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LIBERAL ONLINE  作者: Guri
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もう一度、育てるもの

 

 扉を開けて外へ出ると、乾いた風が二人の頬をそっと撫でた。


 辺境の家の周りに広がる草原は、

 十年前とまったく同じではなかった。


 手入れをする者を失った薬草畑は、

 ところどころ背の高い雑草に覆われ、

 木の柵には風雨にさらされた跡が残っている。


 それでも、完全に失われてしまったわけではなかった。


 土の中には、まだ根を張っている薬草がある。


 小さな芽を出しかけたものもあれば、

 誰にも見つけられないまま、細い葉を震わせているものもあった。


 湊は畑の端まで歩き、しゃがみ込んだ。


 土に指先を触れる。


 少し乾いている。


 けれど、死んだ土ではない。


「……まだ、残ってる」


 湊が小さく言うと、

 すぐ隣に立っていたフィリックスが、ゆっくりと視線を落とした。


「薬草か」


「うん。少し荒れちゃってるけど、ちゃんと生きてるよ」


 湊は、雑草の間から小さな葉をそっと持ち上げた。


 薄い銀色の筋が入った葉は、

 以前、二人でよく使っていた鎮静草だった。


 煎じれば、疲れた身体を少し楽にしてくれる。


 フィリックスが旅に出る前、

 怪我をして帰ってきた時にも、湊は何度もこの薬草を使った。


「これ、覚えてる?」


 フィリックスは、しばらくその葉を見つめていた。


「……眠れない時に、飲ませてくれた」


「うん。苦いって言ってた」


「苦かった」


「でも、ちゃんと飲んでくれたよね」


 湊が少し笑うと、フィリックスはほんのわずかに目を細めた。


「お前が作ったから」


 その言葉に、湊の胸が静かに温かくなる。


 以前なら、きっともっと自然に笑い返せた。


 けれど今は、フィリックスの何気ない言葉の中にさえ、

 十年間失われていた時間が見えるような気がした。


 湊は、薬草の葉を傷つけないように、そっと手を離した。


「また、育てようか」


 フィリックスは、湊を見た。


「畑を?」


「うん。全部を一気にじゃなくていいから」


 湊は、広がる畑を見渡した。


「少しずつ整えて、使える薬草を増やして……

  前みたいにポーションも作れるようにしたいな」


 フィリックスは、しばらく黙っていた。


 その顔には、何かを思い出した時のような、

 少しだけ遠い表情が浮かんでいた。


 湊が薬草を摘み、机の上に瓶や小皿を並べ、

 失敗しても困ったように笑いながら、新しい調合を試していた日々。


 完成したポーションを差し出して、

 使ってみてと期待した目で見上げてきたこと。


 フィリックスは、あの頃の湊を守りたいと思った。


 けれど今は、ただ守るだけでは足りないのだと分かっていた。


 湊がまた自分の好きなことをして、

 穏やかに笑える場所を、一緒に作り直したい。


「……俺もやる」


 フィリックスは言った。


「畑のことは詳しくない。でも、土を起こすくらいならできる」


 湊は、嬉しそうに顔を上げた。


「本当?」


「ああ」


「じゃあ、まずはここからお願いしてもいい?」


 湊が指差したのは、畑の端にある、

 雑草が特に多く伸びた場所だった。


 フィリックスは頷くと、

 家の脇に立てかけてあった鍬を取りに行った。


 長い間使われていなかった道具は、

 柄の部分に少し埃が積もっていた。


 フィリックスはそれを手で払い、確かめるように握る。


 その姿を見て、湊は思った。


 十年前もフィリックスは

 こうして何かをする前に、道具の状態を確かめていた。


 自分が怪我をしないように。


 湊が困らないように。


 変わってしまったものは、たくさんある。


 けれど、変わらないものも、ちゃんと残っている。


 フィリックスが鍬を振るう間、湊はその近くで薬草を探した。


 雑草を抜きながら、

 まだ使えそうな葉を選び、小さな籠へ入れていく。


 最初のうちは、二人ともあまり話さなかった。


 けれど沈黙は、以前のような居心地の悪いものではなかった。


 フィリックスが鍬を土へ入れる音。


 湊が籠の中で葉を整える音。


 風が草を揺らす音。


 それらが重なり、

 二人が同じ場所で同じ時間を過ごしていることを、

 静かに教えてくれていた。


 しばらくして、湊は籠の中から一枚の葉を取り出した。


「フィリ、これ見て」


 フィリックスは手を止め、湊のそばへ来た。


「どうした」


「星葉草。まだ小さいけど、ちゃんと残ってた」


 葉の先に、小さな白い斑点がいくつも浮かんでいる。


 夜になると、その斑点が淡く光る薬草だった。


 湊は以前、この薬草を使って、

 夜道でも使える小さな灯りのポーションを作ったことがある。


 フィリックスが夜の見回りへ行く時、

 危なくないようにと渡したものだった。


「……夜に光るやつか」


「そう。フィリが、綺麗だって言ってくれた」


「言ったか」


「言ったよ」


 湊は、少しだけ得意そうに笑った。


「覚えてない?」


 フィリックスは、星葉草を見つめた。


 そして、ゆっくりと答えた。


「覚えてる」


 その声は、低く、静かだった。


「お前が、嬉しそうだった」


 湊の笑顔が、少しだけ止まった。


 フィリックスは、星葉草ではなく、湊を見ていた。


 十年の間に、

 忘れたくなかったものほど、時々輪郭が曖昧になった。


 声の調子。


 笑い方。


 髪を耳へかける癖。


 それでも、

 湊が何かを見つけた時に見せる嬉しそうな顔だけは、

 どうしても忘れられなかった。


 今、その顔が目の前にある。


 フィリックスは、何かを言いかけて、やめた。


 言葉にしてしまえば、また失うことが怖くなる気がした。


 湊は、そんな彼の表情を見て、そっと近付いた。


「フィリ」


「うん」


「これからは、またたくさん見せるよ」


 フィリックスの目が、少しだけ揺れた。


「新しい薬草を見つけた時も、ポーションが上手くできた時も」


 湊は、星葉草を大切そうに籠へ戻した。


「だから、忘れなくてもいいし、忘れそうになっても大丈夫」


 フィリックスは、しばらく何も言えなかった。


 やがて、ゆっくりと手を伸ばし、湊の頭を撫でた。


 旅の間に硬くなった手のひらだった。


 けれど触れ方は、以前と同じように優しかった。


「……ああ」


 短い返事だった。


 けれど、その手はすぐには離れなかった。


 昼近くになる頃には、畑の一角だけが、

 少し見違えるようになっていた。


 雑草が抜かれ、土が柔らかく起こされ、

 残っていた薬草の周りには小さな空間ができている。


 全部を整えたわけではない。


 けれど、これからまた育てていける場所が、確かにそこにあった。


 湊は、土の上に置いた籠を見ながら、満足そうに息を吐いた。


「今日はここまでにしようか」


 フィリックスは、まだ鍬を握ったまま畑を見ていた。


「もう少しできる」


「うん。でも、フィリは帰ってきたばかりだから」


 湊がそう言うと、フィリックスは少しだけ眉を寄せた。


「大丈夫だ」


「知ってる」


 湊は、優しく答えた。


「フィリは強いから。でも、強い人も休んでいいんだよ」


 その言葉に、フィリックスは動きを止めた。


 十年の間、休むことは、探すことを止めることだった。


 眠ることも、食べることも、

 身体を動かせなくしないために必要なだけだった。


 けれど今、湊は以前と同じ声で、休んでいいと言ってくれる。


 それは、命令でも、心配だけでもなかった。


 一緒に暮らすために、隣にいてほしいからこその言葉だった。


 フィリックスは、ゆっくりと鍬を下ろした。


「……分かった」


 湊は笑った。


「じゃあ、お昼にしよう。

  さっきの薬草で、少しだけスープを作ってみるね」


「俺も手伝う」


「うん。じゃあ、お水を汲んできてもらってもいい?」


「ああ」


 フィリックスは、家の脇に置いてあった桶を手に取った。


 そして数歩歩いたところで、一度だけ振り返った。


 湊がそこにいることを確かめるように。


 湊は、すぐに気付いた。


「ここにいるよ」


 フィリックスは、少しだけ目を細めた。


「……すぐ戻る」


「待ってるね」


 そのやり取りは、とても小さなものだった。


 けれど湊には、それがたまらなく愛おしかった。


 フィリックスが戻ってくる場所を、もう一度作れること。


 フィリックスが自分へ、すぐ戻ると言ってくれること。


 それだけで、失われた十年の向こう側に、

 少しだけ新しい時間が見えた気がした。


 湊は籠を抱え、家へ戻った。


 窓辺には、朝に並べ直した小さな鳥の置物がある。


 その隣には、二人で集めた小物たちが、

 柔らかな光を受けて並んでいた。


 湊は、その前を通り過ぎながら、小さく微笑んだ。


 これからは、また少しずつ増やしていける。


 棚に置くものも。


 二人で過ごした時間も。


 そして、帰ってくるたびに温かく迎えられる、

 この家の中の幸せも。




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