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LIBERAL ONLINE  作者: Guri
35/64

手を繋いで歩く街道

 

 街へ出かけると決まると、ミナトはすぐに台所へ向かった。


 小さな籠の中へ昼食にするためのパンと、

 昨夜の煮込みを詰めた木の器、

 それから甘い果実を二つ、丁寧に並べ始めた。


 遠出と呼ぶほど遠い場所ではないのに、

 フィリックスと二人で外へ食事を持って行くというだけで、

 ミナトの胸は少し浮き立ち、

 何度も窓の外を見ては、もう出発してもいいだろうかと考えてしまう。


「そんなに急がなくても、街は逃げない」


 背後から聞こえた声に、ミナトは振り返った。


 フィリックスは外出用の外套を肩へ掛け、

 大剣ではなく、今日は腰に短剣だけを下げている。


 街道を歩くだけなら大きな武器は必要ないと言っていたが、

 ミナトはそれでも、彼が軽装でいる姿が少し新鮮に見えて、

 思わずじっと見つめてしまった。


「見すぎだ」


 フィリックスが言う。


「ごめん」


「謝るな」


「でも、フィリがいつもと少し違う格好だから」


「街へ行くだけだ」


「うん。でも、なんだか格好いいなって思った」


 フィリックスの足が止まった。


 ミナトは言ってから、

 自分でも少し恥ずかしくなり、籠の持ち手を握り直す。


「……急に言ってごめん」


「だから、謝るな」


 フィリックスは少しだけ視線を逸らし、

 それからミナトの手にある籠を受け取った。


「俺が持つ」


「重くないよ」


「知ってる」


「じゃあ、どうして?」


「お前の手を空けたい」


 ミナトは首を傾げた。


 フィリックスは、何でもないことのように続ける。


「繋ぐために」


 その言葉に、ミナトの頬がすぐに熱くなった。


 けれど、嫌ではない。


 むしろ、フィリックスがそんなふうに

 当たり前のように言ってくれることが、どうしようもなく嬉しかった。


「……うん」


 籠を受け取ったフィリックスは、もう片方の手をミナトへ差し出した。


 ミナトは少しだけためらってから、その大きな手へ自分の手を重ねた。


 指先が触れ合い、ゆっくりと繋がる。


 家の中で手を繋ぐことには少しずつ慣れてきたのに、

 外へ出るための扉を開ける前に繋ぐ手は、なぜかいつもより特別に感じられた。


「行こう」


 フィリックスが言う。


「うん」


 二人は並んで家を出た。


 雨上がりの空はすっかり晴れていて、雲の隙間から落ちる光が、

 濡れた草の先や、道端に残った小さな水たまりを淡く照らしている。


 家から馬車乗り場までは、

 森の間を縫うように続く小道を少し歩けば着く距離だった。


 柔らかな土の道には、昨夜の雨でできた浅い轍が残り、

 木々の葉から落ちる雫が時々肩へ触れる。


 ミナトはフィリックスの隣を歩きながら、

 何度も足元を見て、それから少し先の景色へ目を向けた。


「雨のあとの森って、いつもより匂いがするね」


「ああ」


「土の匂いと、葉っぱの匂いと……少しだけ、甘い匂いもする」


「花だろう」


「どこにあるのかな」


 ミナトが辺りを見回すと、フィリックスは少し先の茂みを指差した。


 白い小さな花が、濡れた葉の間にいくつも咲いている。


「ほんとだ」


 ミナトは足を止め、しゃがみ込みそうになった。


 けれどフィリックスが繋いだ手を少しだけ引き、穏やかに言う。


「足元がぬかるんでる」


「うん」


「見たいなら、俺が取る」


「摘んでもいいの?」


「少しくらいなら」


 フィリックスは籠を片手に持ったまま、花の近くへ歩いていく。


 土で靴が汚れないように気を付けながら、白い花を数輪だけ摘み、

 茎を傷めないようにそっと整えてから、ミナトへ差し出した。


「はい」


「ありがとう」


 ミナトは花を受け取り、嬉しそうに眺めた。


「家に飾ろうかな」


「枯れる」


「うん。でも、枯れるまで見られるよ」


 フィリックスは少しだけ目を細めた。


「なら、飾れ」


 ミナトは花を大事そうに籠の布の上へ置いた。


 その小さな花を眺めている横顔があまりにも嬉しそうで、

 フィリックスは、街へ行く前に足を止めることさえ悪くないと思った。


 やがて馬車乗り場の木陰に着くと、すでに乗り合い馬車が一台、

 御者を待つように止まっていた。

 先に乗り込んだ旅人たちが、荷物を膝に抱えて座っている。


 ミナトは知らない人たちの姿を見て、

少しだけフィリックスの手を握る力を強めた。


 それに気付いたフィリックスは、何も言わずにミナトの手を包み直し、

 自分が道の外側に立つように位置を変えた。


「怖いか」


「怖いわけじゃないよ」


「なら、何だ」


「人がたくさんいると、ほんの少しだけ緊張する」


「離れるな」


「うん」


「俺からも離れない」


 ミナトはその言葉を聞いて、少しだけ安心したように笑った。


 乗り合い馬車の中は、木のベンチが向かい合わせに並んでいて、

 窓から入る風がまだ少し湿っている。


 二人が腰を下ろすと、御者が手綱を鳴らし、

 馬車はゆっくりと動き出した。


 車輪が土を踏む音が規則正しく響き、

 窓の外の森が少しずつ後ろへ流れていく。


 ミナトは籠を膝の上に抱え、揺れに合わせて小さく息をついた。

 


 街の門前で馬車が止まると、

 そこには辺境の家の周りとはまるで違う賑やかさが広がっている。


 焼きたてのパンの匂い、

 香辛料の強い香り、

 果物の甘い香りが混じり合い、

 通りのあちこちでは商人たちが声を張り上げている。


 布を売る店には鮮やかな色の布が揺れ、

 雑貨屋の棚には遠い土地から運ばれてきたらしい小さな置物や、

 色のついた硝子瓶が並んでいた。


 ミナトは思わず足を止め、あちこちへ視線を向ける。


「すごいね」


「ああ」


「前に来た時より、お店が増えてる気がする」


「季節市が近いからだろう」


「季節市?」


「春の終わりに開かれる大きな市だ。普段より商人が集まる」


「行ってみたいな」


 ミナトがそう言うと、フィリックスはすぐに答えた。


「行く」


「まだ日にちも決まってないよ?」


「決まったら行く」


「フィリ、すぐ約束してくれる」


「お前が行きたいと言った」


「うん。でも、フィリが忙しいかもしれないよ」


「空ける」


 その迷いのない声に、ミナトは少しだけ笑った。


「じゃあ、楽しみにしてる」


 二人はまず、薬草用の空き瓶を買うために硝子工房の店へ向かった。


 店の中には大小さまざまな瓶が並び、

 透明なものだけではなく、淡い青や緑、

 琥珀色の硝子で作られたものもある。


 ミナトは棚の前へ立ち、一本ずつ手に取っては、光へ透かして眺めた。


「これ、きれい」


 彼が手に取ったのは、薄い水色の小瓶だった。


「回復薬を入れたら、空の色みたいになるかな」


「なる」


「でも、透明な方が中身が見えていいかな」


「両方買えばいい」


「そんなにたくさん?」


「必要だろう」


「必要だけど、使うのは僕だよ」


「お前が使うなら買う」


 ミナトは少しだけ困ったように笑った。


「フィリは、僕に甘いね」


「恋人だから」


「それ、便利な言葉だね」


「便利じゃない」


 フィリックスは真剣な顔で言った。


「大事な言葉だ」


 ミナトは目を丸くしてから、ゆっくりと微笑んだ。


「うん。大事だね」


 結局、ミナトは透明な瓶と水色の瓶を半分ずつ選んだ。


 フィリックスは代金を払おうとしたが、

 ミナトは自分の作ったポーションを売って得たお金があるからと、

 小さな革袋を取り出した。


「これは僕のお仕事の分だから」


「足りるか」


「足りるよ」


「足りなくなったら言え」


「うん」


 フィリックスは少しだけ不満そうだったが、

 ミナトが自分で選び、自分で払うことを

 嬉しそうにしているのを見て、最後には何も言わなかった。


 店を出ると、通りの向こうから、甘い香りが流れてきた。


 焼き菓子の屋台だった。


 丸い生地に果実の蜜を塗った小さな菓子が、鉄板の上で焼かれている。


 ミナトは少しだけそちらを見た。


 本当に少しだけだった。


 けれどフィリックスは見逃さなかった。


「食べるか」


「え?」


「見てた」


「でも、お昼のお弁当があるし」


「一つなら食べられる」


「フィリも食べる?」


「ああ」


 ミナトは嬉しそうに頷いた。


 屋台で買った焼き菓子は、手のひらほどの大きさだった。


 フィリックスは二つ買おうとしたが、

 ミナトは「半分こがいい」と言って、一つだけを選んだ。


 少しだけ冷ましてから、

 ミナトは焼き菓子を半分に割り、片方をフィリックスへ渡す。


「はい」


「お前の方が小さい」


「フィリの方がたくさん食べるから」


「お前も食べろ」


「食べてるよ」


「少ない」


「じゃあ、次は僕が大きい方にする」


「次もあるのか」


「また来た時に」


 フィリックスは、ミナトの言葉を聞いて少しだけ目を細めた。


 また来た時。


 次もある。


 ミナトはいつも、これから先のことを自然に口にする。


 フィリックスにとって、その何気ない未来の言葉は、

 どんな高価なものよりも大切だった。


 二人は街の端にある小さな広場へ移動し、木陰のベンチへ腰を下ろした。


 持ってきたパンと煮込みを分け合い、

 ミナトは途中で白い花を取り出して、籠の隅にあった細い紐で茎を結んだ。


「帰ったら、窓辺に飾ろう」


「ああ」


「フィリの部屋だったところにも、何か置こうかな」


 フィリックスがミナトを見る。


「俺の部屋だったところ?」


「うん。今は使ってないから」


「物置にするか」


「それもいいけど……

  フィリが前に使ってた部屋だから、何か残しておきたいなって思って」


 フィリックスは少し黙った。


「何を」


「うーん。フィリの好きなもの」


「ない」


「本当に?」


「ああ」


「じゃあ、僕が選んでもいい?」


「お前が選ぶならいい」


 ミナトは少し考えたあと、嬉しそうに言った。


「じゃあ、今度、街で小さな棚を見よう。

  フィリが集めた素材とか、旅先で見つけたものとか、飾れるように」


「飾るほどのものはない」


「これから増えるよ」


「何が」


「二人で出かけた時に見つけたものとか」


 フィリックスは、ミナトを見つめた。


「二人のものか」


「うん」


「それなら、増やす」


 ミナトは満足そうに笑った。


 昼食を終えたあと、二人は必要な砂糖や乾燥肉を買い、

 最後に小さな雑貨屋へ寄った。


 ミナトはそこで、木で作られた小さな鳥の置物を見つけた。


 翼を広げた形で、掌に乗るほど小さい。


「かわいい」


 ミナトが手に取ると、フィリックスは隣から覗き込んだ。


「鳥か」


「うん。家に置いたら、少し明るくなるかなって」


「買うか」


「でも、今月は瓶も買ったし」


「俺が買う」


「フィリ」


「恋人だから」


 ミナトは少しだけ笑った。


「またそれ言う」


「大事な言葉だ」


「うん」


 ミナトは鳥の置物を見つめ、それからフィリックスを見上げた。


「じゃあ、買ってもらってもいい?」


「ああ」


 店を出たあと、ミナトは小さな鳥を両手で包むように持ち、

 何度も嬉しそうに眺めていた。


 夕方、帰りの乗り合い馬車に揺られて

 家の近くの馬車乗り場へ戻る頃には、ミナトは少しだけ眠そうになっていた。


 楽しかったぶん、疲れも出てきたのだろう。


 馬車を降りると、森の小道はもう橙色に染まり始めていた。


 フィリックスは何も言わずに立ち止まり、ミナトの前へ背を向けた。


「乗れ」


「え?」


「疲れただろ」


「大丈夫だよ」


「歩くのが遅い」


「それは、景色を見てるから」


「嘘だ」


 ミナトは少しだけ黙った。


「……少しだけ疲れたかも」


「乗れ」


「でも、籠もあるし」


「籠は持つ」


「フィリ、重いよ」


「軽い」


 ミナトはしばらく迷っていたが、

 フィリックスが待っていることを見てそっと背中へ身を預けた。


 フィリックスはミナトの膝の下へ腕を回し、軽々と背負い上げる。


 視界が少し高くなり、ミナトは驚いてフィリックスの肩へ手を置いた。


「本当に大丈夫?」


「ああ」


「重くない?」


「軽すぎる」


「それ、褒めてる?」


「心配してる」


 ミナトは少しだけ頬を膨らませた。


「ちゃんと食べてるよ」


「もっと食べろ」


「また言った」


 フィリックスは答えず、歩き始めた。


 背中越しに感じる体温は温かく、一定の歩調が心地よい。


 ミナトは最初、申し訳なさそうにしていたが、

 やがてフィリックスの肩へ頬を寄せた。


「フィリ」


「なんだ」


「今日は楽しかったね」


「ああ」


「また一緒に来ようね」


「ああ」


「季節市も」


「ああ」


「湖も」


「ああ」


「遠い国も、いつか行けるかな」


 フィリックスの歩みが、ほんの少しだけゆるやかになる。


「行ける」


「本当?」


「ああ。お前が行きたいなら、どこへでも連れていく」


 ミナトは目を閉じた。


「うん」


 その返事には、眠気が少し混じっていた。


 フィリックスは背中のミナトが眠りかけていることに気付き、

 歩く速度をさらにゆっくりとした。


 夕暮れの森を抜け、二人の家の屋根が見えた時、

 ミナトは小さく目を開けた。


「帰ってきたね」


「ああ」


「ただいま」


 フィリックスは家の扉を開けながら、低い声で答えた。


「おかえり」


 その言葉に、ミナトは少しだけ笑った。


 出かけた先から戻る場所がある。


 そこで待っていてくれる人がいる。


 そして、今日買った小さな鳥を窓辺に置き、夜になれば同じ部屋で眠る。


 そんな当たり前の幸せが、二人の暮らしの中へ、少しずつ積み重なっていった。



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