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石中の恋歌  作者: モノノベワークス
一対一対応の枕辺(まくらべ)
74/81

【映画化決定】われ鍋にとじ蓋

 天高くそびえる山のふもとに大樹の一族と言うエルフたちが住んでいる。山のふもとを見上げるエルフの本家の長屋では毎日盛大な歌合わせが行われている。


~未来を視る黒き杯――一口啜れば命は尽きる。それでも娘を救いし者あり~


 人はそれを「エーコ犠牲譚」と呼ぶ。歌の内容は飲むと未来が見える薬を飲んで家政の娘を助けるというものだ。


 エーコは歌合わせの席で時にそれを聞くといつも切ない気持ちになり、思い出す。


 嘘つきで、見栄っ張りで、どうしようもないあの女。そんな女を好きな奴なんていない。そう思っていた。でもあの日から私はそう思えなくなった。むしろそれがどうしようもなく愛おしく感じてしまうのだ。


 その歌の中の女のことを、エーコはよく知っている。彼女の名前はエーコ。家政のミレイの側仕えだ。家政の側近と聞けば聞こえはいいが、何人も居る側仕えの中で覚えの目出度さと言えば下から数えた方が早いぐらいだ。そんな彼女がどうして歌のモデルになってしまったのか? 話は一月前に遡る。


 一月前。エーコは、自分の家でルリコと向かい合っていた。


「いやぁエーコさん。いつもありがとうございます」


「いえいえ」


「じゃあお邪魔します」


「どうぞ」


 そう言うとルリコはノシノシと我が家に入りこむと棚のガラクタに、遠慮なく手を伸ばし始める。


 お邪魔しますと言って本当にお邪魔する奴が居るだろうか?


 内心エーコはそんなことを思いながらも顔の微笑みを崩さない。振り返って見ると家の中に所狭しと並んだガラクタの中にルリコの巨躯が入ることで余計に狭苦しく感じる。


 この女…一体こんなガラクタの何が興味深いのか…。こんなの沢山あっても邪魔なだけなのに。


 そう思いながらもエーコにはガラクタを捨てることはできなかった。そのガラクタは全てエーコの仕えるミレイが森から拾ってきた物だからだ。


「この不揃いの実は凄いですね。木の実なのに双子の形になるなんて実に興味深い。これは本当にミレイが拾ってきたんですか?」


「はい、ミレイ様が拾ってきました」


 いちいち癪に障る。


 ルリコという女はズバイダ様の覚えが目出度いせいかその娘のミレイ様に『友』として扱われている。


(“友”? よく言うわ)


 あの女は、巫女の血を引く家の出だというだけの、没落した斜陽の一族にすぎない。そんな女がミレイ様の敬称を外すなど不敬極まりない。


「これ黒曜石じゃないですか。やっぱり昔は噴火とかあったんでしょうねぇ…」


 黒曜石が何故噴火に繋がるのか? 何を言っているのか。あてずっぽうなのか。だが、それを語るルリコの目にはミレイ様以上の確信に満ちた光を秘めている。それが益々癪に障る。


 我々の祖先である始祖様は博士だと伝えられている。ミレイ様にもその血は受け継がれているらしい。散歩中に珍しいものを持って帰って皆を集めて見識を語ることがある。そして、飽きる。


「エーコ、これはお前にやろう」


 そしてガラクタのことは忘れる。


 ……人に渡したことごと、忘れてしまうのだ。


 結局、この有様だ。


 ミレイ様と来たら…このエーコ、幼少の頃からお仕えしているというのに…未だに私の名前を覚えて下さらない。ていうかなんなら…私が幼馴染だということすらお忘れではないのか? 


 しかしエーコは、そんな考えを頭を振って追い払った。


 違う。


 ミレイ様にとって、私こそが真の忠臣だ。


 物を持たぬミレイ様の代わりに、私が持つ。


 それでいい。


 幼い頃、ミレイ様がガラクタを見つめていた、あの眼差し。


 あれを守れるのなら。


 ミレイ様、このエーコ。忠義違えず誠心誠意お仕えいたします。


 その為にはこの目の前の女とは仲良くするフリをしなければならない。


 ルリコはミレイ様の母であるズバイダ様に目をかけられている。噂ではズバイダ様がルリコを取り立てるなんて話まであるぐらいだ。いずれミレイ様が世をお継ぎになるにしてもズバイダ様の影響力は計り知れない。


 だがそれは杞憂だ。


 そう思い私は微笑む。


 コイツがミレイ様をしのぐなどあり得るわけがない。


 

 何故ならルリコという女はエルフの中でもかなりひょうきんで無作法だったからだ。顔はエルフの中では十人並みで悩むと表情を醜くゆがませ頭を掻きむしる癖がある。油断して時々鼻を掻いたりほじったり、尻を掻いたりする。


 フフ…。


 ほら、今だって胡坐をかいて頭を掻いていらっしゃる。そしてそれをする度に胸が醜く揺れる。


(下品だわ)


 コイツを見ていると本当に心が癒される。私はコイツより大分マシなんだなって。


 エーコはルリコと会うたびに側近の会合でスパイと称したサゲ情報を披露する。すると皆笑う。以来ルリコの話を皆エーコの話をせがむようになり、一躍時の人となれる。それがエーコにとって何よりの戯れだった。ルリコとニコラスとの仲が怪しいと噂されるその日までは。


「そういえばルリコとニコラス様。最近なにやら怪しいご様子」


 ミレイ様とその側近の歌合わせの場でそう呟いたのはリサンドラだった。


「ええ!?」


 それを聞いて驚きの声を上げる一同。場の視線を一身に集めたリサンドラはほくそ笑むと私を見つめる。まるで私をバカにするような目線を。それに釣られてか皆私の方を振り返る。何をしていたのか。ルリコとニコラスの醜聞に気づけなかったのか? そう皆、目で私を責め立てる。


「そのようなことあろうはずがございません」


 咄嗟に私は弁明を繰り出す。


 そうよ。あんな女。ニコラス様が相手にするわけがない。


 ニコラスとは時期長老候補にして、ズバイダ様の娘、スカイ様の息子だ。我々と同じく始祖の血を引き、ニコラス様は、いずれ長老の席を継ぐお方。


 ルリコなどを選ぶハズがない。


「ニコラス様が娶るにはルリコはあまりに容姿が劣るかと」


 その言葉にリサンドラはフッと笑って言った。


「しかしニコラス様とルリコ様は幼馴染。長い時が容姿を超えて二人の絆を育まれたのかもしれません」


 すると、周りの者たちは容姿を超えた愛と聞いて黄色い声を上げる。


「そう言えば、ルリコ様はあの呪術師クリシダと仲が良いと聞きます。もしかしたらクリシダにニコラス様を惚れさせたのかもしれません」


「…その可能性は否定できませんが、証の無いことを口にするべきではないでしょう」


 それを聞いていたリサンドラが急に割って入ってくる。


「ルリコ様は巫女ライラ様のご令嬢。そのような憶測を語ることは許されません」


 さっきまでの和やかな雰囲気がリサンドラの言葉で一気に冷める。何故急にリサンドラはあんなことを言ったのだろう? まさか…。


 私が何かを言おう口を開くと同時に他の一人がぽつりと言う。


「ルリコ様はニコラスの様のご母堂のスカイ様をお救いしたと聞いたことがあります。他にも集落の呪いを解くために尽力されたこともありそうです」


「ライラ様に育てられたルリコ様は相応の内面の美しさを培われたのでしょう。容姿だけで中身が醜いものも考えようです」


 リサンドラはそう言うと横目で私を見る。


 よく言うわ。


 そう目で睨むとリサンドラは小声で「ああ、怖い怖い」と袖で顔を隠して嗤う。そして逃げるかのようにリュートを取ると指で音律を取ると歌い始めた。


 ~花の影 寄り添う人の 麗しき


 我が身のそばは 風のみぞ吹く~


 それを聞いた周りの側近たちは一斉に顔を伏る。袖の奥で、肩が揺れている。


 ~風に任せしその梢~


 それを聞いて我慢の限界とでもいうかのように笑いの渦が巻き起こる。それを聞いて私も必死にヒクつく口角の下で歯を食いしばる。


 こんな煽りに負けない。私はミレイ様の忠臣…。


 そう思って見た。


 ミレイ様も嗤っていた。私と眼が合うと逃れる様に顔を隠し、背中を震わせた。


 歌合わせを中座した私は家に逃げ帰ると、あまりの悔しさに地面を手槌で何度も叩いて泣いた。泣いて泣いて泣きつくした。


「一体何の騒ぎだい」


 そんなアホみたいなセリフと共に夫が顔を覗かせて来た。酒を片手に顔を赤らめ、薄くなった頭の毛を恥ずかしげもなくさらしながら。


「アンタのせいだ! あなたの頭のせいでリサンドラにからかわれる! 何度も剃れと言ってるのに。どうしてそうしないんだい!」


 私の言葉を聞いて夫はヤレヤレと肩をすくめる。


「言っただろ? 俺は官職を狙う為に勉強しているんだ。これはそのストレスのせいだよ。いずれ出世したら生えてくるさ」


「そんなこと言って! 昼間っから酒ばっかのんでるじゃないか!」


「気分転換だよ。ずっと気を張っていると脳が披露しちまうんだ。それにしたってここのくらしは空腹が多い。脳を休ませなくちゃ」


「本当にあんたって人は! それに比べてニコラス様は! あの人は次期長老って言われてるのに! アンタと来たら…!」


「なんでそこでニコラス坊ちゃんの名前が出てくるんだ? とにかく一から話して見なよ」


 私は夫から手渡された布で涙と鼻水を拭くとこれまでのことを全て話した。ルリコという女のこと。それがニコラス様と仲が良いという噂があること。そしてルリコを引き合いに出されて自分がバカにされたことを。


「なんだそんなことか」


 そう言うと夫は呆れたように深いため息をついた。


「なんだとはなんだい」


「あのねぇ。確かにルリちゃんはそんなに顔は良くないよ。でもねぇ。それを補って余りある魅力があるんだよ」


「なんだいそりゃ。まさかまた内面がどうの言うつもりじゃないだろうね」


「違うよ。これだよこれ」


 そう言うと、夫は手を丸めて胸を掴むような仕草をした。それを見て私は眉をひそめる。


「胸だよ胸。あの豊満な胸に男は注目するから顔のマズさから注意がそれるんだよ」


「はあ!? あんたあんなしもぶくれの胸のどこがいいってんだい!?」


 そういうと夫は顎に手を置いて天井を見ながら言った。


「そう言われてもねぇ…。こればっかりは本能だから…。どうも俺達は豊満な胸が嫌いじゃないらしい。確かに美しいとは言えないけど…。なんだか熟れた果実みたいでさ。きっと本能がそうせるんだな」


 そう言うと夫は目線を落とすと、私の胸を見て笑って言った。


「それに比べてお前の胸ときたら…」




 




 その目つきを見て私はゾッとした。コイツはあの女の胸と私の胸を比べて見てせせら笑った。


「あんたがそんな男だったなんてね…!」


 そう言うと夫は両手を上げてヤレヤレという仕草をした。


「それにエルフの女なんてどれも似たり寄ったりの美しさだろう? 群を抜いた美しさでもない限りは十人並みの美しさでしかない。そんな中にルリちゃんの様なスタイルが現れてみろ。あれはなんだ!? ってなるだろ?」


「なるもんかい。私達の大いなる母はあんな身体じゃない。あれは余計な血がそうさせたんだよ」


「でもルリちゃんが走って揺れるアレを見ていると。あったかい気持ちになるんだ」


「それはアンタだけだろ」


「いやいや…」


 そう言うと夫は声を小さくして言った。


「ニコラス坊ちゃんもそうだよ。時々アレが揺れるのを見ているのさ、横目でちらって見ているのさ」


 そう言って夫は下卑た笑いを浮かべる。


「キモチワルイ」


 ついそう口にしてしまい手で塞ぐ。そして恐る恐る夫の顔を見る。すると夫は眉を怒らせて言った。


「それはあまりに無礼な物言いじゃないか? それが女に尽くしてる男への礼儀なのか?」


 そう言うと夫は私に凄んでくる。


 怖い。


 いくらズバイダ様の夫は妻に奉仕すべきという令があっても陰で男が暴力を振るうことはある。


 ウチの夫は直接そういうことはないけど…。不機嫌になるといつもこう…。かといってちょっとした喧嘩で直訴しようものならズバイダ様に呆れられる…。お見合いとはいえ、なんでこんな男と夫婦になってしまったんだろう。


「まあ、男ってのはああいうのに目がいっちまうもんなんだよ。気にするなって。別にお前がどうこうって話じゃない。ああいうのは…目立つだけだ」


 そう言われて私は目を背ける。唯一の救いはコイツとの子供を作らなかったこと。こんな男の子供なんて愛せるはずがない。


 でも時々思う。コイツとじゃなくて私も自分で自分の夫を選んでいたら? 若い時に戻ってやり直せるなら? 


「そんなにショックだったのか? 仕方ない。今日はとっておきの米を使って飯を炊いてあげるよ。君は疲れているんだ。休んでいな」


 そう言われて私はじっと座る。その間夫は酒を片手に飯を炊いている。そんな夫に見られない様に私は目の涙をそっと拭いながら地面を見つめていた。


 どれぐらい待っただろう。米の炊きあがった臭いがしてから「できたよ」と夫が優しい声をかけて椀を持って来てくれた。


「それ食って元気だしなよ。皆だって君のことをイジメたつもりはないさ。ちょっとしたノリってやつさ」


 夫の機嫌が直ってホッとする自分をどこか別の自分が冷めた目で見ている。そんな気持ちを私は首を振って消す。


 この人だって始祖様の血を受け継いだ人なんだから。全部が全部悪いってわけじゃない。本当にあくどい奴だったらルリコの胸のことなんて黙ってるハズだしね。


 そう思って私はご飯粒を頂く。飯粒を噛む度に下に広がる芳醇な甘みが悲しみも憎しみも洗い流してくれる。不意に笑みがこぼれる。


「ほら、言ったろ。腹が減ってると人は機嫌がわるくなるもんさ」


 私は笑って頷いて更に飯粒を口に運ぶ。すると口の中で何かが引っかかったような感覚がある。


 何かしら…。


 そう思って口を隠しながら指を入れて引っ張ると中から一本の糸のようなものが出て来た。それは金色の長い毛だった。


「あ、ゴメン毛ぇ入ってた?」


「本気でありえないんだけど…」


「なんだよ。それぐらい取ればいいだろ」


 そう言うと夫は自分の口に咥えていた匙で米をすくって片膝立ちのまま、私に差し出した。


「ほら」


 そう言った夫の口内に唾液の糸がはっていた。


「いやっ!」


 私が咄嗟に立ち上がると、驚いた夫の体がぐらりと揺れ、そのままカマドに倒れ込んだ。


 ゴンッ、と鈍い音。


 途端に何かが倒れる音がしてカマドの火が消えると共に部屋に白い蒸気が立ち昇る。


 ――。


 暗闇の中で自分の肌に伝わる蒸気の熱と共に鼻孔に広がる血なまぐさい臭い。


 足が震えた。


 右手で震える足を押さえつけるようにしながら、部屋の燭台に近づいてそっと取り上げて夫を照らす。


 眼を見開いたまま動かない夫の顔に、揺れる火がかすかに映った。


「アナタ…?」 


 返事はない。近づいて口元を触ると呼吸もなかった。


「……あ、アアッ!」


 立ち上がると私は家から逃げ出した。


「やっちゃった」


 …あのときの話た。



「もし夫を殺すなら」なんて、くだらない冗談。


 …まさかそれを本当にやっちゃうなんて。


 走った。


 なんで走っているんだろう。罪から逃れるため? それとも夫を殺したことを本家に伝える為? 本家に伝えたとして…。


 私の脳裏に本家の女たちが時折見せる冷たい視線が思い浮かぶ。


――ああ、やっぱり。


――いつかやると思っていました。


――貴方達冷めきってましたものね。


 考えるだけで肝が冷える。


 そんなことになったらおしまいだ。


 ズバイダ様は——いや、ミレイ様が。……責任を、問われる。私のせいで。


 どうすればいい…? いや、ダメだ。ならば…。


 自死しよう。そうすればいくらかの温情を得られる。皆私が潔く散ったのだとそれ以上は追及しないだろう。


 本家に走る足を一旦止めて近くの茂みに潜むと、その場にうずくまって考えた。走ってあがった息が整うと驚くぐらい頭がクリアになる。


 …で、どうやって死のう?


 自刃……いや、無理。痛い。


 飛び降り? いや、そもそもどこから——。


 ……首。首吊り。……いや、見つからない。こんな暗闇で。


 どうする。どうする。


 そこまで考えて頭を掻きむしる。


 ああ! 何を言っているのか! 最早死に方なんて選べないのに! もり織り手に捕まったら死ぬことすら許されなくなる! 


 早くしないと…。でも…。


 ムリだ! 無理! 死ぬまでの過程を想像すると…! 怖すぎて無理! お許しくださいミレイ様!


 エーコは立てた膝に顔を埋めた。思い出されるミレイ様との日々。


 今思えばミレイ様は幼馴染というだけで私に良くしてくださった…。


「ねえ、タランさん。あの下に何があるかご存じ?」


 記憶の中で、私のそう語りかけてくる幼き日のミレイ様。当時、私達は散歩と称して森のあちこちに探検をしていた。私達の目の前には深い地割れの穴が広がっていた。その底は胃一面の深緑でよく見ると苔だらけの地面に一本の大樹が生えている。


「はいお嬢様、あの下には生死絶海と呼ばれる空気が満ちていてあらゆる生命体は命を落とします。だから絶対に近づいてはいけませんよ」


 その言葉にミレイ様は「その認識は随分と浅はかだわ」と言って振り返った。


「だってあの草木は生きているじゃない。命が生きられない世界で木が生えているということはそれが嘘か、あの草木がそれを克服しているってことにならない?」


 それを聞いたタランは首を傾げる。


「実験をしましょう。タラン、ここに足場を組んで頂戴」


 ミレイ様はそうして組んだ足場からロープを使って動物を下ろしてみたり、下の植物を採取した。採った苔を壺に入れて温めると、やがて蓋の内側に水滴が溜まる。そうして集めた液体を人に飲ませると痛みを感じなくなる。しかし度がすぎると意識が朦朧として眠ってしまったという。


「奇妙な夢を見ていました」


 それを摂取した虜囚のエルフはそう切り出すと、夢の内容を話した。


「私は奇妙な空間に居ました。空間の中は暗く私は水の中をたゆたっていました。私が周りを見渡すとその空間にはいくつもの奇妙なオブジェがたゆっていました。まるで水中の中の落ち葉の様にゆっくりと。対になった何かが絡み合い、ほどけ、また絡む。それは形を保っているようで、常に崩れていました。その向こうには奇妙な壺がありました。近付いて見ると壺ではなく何かの構造物でそこには私が居ました。いえ、私と言うより、壺が私の過去を映していました。人を殺めた時の自分、生まれた時に母に抱かれていた自分、奇妙なことにこれは私の視点でなく誰かの視点でした。まるで誰かが私を見ていたかのように。その誰かとは誰でしょう? まさか私の祖父や祖母…あるいは…。ふと、私の母がこちらに気づいて見ました。しかしその母の瞳の中には何も映っていない。恐ろしくなって振り返るとそこには…牢の中で首を吊っている自分が居ました。そこで私は悲鳴を上げて眼が覚めました。


 そう告げると男は苔の液体の影響なのか朦朧した意識のまま眠ってしまいました。その時私はミレイ様の側で男の様子を見ていましたが、演技とは思えない。真に迫った証言でした。そして騒動はそれだけでは収まらなかったのです。


 後日、タランが男を聴取した所、突然こんなことを言い出したのです。


「夢の中で私はそこでミレイ様が血を流して倒れているのを見ました」


 それを聞いたタランはことの詳細を聞き出そうとしたのですが男は「これ以上を知りたければ私の罪を軽くするようズバイダ様にかけあってください」とそれ以上は語らなくなってしまったのです。


 どこからかその噂を聞きつけた本家の者達は騒然とし、暫くはその話題でもちきりでした。


 当時私はそんな噂を小耳に挟みながら不敬と思いつつ、男の様子を思い出すと全てが嘘だとは到底思えませんでした。


しかしその噂を聞きつけたズバイダ様は、世継ぎの死についての話題について禁制を敷きました。そしてその薬を捨てる様に申し付けたが、ミレイ様がズバイダ様に懇願し、結局薬は倉に厳重に保管されることになったのです。


 そして薬は倉の中に葬られ、いつしか人々はその噂を忘れてしまいました。ただ、ミレイ様の側近である私達だけはそのお命を守る為に、そのことについて密かに調査を続けていたのです。


 それから何年か経って、ズバイダ様がルリコに倉庫を見せる様に命じた時に、案内として私が呼び出されました。当時私は異例中の異例の対応に密かに舌を巻きましたが、本家の者達はこの女が持ってくるハチミツという甘味にそれだけ魅了されていたのです。かくいう私ですら、ハチミツのことを考えると居ても立っても居られないぐらいでしたから。


 やがて倉に入ったルリコが最初に目を付けたのが、件の液体の壺でした。あろうことかその時一緒だったズバイダ様はルリコにお家の恥を全て話してしまわれてたのです。しかし今になって思えばそれはズバイダ様が密かにミレイ様のお命が失われないかと心配してルリコに見せたのでしょう。


 兎に角ズバイダ様にその話を聞いたルリコはすっとぼけたような声で呟きました。


「それってマスイによる幻覚なんじゃないかなぁ…」


 それを聞いたズバイダ様はルリコの顔色を伺うような視線を向け、私は息を飲みました。


「マスイとは?」


 そう硬い声で聞くズバイダ様にルリコは「あーいや。こういうので似た薬があってですね…」と取り繕うような態度を見せていました。


 本来なら家政であるズバイダ様に虚言を吐けば織り手に聴取されてもおかしくないのに…。


「そうかそうか」とズバイダ様も笑って見てみぬふりをする。一体どうなっているのだろう?


「まあ、ミレイのそれは夢みたいなものかもしれませんよ」


 だからミレイ様を呼び捨てにするなど…。


「そうか…」


 そう頷くズバイダ様のお顔には安心や憂いの表情が見受けられませんでした。そしてふと思い出した様に振り返ると言いました。


「ところで、例の男が見たという光景を絵に描かせたものがある」


 そう仰って、私の方へわずかに視線を寄越されたのですかさず木の板のスケッチを差し出します。


「ああ、どうも」


 いや、私、アンタより年上だからな!?


 そう思って見上げたルリコの顔が驚愕の色に染まっていることに驚いた。


「これをその男の人が書いたんですか?」


「そうだ」


ルリコは興味深そうに木の板の絵を見つめながら「幻覚じゃないかも…」と呟きました。

そして私達が固唾をのんで見守っているのに気づくと、少しだけ言葉を選ぶようにして続けました。


「…少なくとも、この絵は作り話には見えません」


「それってどういうこと!? ミレイ様が危ないってこと!?」


 とうとう黙っていることができなくなった私をミレイ様が制すると、ルリコは困った顔で言った。


「ハッキリというには難しいですね…。そういえばこれを飲んだ男の人は結局どうなったんですか?」


 ズバイダ様はすぐには答えず、わずかに間を置かれたあと、ルリコが握る板を顎で示した。ルリコが握る板の二枚目にはその男が最後に見た自分が牢で首を吊った姿が描かれていたのだった。


 床の壁の秘密の穴を通って暗い倉の中に入る。幼少頃ミレイ様に教えてもらった秘密の抜け道。棚に納められた薬の位置を手探りで探る。何歩か進むと手にヒンヤリとした感触が伝わりそれを手に取ると顔に近づける。


「ルリコという女はなにかを隠しています」


 私の頭の中でかつて側近たちと密談した内容が反芻される。


「それが何かはわかりませんが、恐らく始祖様に似た遠く在るオウムアレア様の声を聞く力があるのではないでしょうか?」


 そう語るリサンドラの表情はかつてなく険しい。


「だとしたらあの女は放ってはおけませんね」


「そうですね。ただの女であれば…。あれは腐ってもライラの娘。手を出せばライラの”母”が目覚めるやも…」


 ざわめく側近たちにリサンドラは手を叩いて静まらせる。


「なんのことはありません。あの女がどのような真似をしようと、我々のやるべきことは変わらない。あの女を利用すればいいのです」


「ズバイダ様はこのことを御存じなのでしょうか?」


「どちらであろうと関係ありません。我々が忠を捧げるべきはズバイダではなくミレイ様。ルリコには精々我らが主の為に泳がせておくのが最善でしょう」


 そして私達は唱える。


 ――美しきミレイ様の為であれば、我々は死ねる。


 静まり返った暗い倉の中、震えた口を懸命に動かす。


「美しきミレイ様の為であれば、私は死ねる」


 そう唱えた後に、震える手で薬の壺の蓋を空ける。口元に近づける時に鼻に突くような刺激臭に涙が流れる。


 自殺した男が見たというミレイ様の死。それを罪に穢れたわが身をもって検証すること。それこそが――。でも流石にこれは――。違う。これは余りにも――。


 私はむせ返るような激臭の液体を喉に流し込み、吐き出さない様に口を手で覆う。


 床に落ちて砕ける壺の音が遠いように感じる。


 身体が熱い、今にも眼球が中から飛び出しそう。


 長い、長すぎる。早く、死ぬなら早く死んでくれ!


 そう思って自分の顔を覆うとしてもそれができない。痛みに耐えながら手元を見た。


 ――ない


 手がない。手の指先がまるで編み物の様に解けている。


 叫ぼうとしても叫ぶことが出来ない。顔の下半分が顎が外れたように帯状にほどける。足も太ももも。


 ――ミレイ様お許しください。無理だ――これは。


 ほどけた上半身崩れて床に叩きつけられる。


 死に際に見る最後の光景が、薄汚い地べたなんて…。こんなはずじゃなかった…。


 子供の頃に聞かされた始祖様と始母様のなれそめの口伝。それを聞いた幼少の頃、いつか自分を迎えに来る殿方が居ると胸を焦がしていた。でも実際は無役の余り者をおしつけられるだけの縁談。そんな有り合わせな自分など誰も知らない。覚えない。


 名も残らず、ただ消えるだけの端女。


 始母様の敵役にも劣る。


 それでもいいと思っていた。ミレイ様に忠を捧げられればそれで満足だと。


 でも。ふと、眠れぬ夜に考えてしまう。


 もし、私がミレイ様の様なズバイダ様の世継ぎだったら…。眠れぬ夜に温めてくれ貴方がいたのなら? きっと助けに来てくれたかな?


来ない。


――裏切者。


 ……。


 此処はどこだろう? 此処? こことはなんだろう。地面も空気も光もない。無だ。無なのに私は有る。どういうこと? どう? 何? 私。


 …。


「ミーシャ、ミーシャ」


 誰がそう呼ぶ。私は振り返る。


 私はミーシャ? いいえ? 私はエーコ。


 そう言おうとして口にしたのは「何かしらリムト」という意に反する言葉だった。


「今忙しいのだから後にして頂戴」


 そういうとリムトと呼ばれた女は鏡を覗き込む。それを目にして私はハッとする。


 ミレイ…? じゃない? ミレイに似た誰か? 私は誰かに成っている? でも自在に動かせない、ただ見ているだけしかできない。


 お前は誰だ…。


 私の声にならない言葉は空しく響くだけだった。


 それからというもの、私はこの女の視点を通してこの世界のことを知ることになった。どうやらここはかつて地を追われる前の原始の生活をしているエルフ達の住む暗き森らしい。そして私が中に居るミレイに似たこの女はリムトというらしい。そして側にいつもいるもう一人の女はミーシャでリムトの双子の姉妹らしい。


 この地のエルフ達は暗き森の大木にキツツキの様に穴をうがちその中で暮らしていた。そして私達姉妹も仲睦まじく木のウロの中で一緒に過ごした。そして姉のミーシャは一人のヴィトという名の男に恋をした。


 ヴィトは森の族長の長の息子で皆から慕われていた。そんなヴィトは姉を見染めた。突然姉妹の間に挟まるお邪魔虫。私がヴィトに対する想いはそんなものだった。ただ、二人の蜜月の中、ヴィトと一緒に居る時の姉の笑顔。今まで姉のそんな笑顔は見たことがなかった。いつしか、私はソレが無性に欲しくてたまらなくなった。


「ある日、私は森の広場で姉を迎えに来たヴィトに「ちょっと姉さんって変わったと思わない?」なんて話を持ち掛けて二人きりになる時間を邪魔しようとした。でも二人の目には私という人間は映ることはなかった。二人の間に、私は入る余地なんてなかった。


 私と姉は瓜二つなのに、一体私と彼女は何が違うんだろう?


 そんなある日、姉がヴィトの子を孕んだ。それをきっかけに二人は結婚することになった。それを聞いた時に私の胸に冷たいものがはしった。二人の仲がそんなに進んでいると思わなかったからだ。何かあれば私は二人をそれとなく見ていたのに。気づかなかった。


 いや、私が見ていることを知っていて、見せなかったのだ。


 ――裏切者。


 何を裏切られたのかも分からないまま、その言葉だけが胸に落ちてきた。


 岩山の臭い穴倉の中で、私は呪霊の一族の長と取引した。


「殺して頂戴。姉の子を」


 姉の腹が臨月を迎えた時、呪霊の長は虫を使って病にかからせた。


「間違っても姉の子を殺すだけで、姉を殺さないでちょうだい」


 それを聞いて呪霊の長は卑しく笑った。


「勿論です。その代わり、約束通り下した嬰児は我々がいただきます」


 それを聞いて私はニコリと笑う。ふと振り返った先に映る鏡の姿を見て――ああ、なんて醜いんだろう――という言葉が胸に落ちてくる。


 そのまま何食わぬ顔で姉の病床へ行くと、姉は私を見て言った。


「リムト、ごめんね。ごめん」


 それを聞いて私はムッとした。


 今更言ったってもう遅いんだから。


 そう眼で訴えると、姉はゆっくりと頷いた。


 …?


 私が小さく首を傾げると、姉は助産師を振り返って言った。


「やって」


 その言葉を受けて助産師は沈痛そうな顔で頷く。


 ――何を。


 そう言うと私の腕をヴィトが握る。


「行こう」


「行くってどこへ!?」


 私の腕を握るヴィトの顔は真っ青でずっと姉の顔を見ていた。


「お別れだ」


「ふざけるな!」


 私は側に置いてあった鉤付きの棒でヴィトを叩いた。彼はそれを避けずにそのまま私の身体を抱くようにしてその場からムリヤリ連れ出された。


「姉さん! 姉さん!」


 連れ出される時に姉さんは私達に言った。


「アレンをお願いね。二人共」


 森に暁がさし、赤子が産声を上げた時、我が姉ミーシャは返らぬ人となった。


 走った。私は走った。素足のまま、呪霊の一族が住む洞穴へ。


「出てこい呪霊の長よ! よくも! よくも! 私から大事な姉を奪ったな!」


 そう叫びながら走ると「か、か、か」という不気味な笑い声が暗い岩山に響いた。長の怪しげな声が周囲に響く。


「一体何をそんなに怒っておる? お前が望んだことではないか」


「違う! 言ったはずだ! 子供の命は奪っても姉は殺さないと! 話が違う!」


 ――何も違わない。


 その言葉と共に長い顎ヒゲにボロをまとった痩せて老いたエルフが現れると言った。


「生きている。お前の姉は」


 その長の隣に何かが転がっている。それは人の亡骸だった…。かつて姉さんだったものだ。それを見て私の怒りはどこかに吹き飛び、ただただ震える身体を抱きしめるしかなかった。


「お前の姉は死んだ。だが、お前の中に姉は生きている」


 そう言うと長は姉さんの遺体をつついた。


「お前は姉が羨ましかったんだろう? だったらお前が成ればいい。そうすれば姉のリムトは死んだことにはならない」


 ――そう、かもしれない。


 姉が生き永らえるなら…私は居なくなっても構わない。その方が正しい。

 

 長が近づくと袋からつまんだ丸薬を私の手に乗せる。私はそれを意を決して飲み込む。次の瞬間、私の頭に何かが被せられるとそのまま引きずられて冷たい何かの上に寝そべらされた。


「さあ、その身に姉を宿すと良い」


 私は姉じゃない。でも…私は姉さんに死んでほしくない。


 その日から私の名前はリムトになった。


 私の中に流れ込んできたリムトは私を異物かの様に押しのけた。また何もない世界でたゆっていた私は自分の名前を思い出す。


 ――そうだ。私はエーコ。


 そう思って再び周りを見渡そうとしてもそれができない。多分眼球がないせいだろう。その代わり私の目の前の風景が目まぐるしく変わった。私の目の前に広がったのはリムトになったミーシャの視点だった。


 あれからミーシャは自分をリムトと名乗った。エルフの集落ではミーシャが正気を失ったと思いそのままリムトをミーシャとして受け入れたようだった。そしてリムトがあまりにミーシャに似ているから森の人々はリムトにミーシャの魂が宿ったと信じる者も居た。何よりヴィトとアレンは自分をリムトと名乗るミーシャを受け入れた。


 結果、同じ屋根の下、ヴィトとミーシャの息子、そしてミーシャに成ったリムト。一見成立しなさそうな家庭はヴィトとミーシャの息子によって奇跡的に成立し続けていたようだった。


 ミーシャの息子アレンはリムトを実の母親の様に慕っていた。いつからかリムトもアレンを我が子の様にかわいがるようになっていた。


 ミーシャの死後二百年。いつものようにリムトはアレンを寝かしつけていた。するとヴィトがリムトを木の家のベランダに誘った。珍しいこともあるものだとベランダに出るとヴィトが手すりから空を見ていた。ヴィトの隣に同じように手すりにひじ掛けると彼は横目で見ながらうつむくと言った。


「出て行ってくれないか…? リムト」


 それを言われた時、私の頭部から血の気が引いたように青ざめたのを感じた。


「どうして…?」


「最初君がミーシャを名乗った時、直ぐに君がリムトだって気づいたよ。だって君はミーシャじゃないからね」


 ――どうして? 私はこんなにも。


「でもそれでもよかった。だってミーシャはアレンを僕だけじゃなくて君にも託したんだからね。だから一緒に協力できるなら。君がアレンの母になってくれるなら。それでも僕はよかった。きっとミーシャならそう言うって確信があったから」


 そう言うとヴィトは残念そうな顔を私に向けた。


「何度言っても君はアレンの母であることを拒み、ミーシャであることにこだわり続けた」


 だって私は――。ミーシャになりたくて…。


「アレンがミーシャの死をいたもうとして、君はそれを許さなかったよね?」


 だってあの子が…。ミーシャは私なのに…。


「終わりだよリムト。これ以上は君が壊れてしまう」


 その瞬間、私は泣いた。泣きながら家の外に出て森の中をさ迷った。森の中に私の泣き声が響いても、誰も顔すら覗かせない。


 何をどこで間違えた?……違う。


 間違えたんじゃない。 


 私は最初から、ミーシャになりたかっただけだ。


 私は最初から…ミレイ様になりたかっただけだ…。


 でもなれなかった。私はミレイ様になりたいだけで、母になれなかったミーシャの様に世継ぎになることを考えていなかった。


 だからリムトは…。


 ――おい! おい! ったら。


 リムトから離れた私は、気づいたら誰かに揺すられていた。ぼやけた視界が徐々に定まるとそこに居たのは頭から血を流した夫だった。


「あ、あんた…。一体なんで…」


「なんでって君が俺を気絶させたんじゃないか。みろさっきのでこぶになってら。転んだ俺も間抜けだけどさぁ。放って置くなんて酷いぜ…」


「ゴメン私…。酷かったよね…」


 それを聞いた夫は眼を見開いた。


「本当にどうしたんだ? 壺が割れているけど何していたんだ?」


「それより…どうしてここがわかったんですか…」


「そんなの…。道中、君の足跡が残ってるんだもん。それを追ってきたのさ」


 そう言うと夫は私の上半身を優しく起こすと倉の壁に寄り添わせた。そんな夫を横目で見ながら私は言った。


「ねえ、アナタ。私と別れて頂戴」


 それを聞いた夫は「は」と言うと「それは困る」と続けた。


「なんでそんなことを言い出すんだ君は」


 私はうんざりしたように倉の天井を見つめると言った。


「倉に侵入して勝手に薬を飲んで、壺を割ったなんて知れたら…私は裁かれる。貴方に迷惑がかかるじゃない」


「そんなのここを掃除してあの穴からオサラバすれば良いじゃないか」


 それを聞いて笑わずにはいられなかった。


 何でこの人、私と同じこと考えているんだろう…。


 私は面白くなって首を傾けて彼を見つめながら言った。


「じゃあこうしましょう。いいですか? アンタは本家に行って伝えてきてください。エーコがミレイ様の死の予言の真相を暴いたとね。そしたら私がズバイダ様にこの薬を飲んで見たことを話します。そうすれば私はミレイ様の心のつかえをとったって今回の失態はなかったことになるだろうからね」


「何だい。急に元気になってそれかい? でもなぁ…俺まだ飯食ってないんだよなぁ…」


 こいつ…。


 私の目線に気づいたのか夫は頭を下げながら言った。


「何てな。わかったよじゃあちょっと行って来るけど。妙な気をおこすんじゃないぞ?」


 そう言って去る夫の背中に私は呆然とする。


 驚いた。あの人ったら。私の様子がおかしいと気づいてたのか…。


 そう思って私は目を瞑った。


「リナウ…。ミーシャなんかにならなくてもいい。…どうせ、なれっこないんだから」


 そう呟くと私はそのまま壁から地べたへと背中をずり落とすと、そのまま私はしばらく動けなかった。


 翌朝、私はズバイダの奥の間で見て来たことの全てを話した。夫を殺したと思い死のうと思ったこと。せめて最後はミレイ様に忠義を捧げようと思ったこと。そして罪人が夢に見たミレイ様はミレイ様に似たご先祖様だったのではないかということ。


 そうお話を奉じ、頭を下げた私にズバイダ様は唸るような声を上げると言った。


「承知した。ではエーコよそちに褒美を与えよう。今回のエーコの働き。これを記録することにしよう。よかったなエーコ。お主の名は歴史に残るぞ。ミレイに仕える忠義の者としてな…」


 その言葉に身が引き締まる思いがして首の根をさする。


「今後もミレイ様に忠をつくしてまいります」


 そう言って頭を下げた。


 それから一週間の間、私は形式的な罰として離れの洞窟に隔離されながら治療をする生活を送った。隔離を解かれて家に戻った次の日に家にルリコが訪ねて来た。


「お戻りになられたんですねエーコさん。それで早速で悪いんですがこれを見てください」


 家に来て早々、ルリコは一面黒い炭が塗られた布を私の前に広げた。真っ黒な布にはうっすらと文字の様なモノが書かれていた。そこには『プルモンテ』や『カーチ』といった人の名前の様なモノが書かれている。


「これが何だって言うんです? とにかくここじゃなんなので上がってくださいな」


「何を悠長なことを言ってるんです! ここを見てくださいよ! ここ!」


 そういって彼女が示す指先を見ると、そこには『ミーシャ』の文字が書かれていた。


「これは…?」


「これは呪霊の一族に伝わる代々の長の名前らしいです。クリシダにお願いして写させてもらったんですよ」


 そう言われて訳がわからないまま言葉を振り絞る。


「…えっと何故ルリコさんはそのことを知っているんですか?」


「ズバイダさんに聞いたんですよ」


 …ズバイダ様だろ…! はあ…もういいわ。


「そうだったんですね…」


 そう言いながら私は布に記されたミーシャの名前を指でなぞる。すると何故か理由もなく眼から一筋の涙がこぼれた。


「いやーあの絵を見てから思ってたんですけど…あの薬には体内のディーエヌエーの情報を回帰させる能力があるんじゃないですかね? あれ…でもそうすると未来が見える理由がわからないか…」


 本当にこの女はうるさいな…。


「申し訳ありませんがその話はもう止めましょう。そんなことは私の仕事には関係ありませんから」


「それにもう私はその薬には一切関わり合いになりたくないので」


「あ、はい。すみません」


 少し気まずい沈黙の後、ルリコが言った。


「そう言えばエーコさん仕事にはいつ復帰するんですか?」


「…さあわかりません。もしかしたら…私は首かもしれませんね」


「あ…」


 ルリコのためらうような声が聞こえて顔を上げると、そこにはルリコを押しのけているリサンドラとミレイ様が飛び込んできた。ミレイ様は私の顔を見ると眉を吊り上げて右手を上げた。


 打たれる。


 と思って目を瞑った後に、私はミレイ様に抱きしめられた。


「バカ者! 心配を駆けて! 死んだら! 死んだらどうする! 私を一人にする気!?」


 それを聞いた瞬間、私の眼から涙が溢れて止まらなくなった。


「申し訳ありません! 申し訳ありません!」


 私達はお互いの身体にすがるようにしながら土間に膝をついて抱き合って泣いた。


――それから。


 隔離が解けた後、私と夫は何事もなかったように元の生活に戻った。夫と言えばあいかわらず無職の飲んだくれのままだ。そんな夫のことなど知らず、私は再びミレイ様の側近という立場に収まった。戻った当初はミレイ様の為に命を投げ打ったとして重宝されたが、時間が経てば経つほどに元の粗雑な扱いに戻っていった。それでも私は甲斐甲斐しくされるより、いつも通り接してくれる方が気が楽なので密かに胸を撫でおろしている。


 このまま記憶が風化してくれればそれで良い…。


 そう思っていたのもつかの間、リサンドラが作ったミーシャに成りすましたリナウの犠牲譚の歌が大樹の一族で流行った。大筋の運びは私が語ったことをそのままであったが、その内容がミレイ様の間抜けな側近がやらかして思い詰めた挙句毒薬を飲むという実にリサンドラらしい陰湿な解釈に基づいていた。その歌で私のモデルの側近が登場すると人々は笑い、ミーシャの死には涙した。


 口惜しいがリサンドラの歌のミーシャの死には何度も泣かされる。なんであんな性格の悪い奴があんな人を感動させる歌をつくれるのだろう…。


 そう首を傾げながらも歌に罪は無いと素直に賞賛する。やはり歌は性悪が作ったモノに限る。


 最期にリサンドラはリナウ扮するミーシャが身を寄せたのが呪霊の一族であるという部分は見事に削られ、集落の離れで賢人として暮らしたと改変されている。目ざとい人の中にはズバイダ様が不都合な歴史を消すためにこの歌を流行らせたのではと勘ぐる人も居る。そうでなければ大樹の一族と呪霊の一族が遠い祖先で血が繋がっているということになりかねないからだ。


 そう考えると私の嘘なんて些細なものである。リナウは一生をかけて自分をミーシャと偽り、大樹の一族は自分たちの血統が素晴らしいものだと信じて疑わない。


 しかし生きるだけで大変なこの世なのだから、嘘で自分を誤魔化せなければ生きていけない。人は誰しも自分を騙して生きる。誰も彼も。私はそう思う。

ところでエイプリルフールの起源には、いくつもの説がある。どれももっともらしく語られているが、決定的なものはないという。


もしかすると、どこかで少しずつ形を変えながら、今のかたちになったのかもしれない。

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