第112話 閑話:愚者たちの宴と、影に潜む耳
第112話 閑話:愚者たちの宴と、影に潜む耳
辺境の街アシュタルの東、小高い丘に広がる特級クラン『絆紋亭』の拠点であり、『絆紋公国』の中心地であるこの場所は、極北の絶望的な脅威が去り、世界が平和の祝祭に沸く中においても、いつもと変わらぬ穏やかで調和に満ちた朝を迎えていた。
庭の中央にそびえ立つ巨大な精霊樹は、深淵の虚無を完全に浄化した光をたっぷりと吸収し、一つの大森林と見紛うほどの神樹へと成長を遂げている。その豊かに茂ったエメラルドグリーンの枝葉が朝の心地よい風に揺れるたび、チリン、チリンと微かな鈴の音のような魔力の波紋が広がり、拠点全体を極上の癒やしのオーラで包み込んでいた。
「ウォンッ!」
「キュイッ!」
「きゅるるーっ!」
澄み切った青空の下、縁側で朝の空気を胸いっぱいに吸い込んでいる俺の足元へ、一番最初に俺の固有スキルである『絆紋』を受け入れ、共に歩み始めた最古参の相棒たち――銀色のウルフ『フェル』、純白のポーションラビット『ピコ』、そして空色小竜の『ソラ』が競い合うように飛び込んできた。
彼らの後に続くように、水豹のリン、幻宝石獣のキラ、白銀の幼熊ブラン、空間転移を操る銀狐のギン、鋼棘の鎧獣マル、疾風の隼ゲイル、影猫のシャロ、水妖の獺ミロ、風精のリスのルル、土精の土竜ドロ、星翼の梟ステラ、幻影の蝶ファル、雲羊のモフ、木精の栗鼠コノ、鎌鼬のタマ、鋼殻の戦亀カメ、雷雲の幼鳥ライたちが一斉に集まってくる。
さらに極北の遠征で家族となった氷牙の白虎ビャク、吹雪の妖精ユキ、霜結びの蜘蛛シモ、オーロラの精霊アウラ、氷晶の鹿ルカ、雪豹のマシロ、水晶の亀クリス、幻影の蝙蝠バット、白炎の狐ホムラ、浄水のスライムのスイ、鏡面の梟ミル、幻晶の穿山甲リン、虹光の蝶プリ、重力エイのフワ、影豹のクロ、磁力甲虫のジキ。
次元を司る星天の神狼シリウスや、時空の鯨クジラ、次元の螳螂カマ、星喰いのバク、星の精霊であるルミ、コア、ジュジュ。虚無の暴食者から浄化され生まれ変わった虚空の精霊ゼロ、時空猫のチク、星屑の幼竜アストラたちも、わらわらと俺の周囲に集まり、心地よさそうに喉を鳴らしている。
「おはよう、みんな。今日もいい天気だな」
俺が彼らの頭を順番に優しく撫でると、魔物たちは心底嬉しそうに目を細め、尻尾を振って応えた。庭の奥では、漆黒の竜ノヴァや紅蓮の火蜥蜴ガエン、鋼角の犀ザイン、岩砕の巨獣ダグ、砂塵の魔蠍ゼットといった大型組も、朝の日差しを浴びて気持ちよさそうに背伸びをしている。
「レイン様、おはようございます。朝から騒々しくて申し訳ありません」
そこへ、特級密偵のシオンが、一人の少女と、一羽の小さな鳥を連れて歩み寄ってきた。
少女は、亜麻色の髪からピンと立った犬の耳を生やした獣人だった。年齢は十五、六ほどだろうか。その瞳は非常に鋭く、周囲の微細な音に常に反応して耳をピクピクと動かしている。
「初めまして、レイン公王様! 私、シオン様の下で隠密部隊の新人として訓練を受けております、獣人の『ミャオ』と申します! 耳の良さなら、誰にも負けません!」
ミャオは元気よく、しかし礼儀正しく深々と頭を下げた。
「ああ、よろしくな、ミャオ。シオンの部隊も人が増えて賑やかになってきたな」
「はい。彼女の聴力は、ニーナの『魔力反響』と並ぶ情報収集の要となり得ます。そして、彼女の肩に留まっているこの魔物ですが……」
シオンが指差した先、ミャオの肩には、美しい瑠璃色の羽を持つ小さな小鳥が留まっていた。しかし、その体は酷く傷ついており、左の翼が折れ曲がっている。
「ピィィ……」
「この子は『幻聴鳥』です。音や声を記憶し、幻影と共に完璧に再生するという極めて珍しい能力を持つ魔物なのですが、先日、南方の森で密猟者に撃ち落とされそうになっていたところを、ミャオが保護しました」
「なるほど。それは大変だったな」
俺は右手の甲の『絆紋』の光を灯し、そっと幻聴鳥に手を差し伸べた。翠色の温かな波紋が、その小さな体を包み込む。『万物の調和と極限浄化』の力が、折れた翼を瞬時に癒やし、怯えていた心を解きほぐしていく。
「ピピッ♪」
完全に傷が癒えた幻聴鳥は、嬉しそうに俺の手のひらに乗り、俺の顔をじっと見つめた。
「今日からお前も俺たちの家族だ。名前は『ルリ』。よろしくな」
「ピリリッ♪」
ルリは美しい鳴き声を上げ、フェルやピコたち新しい家族とすぐに打ち解けて飛び回った。
「ありがとうございます、レイン様。ルリの能力とミャオの聴力があれば、我々隠密部隊の活動はさらに飛躍的に向上します」
「それで、朝早くから俺のところに来たってことは、何か厄介事の報告か?」
俺が尋ねると、シオンは冷たい笑みを浮かべて頷いた。
「ええ。世界中が平和の祝祭に沸く中、未だに自らの愚かさを悟れず、影でコソコソと悪巧みをしている『ゴミの吹き溜まり』を見つけましたので」
閑話:没落者たちの宴と、愚かなる悪巧み
アシュタルから遥か南。大陸の最南端に位置し、海に突き出た絶壁の上に建つ古びた廃城。
かつては海賊の拠点として使われていたというその城の薄暗い広間に、数十名の男女が集まり、安物のワインを煽りながら血走った目でテーブルを囲んでいた。
彼らは皆、かつては国を動かすほどの権力や富を握っていた者たちである。
アシュタルの忠告を無視して魔獣のスタンピードに国を滅ぼされた『旧ザウエル帝国』の生き残りであるガロワ男爵。
民衆を盾にして自分たちだけ城塞に逃げ込み、アシュタルに見捨てられて全てを失った『旧ガレオン商業国』の元大商人、バルボア。
そして、アシュタルの支援物資を不当に独占しようとして民衆の反乱を招き、領地を追われた『旧バランド侯爵領』の元私兵隊長、ザックラー。
その他にも、他国への侵略を目論んでアシュタルの『魔境鎮圧部隊』に完膚なきまでに叩き潰された貴族や、悪政を敷いて民に見限られた領主たち。
彼らは皆、自らの非を一切認めず、没落の原因を全て「アシュタル辺境国と絆紋公国の理不尽な武力介入のせいだ」と逆恨みしている、真性の愚者たちであった。
「忌々しい……! 我がザウエル帝国の栄華が、辺境の田舎者どものせいで全て水泡に帰すとは!」
ガロワ男爵が、薄汚れたグラスをテーブルに叩きつけて毒づく。
「全くですな! あ奴ら、極北のダンジョンを制圧したとかで、今は世界中から神様のように崇め奉られている。我が商業国が築き上げた富も、全て奴らに奪われたようなものです!」
元大商人のバルボアが、脂汗を拭いながら同調する。
「だが、奴らの天下も長くは続かねぇさ」
元私兵隊長のザックラーが、下卑た笑みを浮かべて身を乗り出した。
「極北のバケモノがいなくなったことで、世界中の変異ダンジョンは活動を停止しつつある。魔王の脅威も完全に消え去った。……つまり、アシュタルが振りかざしていた『武力による平和の強制』の大義名分がなくなったってことだ」
「確かに。奴らは今、平和の祝祭に浮かれ、開拓だの街づくりだのと、すっかり平和ボケしていると聞く。付け入る隙はいくらでもあるはずだ」
ガロワ男爵が目を細め、懐から禍々しい黒いオーラを放つ小さな瓶を取り出した。
「見よ。これは、我がザウエル帝国がかつて魔王軍の残党から密かに買い取っていた『死霊の毒薬』だ。ほんの一滴で、広大な水源を数年にわたって汚染し、飲んだ者を狂乱させる呪いの代物よ」
「おおっ! それを使えば……!」
「そうだ。我々が雇った闇のギルドの暗殺者たちをアシュタルに潜入させ、彼らが大事に育てているという『精霊樹』の根元、あるいは街の水源にこの毒を撒き散らす。奴らが毒に苦しみ、街が混乱に陥った隙を突いて、各地に潜伏している不満分子を一斉に蜂起させるのだ!」
ガロワ男爵の狂気に満ちた計画に、集まった悪徳貴族たちは一斉に歓声を上げた。
「素晴らしい! 奴らが混乱している間に、宝物庫から財産を根こそぎ奪い返してやる!」
「絆紋公王とやらも、毒に冒されればただの若造だ。首を刎ねて、この城の城門に晒してやりましょうぞ!」
「ガハハハッ! アシュタルに死を! 我々に栄光を!」
彼らは自分たちの計画が完璧であると信じて疑わず、勝利を確信して薄汚いグラスを掲げ合わせた。
極北の二百階層という地獄を制覇したバケモノ染みた軍勢を相手に、たかが数人の暗殺者と毒薬で勝てると思い込んでいるあたり、彼らの思考は完全に現実から乖離していた。
そして何より、彼らは一つ、致命的で絶望的な思い違いをしていた。
彼らがこの廃城の広間で、得意げに悪巧みを語り合っているその瞬間。
広間の高い天井の梁の上には、彼らが雇った闇のギルドの暗殺者など足元にも及ばない、アシュタルが世界に誇る『特級の闇』が、すでに完璧に陣取っていたのである。
筒抜けの密談と、影に潜む耳
廃城の天井裏、蜘蛛の巣が張る暗がりの中。
そこには、シオン直属の隠密部隊の精鋭である、幻術索敵の『ニーナ』、幻術士の『リリア』、そして新人獣人の『ミャオ』が、息を殺して完全に気配を絶っていた。
さらに彼らの周囲には、幻影の蝙蝠『バット』、鏡面の梟『ミル』、星翼の梟『ステラ』、そして先程テイムされたばかりの幻聴鳥『ルリ』が待機している。
「……信じられないほど、ペラペラと自分たちの計画を喋ってくれますね」
リリアが、音漏れを防ぐ幻術の結界を展開しながら、呆れたように小声で呟いた。
「ええ。ニーナの『魔力反響』で城内の警備状況をスキャンしましたが、雇われている傭兵たちも二流以下のゴロツキばかりです。完全に無防備と言っていいでしょう」
ニーナが目隠し越しに下を見下ろしながら報告する。
「ミャオ、彼らの会話、全部拾えてる?」
リリアが尋ねると、犬耳の少女ミャオは、耳をピクピクと動かしながら自信満々に頷いた。
「はい! ガロワ男爵の『死霊の毒薬』の話から、誰がどの暗殺者を雇ったか、いつアシュタルに潜入する予定かまで、一言一句漏らさず聞き取れています! ルリちゃんも、完璧に録音してくれていますよ」
ミャオの肩に留まったルリが、誇らしげに小さく胸を張る。バットの超音波とミルの魔力視が、彼らの顔と魔力波長を完全に記録しており、証拠としてはこれ以上ないほど完璧だった。
「それにしても、極北のダンジョンをたった一つの軍で制圧したレイン様たちを相手に、あんな小さな毒瓶一つで勝てると思っているなんて……。愚かすぎて、逆に哀れになってきますね」
リリアがため息をつく。
「彼らは、自分たちが安全な場所にいて、他人の手を汚させることしか考えていません。だから、レイン様たちの『本当の恐ろしさ』を理解できないのです」
ニーナが冷ややかに言い放つ。
「さて、録音も終わりましたし、シオン様とレイン様に報告しましょうか。あんな連中がアシュタルの土を踏むこと自体、許されるべきではありませんからね」
ミャオが通信魔道具のスイッチを入れる。
かくして、彼らの「完璧な悪巧み」は、実行に移されるどころか、準備段階の密談の時点で、ターゲットであるアシュタルの首脳陣に全てリアルタイムで筒抜けとなっていたのである。
執務室での呆れ顔と、ざまぁの準備
アシュタルの領主の館、執務室。
俺とアルベルト国王、首席文官エレナ、そしてシオンは、通信魔道具から流れてくる、そしてルリが幻影と共に再生した「悪徳貴族たちの密談」の全貌を聞き終え、全員が深い溜め息をついていた。
「……なんというか、ツッコミどころが多すぎて頭が痛くなってくるな」
俺がこめかみを揉みながら呟く。
「全くです。極北のダンジョンを一日二十階層のペースで踏破した我が『魔境鎮圧部隊』の警備網を、三流の暗殺者ごときが突破できると本気で思っているのでしょうか。それに、レイン様の『絆紋』や精霊樹の浄化力の前では、死霊の毒薬などただの水に等しいというのに」
エレナが呆れ果てたように眼鏡を押し上げる。
「ガハハ! 平和ボケしてるのはあいつらの方だな! アタシたちに喧嘩を売るなら、せめて魔王クラスのバケモノを連れてこないと話にならないぜ!」
いつの間にか執務室に来ていたアイラが大笑いする。
「ええ。こんな下劣な連中が、美しいアシュタルの水や精霊樹を汚そうと企んでいるという事実だけでも、万死に値するわ」
ルウが炎の杖を構え、冷酷な笑みを浮かべた。
「レイン殿、どうされる? 放っておいても彼らの暗殺者は我が軍の警備網に引っかかり、自滅するだけだが」
アルベルト国王が尋ねる。
「放っておく理由はありませんよ。精霊樹や水源を狙うという悪意を口にした以上、彼らは俺たちの家族を脅かす敵です。それに、変な毒をばら撒かれて、罪のない人々に被害が出る前に、元から絶つべきです」
俺は立ち上がり、シオンに向き直った。
「シオン、ご苦労だった。ミャオやルリたちの初仕事、完璧だったぞ」
「ありがとうございます。で、制圧の指示をいただけますか?」
「ああ。明日、俺とアイラ、ルウ、そしてシオンの隠密部隊で、その廃城を直接訪問する。証拠は完全に固まっているんだ、言い逃れはさせない。彼らがどれほど無謀な相手に喧嘩を売ったのか、その身をもって分からせてやろう」
「了解しました。彼らにとって、人生で最後で最悪の宴になるように手配しておきます」
シオンが影のように一礼し、姿を消した。
平和な世界に水を差そうとする、愚かな悪徳貴族たちの残党。
彼らは自分たちが捕食者であると信じて疑わなかったが、その実、絶対的な力を持つ竜の尾を踏みつけた哀れな獲物に過ぎなかった。
翌日、彼らの拠点である廃城に、圧倒的な力と絶望が降り注ぐことになるなど、彼らは夢にも思っていない。
絆紋公国の平穏な日常の裏で、愚者たちに対する容赦のない「ざまぁ」の準備が、静かに、そして完璧に整えられていた。
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