当たり前になっていく日々
雪解けはある日突然訪れるものではなかった。
朝になれば少しだけ雪が減っていて。
昼になれば屋根の端から雫が落ちていて。
昨日までは凍っていた小川が静かに流れ始めていて。
そんな小さな変化を積み重ねながら、
辺境の冬はゆっくりと終わりへ向かっていた。
ミナトはそういう季節の移ろいを見つけるのが好きだった。
だから最近は朝起きるたびに窓辺へ向かい、
昨日と今日の違いを探している。
「フィリ」
ある朝、ミナトは嬉しそうな声を上げた。
暖炉の前で装備の手入れをしていたフィリックスが顔を上げる。
「なんだ」
「見て」
窓の外を指差す。
フィリックスも立ち上がり、その隣へ歩いてきた。
「ほら」
ミナトが窓の向こうを示す。
家の脇にある木だった。
冬の間ずっと雪を被っていた大きな木。
その枝先に、小さな小さな緑色が見えていた。
芽だった。
春を待っていた新芽が、ようやく顔を出している。
「出てる」
ミナトは本当に嬉しそうだった。
まるで自分のことのように。
「よかったぁ」
優しく微笑む。
フィリックスはそんな横顔を見る。
ただ木の芽が出ただけだ。
普通なら気にも留めない。
だがミナトは違う。
こういう小さな出来事を大切にする。
だから不思議だった。
この家で暮らしていると、何気ない景色まで違って見える。
木の芽も、空も、風も。
全てが少しだけ特別になる。
「今日は畑を見ようかな」
「俺も行く」
即答だった。
ミナトがくすくす笑う。
「最近いつも一緒だね」
その言葉にフィリックスは僅かに固まった。
確かにそうだった。
採取。
買い出し。
散歩。
いつの間にか一緒に行くのが当たり前になっている。
最初は護衛のつもりだった。
危なっかしいから目を離せない。
そう思っていただけだった。
だが最近は違う。
理由を考える前に身体が動く。
ミナトが出掛けるなら付いていく。
それが自然になっていた。
「嫌か」
思わず聞いてしまう。
するとミナトは目を丸くした。
「え?」
「一緒にいるのが」
その言葉にミナトは数秒きょとんとしていたが、
やがて慌てるように首を横へ振った。
「そんなことないよ」
即座に否定する。
「むしろ嬉しい」
笑顔だった。
穏やかで。
優しくて。
春の日差しみたいな笑顔。
「一人も好きだけどね」
ミナトは続ける。
「誰かと一緒に見る景色も好きなんだ」
その言葉が妙に胸へ残った。
フィリックスは返事ができない。
代わりに視線を逸らす。
するとミナトが不思議そうに首を傾げていた。
そんな仕草まで可愛らしいと思ってしまった自分に、
フィリックスは気付かないふりをした。
その日の午後。
二人は家の裏手にある畑で作業をしていた。
雪の下で眠っていた薬草たちが少しずつ芽吹き始めている。
ミナトは楽しそうに土を触っていた。
「今年はいっぱい育ちそう」
土を撫でる指先はどこまでも優しい。
植物も人も同じように大切にしているのだろう。
だから見ていて安心する。
「フィリ」
「なんだ」
「これ持ってて」
渡されたのは苗木だった。
まだ細い枝しかない小さな木。
フィリックスは受け取る。
「植えるのか」
「うん」
ミナトが嬉しそうに頷いた。
「果樹だよ」
「果物の?」
「そう」
土を掘り、苗を置く。土を被せる。
二人で作業する。
それだけだった。
それだけなのに不思議と楽しかった。
戦闘もない。
強敵もいない。
報酬もない。
なのに心が満たされる。
そんな経験は初めてだった。
「大きくなるかな」
ミナトが苗木を見つめる。
春の風が茶色の髪を揺らした。
「なるだろ」
「何年くらいかなぁ」
「知らん」
「僕も分からない」
二人で笑う。
穏やかな時間だった。
その木が大きくなる頃も。
来年の春も。
再来年の春も。
きっとこうしているのだろうと。
そんな未来を疑いもしないほど自然な時間だった。
夕方になると、二人は家へ戻った。
夕焼けが雪解けの森を赤く染めている。
空は金色から茜色へ変わりつつあった。
ミナトはその景色を見ながら立ち止まる。
「綺麗だね」
ぽつりと呟く。
フィリックスも足を止めた。
隣に立つ。
同じ景色を見る。
「そうだな」
短く答える。
本当に綺麗だった。
景色も。
その景色を嬉しそうに眺めているミナトも。
何もかも。
だからフィリックスは知らず知らずのうちに願っていた。
この時間が続けばいいと。
この家があり続ければいいと。
この笑顔をずっと見ていたいと。
まだ恋とは呼ばない感情だった。
けれどその想いは確実に育ち始めていた。
暖かな春の陽射しのように。
静かに。
ゆっくりと。
誰にも気付かれないまま。




