明日へ続く約束
髪を切った翌日からミナトは首元が軽くなったことが嬉しいらしく、
朝食の支度をしながらも、薬草を選びながらも、
ふとした時に短くなった髪の先へ指を触れては、確かめるように微笑んでいた。
フィリックスはそのたびに視線を向けていたが、
何度も見ていることを気付かれるのは少し気恥ずかしいのか、
ミナトがこちらを見ると、すぐに別の場所へ目を逸らした。
「フィリ、やっぱり気になる?」
昼前、ミナトは薬棚の前で振り返り、首を傾げた。
「何がだ」
「僕の髪」
「気にならない」
「でも、ずっと見てる」
フィリックスは少し黙った。
ミナトは責めるつもりではなく、ただ不思議そうに彼を見つめている。
その穏やかな瞳を前にすると、誤魔化すこともできなかった。
「……見慣れたものが変わったからだ」
「昨日もそう言ってたね」
「ああ」
「嫌じゃない?」
「嫌なわけがない」
フィリックスはすぐに答えた。
それから少しだけ迷うようにして、ミナトのそばへ歩み寄る。
「前の髪も好きだった」
「うん」
「今の髪も好きだ」
ミナトは目を瞬いたあと、少しずつ頬を赤くした。
「そういうこと、急に言うんだね」
「本当のことだ」
「うん……ありがとう」
短くなった髪は、
以前よりもミナトの表情をよく見せるようになっていた。
柔らかな明るい茶色の髪の下で、
笑う時には目尻がわずかに下がり、困った時には眉が少し寄る。
フィリックスは以前からその顔を知っていたはずなのに、
髪型が変わっただけで、
また新しいミナトを見つけたような気持ちになっていた。
「今日は、薬を作るんだろう」
照れた空気を断ち切るように、フィリックスは言った。
「うん。街の診療所に頼まれた分があるから」
「俺も行く」
「一緒に?」
「ああ」
ミナトは嬉しそうに笑った。
「じゃあ、帰りに少しだけ寄り道してもいい?」
「どこに」
「前に見つけた、木の実のお菓子を売ってるお店」
「甘いものばかり食べるな」
「一つだけだよ」
「……一つならいい」
二人は昼過ぎに家を出て、街の診療所へ向かった。
ミナトが作った回復薬は、
辺境の街ではすっかり頼りにされるようになっていて、
薬を受け取った診療所の老人は、瓶を光へかざしながら、
何度も感心したように頷いていた。
「ミナト君の薬は、飲んだ人の顔色が変わるのが早いから助かるよ」
「よかったです」
ミナトは少し照れながら頭を下げた。
自分の作ったものが誰かの役に立つことは、
何度経験しても嬉しかった。
現実の自分には、できないことがたくさんある。
けれどこの世界では、薬草を選び、火加減を見て、
誰かの傷や苦しさを少しだけ軽くするものを作れる。
そのことを、ミナトは決して当たり前だと思わなかった。
診療所を出たあと、二人は約束通り、小さな菓子店へ寄った。
ミナトは木の実を練り込んだ丸い焼き菓子を二つ買い、
家へ帰る道で一つをフィリックスへ差し出した。
「半分こにする?」
「お前が食べろ」
「二つあるから、一つずつでもいいんだけど」
「半分でいい」
ミナトは少し笑って、焼き菓子を割った。
中から甘い香りが広がる。
「こっちの方が、木の実が多いよ」
「お前が食べろ」
「でも、フィリも好きでしょ?」
「好きだ」
「じゃあ、一緒に食べよう」
フィリックスは受け取った半分を口に入れ、ゆっくりと噛んだ。
ミナトはその横顔を見ながら、自分も小さく一口かじる。
「おいしい?」
「ああ」
「よかった」
「お前は」
「おいしいよ」
ただ焼き菓子を食べているだけなのに、
ミナトはとても満たされた気持ちになった。
フィリックスと一緒にいると、何気ないことが少しずつ特別になる。
一人で食べればすぐに終わってしまうお菓子も、
半分こにして、感想を言い合って、歩きながら食べれば、
その時間ごと大切なものになる。
家へ戻ると、ミナトは残しておいた焼き菓子の包み紙を、
以前と同じように丁寧に折り畳んだ。
「また棚に置くのか」
フィリックスが尋ねる。
「うん。前のと並べたら、少し面白いかなって」
「紙が増える」
「思い出も増えるよ」
フィリックスは、ミナトが棚の前で嬉しそうにしている姿を見つめた。
それから、依頼先で見つけたという小さな金属片を、机の上へ置く。
「これも置く」
ミナトは目を丸くした。
金属片は、掌に乗るほど小さく、銀色の縁に青い光が薄く浮かんでいた。
「きれい。何の欠片?」
「古い魔導具の一部らしい」
「危なくない?」
「もう魔力は抜けてる」
「じゃあ、棚に置こう」
ミナトは包み紙の隣へ金属片を置き、少しだけ離れて眺めた。
三段の棚は、まだ余白の方が多い。
けれど、その余白があるからこそ、
これから先にも、二人で見つけるものを置けるのだと思えた。
「フィリ」
「なんだ」
「棚、少しずついっぱいになっていくね」
「ああ」
「そのたびに、またどこかへ行ったこととか、思い出せるね」
「忘れない」
「うん」
フィリックスはミナトの隣へ立ち、短くなった髪へそっと触れた。
「これも覚えてる」
「髪を切った日?」
「ああ」
ミナトは少しだけ笑った。
「じゃあ、髪紐をまた使う日も、覚えててね」
「忘れるわけがない」
その言葉は静かだったが、
フィリックスにとっては約束のようなものだった。
夜、二人は暖炉のそばで、明日の予定を話した。
ミナトは新しい薬の作り方を試してみたいと言い、
フィリックスは近くの森で採れる薬草の場所を教えると言った。
「一人で行かないでね」
「行かない」
「本当に?」
「お前と行く」
ミナトは安心したように微笑んだ。
「じゃあ、明日は少し早く起きよう」
「ああ」
「お弁当も作るね」
「楽しみにしてる」
フィリックスがそう言うと、ミナトは少しだけ照れながら頷いた。
二人の明日は、まだ何も決まっていないようでいて、
すでに小さな約束で満ちている。
薬草を探し、弁当を食べ、帰ってきたら棚へ何かを増やすかもしれない。
そんな穏やかな未来を思い浮かべながら、
ミナトはフィリックスの肩へそっと寄り添った。
フィリックスは何も言わず、けれどすぐにミナトの肩を抱き寄せる。
「眠いか」
「少しだけ」
「寝るか」
「うん」
寝室へ入ったあと、
ミナトはいつものようにフィリックスの隣へ横になった。
短くなった髪へ、フィリックスの指先が一度だけ触れる。
「明日も、似合ってるって言ってくれる?」
ミナトが眠たそうに尋ねると、フィリックスは少しだけ目を細めた。
「ああ」
「何度でも?」
「何度でも言う」
ミナトは満足そうに笑い、フィリックスの手を握った。
「じゃあ、明日も楽しみだね」
「ああ」
二人は手を繋いだまま、静かな夜の中で眠りについた。




