いつもの夜
森へ出かけた翌日、ミナトは朝から
前日に摘んだ青い葉の薬草を使って
新しいポーションを作る準備をしていた。
薬草を乾かしていた籠から、淡い青色の葉を一枚ずつ取り出し、
傷が付いていないかを確かめながら、机の上へ丁寧に並べていく。
窓辺には朝の光が薄く差し込んでいて、
外の気配はほとんどなく、部屋の静けさだけがやけに澄んでいた。
フィリックスは、まだ朝食の片付けを終えたばかりだったが、
ミナトが薬作りを始めると聞いて、何も言わずに隣の椅子へ座った。
「フィリは、今日は依頼に行かないの?」
「急ぎのものはない」
「じゃあ、お休み?」
「ああ」
ミナトは嬉しそうに顔を上げた。
「それなら、一緒にいてくれる?」
「最初からそのつもりだ」
その答えに、ミナトは少しだけ頬を緩めた。
フィリックスが家にいる日は、特別なことをしなくても心が落ち着く。
同じ部屋で別々のことをしていても、
近くに彼の気配があるだけで、家の中がいつもより温かく感じられた。
窓辺の静けさも、今日は不思議とやわらいでいるように思えた。
ミナトは薬草を細かく刻み、すり鉢へ入れていく。
青い葉は、潰すと少しだけ冷たい香りを放った。
そこへ、昨日まで使っていた回復薬の素材を加え、
最後に少量の魔力を流し込む。
透明だった液体が、ゆっくりと淡い青緑色へ変わっていく。
「きれい」
ミナトが小さく呟くと、フィリックスは隣から覗き込んだ。
「効きそうだ」
「まだ分からないよ」
「ミナトが作ったなら、効く」
「フィリは、いつもそう言うね」
「本当だからだ」
ミナトは照れたように笑いながら、瓶へポーションを移していった。
新しいポーションは、以前よりも少しだけ澄んだ色をしている。
試しに、庭で葉を傷めていた小さな薬草へ一滴だけ垂らすと、
しおれていた葉がゆっくりと元の形へ戻っていった。
「できた」
ミナトは嬉しそうに声を上げた。
「ちゃんと効いたよ」
「ああ」
フィリックスは、ミナトが笑っている姿を見ていた。
ポーションが成功したことも嬉しかったが、
それ以上に、ミナトが自分の作ったものを見て、
心から喜んでいることが嬉しかった。
「街へ持っていく?」
「うん。でも、今日はもう少し作ってからにしようかな」
「なら、俺が瓶を洗う」
「フィリが?」
「手伝う」
ミナトは少し驚いたあと、すぐに笑った。
「ありがとう。でも、割らないでね」
「割らない」
「本当に?」
「お前は俺を何だと思ってる」
「剣は上手だけど、細かいことは少し苦手な人」
フィリックスは眉を寄せた。
「苦手じゃない」
「じゃあ、お願いしてもいい?」
「ああ」
フィリックスは真剣な顔で瓶を洗い始めた。
一つずつ水で流し、
汚れが残っていないかを光へかざして確かめる姿は、
魔物と戦う時と同じくらい集中している。
ミナトはその横顔を見て、思わず小さく笑った。
「何だ」
「ううん。フィリ、かわいいなって思って」
フィリックスの手が止まった。
「……言うな」
「本当だよ」
「俺は可愛くない」
「可愛いよ」
「ミナト」
「はい」
「薬を作れ」
ミナトはくすくすと笑いながら、またすり鉢へ向き直った。
昼頃には、机の上に青緑色のポーションが何本も並んだ。
フィリックスが洗った瓶は一つも割れていなかった。
むしろ、ミナトが普段使うよりもきれいに並べられていて、
ラベルまで同じ向きに揃っている。
「すごい。フィリ、上手だったね」
「だから言った」
「うん。ごめんね」
「別にいい」
けれどフィリックスの声は、少しだけ機嫌が良さそうだった。
午後、二人はポーションを街の診療所へ届けに行った。
診療所の老人は新しい色のポーションを見るなり、
興味深そうに瓶を手に取った。
「これは、また良いものを作ったね」
「昨日、森で見つけた薬草を使ってみたんです」
「試してもいいかい?」
「もちろんです」
老人は、軽く擦りむいた手の甲へ一滴だけ垂らした。
傷はすぐに消えたわけではなかったが、
赤みがゆっくりと引いていく。
「これは助かる。いつもの薬より、痛みが早く引くようだ」
ミナトはほっとしたように息を吐いた。
「よかった」
帰り道、フィリックスは診療所でもらった代金の袋をミナトへ渡した。
「今日の分」
「フィリが持ってていいよ」
「ミナトが作ったものだ」
「でも、二人で作ったよ。瓶も洗ってくれたし」
フィリックスは少し黙った。
「じゃあ、半分ずつにするか」
「うん」
ミナトは嬉しそうに頷いた。
二人で働き、二人で得たものを分ける。
そんなことも、ミナトには大切な生活の一部だった。
家へ戻る途中、ミナトは小さな花屋の前で足を止めた。
店先には、白く小さな花がいくつも並んでいる。
どれも静かに咲いていて、陽の光を受けてもどこか冷たく見えた。
「これ、きれい」
「買うか」
「いいの?」
「ああ」
ミナトは少し迷ったあと、一番小さな鉢を選んだ。
「窓辺に置こうかな」
「鳥の近くか」
「うん。あの子も、少し賑やかな方がいいかもしれない」
家へ帰ると、
ミナトは窓辺に置いていた小さな鳥の置物の隣へ、
白い花の鉢を置いた。
窓から入る光を受けて、花びらがやわらかく揺れる。
けれどその揺れは、風に遊んでいるというより、
静かな場所で何かを待っているようにも見えた。
「似合うね」
ミナトが言うと、フィリックスは隣で頷いた。
「鳥も喜んでる」
「置物だよ」
「分かってる」
「でも、フィリがそう言うなら、きっと喜んでるね」
ミナトは笑いながら、花へ少しだけ水をやった。
夕食は、二人で作った。
ミナトが野菜を切り、フィリックスが肉を焼く。
フィリックスは料理に慣れてきたとはいえ、
火加減を気にしすぎて、時々鍋の前から動かなくなる。
「フィリ、そんなに見てなくても大丈夫だよ」
「焦げたら困る」
「少しくらい焦げても食べられるよ」
「俺は嫌だ」
「じゃあ、今日は絶対に焦がさないでね」
「ああ」
ミナトは笑いながら、皿を並べた。
夕食のあと、二人は窓辺の花を眺めながら暖炉の前へ座った。
フィリックスはミナトの肩へ腕を回し、
ミナトは自然にその胸元へ寄り添う。
「今日は、ずっと一緒だったね」
「ああ」
「楽しかった」
「俺もだ」
「薬もできたし、花も買えたし」
「鳥も喜んだ」
「ふふ」
ミナトは小さく笑った。
窓辺の白い花は、火の揺らぎを受けて淡く影を落としている。
その影は壁に触れるたび、ほんの少しだけ形を変えた。
「フィリ」
「なんだ」
「明日も、こうしていられる?」
フィリックスは、すぐに答えた。
「ああ」
「明後日も?」
「ああ」
「その次も?」
「ずっとだ」
ミナトは少しだけ目を伏せた。
フィリックスの言葉は、いつも迷いがない。
だからこそ、その言葉を聞くたびに、
胸の奥が温かくなるのと同時に、
どうしてか少しだけ苦しくなることがあった。
それは、幸せが大きすぎるからなのかもしれないと、ミナトは思った。
「僕も、ずっと一緒にいたいな」
「いる」
フィリックスは、ミナトの手を取った。
「俺のそばにいろ」
「うん」
ミナトは頷いた。
それから、少しだけ顔を上げて、フィリックスの頬へ口づけた。
触れるだけの、短い口づけだった。
けれどフィリックスは、
驚いたように目を見開いたあと、すぐにミナトの頬へ手を添えた。
「急にどうした」
「したくなったの」
「……そうか」
「嫌だった?」
「嫌なわけがない」
フィリックスは低く言い、今度は自分からミナトの唇へ口づけた。
ゆっくりと触れ、離れる前にもう一度だけ確かめるように重ねる。
ミナトは目を閉じ、フィリックスの服をそっと掴んだ。
「フィリ」
「何だ」
「好き」
「ああ」
「フィリも?」
「好きだ」
「よかった」
ミナトは安心したように笑った。
その夜、二人はいつもより少し遅くまで、寝台の中で手を繋いでいた。
明日の話をして、次に森へ行くなら何を持っていくかを話して、
暖かくなったら見に行くと約束した花畑のことも、もう一度話した。
「花畑、楽しみだね」
「ああ」
「きっと、きれいだよ」
「ミナトが好きそうな場所だ」
「フィリと一緒なら、どこでも好きだよ」
フィリックスは少しだけ黙った。
それから、ミナトを抱き寄せる腕へ、わずかに力を込めた。
「俺もだ」
ミナトはフィリックスの胸元へ頬を寄せ、静かに目を閉じた。
その温かさが、ずっと続くものだと信じながら。
「おやすみ、フィリ」
「ああ。おやすみ、ミナト」
二人は寄り添ったまま、いつもの夜へ眠り落ちていった。
けれど、窓辺の白い花は、月明かりの中でひどく静かに揺れていた。
風はないはずだった。
それでも花びらは、何かに触れられたように、かすかに震え続ける。
窓の外は音ひとつなく、ただ白い花だけが、
眠る部屋を見つめているようだった。
その夜が、二人にとって、何も変わらない日常の続きであるように。
――そう願うには、あまりにも静かすぎた。




