22.隠世 (かくりよ)の贄(にえ)―1
ごぼごぼごぼ……と重く、くぐもった音が伝わってくる。
粘度の高い液体が強制的に排出されていく際にたてる音。
ポンプによって吸い出され、液体の水位が下がっていく。
身体に加わっている圧力分布の変化によってそう感じる。
同時に、
しゅうしゅう……と音を立てて気体が流れ、皮膚表面を撫でるのを感じ、
どこまでも荘重な調べの国歌の再生が開始。耳許に演奏が響くのを聞く。
これによって、
完全に密閉され、外部と隔絶されている与圧服――ほぼ宇宙服と言っていい造りのパイロットスーツ内を満たしていた気体が換気され、
事前に施されていた催眠暗示が弱まり、効果を減じて、そして解除される。スーツの装着者――俺の意識が現実感覚を取り戻していく。
これまで感じていた飛行の悦びが一枚、また一枚と薄皮が剥がれていくように喪われていき、代わりにウンザリ気分が強くなっていく。
……蓬莱基地の山頂滑走路に着陸し、機体を格納庫行きエレベーター群の中から指定されたものの上まで移動させ、最後に空を見上げた。
そこで気付いた……、いや、思いだした。思いだしてしまった――これら俺を取り巻く状況、世界のすべては作り物、偽物なんだって。
いや、〈アルゴス〉は現実だった。〈アルゴス〉がもたらしてくれた、あの、空に溶け込む感じ――あれだけは嘘偽りない本物だった。
だが、他のすべては嘘――何から何まで、一から十に至るまでが嘘。電子装置が計算し、構築してのけた芝居の書き割りにすぎなかった。
フライトシミュレーション――実際に空は飛ばないが、しかし、飛行の体験は得るための行為であり、また、そのための訓練システム。
作り物の空。紛い物の体験。仕組まれた感動、すべてが虚構……。
動物園、水族館にも似て、本物ソックリに作り込まれた疑似環境。
そこに放り込まれた俺は、観察される動物であり道化なのだった。
つまり、
まず手始めにフライトシミュレーションの被験者――パイロットには催眠暗示をほどこしておく。
限りなくリアルに作られ、実物と見紛うほどであっても、『これが偽物なのだと知っている』――その認識をパイロットから削除するためだ。
そうして、パイロットが乗り込んだ後、コクピット内に液体を満たす。
精確に言うと、リキッド/ゲル相転移型流動体――それをコクピットの中が満タンになるまで充填する。
何のためかと言えば、加速度の再現。
機体の機動にともない生じる加速度変化を、リキッド/ゲル相転移型流動体の機能を利用し、パイロットの肉体に対して異なる強度、違った角度、様々な部位への『圧』をくわえるためだ。
それによって、パイロットは自分が本当に空を飛んでいると勘違いする。
飛行を模擬する環境、またシチュエーションがそこに成立する事となる。
俺が、つい最前まで嬉々として堪能していた空、また飛行感覚は、つまりはそうして造り上げられたもの。
映像も音響も五体に感じていた体性感覚の全部――周囲にひろがっていた空、満喫していた飛行の感覚の、そのすべては幻。
電子装置と催眠暗示のコンボが生成していた偽物だったのだ。
大した工夫――そうは思うが、それはネタばらしされ、タネあかしされた手品に対するものと大差ない。
いや、欺された側の人間として言わせてもらえば、手品と異なり真実を知った後に感じるものが、感嘆ではなく落胆という点が異なるか。
制作者サイドではなく、あくまで使用者/被験者としての感想は、『全然うれしくない』――それに尽きる。
なまじ、そんな虚構の世界に、それが虚構と気付かずズッポリ没入していた分、忌々しくも、自分が愚かしく思えて情けない気分になるからだ。
ついつい自嘲の嗤いをこぼそうとも言うもの。
俺に限って言うなら、自分自身の性向もあるだろうし、物心ついた時分からの予科練暮らしで『飛ぶ』ことが、すなわち『日常』だったこともあるだろう。
まるで重度の薬物中毒者みたいにクスリが切れたら――『飛べない』日々が続いたら俺は死ぬ。それがわかっている故わらう。わらうしかない。
疑似餌に引っ掛かって、まんまと釣り上げられてしまった魚の気分――たとえるならば、そういう事にでもなるんだろうか。
当たり前だが、模擬であろうとなかろうと……、いや、模擬だからこそ、俺が飛行していた間の一部始終は機体開発にかかわる担当者たちの知るところ。
言うなら衆目の目にさらされているワケで、
これまた当たり前だが、それで愉快になれる筈がない。
さっき喩えた動物園や水族館の、その内部にいる生き物たちにアンケートをとったら、もしかすると似たような文句を言うんじゃなかろうか。
「不味ぃ……」
製造上での原料、加工由来……などでは多分なく、使用の確実性把握、識別のための芳香添加。
それによる、なんとも青臭いとしか言いようのない臭気を感じて俺は呻いた。
『気付け薬』――最終的に、催眠暗示を物理的な面から解くクスリ。
効果の程から言うなら、これぞまさしく『覚醒剤』と呼ぶべきか。
そして、
その直後、
視界が暗転――真っ暗になった。
と思う間もなく開く新たな視界。
非常灯の赤色に照らされ、仄暗く映るコクピット内部の像。
これまで見ていた――見せられていた虚像ではなく、実像。
「……繰り返す。フライトシミュレーション終了。フライトシミュレーション終了。三〇分後より第三会議室にてデブリーフィングをおこなう。各要員は――」
拡声器が連絡事項を告げている。
装着しているヘルメットの中で俺の耳許にも同じ文句がこだまする。
(デブリーフィングか……)
思わず溜息が出た。




