第7話 閑話:崩れゆく聖剣、王都に響く亀裂の音
第7話 閑話:崩れゆく聖剣、王都に響く亀裂の音
アシュタルの街から遠く離れた、大陸の最果てにそびえ立つ魔王領の境界――『黒鉄の回廊』と呼ばれる呪われた迷宮の最深部。
かつて栄華を誇った古代王国の遺跡を模したその場所は、今や禍々しい瘴気と、冷徹な死の気配に満ち溢れていた。石造りの天井からは絶えずドス黒い水滴が落ち、足元にはかつてここで命を落とした冒険者たちの朽ち果てた武具が無造作に転がっている。
「はあっ……! はあっ……くそっ、なんでだ……ッ!」
乾いた足音を響かせながら、ボロボロになった白銀の鎧を引きずって後ずさるのは、勇者パーティー『暁の剣』のリーダー、アレクだった。
彼のトレードマークであった黄金の髪は埃と血にまみれ、額からは生暖かい血が流れて視界を赤く染めている。手に握りしめた聖剣は、かつて神々しい輝きを放っていたはずが、今はあちこちに深い刃こぼれが生じ、おぞましい紫色の瘴気に浸食されて鈍く澱んでいた。
彼の目の前で、巨大な双頭の魔獣――魔王軍の尖兵であるケルベロス・キマイラが、低い唸り声をあげながらじりじりと距離を詰めてきている。
「アレク様! 後ろの退路が魔力障壁で塞がれています! このままでは逃げ場がありません!」
聖女エルナの悲鳴のような声が響いた。彼女の純白の法衣は泥と血で汚れ、手に持っていた聖杖はすでに真ん中からポッキリと折れていた。治癒魔法の詠唱を行おうにも、魔力残量は底をつき、喉からは血の味がするだけでまともな聖句すら紡ぎ出すことができない。
「どうにかしろよカイン! お前の最高峰の攻撃魔法で、こいつを一掃できるだろっ!」
斥候のミラが、恐怖に顔を引きつらせながら魔法使いのカインにすがりついた。
しかし、そのカインは壁にもたれかかるように座り込み、うわ言のように頭を抱えて震えていた。
「無理だ……無理だ無理だ無理だ……! 魔力が通じない……! この空間の瘴気が俺の魔力を拒絶する……! 詠唱が暴発する……!」
彼の愛用していた魔導杖は過負荷によって水晶部分が粉々に砕け散り、両手は自らの魔法の暴発によってひどい火傷を負っていた。
絶望の淵に突き落とされた『暁の剣』の面々は、誰もが互いの顔を見合わせ、その瞳に深い恐怖と後悔の色を浮かべていた。
なぜ、こうなってしまったのか。
王都を出発した当初、彼らは自分たちが世界を救う絶対的な存在だと信じて疑わなかった。魔王討伐など、自分たちの才能と力があれば容易い通過点に過ぎないと、心のどこかで高を括っていたのだ。
だが、その慢心は最初の難所で音を立てて砕け散った。
――いや、正確には、もっと前から歯車は狂い始めていたのだ。
戦闘中の絶妙なタイミングでの敵の足止め。
誰も気づかない死角から忍び寄る魔物の気配の察知。
夜営地における完璧な結界の展開と、誰よりも早く起きて準備を整える細やかな気配り。
そして何より、彼らが無意識のうちに浴び続けていた呪いや精神汚染を、その身を挺して――あるいはその特殊な『絆紋』の力で、無言のまま浄化し続けてくれていた存在。
――「レイン」という、一人の「無能な雑用係」の少年だった。
「……っ……ぁ……」
アレクの脳裏に、あの日の夕食の光景がフラッシュバックのように鮮明に蘇る。
輝かしい王都の高級宿の円卓で、彼が冷酷な口調で言い放った言葉。
「――お前はもう、いらない」
「魔力量は最下位、剣の腕も平均以下。これ以上連れていく理由がない」
あの時、レインは怒鳴ることも、泣き叫んで縋ることもなかった。
ただ穏やかに、「……そっか。なら、いいや」と微笑み、自分の少ない荷物だけを持って、静かにその部屋を出て行った。
あの時のレインの背中が、今になってどうしようもなく巨大で、そして自分たちの足元を支える唯一の基盤であったことに、彼らは遅すぎる気づきを得ていた。
「レイン……お前がいなければ……俺たちは……!」
アレクが絶望に満ちた声を絞り出したその瞬間、目の前のケルベロス・キマイラが凄まじい咆哮を上げ、巨大な爪を振り下ろした。
「きゃあああっ!!」
「ぐあぁぁっ……!」
鮮血が暗黒の回廊の壁に飛び散り、かつて「最強」と謳われた勇者パーティーの悲鳴が、誰も助けに来ない深い迷宮の闇の中へと吸い込まれていった。
彼らが犯した慢心と、一つの優しさを切り捨てた代償は、あまりにも大きすぎた。
そしてその頃――遠く離れた辺境の街アシュタルの近くでは、そんな崩壊の音とは無縁の場所で、温かな絆に包まれたクラン『絆紋亭』の小さなマスターが、新しい仲間たちと共に穏やかな風を受けて笑顔を咲かせていたのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございます!少しでも面白いと感じたら、画面下から【ブックマーク】と【☆☆☆☆☆】の評価をいただけると、執筆の大きなモチベーションになります!




