礼儀官 ロイレックス・テセウ
翌朝、私とフランはぼさぼさ髪のまま歯を磨いていると遠くから野太い角笛の音が聞こえて来た。
『…なんか聞こえない?』
『あれって…』
そう訝しむ私達の後ろでアキレアが言った。
「騎士団の角笛です。誰か来ますね」
それを聞いた私達は即刻歯を磨き終えて、お互いの髪をとかし、身なりを整えると近づいて来る副団長を待ちかまえた。
「ルリコ様。奥方様の先触れにございます。至急ご登城願います 」
「…今からですか? この格好で?」
私が起き抜けの状態のままそう聞くと、副団長は一瞬だけ言葉を選ぶように目を伏せた。
「礼儀官も同行しております。ノグルス様も、出来る限り早く……とのことです」
彼女が去った後、私はフランと顔を見合わせる。
『……礼儀官って何?』
『ルリコがわからないなら、私も知らない』
それから急ぎのドレスの着付けが始まった。
『ああー! このコルセットとかいうの本当…!』
『決めた。母さんにウチではコルセットは違法にしてもらう様に言う』
そんなことを言いながら私達は急いで着替えて迎えに来た鳥車に乗ってエマさんの元に向かった。
「あ、ルリコ様!」
鳥車から出ると、門の脇からヘルミが近づいて来る。
「クリシダさんがマルベリーの紙を見てくれって!」
そう言って手渡された紙を指でなぞるとかなりきめ細かい。
あ、なんか和紙に近いかも…。
「ルリコ様。儀礼官がお待ちです! お急ぎを!」
後ろで副団長が声を上げるので振り返る。
「ごめん! わかった!」
そう答えると紙を後ろ手に服の帯に滑り込ませてから、ヘルミの肩を叩いた。
「いい出来だから、このまま作らせて」
それを聞いて頷くヘルミを見て私も頷く。すると門の向こうから紙工場の奥さんたちが近づいてきて言った。
「ルリコさん! いつ工場に来れる? クリシダって人が若木の皮を剥げって…!」
「あの人キレイでおっかないんだけど…薬をくれるって…薬なんてオラ初めてどうしたら…」
それを聞いて苦笑いを浮かべる。
「近いうちに行く! でもクリシダは悪い奴じゃないから…我慢して付き合ってみてよ!」
「ルリコさんがそう言うなら良いけどさ…兎に角一回見に来てくれないかい?」
「絶対行く! 約束!」
そう足早に皆に手を振りながら門に向かった。
門から開拓地に入るとかつて教会だった場所には足場に囲まれた巨大な建築物がそびえていた。建材を吊り上げる滑車と男たちの怒号が響いてあわただしい中、私達は扉の無い入り口を進んだ。
入り口を通り抜ける際に上から「ルリコ様ー!」と名を呼ぶ声が聞こえたので上を見るとそこには足あの上に立つラッセルの姿があったので手を振り返した。
『何で誰も私の名を呼ばないの?』
『多分誰も知らないからじゃない?』
『私だって愛想よくしてるもん!』
『此処の人は愛想より仕事が欲しいんだと思う』
『働くために生きてるの? 変なの』
城の中は外装もなく空っぽで窓からさす光にホコリがチカチカときらめく。外の窓には忙しなく動く工事の人達の影が行ったり来たりしている。
『何で人間って無駄にデカイ家を建てたがるのかしらね』
そう言って前に出ようとしたフランをアキレアが手で制する。
「どうかした?」
私の言葉に頷いた彼女は腰の刀の鯉口を切った。
「出てこい、居るんだろう?」
そうアキレアが話しかけた壁の柱の影から見覚えのあるモヒカン頭が顔を覗かせる。
「ディルク?」
傭兵団の副団長のディルクは頭の上に両手を上げながら静かに言った。
「私の名前を覚えていてくださるとは…光栄です」
「軽口は止めろ。何故隠れていた?」
ディルクにアキレアが冷たい声で問いただすと、彼は両手を上げたままゆっくりと正面を向いた。
「みればわかるだろう? ここはガワだけで中は空っぽだ。アンタ達を案内するために待っていたのさ」
アキレアはディルクを見つめると構えを解いて頭を下げた。
「そうか。謝罪する。しかしこういうのは止めていただきたい」
それを見てディルクは目を大きく開けると自分のアゴを指で撫でて言った。
「驚いたな。部下のオルドがアンタに世話になったと聞いた時は…頭を抱えたものだが。随分と可愛らしく見える。好きな奴でもできたのか?」
それを聞いたアキレアは「バカ者!」と裏返った声で大きく叫んだ。その声が空っぽの城に響いてこだまする。しばらくして、耳が真っ赤になったまま肩を落としたアキレアの背中越しに、私はディルクへ「余計なことを言うな」と目で訴えた。 それを察したのかディルクは肩をすくめて言った。
「…失礼した。付いて来てください」
私達はディルクの後をついて行きながら空っぽの城の中を歩いた。歩いてる途中アキレアの耳が真っ赤に染まっているのを見てつい笑みがこぼれる。
確かにアキレアはちょっと丸くなったかもしれない。
廊下を抜けた先の大広間には二階に上がる為の階段も渡り廊下も設置されていなかった。大広間をまっすぐ進むとその先からなにやらかぐわしい香の煙が漂ってきた。その先見えるのは大きな敷居とヴェールに遮られた部屋の入り口だった。
「…あちらにエマ様と礼儀官が来ています。今はノグルス宰相がお相手をしているでしょう」
それを聞いて首を傾げる。
「そう言えば礼儀官ってなんなんですか?」
「…俺に聞かれても困る 。ただ、奴は宮廷礼儀官を名乗りました。宮廷の礼儀官はかなり身分が高いハズです。なので今の様な軽挙妄動は慎んだ方がよろしいでしょう」
「だってさルリコ」
「今回ばかりは…どうかご自愛いただきたい」
フランは笑って私の顔を覗き込み、背後でアキレアが心配そうな声を上げる。
いや、何で私、やらかしそうな人みたいに思われてるんだ…。
「失礼いたします。宰相ノグルス。ルリコ様、フラン様をお連れしました」
ディルクのその声に「どうぞ」と文官レーデルの声が聞こえた。それと共にディルクがヴェールの端を手で開けてくれたので頭を低くして「失礼します」と言って入室した。中にはさっきまでの空っぽの城とは違い床には絨毯が敷かれ、その先の数段高い位置の豪華な椅子にはエマさんが座っていた。部屋の窓には重厚な布のカーテンが設けられ天井には豪華なキャンドルが吊るされていた。
玉座へ続く短い階段の脇には、ノグルスと文官レーデルが控えていた。そしてその階段の下には、黒い絹のような衣をまとった、細身で中性的な人物が静かに立っていた。その人物は私に眼を合わせると微笑みような表情を向けて来た。
「ルリコ外交官代理、そして補佐のフラン。こちらへ」
文官レーデルがエマさんの階段を指し示したのでそちらに向かう。その道中礼儀官の指すような目線を感じながら定位置に付いた。
――レーデル卿
どこからかしゃがれたような声が響いたので見ると、その声の主である礼儀官は壇上のレーデルさんを見て催促しているようだった。それを知ってか知らずか、コホン。と咳払いをしたレーデルさんは高らかに声を上げて手紙を読み上げた。
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守護者エマ殿へ。此度、森に築かれた新たなる城と、貴殿らエルフの働きについて、王都においても良き噂として届いております。辺境の安定に尽力されていること、王家に連なる者として深く感謝申し上げます。
森には今後さらに多くの人と物資、そして視線が集まることでしょう。新たな城は、もはや一共同体の館ではなく、王国における重要な結節点となりつつあります。
その為、今後の諸侯・騎士団・文官との円滑な交わりの助けとなるよう、宮廷礼儀官を派遣いたしました。些か窮屈に感じられるやもしれませんが、これは森とエルフの威光を損なわぬ為の備えとご理解いただければ幸いです。
なお、近く私自身も森を訪れ、新たな城と皆様の働きを直接拝見したく存じます。
神のご加護と、美しき森の静穏が貴殿らと共にあることを願っております。
――ゲルゲル城主夫人ププタンより」
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ええ…マジで奥方…来ちゃうのっていうか…それより…宮廷礼儀官? って…。
「うそでしょぉ~」
途端にエマさんが椅子にしなだれる。
「……守護者様」
その姿に黒衣の礼儀官は眉一つ動かさず静かに頭を垂れた。
「どうか、その御姿のまま。それでは王都より参った者達が、森の守護者を誤解いたします」
「誤解?」
エマさんは椅子の手すりへ頭を預けると、長い脚を無造作に投げ出した。
「私達の美貌は座っていようが立っていようが横になっていようが陰ることがありません。どんな姿勢でも美しいままです。だったら私にとってそれはどれも正しい姿勢じゃなくて?」
それを聞いた隣のフランは『勘弁して…』と嘆く様なため息をついた。
「ええ。守護者様はどの様なお姿でも美しいのでしょう。
礼儀官は静かに頭を垂れた。
「ですが、人は美しいものを前にすると、しばしば跪くか、奪おうといたします」
「礼儀とは、そのどちらも選ばせぬ為のものにございます」
「つまりどういうこと?」
「美は、人を獣にします。だから我らは、言葉と順序によって互いを縛るために姿勢を正すのです」
「ふーん…そう。気に入ったわ。貴方お名前は?」
「ロイレックス・テセウでございます守護者様」
その言葉を聞くとエマさんは姿勢を正した。
「では外交官代理ルリコに命じます」
突然呼ばれて私は振り返る。
「あ? はい」
「ルリコ、貴方はテセウに礼儀作法を学び貴族としての良き模範になれるよう努力すること」
「はあ!?」
そう叫んでから私は口を閉じる。
「何故わたしくが…?」
そう笑う私にノグルスが垂れた裾を向ける。
「何故ってルリ姉は外交官代理なのですから、礼儀作法は必須科目なのです」
「それは…守護者様や宰相様も同じなのでは?」
そう問う私の目線から逃れる様にエマさんとノグルスは目を背ける。
「私は忙しいのです。礼儀作法などの些事に関わっている暇などありません」
いや、私だって忙しいし…。
「私は細かいことはレーデルに任せるつもりだから…」
その言葉を受けてレーデルはエマに向かって頭を下げる。それを見て私は頭を下げる。
「謹んでお断りします」
「ダメ」
エマさんが語尾にハートつけたかのように可愛らしく提案を拒否する。
「じゃあ休職します」
「休職なんて制度はうちにはまだありません。因みに休暇もありませんので悪しからず」
そうノグルスはうそぶく。
嘘やろ…。休暇ないのかよこの国…。
「ルリコ様」
テセウは静かに一礼した。その言葉にゆっくりと振り向くとテセウは微笑み返す。
「なんでしょう?」
「礼儀とは、不自由を増やす為だけのものではございません。正しく身につければ、外交は今より楽になります」
「え、本当ですか。それ?」
「はい。人は正しい礼を知る者に対して、“無下に扱ってはならない”と感じるからです」
「まあ…わかりますけど…」
「例えば人は、自らを丁重に扱う者を敵だと決めつけにくくなります。礼儀とは、争いが始まる前に“敵ではない”と伝えるサインでもあるのです」
い、言われてみるとそんな気もしてくる…。
私は腕を組んで頭を捻ると、テセウさんは声を低くして言った。
「……それに、礼儀を知れば夫婦喧嘩も減り、家庭は円満になります」
「そうなの?」
「はい。人は、好きな相手ほど“これくらい言っても大丈夫”と雑に扱いがちになりますので」
「あー…」
そんなことは…あるな…特に私は。
「礼儀とは、その“甘え”を少し抑える為のものでもございます」
その言葉を聞いた瞬間、何故か頭の中に、食卓越しにニコラスへ素っ気なく返事をする自分の姿が浮かんだ。
『これくらい言わなくてもわかるでしょ』
そんな言葉が喉まで出かかって――私はぶんぶんと頭を振る。
ああ、言いそう。私言いそう! ダメだ。結婚がゴールじゃないんだった!
その瞬間、私は顔を上げて言った。
「よし、やります! 礼儀作法! お任せください!」
その私の宣言を聞いた途端、皆拍手をする。その中で隣のフランの大きなため息だけが私の耳に残った。
「ああ、そう言えばルリ。最近ラヴェルヌ家から沢山人が来てるの。商人も職人も、皆ルリコに会いたいんですって。でもその度に騎士に行かせるのも可哀そうでしょ?」
「あー…まあ、確かにそうですね」
そう言うと文官のレーデルが一歩前に出て言った。
「城の一角に外交官のお部屋を用意しました。ルリコ様にはそちらに常駐していただきたく」
「え?」
「ええ? 聞いてないんだけど? 母さん、私は?」
「貴方が来たらココロはどうするのよ。お姉ちゃんでしょ?」
そう悪戯っぽく聞くエマにフランは眉尻を下げて言う。
「いや、だからココロは森の皆に預けてあるの。私も仕事がしたい…」
「そう。じゃあルリコの補佐をしてあげて。貴方って人付き合いが得意でしょ?」
するとフランは顔を伏せてからおずおずと言った。
「あ、アタシ。詩人やってみたいんだけど…ダメ?」
「詩人? 貴方詩人になりたいの? テセウ。詩人ってどうなの?」
その言葉にテセウさんが腰を折ると、痩せた肩から垂れた布がさらりと垂れ下がった。
「詩人ですか。立派な職ではあります。もっとも、腕前が問われますが…」
「じゃあ私が守護者でいる間は安泰ね」
「…そう言われるとなんか…。ズルっていうか…ああ~やっぱ詩人目指すのやめようかな…」
「まあ、好きにしなさい。貴方は私の娘なんだから」
「あ~だから! そういうところが…!」
そう言いかけるとフランは肩を落としてからノグルスに視線を移した。
「ねえ、ノグルス。この前言ってた試験って…」
「ああ、はい。勿論エマさんの娘さんなら推薦枠で合格ですよ」
そう言うと彼女はへにゃりと笑う。
「…いいよもう。自分で何とかするから…」
それを聞いたエマさんはむしろ嬉しそうだった。
「あ、じゃあお宅の娘さんはウチでこき使いますね」
「ルリコ!」
フランはダンと一歩踏み出し、両腕をぴんと張って頬を膨らませた。
「それではルリコ様を外交代理に、フラン嬢を外交代理補佐に」
レーデルの有無を言わせない宣言と共に城の中にはまばらな拍手が起きる。そんな中フランは私の耳元で「もういっそ改名でもしようかな…」と小さく呟いて肩を落とした。




