36 着火原人
「ルナ、落ちついた?」
「すみません、取り乱しました」
「……またこんど抱っこする……」
ラヴィーに抱きつかれて夢の国へとトリップしていたルナが落ち着きを取り戻すのには、少し時間がかかった。恐るべしラヴィーの抱っこ攻撃!
バーベキューの後片付けも終わり、シア達は神の部屋へと戻ってきていた。
「それでなんだっけ? 火起こしの道具だっけ?」
「はい。あれだけの集団を維持するにはもはや火の恩恵が必須です。ですが着火を自然要因に頼っている以上は、不慮の事故で火種が長時間に渡って消えてしまえば集団は容易に瓦解します」
「そうならないように、自分たちで火起こし出来るようにしてあげないとね」
「ん……ちょっとだけ……手助け……」
原人たちへ授ける火おこし器を選定した後、ぶっつけ本番では無理だろうということで、シアがちゃんと使えるようになるまで練習した。
ルナが手本を見せてシアとラヴィーが真似をする。
シアは一〇分ほどの練習で習得できたが、ラヴィーは力加減がうまくいかず何度か道具を壊してしまった。
この差は道具の強度や火起こしに対する理解の違いである。
道具というものは力任せに扱っても、本来の効果を充分に発揮することはできない。
道具の効果と引き起こされる現象についての正しい理解があって初めて使いこなすことが出来るのだ。
これらを踏まえて火起こしの道具は再度検討され、より単純なものが選ばれることになった。
「それじゃ行ってくるわ。流石にこの姿じゃまずいから原人の姿で分身体をだすわ」
「シア様、一人で大丈夫ですか?」
「ルナは心配性ねー練習もしたし大丈夫よ。火起こしの様子を見せて道具を置いていけば、あとは自分たちで使ったり作ったりできるでしょ」
「ん……シア様頑張って……」
「それじゃ行ってくるわね」
シアはソファーに背中を預けて目を閉じ、地上に火おこし器と分身体を生成するとそのまま意識を移した。
すっかり脱力しきってソファに沈むシアの姿は、どこか彫刻めいていた。
それもそのはず、神格を得て神聖存在となったその体は呼吸すら必要なく、意識がなくなった今では呪いにかかったように微動だにしていないのだ。
だがその姿は死体のような不気味さはなく、例えるなら見るものに安らぎを与える聖母像のようであった。
「恐竜ほどじゃないけど、手足の長さとかバランスが微妙にずれてるのが違和感すごいわね……」
平原に淡い光とともに突然現れていきなり日本語を喋りだしたのは、シアが生成して降臨した分身体だ。
浅黒い肌と全身を薄く覆う体毛、そして薄汚れたボロをまとったその姿はこの時代の原人のものだ。
シアは屈伸をしたり腕を振り回して体をなじませた後、ともに生成しておいた火おこし器と薪を拾って、先程神の部屋から観察していた原人集団の方へと首を向けた。
「それじゃ火起こしの伝授やっちゃいますか! というかよく考えたら人類とのファーストコンタクトじゃないの! 今更だけど不安になってきたわ……」
一抹の不安を覚えながらもシア原人は原人集団の方へと歩み始めたのだった。
目的の集団は三分もしない内にシア原人の視界に入ってきた。
同じ見た目ではあるが、警戒されるとまずいと思ったシア原人はウッホウッホ言いながら群れへと近づく。
傍から見ると原人というよりゴリラやチンパンジーじみているのだが、これがシアの精一杯だった。
群れに近づくシア原人に気づいたのか、数人の原人が警戒しながら彼女の方へと近づいてきた。
原人に火起こしを見て覚えてもらう以上、観察してもらえる距離まで近づく必要があった。
しかし警戒されすぎて攻撃されたのでは目的を達成できない。
群れから少し離れてはいるものの、見てもらえるならいいかとシア原人は腰を下ろして火起こし器の準備を始めた。
火種から火を移す枯れ草を少々集めて薪を軽く組んだ後、太いほうの木の棒を跨いで座り太ももに挟んで固定する。
そして腕だけでなく上半身のバネを使って、溝を作るように勢いよく木の棒を擦り付ける。
シアが行なっているのは火溝式といわれる発火法である。
一般的な火おこし器といえばキリモミ式や弓弦式を思い浮かべるだろう。
しかしこの方法は現代地球でも南太平洋の島に住む部族で用いられる着火法である。
非常に腕力が居る作業ではあるが原始的であるが故に原人達の習得も容易であろうとこの方法が選ばれたのである。
火起こしをしている最中に彼女はあることに気がついた。
神の部屋で同じ道具を使って練習したときよりも火種のデキが良かったのだ。
社会生活に適応した現代日本人の体よりも、数十万年も野生生活を続けた原人の体のほうが強靭であるのは当然である。
シアが顕現してから原人の体に感じた違和感もそれが要因の一つだった。
奇妙な動きを始めたシア原人を警戒して監視する原人の数が増えてきたが、彼女はそこまで気にする余裕はなかった。
強靭であっても慣れない体であることに変わりはなく、気を抜くと土台や手元が狂ってしまいそうになるのだ。
シアは着火マンならぬ着火原人として、火起こしに全身全霊をかけた。
火起こしを初めて三〇秒ほど経った頃には、溝に溜まった焦げたおがくずから薄っすらと煙が上がり、更に一〇秒ほど経つとおがくずはほんのりと赤みを帯びてきた。
火種として申し分ないデキとなったところで、シア原人は土台を傾けて集めた枯れ草へと火種を投入した。
熱が伝わるように、しかし空気の流入を遮断しない程度に両手で優しく包み込む。
燃焼を促進させるために何度も息を吹き込んでいくと、枯れ草から小さな炎が上った。
着火成功である。
シア原人が火のついた枯れ草を薪へと投入してしばらくすると、先程よりも大きな炎が立ち上った。
その様子にを見ていた原人たちが一斉に騒ぎ出す。
火起こしをしていたシア原人がその場を離れると、騒いでいた原人達が一斉に火起こし器へと近づいてきた。
摩擦した場所を触ってしまい熱さでとっさに指を離したり、シア原人の真似をして棒を擦り付けるなど興味津々のようだ。
今回の役目はこれで終わりだし少し風景でも見ていこうかと、シア原人は原人達に背を向けた。
なんだかんだで地上をゆっくり散歩するのは、シアにとってはこれが初めてかもしれない。
火起こし器に夢中になる原人達とは別に、警戒の眼差しを向け続けている原人が居ることに彼女はまだ気づいていなかった。




