第97話 極北の異変と、迫り来る深淵の影
第97話 極北の異変と、迫り来る深淵の影
辺境の街アシュタルの東、小高い丘に広がる特級クラン『絆紋亭』の拠点であり、今や『絆紋公国』の中心地となったこの場所は、今日もまた、世界中のどの場所よりも優しく、そして奇跡のような調和に満ちた朝を迎えていた。
庭の中央にそびえ立つ精霊樹は、深淵の邪神を浄化した光をたっぷりと吸収し、もはや一つの森と見紛うほどの巨大な神樹へと成長を遂げている。その豊かに茂ったエメラルドグリーンの枝葉が朝の心地よい風に揺れるたび、チリン、チリンと微かな鈴の音のような魔力の波紋が広がり、拠点全体を極上の癒やしのオーラで包み込んでいた。
「ウォンッ!」
「キュイッ!」
「きゅるるーっ!」
澄み切った青空の下、縁側で朝の空気を胸いっぱいに吸い込んでいる俺の足元へ、一番最初に俺の固有スキルである『絆紋』を受け入れ、共に歩み始めた最古参の相棒たち――銀色のウルフ『フェル』と、純白のポーションラビット『ピコ』、そして空色小竜の『ソラ』が競い合うように飛び込んできた。
それに続くように、水豹のリン、幻宝石獣のキラ、白銀の幼熊ブラン、空間転移を操る銀狐のギン、鋼棘の鎧獣マル、疾風の隼ゲイル、影猫のシャロ、水妖の獺ミロ、風精のリスであるルル、土精の土竜ドロ、星翼の梟ステラ、幻影の蝶ファル、雲羊のモフ、木精の栗鼠コノ、鎌鼬のタマ、鋼殻の戦亀カメ、雷雲の幼鳥ライも一斉に集まってくる。
フェルは艶やかな銀色の毛並みを俺の手にすり寄せ、ピコは長い耳をパタパタさせながら俺の膝に飛び乗り、ソラは俺の肩にふわりと着地して頬をすりすりと擦りつけてくる。ギンはポンッと空間転移をして俺の頭の上に乗っかり、ルルとタマは風を纏いながら俺の周囲をクルクルと回り、カメとライはのんびりと俺の足元で日向ぼっこを始めていた。
「おはよう、みんな。今日も元気いっぱいだな」
俺が彼らの頭を順番に優しく撫でると、魔物たちは心底嬉しそうに目を細めて尻尾を振った。
ふと、精霊樹の根元に、見慣れない小さな光の塊が落ちているのに気がついた。
近づいてみると、それは透き通るようなオレンジ色の鱗を持ち、背中に小さな太陽のような模様を宿した手のひらサイズのトカゲ――『陽光の山椒魚』だった。しかし、その小さな体はひどく冷え切っており、本来放つべき温かな光が今にも消え入りそうに明滅している。
「キュゥ……」
「どうした? ひどく体が冷えているな。魔力の流れがおかしい……」
俺は慌てて右手の甲の『絆紋』の光を灯し、そっと手を差し伸べた。翠色の温かな波紋が、陽光の山椒魚の小さな体を優しく包み込む。『万物の調和と極限浄化』の力が、冷え切った魔力回路を正常化し、太陽の力を再び呼び覚ましていく。
「キュイィ……!」
(あたたかい……。急に、北の空から恐ろしい冷気と闇が流れてきて、動けなくなっていたんだ。助けてくれてありがとう……)
陽光の山椒魚から、感謝の思念が伝わってくる。俺がそのオレンジ色の鱗を撫でると、山椒魚はポカポカとした温かい光を放ちながら、俺の手のひらにすり寄ってきた。
「北の空から……? まあいい、もう大丈夫だ。俺はレイン。お前も今日から俺たちの家族だ。名前は『サン』だ。よろしくな、サン」
「キュルッ♪」
新しい家族『サン』を迎え入れ、フェルやピコたちが歓迎の挨拶を交わしていると、厨房から見習い魔導士のエリスが元気な声を上げた。
「レイン様、朝食の準備が整いましたよ!」
ダイニングルームには、元宮廷料理人のセシルが腕を振るった極上の朝食が並べられている。今朝のメニューは、特製の魔力小麦で作った『焼きたてのチーズと木の実のブレッド』に、農学者セリーヌが育てた新鮮な野菜をふんだんに使った『具沢山のポトフ』、そして砂漠の巫女ナディアが持参したスパイスで味付けされた『香草グリルチキン』だ。
「ガハハ! 今日も飯が美味い! 連日の開拓と新兵のシゴキで腹が減って仕方ないからね!」
女戦士のアイラが、チキンを豪快に頬張りながら大笑いする。
「ええ。私たちの国も随分と大きくなったわ。でも、さっきサンが言っていた『北の空からの冷気』……少し嫌な予感がするわね」
少女魔導士のルウが、スプーンを止めて窓の外、遠く北の空を見つめた。
「私も感じていました。剣の切っ先が鈍るような、得体の知れない重圧……。平穏に慣れすぎるのは危険かもしれません」
剣聖シルヴィアも、静かに紅茶をすすりながら同意した。
異常なる観測と、極北の異変
朝食を終えた直後、特級密偵のシオンと首席文官のエレナが、血相を変えて絆紋亭の拠点へと駆け込んできた。二人の背後には、アシュタル辺境国の国王アルベルトと、ギルドマスターのバルカンの姿もある。
「レイン殿! 朝早くから申し訳ない。至急、首脳会議を開きたい!」
アルベルト国王のただならぬ雰囲気に、俺たちは即座に応接室へと移動した。
「……シオン、報告を」
アルベルト国王が促すと、シオンが巨大な大陸地図をテーブルに広げた。彼女が指差したのは、大陸の最北端。かつて魔王城が存在し、そして俺たちが完全に魔王を消滅させたことで空白地帯となっている『常闇の極北』だった。
「レインさん、数日前から、我が諜報網の魔力観測装置と、幻術索敵のニーナの『魔力反響』が、極北の地で異常な数値を検知し始めました」
「異常な数値?」
「はい。通常、変異ダンジョンが発生すると、周囲に瘴気が漏れ出し、魔物が溢れ出すスタンピードの兆候が見られます。しかし、極北の地で起きている現象は……『逆』なのです」
シオンは地図の上に、黒い水晶を置いた。
「極北の地下深くで、凄まじい規模の魔力の『吸引』が起きています。大気中のマナ、地脈のエネルギー、そして光すらも……全てが、一点に向かって吸い込まれているのです。ニーナのソナーでも、深すぎて底が知れません。第百層……いや、第二百層すら超える、常軌を逸した超深度のダンジョンが、地下へ地下へと拡張を続けています」
「なっ……魔物が外に溢れ出すんじゃなくて、内側に溜め込んでいるってことか!?」
アイラが驚愕の声を上げる。
「はい。魔王軍が消滅した際、彼らが残した莫大な瘴気の残滓が行き場を失い、自らを共食いしながら極限まで圧縮されているのだと思われます。……そして、この『何か』は、今まさに地上へ這い出ようと胎動を始めています」
その報告に、室内の空気が凍りついた。
魔王ゼアノスですら及ばない、純粋な破壊と吸収の権化。それが産声を上げようとしているのだ。
「問題はそれだけではありません」
エレナが眼鏡を押し上げ、分厚い書簡の束を取り出した。
「極北の地に最も近い北方の国々から、悲痛な救援要請が殺到しています。極北から流れてくる異常な瘴気と重圧によって、土地が枯れ、魔物たちが狂暴化し、人々は呼吸すら困難な状況に陥っているとのことです」
「北方の国々といえば……かつて我がアシュタルの忠告を真摯に受け止め、領土拡大を行わずに自国の防衛に専念していた『氷雪の公国フロスティア』が含まれているな」
アルベルト国王が重々しく口を開く。
「彼らは我々の理念に賛同し、良心的な統治を行っている国だ。見捨てるわけにはいかん」
清き使者と、新たな人間の仲間
その時、応接室の扉がノックされ、近衛騎士に案内されて一人の女性が部屋に入ってきた。
彼女は、美しい銀糸の髪をポニーテールにまとめ、氷のような透き通る青い瞳を持つ女騎士だった。しかし、その白銀の鎧はボロボロに砕け、全身に深い傷を負っている。
「アシュタル辺境国国王陛下……並びに、絆紋公国公王殿下……」
彼女はふらつく足取りで進み出ると、その場に膝をつき、深く頭を下げた。
「私は、極北に隣接する『氷雪の公国フロスティア』より参りました、第一騎士団長アイリスと申します。……どうか、どうか我が国をお救いください……!」
「アイリス殿、顔を上げてください。ひどい傷だ……ルウ、回復を!」
「ええ!『ハイ・ヒール』!」
ルウの回復魔法と、俺の『絆紋』の光がアイリスの傷を瞬時に癒やしていく。
「あ、ありがとうございます……。なんて温かく、清らかな光……」
アイリスは信じられないといった表情で自身の体を見つめた後、再び悲痛な顔を上げた。
「数日前から、極北の空が完全に黒く染まり、得体の知れない『絶望の波動』が我が国を襲っています。国境付近の街は、狂暴化した北方の魔獣たちによってすでに半壊状態……我がフロスティア公王は、民を南へと避難させるための時間稼ぎとして、自ら前線で剣を振るっております。ですが、もはや限界です……!」
アイリスの瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。
「アシュタルの皆様が掲げる『平和の理』は存じております。我が国は決して他国を侵略せず、民を第一に考えてまいりました。……厚かましいお願いであることは承知しております。ですが、あの極北から這い出ようとしている『何か』は、フロスティアだけでなく、いずれこの世界全てを食い尽くすほどの悪意を持っています。どうか……お力をお貸しください!」
アイリスの必死の訴えに、部屋にいる全員の意志は一つに固まっていた。
「頭を上げてくれ、アイリス団長。君の国が、理不尽な絶望に立ち向かう良心的な国であることは十分に分かっている」
俺は立ち上がり、彼女に手を差し伸べた。
「俺たちは、君たちを見捨てない。今日から君も俺たちの仲間だ。共にフロスティアを救い、極北の異変を食い止めよう」
「レイン様……! ああ……なんという慈悲深き方……!」
アイリスは俺の手を固く握りしめ、忠誠を誓うように涙を流した。新たな人間の仲間、氷雪の騎士アイリスが俺たちの陣営に加わった瞬間だった。
出陣の刻と、絆紋の誓い
「アルベルト国王。事態は一刻を争います」
俺が向き直ると、アルベルトは力強く頷いた。
「うむ。これより、アシュタル辺境国および絆紋公国の全軍に特別動員令を発令する。レオン団長!」
「はっ!」
「クロード、ガレス、アリスら『魔境鎮圧部隊』の全精鋭を直ちにフロスティアの国境へと派遣せよ。彼らには、避難する民の護衛と、溢れ出す魔獣の群れを押し留める防衛線の構築を命ずる!」
「御意!! 我らが数ヶ月間磨き上げた無敵の盾と矛、必ずや北の民をお守りいたします!」
レオンが力強く敬礼し、即座に出撃の準備へと走る。
俺はフェルやピコ、そして教官陣を振り返った。
「アイラ、ルウ、シルヴィア、シオン。俺たちの仕事は、防衛じゃない。……あの極北の地下で目を覚まそうとしている『親玉』を、完全に叩き潰すことだ」
「ガハハ! 面白ぇ! 魔王よりデカい的があるってんなら、アタシの斧の最高の見せ場だね!」
「ええ。私たちの魔法と剣で、あの薄汚い闇ごと全てを消し去ってあげるわ」
「我が刃、主の御為に、そして世界の調和の為に振るいましょう」
「フェル、ピコ、ソラ、そしてみんな。俺に力を貸してくれ」
「ウォォォンッ!!」
「キュイッ!!」
「きゅるるーっ!!」
魔物たちも、一切の恐怖を見せることなく、俺の言葉に力強い雄叫びで応えた。
かつて、魔王軍をたった数秒で消滅させた俺たち『絆紋亭』。
しかし、今回相手にするのは、魔王軍の遺産と世界の絶望が共食いを繰り返して生まれた、規格外の怪物だ。
だが、俺たちには揺るぎない絆と、この数ヶ月間で築き上げてきた『最強の軍団』がある。
フロスティアを救い、極北の絶望を打ち砕くための、アシュタル最大の遠征が今、始まろうとしていた。
ここまでお読みいただきありがとうございます!少しでも面白いと感じたら、画面下から【ブックマーク】と【☆☆☆☆☆】の評価をいただけると、執筆の大きなモチベーションになります!尚、現在新作 【安全第一】死に戻り商人の異世界スローライフ~万能魔法と『リトライ』を駆使して完璧な物流網とインフラを整備し、のんびり隠居を目指します~
https://ncode.syosetu.com/n1368mp/




