。


 聞き慣れた声だった。


 けれど、その響きは昔とはどこか違う。


 振り返ると、フィリックスが居間から姿を現した。


 相変わらず背は高く、鋭い眼差しも変わらない。


 だが、その瞳にはあの頃の荒々しい光はなく、

 穏やかな温もりが宿っていた。


 フィリックスはローディスへ目を向けると、

 一瞬だけ驚いたように目を見開く。


「……ローディス」


「久しぶりだな」


「ああ」


 短いやり取り。


 昔なら、それで終わっていただろう。


 だが次の瞬間、フィリックスは湊へ視線を移した。


「風が出てきた。寒くないか」


「大丈夫だよ」


「羽織れ」


 そう言って、自分が肩に掛けていた上着を自然に湊へ羽織らせる。


「えっ、フィリの方が寒いでしょ?」


「俺は平気だ」


「でも……」


「お前が風邪を引く」


 あまりにも自然なやり取りだった。


 ローディスは口を半開きにしたまま、その光景を見つめる。


 目の前にいるのは、間違いなくフィリックスだ。


 けれど、自分の知るフィリックスではなかった。


 湊は少し困ったように笑いながら上着を整える。


「ありがとう」


 その一言だけで、フィリックスの表情がほんの少し柔らかくなった。


 その変化を見たローディスは、思わず空を仰ぐ。


 十年前。


 宿で「寝ろ」としか言わなかった男。


 怪我をしても放っておけと言っていた男。


 誰にも心を開かなかった男。


 そんなフィリックスが今は、恋人の肩へ上着を掛け、

 その笑顔を見て安心したように微笑んでいる。


 ローディスは心の中で静かに笑った。


(……本当に、見つけたんだな)


 そして、その噂は本当だったのだと、ようやく信じることができた。


───


「どうぞ、入ってください」


湊に案内され、ローディスは

久しぶりに辺境の家へ足を踏み入れた。


暖炉には柔らかな火が灯り、

部屋の中には焼きたてのパンと

薬草茶の優しい香りが漂っている。


棚には、小さな木彫りや綺麗な石、小瓶や押し花など、

誰かと積み重ねた時間を感じさせる品々が並んでいた。


十年前、この家に来た時にはなかったものばかりだ。


「座ってください」


湊が笑顔で椅子を勧める。


ローディスが腰を下ろすと、

フィリックスは無言で台所へ向かった。


(昔と変わらんな)


そう思ったのも束の間だった。


「ミナト」


「ん?」


「朝から動きっぱなしだ。少し座ってろ」


「でも、お茶くらいなら……」


「俺が淹れる」


「え?」


「休め」


そのやり取りを聞きながら、

ローディスは思わず瞬きを繰り返した。


(……今の、本当にフィリックスか?)


おそらく、十年前なら、

台所に立っていたのは湊だっただろう。


そしてフィリックスは、

不器用ながらも隣で手伝うくらいだったはずだ。


ところが今は違う。


棚から茶葉を取り出し、お湯を沸かし、

手際よく三人分の薬草茶を淹れている。


湊の前へ湯気の立つカップを置く。


「熱いから少し冷まして飲め」


「うん、ありがとう」


その自然すぎるやり取りに、ローディスの頭は追いつかない。


(……誰だ、本当に)


やがて湊が立ち上がろうとした。


「焼き菓子持ってくるね」


すると、それより早くフィリックスも立つ。


「俺が取る」


「僕が行くよ?」


「いい」


「でも」


「座ってろ」


そう言って台所へ向かう姿は、どこか当たり前のようだった。


ローディスは耐えきれず、湊へ小さく尋ねる。


「……あいつ、昔からあんなだったか?」


湊はきょとんとして首を傾げる。


「フィリですか?」


「ああ」


少し考えたあと、湊は柔らかく笑った。


「うーん……優しい人でしたけど」


「ここまでは、なかったかもしれません」


「だよな?」


「最近は、僕が何かしようとすると

『俺がやる』って言うことが増えて」


困ったように笑いながらも、

その表情はとても幸せそうだった。


「僕も手伝いたいんですけどね」


その時、焼き菓子を持ったフィリックスが戻ってきた。


「何の話だ」


「フィリが優しいって話」


湊が素直に答える。


するとフィリックスは一瞬だけ動きを止め、

少し照れたように視線を逸らした。


「……普通だ」


「全然普通じゃないよ」


湊はくすくす笑う。


「今日だけでも何回『座ってろ』って言われたかな」


「数えてない」


「僕は数えてるよ」


「……」


フィリックスは何も返せない。


その様子がおかしくて、湊はまた笑った。


ローディスはその光景を見ながら、口元を押さえる。


(あのフィリックスが……言い返せてない。)


旅をしていた頃なら考えられない。


魔物相手にも、大男相手にも、一歩も引かなかった男が。


今は恋人に笑われ、少しだけ困ったような顔をしている。


それが妙に嬉しくて、ローディスも自然と笑みがこぼれた。


しばらくして、フィリックスが湊のカップへ目を向ける。


「もう飲める」


「あ、本当だ」


湊が一口飲む。


「美味しい」


そのたった一言で、フィリックスの表情がふっと緩んだ。


本当に一瞬だった。


けれどローディスは見逃さなかった。


(……そういうことか。)


恋人を失って世界中を歩き続けた男。


誰よりも荒み、誰よりも孤独だった男。


その男は今、

たった一人の「美味しい」という言葉だけで、

こんなにも穏やかに笑えるようになった。


ローディスは静かに薬草茶へ口を付ける。


温かな香りが身体へ染み渡る。


この家に流れる空気は、不思議なくらい穏やかだった。


そしてその穏やかさこそが、

フィリックスが十年間探し続け、

ようやく取り戻したものなのだと、

ローディスは胸の奥で静かに理解するのだった。



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