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LIBERAL ONLINE  作者: Guri
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新しい季節の種

 

 午後の陽射しは、午前中よりも少しだけ柔らかくなっていた。


 昼食を終えた二人は、再び畑へ出る。


 先ほどまで土を起こしていた場所は、

 わずか半日とは思えないほど見違えていた。


 荒れていた畑に一本一本の畝が現れ、乾いた土も、

 少しずつ息を吹き返しているようだった。


 湊は、小さな麻袋を胸に抱えていた。


「これ、覚えてる?」


 袋の口を開くと、小さく白い種がいくつも顔を覗かせる。


「月白草の種か」


「うん家の奥の棚に残ってたんだ」


 湊は嬉しそうに種を掌へ乗せた。


「ちゃんと乾燥させてあったから、まだ育つかもしれない」


 フィリックスは、その種をじっと見つめた。


 十年前。


 この種を二人で植えた日のことを思い出す。


 芽が出るまで毎日様子を見に来た湊。


「まだかな」


「今日は少し大きくなった気がする」


 そんな小さな変化を、本当に嬉しそうに話していた。


 花が咲いた日は、それだけで夕食が少し豪華になった。


 湊は終始笑顔で、何度も何度も畑へ見に来ていた。


「……植えよう」


 フィリックスが静かに言った。


「うん」


 二人は並んでしゃがみ込む。


 湊が指先で小さな穴を作り、

 そこへ種を一粒ずつ落としていく。


 フィリックスは、その後ろから優しく土を被せた。


「フィリ」


「どうした」


「覚えてる?」


「何をだ」


「前も、こうして役割分担したよね」


 フィリックスは少しだけ笑った。


「ああ」


「お前が種を植えて、俺が土を戻した」


「フィリ、『土は優しくね』って言ったら、

  真面目な顔で『任せろ』って」


 湊が笑いながら話すと、

 フィリックスも珍しく声を漏らして笑った。


「……言ったな」


「言ったよ」


 その笑い声を聞いて、湊は思わず動きを止めた。


 久しぶりだった。


 再会してから初めて聞く、自然な笑い声。


 胸が熱くなる。


 フィリックスも気付いたのか、

 少し照れたように咳払いをした。


「……そんな顔をするな」


「だって」


 湊は嬉しそうに微笑む。


「フィリが笑ってくれた」


 フィリックスは視線を逸らした。


「……お前のせいだ」


「それなら嬉しい」


 湊は、本当に嬉しそうだった。


 その表情を見たフィリックスの胸も、少しだけ軽くなる。


 十年間。


 笑うことなど、ほとんどなかった。


 必要もなかった。


 笑う相手がいなかった。


 今は違う。


 目の前には、笑ってほしいと思う人がいる。


 その人が、自分の笑顔を見て幸せそうにしている。


 それだけで十分だった。


 やがて種を植え終えると、

 湊は桶から柄杓で水を汲み、一列ずつ丁寧に水を撒いていく。


「大きくなるかな」


「なる」


 フィリックスは即座に答えた。


「……お前が育てるなら」


 湊は少し照れたように笑う。


「僕一人じゃないよ」


 そう言って、フィリックスの腕へ軽く肩を寄せた。


「一緒に育てるんだから」


 フィリックスは何も言わなかった。


 代わりに、そっと湊の肩へ腕を回す。


 以前なら自然にできていた仕草なのに、今はどこか慎重だった。


 壊れ物を抱くように。


 湊はその腕に身体を預けながら、小さく笑う。


「前より優しい」


「……そうか」


「うん」


 フィリックスは苦笑した。


「怖いんだ」


 その一言に、湊は彼を見上げる。


「また失うのが」


 風が静かに吹き抜ける。


 フィリックスは畑を見つめたまま続けた。


「目を離したら消える気がする」


「眠ったら、いなくなる気がする」


「家へ帰ったら、誰もいない気がする」


「全部、十年間そうだった」


 声は震えていなかった。


 けれど、その静けさが、

 どれだけ心を押し殺してきたのかを物語っていた。


 湊はゆっくりとフィリックスの腕へ自分の両手を添える。


「まだ怖い?」


「ああ」


「そっか」


 湊は少しだけ考えたあと、優しく笑った。


「じゃあ、一緒に少しずつ慣れていこう」


 フィリックスは湊を見る。


「毎日『おはよう』って言って」


「毎日『おかえり』って言って」


「毎日、一緒にご飯を食べて」


「毎日、同じ寝台で眠って」


「そうしたら、少しずつ身体も覚えてくれると思う」


 フィリックスは静かに聞いていた。


 湊は続ける。


「十年間かけて出来た傷だから」


「治るのも、きっとゆっくりだよ」


「だから急がなくていい」


 その言葉は、不思議なくらい穏やかだった。


 フィリックスは、ゆっくりと目を閉じる。


「……待たせるぞ」


「うん」


「前みたいになるまで、時間がかかる」


「うん」


「それでもいいのか」


 湊は少しだけ笑ってから答えた。


「十年探してくれた人を、何年でも待つよ」


 その瞬間だった。


 フィリックスは湊をそっと抱き寄せた。


 強くはない。


 逃がさないように、それでいて苦しくないように。


 胸へ抱いた湊の温もりを、何度も確かめるように。


「……ありがとう」


 掠れた声だった。


 湊はフィリックスの背中へ手を回す。


「お礼を言うのは僕の方だよ」


「帰ってきてくれてありがとう」


「見つけてくれてありがとう」


「諦めないでくれて、本当にありがとう」


 フィリックスは何も答えられなかった。


 ただ、抱き締める腕へ少しだけ力が入る。


 二人の足元には、植えたばかりの月白草の種が静かに眠っていた。


 芽吹くまでには、まだ時間がかかる。


 毎日水をやり、土を整え、

 寒い日も暑い日も見守らなければならない。


 それは、どこか今の二人によく似ていた。


 失われた十年は戻らない。


 けれど、これから育っていくものは、誰にも奪われていない。


 湊はフィリックスの胸へ頬を寄せながら、小さく呟いた。


「来年の春には、また花が見られるといいね」


 フィリックスは穏やかに頷く。


「ああ」


 今度は迷わなかった。


「一緒に見る」


 その短い言葉を聞いて、湊は静かに微笑んだ。


 辺境の小さな畑には、

 新しい季節へ向かう小さな種が眠り始めていた。


 それはきっと、二人の未来も同じように、

 ゆっくりと芽吹いていくのだと教えてくれているようだった。




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