変わらないもの、変わったもの②
翌朝。
辺境の家には、焼きたてのパンの香りが広がっていた。
ローディスは食卓へ着きながら、
向かいに並んで座る二人を何気なく眺める。
湊がパンを切り分けると、
フィリックスは自然とスープの器を手元へ寄せる。
「熱いから気を付けろ」
「ありがとう」
それだけのやり取りなのに、
まるで長年連れ添った夫婦のように息が合っていた。
食事の途中、湊がふと思い出したように立ち上がる。
「薬草を干してたんだった」
その瞬間だった。
「俺が行く」
「大丈夫だよ」
「今日は風が強い」
そう言って席を立つフィリックスに、湊は苦笑する。
「じゃあ一緒に行こう」
「……ああ」
結局、一人では行かせないらしい。
二人並んで家の外へ出て行く姿を見送りながら、
ローディスは思わず吹き出した。
「ははっ……」
そこまで笑うつもりはなかった。
けれど、どうしても堪えきれなかった。
あのフィリックスが。
何をするにも恋人と一緒で。
少しでも無理をさせまいとして。
そんな姿を誰が想像できただろう。
窓から外を眺める。
薬草畑では、湊が薬草を抱えようとしていた。
するとフィリックスはすぐに受け取り、代わりに自分が抱える。
湊は何か言っている。
きっと「僕も持てるよ」とでも言っているのだろう。
それでもフィリックスは譲らない。
最後には湊が笑って諦める。
その繰り返しだった。
「本当に甘いな……」
ローディスは苦笑しながら呟いた。
しかし、その笑みはどこまでも優しかった。
⸻
昼前。
帰る支度を整えたローディスは、玄関先で二人と向かい合う。
「もう行くの?」
湊が少し残念そうに尋ねる。
「ああ、長居しすぎると悪いからな」
「またいつでも来てください。今度はもっとゆっくり話しましょう」
湊の言葉に、ローディスは穏やかに頷いた。
「そうさせてもらう」
そしてフィリックスへ視線を向ける。
しばらく言葉を探したあと、小さく笑った。
「安心した」
フィリックスは静かに見返す。
「何がだ」
「お前だよ」
ローディスは肩をすくめる。
「昔のお前は、もう壊れるんじゃないかと思ってた」
「何を言っても止まらなくて、
生きてるのか、探してるのかも分からない顔をしてた」
フィリックスは何も答えない。
ただ静かに、その言葉を聞いていた。
「でも今は違うな」
ローディスは湊へ目を向ける。
「その人がお前を救ったんだな」
少しの沈黙。
やがてフィリックスは隣に立つ湊を見つめ、小さく微笑んだ。
「ああ。救われた」
短い言葉だった。
けれど、その一言には十年間の孤独も、再会の日の涙も、
この家で積み重ねた穏やかな日々も、すべて込められていた。
湊は少し照れたように笑う。
「僕も、フィリに救われました」
その言葉を聞いたローディスは、大きく頷いた。
「なら安心だ」
「もう、お前に『諦めろ』なんて言う日は来ないな」
フィリックスは少しだけ目を細める。
「ああ」
「もう探さなくていい」
その声は穏やかで、満たされていた。
⸻
ローディスは山道を歩き始める。
しばらく進んだところで、一度だけ振り返った。
辺境の小さな家。
薬草畑。
煙突から立ち上る白い煙。
玄関先では、二人が並んでこちらへ手を振っている。
その姿を見ながら、ローディスは静かに笑った。
十年前。
世界中を歩き、恋人を探し続けた男。
誰よりも孤独だった男。
その旅は、ようやく終わったのだ。
「幸せになれよ」
誰にも聞こえないほど小さく呟き、再び前を向く。
その背中は軽かった。
もう心配することは何もない。
辺境には、帰る場所を取り戻した男がいる。
そして、その隣には、穏やかに笑う恋人がいる。
二人なら、これから先も大丈夫だろう。
そう信じられた。
家へ戻った湊は、小さく笑ってフィリックスを見上げる。
「ローディスさん、優しい人だったね」
「ああ」
「また来てくれるかな」
「来る」
「どうして分かるの?」
フィリックスは少しだけ笑った。
「お前の淹れる薬草茶が気に入ったんだろう」
「ふふ、それだけ?」
「……それだけじゃない」
フィリックスはそっと湊の手を握る。
「ここへ来れば……お前が笑って迎える。
それだけで、また帰ってきたくなる」
湊は少し照れながら、その手を握り返した。
「じゃあ、次も二人で迎えようね」
「ああ」
暖かな風が薬草畑を揺らし、窓辺の小鳥が小さくさえずる。
辺境の小さな家には、今日も穏やかな時間が流れていた。
それは、十年という長い旅の果てに、ようやくたどり着いた、
誰にも壊されることのない幸せな日常だった。
fin.




