第3話 はじめてののんびり依頼と、ソラの小さな翼
第3話 はじめてののんびり依頼と、ソラの小さな翼
アシュタルの街で迎えた朝は、王都のそれとはどこか違っていた。
石造りの建物が並ぶ王都では、朝から衛兵の鎧が擦れ合う金属音や、焦燥感を煽る馬車の蹄の音が響いていたが、この辺境の開拓街では、鳥の囀りと共にどこからともなく焼きたてのパンの香ばしい匂いや、薪がパチパチと爆ぜる穏やかな生活の音が窓の外から聞こえてくる。
「きゅるる……」
ベッドの枕元で丸くなっていた小竜のソラが、くすぐったそうに小さな翼を伸ばしながら目を覚ました。黄金色の大きな瞳がぱちくりと開くと、すぐに俺の顔を見つけて「キュッ!」と嬉しそうな声を上げる。
「おはよう、ソラ。昨日はよく眠れたか?」
「きゅぅ~ん」
ソラはまるで甘える子犬のように、俺の頬に自分の鼻先をすりすりと押し付けてきた。その小さな体温と、心地よい質感が朝の冷えた空気を和らげてくれる。
昨晩、『三本爪亭』で出会った巨躯の女戦士アイラや毒舌の魔導士ルウ、そして不気味な老薬師ゴットと別れた後、俺たちはぐっすりと眠りについた。勇者パーティーにいた頃は、常に明日の魔王軍との戦いや、効率的なレベル上げのスケジュールに追われ、朝を迎えるのがどこか億劫だったというのに、今の俺には焦りのかけらもなかった。
身支度を整え、ソラを肩に乗せたままギルドへと向かった俺は、掲示板の前で今日の予定を考えていた。
「さて、今日はどの依頼にしようか」
前日に行ったアズラ草の採取は無事に終わり、ギルドの掲示板には新しい依頼がいくつか貼り出されている。西の森の奥地での魔物討伐といった物騒なものは相変わらずスルーするとして、俺の目に留まったのは別の羊皮紙だった。
『ハーブティーの原料となる“月光草”の採取。西の森、木漏れ日の差す湿地帯周辺にて十株。報酬:銀貨三枚』
「月光草か。これなら西の森のもう少し奥だけど、危険な魔物が出るような場所じゃないな」
月光草はその名の通り、月の光を浴びて淡く青く光る神秘的な草だ。薬効が高く、貴族の間では高級なハーブティーとして珍重されている。採取の難易度はやや高めだが、植物の生態を理解していれば初心者でも十分にこなせる範囲の依頼だった。
「これにしよう。ソラ、今日も森にお出かけだぞ」
「きゅるっ!」
俺が声をかけると、ソラは嬉しそうに翼を羽ばたかせ、俺の肩の上でクルリと一回転した。
受付で月光草の採取依頼を受理してもらい、俺たちは再び西の森へと足を踏み入れた。
数日前に通った小道を抜けて、さらに奥の湿地帯へと進んでいく。木々が少しずつ密になり、頭上に広がる空の面積が狭くなっていくにつれて、周囲の空気がひんやりと湿ってきた。足元には苔むした丸太や、浅い水たまりが点在している。
「この辺りだな。月光草は湿り気があって、かつ木漏れ日の差し込む半日陰を好むはずだ」
俺は周囲の植生を注意深く観察しながら歩を進めた。
すると、数歩進んだ先の大きな古木の根元で、薄っすらと青い光を放つ小さな草むらを発見した。
「お、あったあった。綺麗な月光草だ」
俺はその場にしゃがみ込み、周囲の土を傷つけないように慎重にスコップを差し入れた。根を痛めないように丁寧に土ごと掘り起こし、麻布で優しく包んでから携帯用の木箱に収めていく。
その作業を眺めながら、肩に乗っていたソラが「キュッ」と小さく鳴いた。
「どうした、ソラ?」
「きゅるる……」
ソラはピクっと耳を動かし、少し離れた茂みをじっと見つめた。
俺はゆっくりと立ち上がり、気配を殺してその方向を注視する。すると、草むらがガサリと揺れ、中から一匹の小動物が姿を現した。
「……ポーションラビットか」
それは、全身が柔らかな白い毛並みに覆われ、額に小さな角を持つウサギの魔物だった。傷ついたときに自身の分泌液が優れた回復薬の代わりになることからその名がついたが、臆病な性格で基本的には人間を見ると真っ直ぐに逃げ出すはずの魔物だ。
しかし、そのポーションラビットは逃げるどころか、前足を地面に突いたまま、動けなくなっていた。
「グルル……」
よく見ると、その右後ろ足が太い木のツルにきつく絡め取られ、さらに鋭い岩の間に挟まってしまっている。もがけばもがくほどツルが食い込み、出血こそしていないものの、完全に身動きが取れなくなっていた。
ポーションラビットの瞳には、恐怖の色が濃く浮かび上がっている。
(痛いよぅ……動けないよぅ……誰か、助けて……!)
脳内に流れ込んできたのは、幼い子供が泣きじゃくるような、か細く怯えた感情だった。
俺はため息をつく代わりに、ふっと優しい笑みを浮かべた。
「まったく、この森はドジな魔物が多いな。よし、今出してやるから暴れるなよ」
俺がそっと近づくと、ポーションラビットは恐怖で耳をピンと立て、威嚇するように小さく鼻を鳴らした。
だが、俺の右手の甲に刻まれた翠色の痣が淡い光を放ち、その波紋がポーションラビットを優しく包み込んだ瞬間、ピタリと身震いが止まった。
「もう大丈夫だ。痛くないようにしてやるからな」
俺は手際よくツルをナイフで切り落とし、岩の間に挟まっていた足を優しく引き抜いた。
怪我の具合を確認し、手持ちの薬草をすり潰して軽く塗ってやると、ポーションラビットは安心したように大きく息をついた。
「ほら、おしまい。もう罠にはまるなよ」
俺が立ち上がり、月光草の採取を再開しようとすると、足元でモゾモゾと何かが動いた。
振り返ると、助けたポーションラビットがその場でぴょんと跳ね、さらに自分の足元に生えていた、通常のものよりも二回りほど大きく、極めて質の高い特等品の月光草を前足でツンツンと押しながら、俺を見上げていた。
「……これ、俺にくれるのか?」
「キュッ!」
まるで「助けてくれたお礼だよ」と言っているかのように、ウサギは嬉しそうに小さく鼻を鳴らした。
俺は思わず苦笑いを浮かべ、その柔らかい頭を撫でてやった。
「ありがとう。大切にさせてもらうよ」
ポーションラビットは満足したようにぴょんぴょんと跳ねて、木々の奥へと消えていった。
その様子を肩の上から眺めていたソラが、「きゅるるーっ!」と羨ましそうに鳴きながら、自分の小さな翼をバタバタと大きく羽ばたかせた。
「なんだ、ソラも何かやりたいのか?」
「きゅっ!」
ソラは地面にポトリと飛び降りると、一生懸命に空を飛ぼうと試み始めた。
小さな体を精一杯に伸ばし、パタパタパタと懸命に翼を動かす。しかし、まだ十分に成長しきっていない翼では、地面からほんの数十センチ浮き上がるのがやっとで、すぐにバランスを崩してドテッと転がってしまう。
「ぶぅっ!」
「あいたっ。無理をするなよ、まだ飛ぶには早いって」
転がって土まみれになったソラを抱き上げ、俺は服の裾で優しく汚れを拭き取ってやった。
ソラは悔しそうにクゥーンと鳴き、俺の腕の中で小さく身を縮こまらせた。その姿は、かつて勇者パーティーの中で「お前には才能がない」と切り捨てられ、自分の無力さに打ちひしがれていた頃の自分自身の姿と重なって見えた。
急ぐ必要なんてない。
すぐに空を飛べなくたっていい。転んだって、何度だってやり直せばいいんだ。
「ほら、見てごらんソラ。焦らなくても、いつか必ず空の向こうまで飛べるようになるさ。それに、たとえ飛べなくたって、俺が一緒に歩いてやるよ」
俺の言葉が伝わったのか、ソラは黄金色の瞳を大きく見開いた後、安心したように俺の胸元にスリと顔を寄せた。
心の中に、温かく柔らかな絆の波紋が広がっていくのを感じた。
月光草の採取を無事に終え、十分すぎるほどの収穫を抱えてアシュタルの街に戻った俺たちは、夕暮れに染まる街並みを眺めながら、自分たちの拠点へと歩き出した。
王都を追放されたときは、この先どうなることかと暗澹たる気持ちだったが、今ではこの辺境の街が、少しずつかけがえのない「居場所」に変わりつつあった。
――静かで、温かい、俺たちの新しい日々の物語は、まだ始まったばかりだ。
【現在のステータス】
名前:レイン
職業:冒険者(元・勇者パーティー裏方担当)
称号:追放されし者 / 魔物に愛されし者
Lv:14
HP:160 / 160
MP:25 / 25
【スキル】
・生活魔法 Lv.4
・剣術 Lv.2
・解体 Lv.5
・野営技術 Lv.6
・野戦調薬 Lv.4
・植物知識 Lv.3(NEW)
【固有スキル】
・絆紋:対象の魔物と心を通わせ、警戒心を解き放つ。深い絆を結んだ魔物と感覚や力を共有できる。(※従魔との絆深化により、微量の魔力共有を確認)
【従魔・クランメンバー】
・空色小竜(名前:ソラ)
状態:元気いっぱい / 飛行特訓中 / 絆レベル2
・ポーションラビット(※一時的な交流・特上月光草の情報を得る)
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