ダイヤモンド・アルゴリズム
次回の更新は7/19です
頼む…夢であってくれ…。
頭を上げたネムが振り返り、楽団に指揮棒を振り上げると楽団も一斉に楽器を用意した。笛や弦楽器、吹奏楽器を構えた彼らはネムの振り下げた指揮棒を合図に一斉に音楽を奏で始めた。その音楽は前世のクラシックっぽいが聞いたことない曲だ。
ていうかなんか…ネムはなんであんな深刻そうな表情なの?
指揮棒を取ったネムは、前世でどこのCDショップにも並んでいたクラシックCDのジャケットに写る、神経質そうな白髪の外国人指揮者を思わせる深刻な表情で、指揮棒を振り始めた。
…今更なんだけど何であのオッサンってどこのCDショップのクラシックのジャケットに映ってたんだろう?
そんなことを思いながらぼんやりと聞いているが、何をしているのか全くわからない。
だめだ、やっぱクラシックはわからん。
そんなことを思っていると教授が私を振り返り、身を寄せてヒソヒソ声を上げた。
「ルリコ様。わかりますか?」
「あ、はい。全然わかりません」
そう言うと教授はハハッと笑って「正直でよろしい」と言ってから言った。
「この曲はメロディーと伴奏が対等なんですよ」
…メロディーと伴奏ってなんだ?
「要は主役と脇役みたいなモノ。たとえばきらきら星がありますな。き~らき~らひか~る。これがメロディ。それを支えるBGMが伴奏です」
「はあ…? …それってきらきらひかるの後にアーソレッってきて”夜空のほしよ~”ってきたらアーヨイショッ! って合いの手入れるみたいな感じですか?」
「まあ、半分当たって半分外れってところですかね」
…それって当たりなの? ハズレなの? どっち?
「まあ、簡単に言うなら物語の主人公と脇役だったのがどちらも主人公として語られるみたいな感じですかね…」
ああ…それならわかりやすい。
「つまり型破りってことですか?」
「そうですね革新的と言っていい。本来は調性の域内に帰結するところを域外に拡張している」
「すみませんもうちょっとわかりやすくお願いします」
「まあ、そうですね…。旅に出た主人公は宝を得たら、故郷に帰りますね? しかしこの主人公は旅に出たまま帰らないってことです」
へー…。まあ、よくある主人公像のような…。
「よくわからないけどそれがアレで革新的なんですね」
「そうです。そうです」
へー…。
…。
気づけば曲は終盤を迎えていたらしく、終わった後に演奏者は涙を流してお互い抱き合っていた。私達と言えば拍手喝采でこの場からの迅速な退場を促した。
「どうだった?」
そう問うカラリリに振り返る。
「全エルフが感動って感じですね」
「そう、エルフの方々は王道を逸している方が好みなのかしら? その割には皆似たり寄ったりの恰好で個性がないのは何故なのかしら?」
「それはその冗談っていうか…。っていうかなんでネム達があんな真似を?」
「さあ? 音楽が趣味というので紹介したら意気投合したみたいで。それからずっと作曲活動に勤しんで、この発表にこぎつけたみたいです」
「はあ…」
カラリリは小首をかしげて言った。
「お気に召さなかったかしら?」
「あー…そうですね。クラシックはちょっと難解と言うか…眠くなるというか…」
「クラシック(古典)? とても斬新な交響曲に聞こえたけど…」
あー…そうか。クラシックっていうと古典になるのか…。
「まあ、でもその人によって聞く音楽の善し悪しが変わるって意味では…素晴らしい実験だったということね」
いや、これどっちかというと他人の黒歴史を見るような共感性羞恥のせいっていうか…。
「ただ単に身内の恥って感覚が強いかな…私は」
そう言うとフランは青い顔で紅茶を口に含む。
「まあ、美しさは人それぞれ、事情によって変わるということです」
そう言うと教授はパイプの煙を吐き出す。
「…それで結局…さっきの話はどういうことなんです?」
「…まだわかりませんか? つまり、美そのものに絶対の客観性はないということです。対称性も、周期も、無駄のなさも測ることはできます。ですが、それを美しいと感じるかは人による。誰が美しい、誰が醜いも同じです。それはつまり、神の不在の手がかりになるかもしれないということです」
あー…しばらく聞いてないと思ったら。久々に神か…。
「じゃあ…神は居ない。で良いじゃないですか」
「いえ、まだ気になることはあります。そもそも我々は神は姿形はないと定義しています。もし神が姿を持つなら、その姿こそ絶対の美の基準になるはずです。しかしそれがない」
「え、でもグムの像は…」
「グムはグムであり、神とは違います。グムは神以前の土着の宗教の名残でしかありません」
ああ…まあ、その前にグムって両性具有みたいになってたから美は感じないか…。
「はあ…つまりそれでそれが何です?」
「はい、そこで疑問がわきます。何故我々はエルフを美しいと感じるのでしょう?」
「えっと…美しいから?」
「それは先ほどの定義に反します。美しさは人それぞれ。にもかかわらず、不思議なほど多くの者がエルフを美しいと認める」
…?
「それは城にあるようなエルフの像を見て皆が美しさを刷り込まれているからでは?」
「いえ、あの像は貴族はともかく庶民は見ることができません。しかし庶民も、異国の商人も、エルフを初めて見る子供でさえ、同じように息を呑む。伴侶にそれを求めるのです」
…言われてみれば…。何でだ? 確かに私はエルフは美しいっていう文化とかがあるからわかるし…。エルフ自身も大いなる母の似姿を見て美しさを学んでるからわかる。でも…人が私達を美しいと思うのは…何でなんだろう?
そう思い、私は顎に手を置く。
そもそも、昔の平安美人と前世の現代の美人は違う。なのに私達は今までブスと言われたことはない。それどころかこの世界の美人と言われる人達にはエルフの美貌に似ている点が多々ある…。もしかしてこの世界の裏にエルフが居てエルフの美しさを刷り込んでるとか…? でも何の為に? …っていうかそれだと支配者にハーフエルフの特徴を持った耳を持つ人がいない理由もわからない。たまたま? 偶然? それとも誰かの陰謀?
「そしてルリコさん。今まで会った支配者、上位層の人間は…。どれも美男子、美女ばかりではありませんでしたか?」
「え…。そうですか? 商人ギルドの人や司祭様は普通の人でしたけど…」
「でも君主やその伴侶は…。同じような美しさの人が多かったのでは?」
まあ…言われてみると…そうかも? むしろ容姿が劣っている人が目立つ程多い…って感じではあったけど…。
「そうつまり美とは…人を惹きつけます。そして社会の中で影響力を持つようになる。やがて人は美を手に入れて上位を目指し始める。」
「人は美しい者を探し、選び、美しい者はさらに有利になります。その子もまた美しく育ち、再び選ばれる」
「はあ…」
「惹きつけられた者は、やがて近づきたがる。隣に置きたがる。自分のものにしたがる。
贈り物、縁談、身請け、囲い込み。名目はいくらでもあります」
「……それって、美しい人を大事にしてるってことでは?」
「いいえ。値がついたのは美そのものではありません。
美しいとされた者の身体です」
「…身体ですか?」
「ええ。美そのものは買えません。だから人は、美を宿しているように見える身体を買おうとする」
そこでカラリリが、静かに笑った。
「そして、買っただけでは済まないのよ」
「済まない?」
「美しいものは、遠くから見ているうちは清らかに見える。でも人は、それだけでは満足できない。近づきたい。触れたい。乱したい。自分の跡を残したい」
そう言うとカラリリは椅子から立って私の目の前に中腰で立った。そして私の頬に手を当てると彼女は両手の親指に自分の口紅を塗りたくるとそれを私の鼻筋から頬へと横に一直線に引いた。
「美しいものを、美しいまま遠くに置いておけない。触れて、乱して、自分の跡を残す。人が美を欲しがるって、そういうことよ」
そう言うと彼女は私の目を覗き込んで言った。
「ほら。これでもう、ただの綺麗な顔ではないでしょう?」
その瞬間何故か、私は自分が打たれたような悲しみに襲われてちょっとうるりと来てしまった。
「え、嘘。嘘。嘘。ごめん。ごめん」
そう言うと、カラリリはハンカチを取り出して私の顔を一心に拭いだした。
え、何だろうこの初めて親に殴られたような。どうしようもなく悲しい感覚は。
「違うの。こうするつもりじゃなかったの。貴方が悪いのよ、少しは。そんな顔で、そんなふうに無防備にしていたら、誰だって手を伸ばすわ」
そう言って目を伏せると彼女は言った。
「……違う。今のは違うわね。ごめんなさい。脅かすだけのつもりだったの。けれど私も、少し間違えた」
カラリリの指が、少し震えていた。
「もうしないわ。何か私、貴方に近づきすぎると、多分、私――」
貴方を傷つけずにはいられないから。
そのカラリリの言葉を聞いた瞬間、胸の奥が変に詰まった。
嫌だった。嫌だったのに…。突き放す気にはなれない。
カラリリは顔を上げると涙で濡れた目が、まるで叱られるのを待つみたいに私を見ていた。それがどうにも愛おしくてつい、私は手を伸ばしてしまった。私の指が彼女の頬を流れる涙を拭うと彼女はそれを受け入れるように、そっと目を瞑った。
「ねえ、ルリコ大丈夫?」
フランの声に眼を開けると、彼女が私の顔を心配そうにのぞき込んでいた。
「ああ、大丈夫…私昔から悲しくないのに何故か勝手に涙が出ることあるんだよね…」
「え、なにそれ初耳……ってそういうこと?」
これは、前世で激務に追われるようになってから起きるようになった。多分、軽い鬱のようなものだと思う…。
「むしろなんか不思議と笑えて来るんだよねぇ…ハハハ…」
「ええ…泣きながら笑わないでよ…怖いなぁ…もう」
そう言ってからフランは私とカラリリの顔を見比べた後、肩をすくめて言った。
「私ってもしかしてお邪魔?」
「そんなことありません」
「そんなことないって」
フランの言葉に私とカラリリが同時に反応してお互いの顔を見合わせる。そしてついお互い笑みがこみあげる。それを見ていたパインゲート教授が身を乗り出して言う。
「美とは原子ではない。関係である」
「はい?」
教授の唐突な物言いにフランは眉をひそめる。
「ダイヤはそれ単体では美しくありません。人につけられて美しくなる。音楽も人が聞くから、奏でるから美しい。だから美とは個ではなく、関係性なのですよ。カラリリ様がルリコ様を汚した。それに涙したルリコ様を見てカラリリ様が汚れを拭い、それをルリコ様が許した。この間柄に美が初めて存在するわけです」
教授の半ば熱を帯びたような口調にフランが三白眼を向ける。
「そうですか? でもそれって女性を暴力で穢すことが美って言いだす男の人が出てきそうですけど?」
「はい。しかし、ルリコ様は嫌だと涙を流した。つまり一方的では美は存在しないのです。関係は常に相互的でなければならない」
その言葉にフランは視線を宙にさまよわせながら言う。
「でもそれだと、美は全部、見る人次第ってことになりません?」
「なりません。何故ならその関係に当人同士、或いは我々は音楽のリズム、結晶の対称性、ハチの巣のような無駄のなさを見出すからです」
「あー…確かに脂ぎったオジサン同士とかじゃ成立しそうにないですしね。でもそれだとカラリリのしたルリコの顔を汚すことの説明がつかなくないですか?」
「世の中には美しい者と醜い者のカップルを逆に美しいと言うことがある。それは対称性の美しさ故の非対称性の美しさでもあるということです」
「じゃあ結局対称性なんて成立しないじゃないですか」
「いえ、対称性を前提にするからこそ、その非対称性が成立するんです。例えば先ほどのカラリリ様とルリコ様の関係を六対四だとしましょう。それをルリコ様が涙して五対五のイーブンにした。いえ、むしろルリコ様の涙に弱いカラリリ様が四と言えなくもない。その場合ルリコ様は六。どちらにしても総数は十なんですよ」
「あー成程。でもそうなると美十のエルフは不細工としか結婚できないってことになりません?」
「違います。今の六対四は、美貌の点数ではありません。関係の重心です」
「でも、愛くるしい人と醜い人のカップルの例を持ち出したの、教授じゃないですか」
「……確かに。今の例は悪かった」
教授はあっさり頭を下げた。
「容姿の非対称性を例に出したせいで、話が美貌の点数に寄ってしまいました。私が言いたかったのは、見た目の差ではなく、関係の中の傾きです」
フランは教授のつむじを見下ろしながらも顎に手を当てて言った。
「…まあでも、なんとなくわかりました」と、フランは顎に手を当てたまま、少し目を細める。
「要するに、美って点数じゃなくて配置なんですね。誰がどれだけ綺麗かじゃなくて、誰がどこに立って、誰にどれだけ傾いているか。その傾きが崩れずにひとつの形になっているか」
教授はぱちぱちと瞬きをした。
「……素晴らしい」
「で、カラリリ様のあれは、ルリコ様を汚したことが美しいんじゃない。汚した側だったカラリリ様が、ルリコ様の涙で逆に動かされる側になった。そこで重心が移ったから、美に見えた」
「その通りです」
「じゃあ最初から最後まで片方だけが強いままだったら?」
「それは美ではありません」
「ただの最低ですね」
「ええ。たいへん明快です」
そこで私は鼻をすすりながら答える。
「でもダイヤモンドは永遠の象徴って言いますし、金だってそうですよね? 変わらないから美しいものも、あるんじゃないですか?」
教授は嬉しそうに目を細めた。
「あります。ですが、それは“片方だけが強い”という意味ではありません」
「違うんですか?」
「違います。ダイヤや金の永遠性とは、相手を変化させない力ではなく、時間との関係に耐える力です。水に濡れ、火に炙られ、人の手を渡り、王冠にも指輪にも墓標にもなる。それでもなお、輝き方を失わない」
「……時間との関係」
「はい。永遠とは、関係を持たないことではありません。あらゆる関係を受けても、なお形を保つことです」
「じゃあ、女は男の三歩後ろを歩く、をずっと続けることが美しいんですか?」
「いいえ」
教授はすぐに首を振った。
「それは永続ではありません。固定です」
「固定?」
「はい。関係が長く続いていることと、美しく続いていることは違います。片方だけが位置を変えられない関係は、時間に耐えているのではなく、時間を止めているだけです」
「…でもその女の人がそれを文化というか当たり前と思っていたら?」
現に前世の日本じゃ当たり前と思われていた時代もあったわけだし…。
「ならば、その人がそこに安らぎや誇りを見出した可能性までは否定できません」
「じゃあ、美しかったんですか?」
「いいえ。少なくとも、それだけでは足りません」
「それだけ?」
「当たり前とは、しばしば選択肢が見えないという意味でもあります。人は、自分を囲む柵を風景だと思うことがある」
「柵を、風景」
「はい。ですから問うべきは、その人が三歩後ろを歩いたかどうかではない。横に並ぶことも、前に出ることも、立ち止まることもできた上で、なお三歩後ろを選んだのか、です」
んー…成程。まあ確かに時代的に選べなかったかも…ってのは否定できないよなぁ…。
「じゃあ人はエルフそのものに憧れてるんじゃなくて、エルフと結ばれる関係に憧れてる……そういうことですか?」
「まさしくその通り…」
その通りと教授が言いかけるとカラリリが突然、顔を上げて言った。
「そんなことはありません。私は…フランには何も感じない。フランの方が美しいのに。でも、ルリコにしかそれは感じない。教授がその結論を仰るのであれば。何故人は人に惹かれるのか。それを教えて下さい。この薄暗い欲望は…衝動はどこからくるのか」
フランはカラリリの方を見て答える。
「それはルリコが強そうだからじゃない? 強い人を屈服させる。貴方が六でルリコを四にしたいってことじゃない?」
「そんなことはありません。フランさん。貴方だって十分強い人ですよ」
「…じゃあ、ルリコの形とか声とか性格が好きなんじゃない?」
「違います」
そう言うカラリリは椅子のヘリを怒られている駄々っ子の様に握りしめて足をバタつかせる。
「いや、何でそんなにムキになってるの?」
「私は、人の関係がそんな簡単に収められるワケがないと思ってるだけです」
「何で?」
「私がそう認めたくないからです。人を汚して喜ぶ自分を誰が好きになれます? 人を見る度に邪な思いを抱く自分をどう制御すればいい? たった一席でそれが語り尽くされて『はい、お仕舞い』だなんて。私の生まれてからここまでの抱いた苦しみ、悩みの歳月がバカみたいじゃないですか」
そのカラリリの言葉にフランは口元まで運んだカップを手元に戻して見つめた。
…。
奇妙な静寂の間がなんだか気まずい。
ていうか…。本当に我慢の限界なんだけど…。
そんな思いを何回か逡巡した後、意を決してカップを皿に置く。
「あの…」
その言葉に一斉に皆が振り返る。その視線から逃れる様に顔を背けて言う。
「お花摘んできていいですか…?」
「…何で?」
私の言葉にフランは奇妙な声を上げて、カラリリと教授は顔を見合わせる。
ああ…。やっぱ異世界じゃ花を摘むって言っても伝わらないのか…。
あまりの絶望に頭を抱える。それを見て背後からアキレアが耳打ちをする。
「どの花をご所望ですか?」
…おしっこって言いたいけど…多分これまだマナーの途中だから…なんか気の利いた返答をして察してもらうしか…。
「ス、スイートピーを…」
「…すみません。もう一度…」
「あ…おしっこ行きたい」
その言葉を聞いて教授が口に含んだ紅茶を吐き出して盛大にむせる。
「ルリコぉ…たまには綺麗に終わろうよ…」
フランが顔を抱えて大きくため息をつく。
夏のホラー2026年~音~にセレナイカを投稿予定です。
自画自賛ですが怖い気がします。夏の風物詩に良かったら読んでください。




