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LIBERAL ONLINE  作者: Guri
28/64

あなたのためのもの

 

 フィリックスがミナトの手を包んだまま、

「お前がいい」と静かに告げてからしばらくのあいだ、

 二人は次に何を言えばいいのか分からないまま、

 けれど手を離す理由も見つけられないまま、

 作業台の前で向かい合っていた。


 ミナトは自分の指先へ重ねられた大きな手を見つめながら、

 胸の奥が熱を持っていることを感じていた。


 フィリックスにとって、自分は帰る場所なのだ。


 待っていてほしいと思ってもらえる相手なのだ。


 その事実は、言葉にしてしまえば短いのに、

 ミナトの中では簡単に受け止めきれないほど

 大きく、嬉しくて、少しだけ怖いほど大切なものだった。


「……フィリ」


 ミナトが小さく呼ぶと、フィリックスはすぐに顔を上げた。


「なんだ」


「僕、フィリに何か作りたいな」


 その言葉に、フィリックスは少しだけ目を瞬かせた。


「薬なら、もう十分もらってる」


「薬じゃなくて」


 ミナトはゆっくり首を振った。


 それから作業台の端に置かれていた細い革紐を指先で触れながら、

 少し恥ずかしそうに続けた。


「フィリが依頼に行く時、持っていけるものがいいなって思って」


 フィリックスは黙って聞いていた。


「怪我をしないようにするものとか、

 疲れた時に少しだけ楽になれるようなもの……

 僕がそばにいられない時でも、フィリの役に立てるもの」


 ミナトは最後の方になると、少しだけ声を小さくした。


 自分のために何かを作ることは、これまでにもあった。


 薬草を育てるための道具。


 採取用の小さなナイフ。


 乾燥棚へ掛けるための紐。


 けれど、誰か一人のためだけに、

 相手のことを思いながら作るものは、きっと初めてだった。


 フィリックスは、ミナトの言葉をすぐには返さなかった。


 ただ包んでいた手を少しだけ持ち上げ、

 ミナトの指先へ自分の親指をそっと触れさせる。


「お前が作るなら、何でも持つ」


「まだ、何を作るか決めてないよ」


「決まってなくてもだ」


 その答えがあまりにも真剣で、ミナトは思わず小さく笑った。


「じゃあ、ちゃんと使いやすいものにしないとね」


「ああ」


「フィリの邪魔にならないように」


「お前の作ったものが邪魔になることはない」


 ミナトはまた頬を赤くした。


 フィリックスは褒める時、いつも迷いがない。


 だからミナトはそのたびに嬉しくなってしまうのに、

 どうしていいか分からなくなる。


 けれど今日は、その嬉しさをただ受け取るだけではなく、

 形にして返したいと思った。


「少しだけ、考えてみるね」


「無理はするな」


「うん。でも、これは楽しいから大丈夫」


 ミナトがそう言うと、フィリックスはほんの少しだけ口元を緩めた。


 その表情はすぐに消えてしまったけれど、ミナトにはちゃんと見えていた。


 昼食のあと、ミナトは家の奥にある素材棚を一つずつ見て回った。


 棚には、これまで採取してきた鉱石や魔石、魔物から得た素材、

 細い糸のような植物繊維、加工前の革などが種類ごとに丁寧に分けられている。


 ミナトはそれぞれを手に取りながら、

 フィリックスが依頼へ向かう姿を思い浮かべた。


 大きな剣を背負い、

 軽い鎧を身につけ、

 危険な場所へも迷いなく進んでいく背中。


 強い人だと思う。


 けれど、強いからといって傷つかないわけではない。


 昨日のように、肩へ浅い傷を作って帰ってくることもある。


「守るものがあったら、少しは無茶しなくなるかな」


 ミナトが独り言のように呟くと、

 少し離れた場所で椅子へ座っていたフィリックスが答えた。


「もうしてない」


「え?」


「無茶は、前よりしてない」


 ミナトは振り返った。


 フィリックスは壁際に置かれた剣の手入れをしていたが、

 その手を止めてミナトを見ていた。


「お前が待ってるから」


 その言葉は、午前中に聞いたものと似ていた。


 けれど、今度はもっと静かに胸へ染み込んできた。


 ミナトは少しだけ困ったように笑った。


「じゃあ、もっと無茶しないように、作らないとね」


 フィリックスは何も言わなかった。


 ただミナトがまた素材棚へ向き直ったあとも、

 彼の視線はしばらくその背中へ向けられていた。


 しばらく考えた末に、ミナトは小さな腕輪を作ることにした。


 大きな装備では、フィリックスの動きを邪魔するかもしれない。


 けれど腕輪なら、鎧の下にも着けられる。


 魔力を込めた魔石を一つだけ使い、

 危険を感じた時に薄い膜のような防御を生み出すようにすれば、

 ほんの一瞬でもフィリックスを守れるかもしれない。


 素材を選び終えると、ミナトは作業台へ座った。


 細くなめした黒革を、フィリックスの手首に合う長さへ切る。


 留め具には軽い銀鉱石を使い、

 中央には森の奥で見つけた淡い青色の魔石を嵌め込む。


 その魔石は、まだ使い道を決められずに大切にしまっていたものだった。


 けれど今なら分かる。


 誰かを守るために使いたいと思えるものこそ、

 自分にとって一番大切な使い道なのだと。


 フィリックスは、最初こそミナトの邪魔をしないよう距離を取っていた。


 けれど革を切るための刃物が少し固いと分かると、

 すぐに近付いてきてミナトの手元を見ながら言った。


「貸せ」


「大丈夫だよ」


「硬い」


「でも、僕が作りたい」


 ミナトがそう言うと、フィリックスは一度だけ黙った。


 それから、刃物を取り上げる代わりにミナトの後ろへ回った。


「なら、手伝うだけだ」


「どうやって?」


 フィリックスはミナトの手へ自分の手を重ねた。


 大きな手がミナトの手首を包むように支える。


「力を入れる時だけ、俺が支える」


 ミナトは少しだけ緊張した。


 背中のすぐ後ろにフィリックスの気配がある。


 耳の近くで聞こえる低い声。


 手の上に重なる温度。


 それでも、嫌ではなかった。


 むしろ、ひとりで作るよりも、ずっと安心できた。


「ゆっくり押して」


 フィリックスが言う。


「うん」


 ミナトが刃へ力を入れると、フィリックスの手が後ろから支えてくれる。


 革は真っ直ぐに切れた。


「できた」


 ミナトが嬉しそうに言うと、フィリックスはすぐ近くで小さく頷いた。


「ああ。綺麗だ」


「フィリが支えてくれたから」


「お前が切った」


「一緒に作ったね」


 その言葉に、フィリックスの動きが止まった。


 けれど、否定はしなかった。


「……ああ」


 低い声で、そう答えた。


 腕輪が完成するまでには、夕方近くまで時間が掛かった。


 革へ簡単な術式を刻み、魔石の周りへ細い銀線を巻き付け、

 最後に防御の魔力をゆっくりと流し込む。


 何度か魔力の流れが乱れ、

 淡い青の光が消えかけた時には、ミナトも少し不安になった。


 けれどフィリックスは急かさなかった。


 水を持ってきてくれたり、集中が切れそうになると窓を少し開けて

 空気を入れ替えたりしながら、ただ静かにそばにいてくれた。


 やがて、魔石が柔らかな光を宿した。


 細い腕輪の中央で、淡い青色が小さく瞬く。


 ミナトは息を止めた。


「できた……」


 フィリックスが作業台へ近付く。


「完成か」


「うん。たぶん」


 ミナトは腕輪を両手で持ち、

 少しだけ緊張した顔でフィリックスを見上げた。


「着けてみてもいい?」


 フィリックスはすぐに片腕を差し出した。


「頼む」


 ミナトはフィリックスの手首へ腕輪を巻いた。


 思っていたよりも太い手首。


 革がきつすぎないか確かめながら、留め具を慎重に留める。


 指先が肌へ触れるたび、ミナトの胸は少しだけ落ち着かなくなった。


「苦しくない?」


「問題ない」


「本当に?」


「ああ」


 フィリックスは腕輪を見下ろした。


 小さな青い魔石が、夕方の光の中で淡く揺れている。


「どう?」


 ミナトが尋ねる。


 フィリックスは腕を少し動かし、それから腕輪へ触れた。


「軽い」


「邪魔じゃない?」


「邪魔じゃない」


「よかった」


 ミナトが安心したように笑うと、

 フィリックスはもう一度腕輪を見つめた。


 そして、ゆっくりとミナトへ視線を戻す。


「これを着けていれば、お前がそばにいるみたいだ」


 ミナトは目を瞬かせた。


 フィリックスは続ける。


「守られてるって意味じゃない」


 少しだけ言葉を選ぶ。


「帰る場所を、忘れずにいられる」


 その言葉に、ミナトの瞳が少しだけ揺れた。


 自分が作った小さな腕輪が、

 フィリックスにとってただの装備ではなくなる。


 それが嬉しくて、胸の奥がいっぱいになる。


「じゃあ、ちゃんと帰ってきてね」


 ミナトは言った。


「腕輪を見たら、僕が待ってるって思い出して」


 フィリックスは、ミナトの頬へそっと手を伸ばした。


 今ではもう、触れる前に長く迷うことはなかった。


 けれど、いつも大切に扱うような優しさは変わらない。


「忘れない」


 低い声が、近くで響く。


「お前のことも、この家のことも」


 ミナトは、触れられた頬へ少しだけ手を重ねた。


「うん」


 それから、照れたように笑う。


「僕も、フィリが帰ってくるの、忘れないよ」


 夕食のあと、フィリックスはいつも通り剣の手入れを始めた。


 けれど、腕輪を外すことはなかった。


 革が傷つかないように気を付けながら、

 何度も、何度も無意識に手首へ触れている。


 ミナトはその様子を見て、少しだけ嬉しくなった。


 自分が作ったものが、フィリックスのそばにある。


 それはただ役に立つということ以上に、

 二人の間に小さな繋がりが増えたように思えた。


 夜、眠る前にミナトが寝室へ向かおうとすると、

 フィリックスが後ろから呼び止めた。


「ミナト」


「うん?」


「……ありがとう」


 ミナトは振り返った。


 フィリックスが、自分の手首にある腕輪を見ている。


「まだ、何も守られてないよ」


「もう守られてる」


 ミナトは少しだけ首を傾げた。


 フィリックスは、それ以上を言葉にしなかった。


 けれどミナトには、少しだけ分かった気がした。


 怪我を防ぐ術式のことではない。


 誰かが自分の帰りを願ってくれていること。


 自分のために、時間を掛けて何かを作ってくれたこと。


 その気持ちが、フィリックスの中にある孤独を

 少しだけ遠ざけているのかもしれない。


「おやすみ、フィリ」


 ミナトが言う。


「ああ。おやすみ」


 その夜、ミナトは布団の中で目を閉じながら、

 フィリックスの手首に残った淡い青の光を思い出していた。


 いつか、あの腕輪が本当にフィリックスを守ってくれたらいい。


 けれど、それよりも先に。


 フィリックスがどこへ行っても、ちゃんとここへ帰ってきてくれたらいい。


 そんな願いを胸に抱きながら、ミナトは静かに眠りへ落ちていった。



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