17.GREATGAME―1
『Pax Russo-Americana』
米ソ両超大国の力の均衡による世界平和の終焉は、新たな覇権の争奪と民族復興の旗を掲げた紛争が多発する時代の幕開けでもあった。
経済的な要求から、米ソ両超大国が世界中に展開していた兵力の本国召還や総合的な軍備の削減をはかった結果、軍事的な空白地帯が新たに生じたからである。
すなわち米ソという軛が解かれた事によって、勢力地図の変更、また版図の拡大をはかる諸勢力が台頭。
或いは、民族・人種・宗教・経済・地域問題等、それまでの体制下にあっては潜在していた矛盾や軋轢が、紛争というかたちで一挙に表面化する事となったからである。
最終的には、第三次世界大戦による衝撃を吸収できなかった連邦国家――米ソ両超大国の崩壊も、また、そうした延長線上にあると見なす事もできるのだが、
とまれ、
現在にいたる戦後社会の世界構造を決定づけた要因に、加えて、中華人民共和国の覇権政策と、その失敗をここで挙げなければならない。
それは、旧来よりの領土問題の解決、また被災地域に対する人道的援助という一応の体裁をとってはいたものの、武力による侵攻であった事に間違いはなく、アジア、ひいては将来世界の主導権獲得を目的としていただろう意図に疑いの余地もまたなかった。
しかし、作戦部隊の派遣、占領地域の維持等による戦費の増大は、市民生活に負担をかけずにはおかず、投入兵力の予測を遙かにこえた損害は、その当初より企図に懐疑的であった学生、知識者層の批判をよばずにはおかなかった。
これは民主化運動の高まりと機を一にして、政府指導部に対する異議申立てという具体的なかたちとなり、一方、政府はそうした動きを、(党指導を否定し、社会主義制度を否定する)『動乱』と規定するに及ぶ。
かくして一九八九年六月四日、天安門事件は生起した。
中央政府の混乱は、折しもソ連邦崩壊とそれに伴う東欧革命に揺れる中国国境地帯――少数民族自治区に波及し、それはそう時をおかずして民族独立運動へと拡大してゆく。
つまり、北京市内における市街戦が、建国来から当時に至るまで、中華人民共和国が抱え込んでいた国内的な矛盾や問題点を噴出させる契機となり、各地においても同様の衝突を招来する端緒――やがて泥沼の内戦状態へと、国家を踏み込ませる端緒となったと言ってよい。
更にはそれは、大戦による被害が比較的軽微ですんでいたアジア東部域にあって、周辺諸国に巨大な、免れえぬ波紋をなげかける端緒となった、と言ってよいのである。
二〇世紀最後の十年における、これら米ソ中――とりわけ世界最大の人口を擁する大国、中華人民共和国の崩壊が、第三次世界大戦後の世界構造を最終的に決定する要因となった。




