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LIBERAL ONLINE  作者: Guri
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帰る場所

 

 フィリックスが辺境の家へ戻ったのは、

 ミナトがいなくなってから、初めて遠い街まで足を伸ばした旅の後だった。


 手掛かりは、何一つなかった。


 街の冒険者ギルドにも、商人たちが集まる宿にも、

 薬師の店にも、ミナトの姿を見たという者はいなかった。


 それでも、帰らなければならないと思った。


 次の場所へ向かうための準備を整える必要があったし、

 何よりも、もし自分が探している間に

 ミナトが家へ戻っていたなら、そこにいるはずだった。


 そんなことを考えながら、フィリックスは長い道を歩いた。


 家が近付くほど、足取りは速くなった。


 見慣れた森の端が見えた時には、胸の奥に、

 期待とも恐怖ともつかないものが押し寄せた。


 扉を開ければ、ミナトがいるかもしれない。


 いつものように台所に立ち、少し驚いた顔をして、

 それから「おかえり」と笑ってくれるかもしれない。


 自分がどれほど探したかも知らずに、ただ穏やかに、

 自分の帰りを待っていてくれるかもしれない。


 そんなあり得ない想像を、フィリックスは何度も繰り返した。


 それでも、扉の前へ立つと、手が止まった。


 開けるのが怖かった。


 また、いないことを知るのが怖かった。


 けれど、開けなければならない。


 もしミナトがいるなら、待たせるわけにはいかない。


 フィリックスは、ゆっくりと扉を開いた。


「……ミナト」


 低い声が、家の中へ落ちた。


 返事はなかった。


 静かな家だった。


 暖炉の火は消えている。


 窓辺の白い花は、以前より少し元気がなくなっていた。


 鳥の置物は、変わらずその隣にある。


 棚には、二人で集めた小物が、何も知らないように並んでいる。


 ミナトが作った瓶。


 二人で拾った石。


 街で買った小さな木彫り。


 髪を切った日に残した、淡い青の髪紐。


 フィリックスは、その前で立ち尽くした。


 帰ってきていない。


 やはり、どこにもいない。


 分かっていたはずだった。


 それでも、胸の奥に抱えていた

 小さな期待が消える瞬間は、何度経験しても耐えられなかった。


 フィリックスは荷物を床へ置いた。


 それから、家の中を一つずつ確かめた。


 寝室。


 台所。


 作業机の前。


 薬草を乾かしていた場所。


 家の隅にある小さな収納棚。


 どこにもいない。


 探す必要などないと分かっているのに、身体が勝手に動いていた。


 もし見落としていたらどうする。


 もしミナトが眠っていて、声が聞こえないだけだったらどうする。


 そんなことがあるはずもないのに、

 フィリックスは何度も名前を呼んだ。


「ミナト」


 返事はない。


 その沈黙が、少しずつ胸の奥へ積もっていく。


 フィリックスは寝室へ入った。


 二人で眠っていた寝台は、出て行った時のままだった。


 ミナトの枕も、薄い掛け布も、何も動いていない。


 自分がいない間に、ここで眠った人はいない。


 そのことが、妙に残酷だった。


 フィリックスは寝台の端へ腰を下ろした。


 疲れているはずだった。


 遠い街まで歩き、戻ってきた。


 途中で魔物にも襲われ、傷も増えた。


 けれど、身体の痛みはほとんど感じなかった。


 感じるのは、胸の奥にある重さだけだった。


「……帰ってきてない」


 誰に言うでもなく呟いた。


 声にしてしまうと、現実になってしまう気がした。


 けれど、すでに現実だった。


 ミナトは、ここにはいない。


 どこにいるのかも分からない。


 何をしているのかも、無事なのかも、何も分からない。


 フィリックスは、ゆっくりと横になった。


 自分の場所ではなく、ミナトが眠っていた側へ。


 そこに残っているはずもない

 温もりを探すように、枕へ顔を埋めた。


 ほんのわずかに、薬草と石鹸のような匂いが残っている気がした。


 それだけで、胸が苦しくなった。


 もしミナトが、ここへ戻ってきたら。


 自分がいない間に、また一人でどこかへ行ってしまったら。


 その不安が、フィリックスを眠らせなかった。


 眠っている間に、ミナトが戻ってくるかもしれない。


 眠っている間に、

 誰かがミナトを連れてきて、扉を叩くかもしれない。


 そんなあり得ない期待を抱えながら、

 フィリックスは何度も目を開けた。


 夜が明けるまで、ほとんど眠れなかった。


 翌朝、フィリックスは家の中に残っていた食料を確かめた。


 ミナトがいれば、きっと朝食を作ってくれただろう。


 自分が起きる前に、火を起こして、湯を沸かして、

 何か温かいものを用意してくれたかもしれない。


 けれど、今は誰もいない。


 だからフィリックスは、残っていた乾いたパンを口にした。


 味はしなかった。


 噛んでいるうちに、喉が詰まりそうになった。


 それでも、飲み込んだ。


 ミナトが悲しむから。


 自分が何も食べず、眠らず、

 傷だらけのまま歩き続けていたら、

 ミナトはきっと困ったように眉を下げる。


 そして、無理をしないでと言う。


 ちゃんと食べてね、と言う。


 その声を思い出すだけで、フィリックスは食べることができた。


 食べる理由は、自分のためではなかった。


 ミナトを探すため。


 そして、いつか見つけた時に、ミナトを安心させるためだった。


 けれど、そうして自分を動かす理由が、

 ミナトだけになっていくほど、

 フィリックスは少しずつ空っぽになっていった。


 何かを見ても、心が動かなかった。


 街で売られている小物を見ても、

 以前ならミナトに似合いそうだと思ったかもしれない。


 けれど今は、渡す相手がいない。


 薬草の匂いがしても、

 ミナトが作業机に向かっていた姿が浮かぶだけだった。


 誰かが笑っていても、その声が遠く聞こえた。


 世界は何も変わらず続いている。


 朝が来て、夜が来て、人々は食事をして、

 誰かと話し、明日の予定を立てている。


 なのに自分だけが、あの朝から動けていない気がした。


 フィリックスは、出発の準備をしながら、ふと棚の前へ立った。


 ミナトが残したものばかりが、そこにある。


 二人で過ごした時間が、静かに形になっている。


 その中に、フィリックスは小さな空き場所を見つけた。


 まだ何も置かれていない場所だった。


 ミナトが、これから何かを置こうとしていたのかもしれない。


 次に街へ行ったら、何か可愛いものを見つけたら、

 そこへ置こうと話していたのかもしれない。


 フィリックスは、その空いた場所をしばらく見つめた。


 そして、旅の荷物の中から、小さな青い石を取り出した。


 遠い街へ向かう途中、川辺で見つけた石だった。


 ミナトが好きそうな色だと思って、拾ってしまった。


 渡せるかもしれないと思った。


 見つけた時に、これを見せれば、きっと笑ってくれると思った。


 フィリックスは石を、棚の空いた場所へ置いた。


 けれど、その瞬間、胸の奥に強い痛みが走った。


 ミナトがいないのに、

 どうして自分はこんなものを持ち帰ってきたのだろう。


 笑ってくれる人がいないのに。


 手渡す相手がいないのに。


 フィリックスは石を掴み直そうとした。


 けれど、指が動かなかった。


 そこに置いておきたかった。


 いつかミナトが戻ってきた時、これを見つけて、

 きれいだねと言ってくれるかもしれない。


 そんな小さな希望を、捨てることができなかった。


「……次は、もっと遠くへ行く」


 フィリックスは、誰もいない家へ向かって言った。


 遠い国へ続く道を辿る。


 大きな街へ行く。


 今まで聞けなかった場所にも、足を向ける。


 ミナトがどこにいるのか分からなくても、

 探すことだけはやめない。


 それしかできない。


 それだけが、自分を繋ぎ止めている。


 フィリックスは外套を羽織り、剣を手に取った。


 鏡の中に映った自分の顔を、ふと見た。


 以前よりも頬は痩せ、目の下には深い影がある。


 髪も乱れたままで、傷の手当ても十分ではない。


 けれど、そんなことはどうでもよかった。


 自分がどれほど変わってしまっても、

 ミナトを見つけることができるなら、それでよかった。


 扉を開ける前に、フィリックスは一度だけ寝室を振り返った。


 ミナトが眠っていた場所。


 自分の腕の中で、穏やかに眠っていた人。


「待ってろ」


 声は低く、かすれていた。


「今度こそ、見つける」


 返事はない。


 それでもフィリックスは、家を出た。


 帰る場所を失わないために。


 そして、帰ってくるはずの人を、探し続けるために。



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