第88話 森の開拓と、狂王の帰還計画
第88話 森の開拓と、狂王の帰還計画
辺境の街アシュタルの東、小高い丘に広がる特級クラン『絆紋亭』の拠点は、今日も変わらず、奇跡のような調和と優しさに満ちた朝を迎えていた。
庭の中央にそびえ立つ精霊樹は、深淵の邪神を浄化した光をたっぷりと吸収し、もはや一つの森と見紛うほどの巨大な神樹へと成長を遂げている。その豊かに茂ったエメラルドグリーンの枝葉が朝の心地よい風に揺れるたび、チリン、チリンと微かな鈴の音のような魔力の波紋が広がり、拠点全体を極上の癒やしのオーラで包み込んでいた。
「ウォンッ!」
「キュイッ!」
「きゅるるーっ!」
澄み切った青空の下、縁側で朝の空気を胸いっぱいに吸い込んでいる俺の足元へ、一番最初に俺の固有スキルである『絆紋』を受け入れ、共に歩み始めた最古参の相棒たち――銀色のウルフ『フェル』と、純白のポーションラビット『ピコ』、そして空色小竜の『ソラ』が競い合うように飛び込んできた。
それに続くように、水豹のリン、幻宝石獣のキラ、白銀の幼熊ブラン、空間転移を操る銀狐のギン、鋼棘の鎧獣マル、疾風の隼ゲイル、影猫のシャロ、水妖の獺ミロ、風精のリスであるルルも一斉に集まってくる。
フェルは艶やかな銀色の毛並みを俺の手にすり寄せ、ピコは長い耳をパタパタさせながら俺の膝に飛び乗り、ソラは俺の肩にふわりと着地して頬をすりすりと擦りつけてくる。ギンはポンッと空間転移をして俺の頭の上に乗っかり、ルルは俺の腕に登ってきて得意げに尻尾を揺らし、ミロは足元で水遊びをしている。
「おはよう、みんな。今日も元気いっぱいだな。今日は森の開拓の手伝いに行く予定だ。みんなも一緒に行こうか」
俺が彼らの頭を順番に優しく撫でると、魔物たちは心底嬉しそうに目を細めて尻尾を振った。
庭を見渡せば、漆黒の竜ノヴァが竜使いのルカに鱗を磨いてもらいながら気持ちよさそうに目を閉じ、紅蓮の火蜥蜴ガエンや鋼角の犀ザイン、岩砕の巨獣ダグといった大型の魔物たちが木陰でうたた寝をしている。黄金の甲殻を得て進化した砂塵の魔蠍ゼットは、太陽の精霊鳥ソルをハサミの上に乗せて日向ぼっこを楽しんでいた。
「レイン様、朝食の準備が整いましたよ!」
厨房から、見習い魔導士のエリスが元気な声を上げた。
ダイニングルームには、元宮廷料理人のセシルが腕を振るった極上の朝食が並べられている。今朝のメニューは、特製の魔力小麦で作った『焼きたてのベーコンと卵のオープンサンド』に、農学者セリーヌが育てた新鮮なトマトをふんだんに使った『濃厚ミネストローネ』、そして砂漠の巫女ナディアが持参したスパイスで味付けされた『ハーブポテトのロースト』だ。
「ガハハ! 今日も飯が美味い! 最近は訓練生どものシゴキだけでなく、森の開拓の護衛や力仕事までやってるからな。体がいくつあっても足りないくらいだぜ!」
女戦士のアイラが、オープンサンドを豪快に頬張りながら笑う。
「ええ。クロードやアリスたちも、実戦訓練を兼ねて開拓地の魔物討伐に精を出しているわ。彼らの成長ぶりには目を見張るものがあるけれど、開拓のスピードが速すぎて、私たちの魔法による整地が追いつかないくらいよ」
少女魔導士のルウも、うっとりとした表情でスープを口に運びながら言う。
「実戦と開拓作業の反復こそが、彼らの基礎体力を極限まで高めています。武の道は一日にして成らず、ですからね」
剣聖シルヴィアも静かに頷いた。
数ヶ月前、辺境伯とギルドマスターから依頼されて始まった【全軍強化計画】。その訓練の一環として、アシュタルの東に広がる広大な未開の森の開拓作業が組み込まれていた。
最初は小さな開拓村を一つ作るだけの予定だったが、アシュタルに押し寄せる難民や移住希望者の数が爆発的に増加したため、計画は大幅に変更された。今や、村の規模を通り越し、森の中に数箇所の大規模な集落が点在し、それらを結ぶ立派な石畳の『街道』まで整備されつつあった。
嬉しい悲鳴と、同盟の拡大
朝食後、領主の館から派遣されてきた主席文官のエレナと、開拓村の総代官に就任したウィリアム老伯爵が、大量の書類を抱えて『絆紋亭』を訪れた。
「レイン様、おはようございます。本日は、開拓地の現状報告と、今後の外交方針についてのすり合わせに参りました」
エレナが眼鏡を押し上げながら、きっちりとした口調で告げる。
「ああ、おはようエレナ。ウィリアム殿も、朝早くからご苦労様です」
俺が労うと、ウィリアム老伯爵は柔和な笑みを浮かべた。
「いやいや、若い者たちの活気に当てられ、この老体もすっかり若返った気分ですぞ。……しかし、レイン殿。これは『嬉しい悲鳴』というやつですが、いささか困ったことになっております」
「困ったこと?」
「はい。現在、東の森には五つの新たな集落が形成され、それぞれが自立した町へと発展しつつあります。しかし、それを管理する『代官』や『役人』、そして各町を守る『守備隊長』の数が、圧倒的に足りていないのです」
エレナが手元の書類を広げた。
「アシュタル本街の防衛はレオン団長たちが完璧にこなしていますが、広がり続ける領土の全てに目を配るには、慢性的な人材不足です。さらに、先日打診した南西の農業国『ファルシア』との同盟が正式に締結され、彼らから大量の農業技術者と種子が送られてくる予定です。これらを適切に配置し、管理する人材が急務となっております」
「なるほど。開拓が上手くいきすぎて、人が足りないってわけか」
俺が顎を撫でると、シオンが影から姿を現した。
「レインさん、その件でしたら、私の諜報網を使ってさらなる『スカウト』を進めています。周辺諸国で不遇な扱いを受けている優秀な文官や、民に寄り添う清廉な貴族たち。彼らに独立同盟の理念を伝え、亡命を促しています」
「よし、頼んだぞシオン。ただし、少しでも裏があるような連中は絶対に弾いてくれ。俺たちの平穏を乱すような種は、芽のうちに摘んでおきたいからな」
「承知いたしました。すでに、東部の小規模な商業ギルド連合とも接触を図っています。彼らは大国の重税に苦しんでおり、我々の開拓地での自由な商売と引き換えに、物流網の構築に協力してくれると約束しています」
アシュタル独立同盟は、今や単なる武力集団ではなく、確固たる経済圏と豊かな領土を持つ一大国家へと変貌を遂げつつあった。
開拓の最前線と、土精のモグラ
会議を終えた俺たちは、実戦演習と開拓作業の支援を兼ねて、最も東に位置する『第五開拓村』の建設予定地へと向かった。
そこでは、辺境伯軍の訓練生たちと冒険者たちが、額に汗して木々を切り倒し、岩を砕き、土地を均していた。
「そぉらっ! 『剛槍突き』!!」
槍使いのクロードが、邪魔な巨大な岩を槍の一撃で粉砕する。
「ガハハ! 俺の盾なら、大木の三本や四本、まとめて押し倒せるぜ! 『フォートレス・チャージ』!!」
重騎士のガレスが、タワーシールドを構えて大木に突進し、根こそぎなぎ倒していく。
「皆さん、怪我には気をつけてくださいね!『聖なる大いなる鼓舞』!」
支援術師のミリーが、疲労回復と筋力強化のバフを全体にかけ、作業効率を飛躍的に引き上げていた。
「皆、よくやってるな」
俺が声をかけると、訓練生たちは一斉に姿勢を正した。
「レイン様! 本日の開拓ノルマ、すでに八割を完了しております!」
ディルクが誇らしげに報告する。
「素晴らしいペースだ。だが、ここは未開の森の奥深く。魔王軍の残党や変異魔物がいつ襲ってくるか分からない。警戒は怠るなよ」
俺がそう忠告した矢先だった。
「ピリリィッ!」
上空を旋回していたゲイルが、鋭い警戒の鳴き声を上げた。
「地下から来ます! 巨大な熱源が複数!」
ザックがゲイルの合図を読み取り、叫ぶ。
ドゴォォォォンッ!!
突如として、開拓地の地面が爆発したかのように吹き飛び、土煙の中から巨大な魔物が姿を現した。
体長五メートルを超える、赤黒い瘴気を纏った巨大な百足――『変異地底百足』だ。しかも、数は十体以上。彼らは森の地脈を食い荒らす凶悪な魔物であり、開拓作業の音に引き寄せられてきたのだ。
「ギシィィィッ!!」
巨大百足たちが、鋭い毒牙を剥き出しにして訓練生たちに襲いかかる。
「全員、戦闘態勢! セオドア、ガレス、前衛で敵の突進を止めろ! アリスは防御を、リアムは足止めを頼む!」
クロードの的確な指示で、訓練生たちは即座に陣形を組んだ。
「俺の盾は、大地よりも固い! 来い化け物!」
セオドアが盾槍を構え、百足の凶悪な噛みつきを盾面で弾き返す。
「こっちの準備もできてるぜ!『起爆!』」
リアムが事前に仕掛けていた魔力起爆札が炸裂し、百足の多数の脚を吹き飛ばす。
俺はフェルやピコと共に後方から戦況を見守っていたが、訓練生たちの連携はもはや完璧に近かった。数ヶ月の厳しいシゴキに耐え抜いた彼らは、Aランク相当の変異魔物の群れを相手にしても、一歩も退くことなく確実にダメージを与えていた。
「やるじゃないか。アタシたちが出る幕はなさそうだな」
アイラが戦斧を肩に担いだまま笑う。
だが、その時。
「キュゥゥゥンッ……!」
変異地底百足が飛び出してきた巨大なすり鉢状の穴の底から、悲痛な鳴き声が聞こえた。
見れば、崩れかけた土砂に半ば埋もれるようにして、一匹の小さな魔物が必死にもがいている。
美しい黄土色の毛並みと、大地の魔力を帯びた鋭い爪を持つ魔物――『土精の土竜』だ。
どうやら、変異百足たちに巣を襲われ、逃げ遅れてしまったらしい。
「あのモグラ、土砂に潰される!」
エララが叫ぶ。
「ギシィィィッ!!」
一体の変異百足が、獲物を見つけて穴の底へと巨体をうねらせた。
「させない! フェル、ピコ!」
「ウォォォンッ!!」
「キュイッ!!」
俺の合図と共に、銀色の閃光と純白の弾丸が宙を舞った。
フェルの『白銀の迅雷』が百足の頭部を直撃して動きを止め、ピコが『ホーリー・ムーン・キック』で百足の顎を粉砕する。
「今だ!」
俺は空間転移で俺の肩に乗ったギンのサポートを受け、一瞬で穴の底へと跳躍した。
右手の甲の絆紋の光を長剣に纏わせ、倒れ込んだ百足の急所へと深々と突き立てる。
ズバァァァンッ!!
翠色の浄化の光が炸裂し、変異百足の巨体は光の粒子となって消滅した。
残る百足たちも、訓練生たちの見事な連携によって次々と討伐され、戦闘は終了した。
俺は剣を収め、土砂に埋もれていた土精の土竜へと優しく手を差し伸べた。
翠色の温かな波紋が、土竜の小さな体を優しく包み込む。
「もう大丈夫だ。怪我はないか?」
「キュ……?」
(あたたかい……。お前が、助けてくれたのか?)
土竜から、警戒が解けた安堵の思念が伝わってくる。俺がその黄土色の毛並みを撫でると、土竜は嬉しそうに俺の手にすり寄ってきた。
「ウォンッ♪」「キュイッ♪」
フェルやピコたちも近寄り、新しい家族を歓迎する。
「もし帰る場所がないなら、俺たちのところに来るか? 美味しいご飯があるし、君の穴掘りの才能は、開拓村を作るのにすごく助かるんだ」
「キュッキュッ♪」
土竜は嬉しそうに頷き、俺の足元の土を掘って、ひょっこりと顔を出した。
「よし、今日からお前の名前は『ドロ』だ。よろしくな、ドロ」
「キュルゥッ♪」
新たな家族を迎え入れ、確かな成長を見せた訓練生たちと共に、俺たちは開拓作業を再開した。ドロの強力な土魔法のおかげで、地面の整地や井戸掘りは劇的なスピードで進み、第五開拓村の基盤はあっという間に完成したのだった。
閑話:異次元の狂王と、勘違いの作戦会議
一方その頃。
大陸から完全に消失し、暗く冷たい『異空間』へと転移した魔王城。
次元断層の魔道具によって切り取られた空間の中で、魔王軍は完全に外界との接触を断たれ、ただ虚無の闇の中を漂いながら、狂気じみた強化に明け暮れていた。
彼らの体感時間では、すでに数ヶ月もの歳月が流れていた。
「……フハハハハッ!! 魔王様! ご覧ください、この溢れんばかりの力を!」
謁見の間の奥。第一軍団長の獣王バランが、もはや元の原型を留めないほどに巨大化し、赤黒い瘴気を噴出させる怪物と化して狂喜の声を上げていた。彼は空間そのものを殴りつけ、次元の壁に微かなヒビを入れるほどの腕力を手に入れていた。
「この力……! 今の私ならば、あの辺境の小僧の光など、正面から粉砕できましょう!」
「あら、バラン。相変わらず野蛮ですこと」
妖将カーミラが、異空間の濃密な魔力を吸い上げ、数千体もの『血のゴーレム』を背後に従えて妖艶に笑う。
「わたくしは、この異空間の魔力を完全に支配しました。もはや、わたくしは不死を超えた神のごとき存在……! わたくしの血の海で、アシュタルの街ごとあの小僧を溺れさせてあげますわ」
智将ベルフェもまた、失われた左半身を漆黒のクリスタルで補い、不気味な魔眼をギラギラと輝かせていた。
「魔王様。次元の狭間に眠る『虚無の王』の封印も、あと僅かで完全に我が制御下に置くことができます。我々の力は、今やかつて大陸を支配していた頃の百倍……いや、千倍に膨れ上がっております」
魔王ゼアノスは玉座に深く腰掛け、狂気と歓喜に沸き立つ四天王たちを見下ろし、邪悪な笑みを浮かべた。
「ククク……そうだ。我々魔王軍は、この暗闇の中で究極の進化を遂げた。あの青年の『絆紋』の光など、もはや恐るるに足らず。……ベルフェよ、次元の壁を破り、元の世界へ帰還する目処は立ったか?」
「はい、魔王様。我々の蓄えた魔力を全て解放すれば、三日後には次元断層を破壊し、アシュタルの上空へと直接転移することが可能です」
「素晴らしい」
ゼアノスは立ち上がり、マントを翻した。
「我々の帰還作戦はこうだ。まず、アシュタル上空に転移すると同時に、カーミラの血の海とバランの拳で、あの忌々しい街を瞬時に更地へと変える。そして、虚無の力で『絆紋亭』の連中を絶望の底へと叩き落とし、あの小僧の四肢を八つ裂きにするのだ!!」
「「「おおおおおっ!! 魔王軍の栄光よ、永遠なれ!!」」」
異空間の魔王城では、彼らが手に入れた『新たなる力』に酔いしれ、狂宴が繰り広げられていた。
彼らは信じて疑わなかった。この異空間での数ヶ月の研鑽で手に入れた力こそが、世界を滅ぼす絶対の力であり、アシュタルなど赤子を捻るように蹂躙できると。
しかし、彼らは知らない。
彼らが「数ヶ月かけて到達した究極の強さ」を、アシュタルの『ただの訓練生たち』が、レインと教官陣の指導により、易々と超えようとしている事実を。
さらに、今のアシュタルは単なる一つの街ではなく、他国と同盟を結び、広大な開拓村を持ち、無数の精鋭たちが守りを固める『巨大な軍事国家』へと変貌していることを。
魔王軍が自信満々に次元の壁を破って帰還した時、彼らを待ち受けているのは、かつて以上の『戦闘とすら呼べない絶望』と『圧倒的な暴力による蹂躙』であるということを。
そして、彼らが心の底から恐れるその青年が、今この瞬間も、仲間たちと笑い合い、新しい土精のモグラを撫でながら、美味しい夕食を食べているだけだということを、彼らは知る由もなかった。
ここまでお読みいただきありがとうございます!少しでも面白いと感じたら、画面下から【ブックマーク】と【☆☆☆☆☆】の評価をいただけると、執筆の大きなモチベーションになります!尚、現在新作 【安全第一】死に戻り商人の異世界スローライフ~万能魔法と『リトライ』を駆使して完璧な物流網とインフラを整備し、のんびり隠居を目指します~
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