夏空の下で
夏が近付くにつれて、辺境の森は
さらに鮮やかな色彩を纏うようになっていった。
柔らかな若葉だった木々はすっかり力強い緑へ変わり、
小川のせせらぎは以前よりも軽やかで楽しげに聞こえる。
朝日が昇れば鳥たちが歌い始め。
夕暮れになれば虫たちが静かに鳴く。
世界そのものが生きているようだった。
ミナトはそんな季節が好きだった。
窓を開けるたびに胸が弾む。
家の外へ出るたびに嬉しくなる。
何年この世界で暮らしていても、その気持ちは少しも薄れない。
むしろ日を追うごとに大きくなっている気さえした。
「フィリ、見て」
朝食を終えたあと、ミナトは庭の端でしゃがみ込んでいた。
フィリックスが近付く。
するとミナトは嬉しそうに地面を指差した。
そこには春に植えた果樹があった。
以前より少しだけ背が高くなっている。
枝も増えている。
葉も増えている。
一見すると大きな変化ではない。
だがミナトには十分だった。
「大きくなってる」
本当に嬉しそうだった。
自分のことのように。
家族の成長を喜ぶみたいに。
「順調だな」
フィリックスが言う。
ミナトは満面の笑みで頷いた。
「うん」
その笑顔を見ると、不思議とこちらまで嬉しくなる。
フィリックスは最近そういう感覚に慣れてきていた。
ミナトが嬉しそうなら嬉しい。
ミナトが楽しそうなら安心する。
ミナトが落ち込んでいると気になる。
最初は理解できなかった感情だった。
だが今はもう考えることすらない。
それが当たり前になっていた。
「今日は湖の方へ行こうかな」
ミナトが立ち上がる。
茶色の髪が陽光を受けて柔らかく輝いた。
「この前見つけた場所の続きも気になるし」
その言葉にフィリックスは小さく息を吐いた。
予想通りだった。
最近のミナトは探索熱が高まっている。
新しい場所を見つけるたびに、その先が気になって仕方なくなるらしい。
まるで宝探しだ。
そしてその様子を見ていると、こちらまで少し楽しくなる。
「行くか」
「うん」
二人は森へ向かった。
木漏れ日が降り注ぐ獣道を歩く。
風が吹くたびに葉が揺れ、地面へ落ちた光も揺れる。
遠くでは鳥の鳴き声が聞こえる。
空気は暖かい。
けれど森の中は涼しかった。
歩いているだけで心地良い。
「この世界ってすごいよね」
ミナトがぽつりと言った。
フィリックスが横を見る。
「何がだ」
「全部」
ミナトは笑う。
「何年いても知らない場所が見つかるし」
「ああ」
「新しい素材もあるし」
「ああ」
「知らない景色もいっぱいある」
その声は本当に楽しそうだった。
ミナトはこの世界を愛していた。
自由に歩けることを。
走れることを。
知らない場所へ行けることを。
誰かと笑い合えることを。
何もかも大切に思っていた。
だからフィリックスは時々考える。
この青年が見ている世界は、自分とは違うのだろうと。
同じ景色を見ていても。
同じ森を歩いていても。
ミナトの方がずっと多くのものを見つけている。
幸せを見つけるのが上手いのだ。
「フィリ」
「なんだ」
「楽しい?」
突然聞かれた。
フィリックスは少しだけ目を瞬く。
そして考える。
昔なら即答できなかっただろう。
冒険は仕事だった。
強くなるためのものだった。
生きるためのものだった。
だが今は違う。
「……楽しいな」
静かに答える。
するとミナトの顔がぱっと明るくなった。
「そっか」
それだけで嬉しそうだった。
自分が褒められたわけでもない。
何かをもらったわけでもない。
ただ相手が楽しいと思ってくれたことが嬉しい。
そんな顔だった。
フィリックスは思う。
やはり不思議な人だ、と。
そして。
そんなところが好きなのだろう、と。
まだ言葉にはしない。
けれど胸の奥では確かに育っている。
ゆっくりと。
確実に。
二人は湖へ辿り着いた。
水面は夏空を映し、青く輝いている。
周囲には色鮮やかな花々が咲き、風が吹くたびに花弁が舞った。
まるで絵画の中の景色だった。
ミナトは嬉しそうに辺りを見回す。
そして突然足を止めた。
「あれ?」
視線の先。
湖の向こう側の岩壁に、小さな洞窟の入り口が見えていた。
以前来た時には気付かなかった場所だった。
「洞窟かな」
期待が混じった声だった。
瞳がきらきらと輝いている。
まるで子どもがおもちゃ箱を見つけた時のように。
「行ってみる?」
振り返る。
フィリックスは思わず笑ってしまう。
答えは最初から決まっている。
ミナトは絶対に行く。
好奇心には勝てない。
「好きにしろ」
「やった」
嬉しそうな声が響く。
その姿を見ながらフィリックスは穏やかな気持ちになる。
強敵との戦いもない。
大きな事件もない。
ただ森を歩いて。
景色を見て。
新しい場所を見つけて。
一緒に笑う。
そんな何気ない日々。
けれど今のフィリックスにとって、それは何より大切な時間になっていた。
失いたくないと思うほどに。
守りたいと思うほどに。
幸せな時間になっていた。




