表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
LIBERAL ONLINE  作者: Guri
39/64

髪紐をしまう日

 

 朝、ミナトは鏡の前に座り、

 肩より少し下まで伸びた髪を指先でまとめながら、

 小さく首を傾げていた。


 ゲームの中では、髪が伸びる速さも現実と同じではないらしく、

 最初は耳にかかる程度だった明るい茶色の髪が、

 いつの間にか首元へ触れ、後ろでひとつに結べるほどになっている。


 普段は細い髪紐でゆるく結んでいるけれど、

 薬を作る時や料理をする時には、

 前へ落ちてくる髪が少しだけ邪魔になることもあった。


「どうした」


 背後から聞こえた声に、ミナトは鏡越しにフィリックスを見た。


 フィリックスは朝の支度を終え、外套を手に持っていたが、

 ミナトが髪を何度も触っていることに気付いたらしい。


「少し、髪を切ろうかなって思って」


「切るのか」


「うん。長いのも好きだけど、最近は結んでても邪魔になることがあって」


 ミナトは、結んでいた髪をほどいた。


 髪紐が外れると、柔らかな髪が肩へ落ちる。


 フィリックスはその様子を、しばらく黙って見ていた。


「嫌?」


 ミナトが少し不安そうに尋ねると、

 フィリックスはすぐに首を横へ振った。


「嫌じゃない」


「でも、少しびっくりした顔をしてた」


「見慣れてるものが変わるからだ」


「髪だけだよ」


「お前の髪だ」


 フィリックスは、言ってから少しだけ視線を逸らした。


 ミナトはその言葉が可笑しくて、

 けれど嬉しくて、小さく笑った。


「短くしても、僕は僕だよ」


「ああ。分かってる」


「じゃあ、切ってもいい?」


「お前が決めろ」


「フィリは、どっちが好き?」


 フィリックスは少しだけ考えた。


「どっちでもいい」


「またそれ言う」


「本当だ」


「でも、僕が選ぶなら?」


「お前が楽な方にしろ」


 ミナトは少し黙った。


 フィリックスは、いつも自分がどう見えるかよりも、

 自分が楽に過ごせるかを先に考えてくれる。


 そのことが、ミナトにはとても嬉しかった。


「じゃあ、少し短くする」


「俺が切る」


 ミナトは驚いて振り返った。


「フィリが?」


「ああ」


「切ったことあるの?」


「ない」


「大丈夫かな」


「大丈夫だ」


「その自信はどこから来るの?」


 フィリックスは少しだけ眉を寄せた。


「刃物は扱える」


「髪を切るのと、剣を使うのは違うよ」


「似たようなものだ」


「全然違うと思う」


 ミナトは笑ったが、

 フィリックスが真剣な顔をしているのを見ると、少しだけ迷った。


 自分の髪を切ってもらうことは、きっと簡単なことではない。


 けれど、フィリックスが自分のために

 やってみようとしてくれることが、嬉しかった。


「じゃあ……本当に少しだけだよ」


「ああ」


 ミナトは椅子を窓の近くへ運び、

 フィリックスは道具箱の中から、細い刃のついた小さな鋏を取り出した。


 薬草の茎を切るために使っている鋏で、刃はよく研がれている。


 フィリックスはそれを

 何度も確かめるように見てから、ミナトの後ろへ立った。


「怖くないか」


「少しだけ」


「やめるか」


「ううん。フィリに切ってほしい」


 その言葉に、フィリックスの手が止まった。


 ミナトは鏡越しに、彼が少しだけ目を細めるのを見た。


「動くな」


「うん」


 フィリックスは、ミナトの髪をそっと手に取った。


 大きな手が髪へ触れる感触は、少しくすぐったい。


 いつもなら剣を握り、魔物を退けるために使われる手が、

 今は自分の髪を傷めないように、驚くほど慎重に動いている。


「このくらいでいいか」


 フィリックスが尋ねる。


 ミナトは鏡の中で髪の長さを見ながら、少しだけ頷いた。


「うん。首にかからないくらい」


「分かった」


 鋏が小さく音を立てた。


 一度。


 二度。


 髪が少しずつ切り落とされ、膝の上に置いた布へ柔らかく落ちていく。


 フィリックスは急がなかった。


 切るたびに長さを確かめ、

 左右が揃っているかを何度も見て、

 少しでも不安になると手を止めた。


 ミナトはそんな彼の様子を見ているうちに、

 最初の緊張がゆっくりとほどけていった。


「フィリ、すごく真剣だね」


「失敗したくない」


「少しくらい変でも、僕は怒らないよ」


「俺が嫌だ」


 ミナトは小さく笑った。


「僕の髪なのに?」


「お前のものだからだ」


 フィリックスの声は低く、けれどどこまでも真面目だった。


 ミナトは、それ以上からかうことができなくなった。


 自分のことを、こんなふうに大切に扱ってくれる人がいる。


 それが、胸の奥を静かに温めた。


 しばらくして、フィリックスは鋏を置いた。


「終わった」


 ミナトは鏡へ近付き、自分の髪を見た。


 肩へ落ちていた髪は首元で揃えられ、以前より少しだけ軽くなっている。


 長さは短くなったのに、

 どこか柔らかな印象は変わらず、ミナトは何度か髪の先を指で触れた。


「どう?」


 フィリックスはすぐには答えなかった。


 鏡の中のミナトを見つめ、少しだけ目を細める。


「似合う」


「本当?」


「ああ」


「変じゃない?」


「変じゃない」


「よかった」


 ミナトは安心したように笑った。


「フィリが切ってくれたから、嬉しい」


 フィリックスは、切り落とした髪が乗った布へ目を向けた。


 その中には、いつもミナトが使っていた細い髪紐も置かれている。


 淡い青色の糸で編まれた、飾りの少ない髪紐だった。


「それは」


「髪紐?」


「ああ」


「今はもう結べないから、しまっておこうと思う」


 ミナトは髪紐を手に取り、指先でゆっくりと撫でた。


「また髪が伸びたら、使えるよ」


「捨てないのか」


「捨てないよ」


 ミナトは首を横へ振った。


「ずっと使ってたものだし、それに……

  これを結んでる時の僕も、フィリは知ってるでしょ?」


 フィリックスは、静かに頷いた。


「知ってる」


「だから、また伸びたら使いたいな」


 フィリックスは少しだけ黙ってから、

 髪紐をミナトの手から受け取った。


「俺がしまう」


「フィリが?」


「ああ。なくさないように」


 ミナトは少しだけ目を丸くした。


「大事にしてくれる?」


「お前が大事にしたいものだ」


「うん」


 フィリックスは髪紐を、元の部屋にある棚の小さな引き出しへ入れた。


 焼き菓子の包み紙や銀色の石が並ぶ棚の下にある、小さな引き出し。


 そこには、二人がまだ飾る場所を決められなかったものや、

 壊れやすいものが入っている。


 フィリックスは髪紐を丁寧に畳み、

 引き出しの奥ではなく、すぐ目に入る場所へ置いた。


「ここなら、すぐ出せる」


「ありがとう、フィリ」


「伸びたら言え」


「うん」


「また結ぶ」


 ミナトは少しだけ笑った。


「フィリが?」


「ああ」


「上手に結べるかな」


「覚える」


「髪を切るより難しいかもしれないよ」


「なら、練習する」


 ミナトは、その真剣な言葉に思わず笑ってしまった。


 けれど、笑いながらも胸の奥はとても温かかった。


 髪が伸びたらまた使う。


 そのために、大切にしまっておく。


 そんな小さな未来の話が、ミナトには何より嬉しかった。


 昼になり、

 ミナトは少し短くなった髪を何度も触りながら、

 台所でパンの生地をこねていた。


 フィリックスは隣で、言われた通りに木の実を刻んでいる。


「軽いね」


 ミナトが言う。


「髪か」


「うん。首の後ろがすっきりする」


「寒くないか」


「まだ寒くないよ」


「寒くなったら言え」


「うん」


 ミナトは生地をこねながら、ふとフィリックスを見た。


「フィリ」


「なんだ」


「僕、髪が伸びたら、また今みたいに切ってくれる?」


 フィリックスは、木の実を刻む手を止めた。


「切る」


「本当に?」


「ああ」


「じゃあ、結ぶのも?」


「ああ」


 ミナトは嬉しそうに笑った。


「それなら、髪が伸びるのも楽しみだね」


 フィリックスは少しだけ目を細めた。


「伸びるまで、ずっとそばにいる」


 ミナトは、すぐに言葉を返せなかった。


 何気ないように言われたその言葉が、あまりにも優しく、

 あまりにも当たり前の未来を含んでいたからだった。


「うん」


 やがてミナトは、小さく頷いた。


「僕も、フィリのそばにいる」


 その日の夜、寝室へ入る前に、

 ミナトはもう一度だけ棚の引き出しを開けた。


 淡い青の髪紐は、きれいに畳まれて入っている。


 ミナトはそれを見てから、そっと引き出しを閉めた。


 いつかまた髪が伸びた時、フィリックスに結んでもらうために。


 その約束が、二人のこれからを静かに繋いでいるように思えた。


「ミナト」


 寝室の方から呼ばれ、ミナトは振り返る。


「今行くよ」


「冷える」


「うん」


 ミナトはフィリックスのもとへ歩き、

 いつものように同じ寝台へ入った。


 短くなった髪へ、フィリックスの指先がそっと触れる。


「似合う」


「さっきも言ってくれた」


「何度でも言う」


 ミナトは少し照れながら笑った。


「じゃあ、僕も言うね」


「何を」


「フィリは、今日も格好いい」


 フィリックスは少しだけ黙った。


「急に言うな」


「フィリが何度でも言うから」


「……寝ろ」


「ふふ」


 ミナトは笑いながら、フィリックスの手を取った。


 二人は手を繋ぎ、いつものように、おやすみを言い合った。


 その夜、棚の引き出しにしまわれた淡い青の髪紐は、

 まだ見えない未来を待つように、静かにそこにあった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ